43.
叔父様の言葉に、私はただ驚いて何も言えなかった。
だって、レイジェスとの婚約はお父様……この国の王が認めたものであり、それを先日のパーティで公表したばかり。
それなのに私とマルヴィナを交換して、私をディミトリエ皇子の婚約者に据えようだなんてあまりにも都合がよすぎる!
いくらこの国で古くからある大貴族がすべての泥を被るといったところで、そんな簡単な問題じゃないことくらい叔父様はご存知のはずだ。それこそ、私よりもずっとずっと知っていておかしくないのになぜこんなことを?
「……マルヴィナ殿で構わぬと仰られるならば、それこそ彼女をディミトリエ皇子に嫁がせては?」
レイジェスが、冷たく言った。
でも私もそれは同意できる。
私という第二王女と、現王の弟が当主であり由緒ある公爵家の一人娘マルヴィナ。
ディミトリエ皇子にしてみれば、どちらにせよターミナル王家との接点に違いないのだから。
「まあもっともな意見だ。それができれば、私だってこんな事を婚約したばかりの君たちに告げたりしなかった」
「では、どうしてですか……?」
「それはね、さっきも言ったけれどクリスティナ。君には王の資質が備わっていると私は思っているんだ。それは、マルヴィナには決してない。あの子は親の贔屓目に見ても別に愚かだとまでは言わない……だが、それだけだ」
言われているその内容が、頭に入らない。
聞こえてはいるのに、私の中でまた『どうして』が渦巻いている。
だって、王の資質ってなんだろう?
私は内向的で、意見もちゃんと言えなくて、魔力もなくて、……だからこそ周囲の人から見放されてきたのに。
そんな私に、王の資質? 叔父様は、なぜそんなことを言うの?
「マルヴィナはただの貴族の娘だからね、まあ数多いる貴族令嬢の中では親の贔屓目を抜きにしてもそう出来が悪くないと思うが。だが人の上に立つ器ではないし、あれは生まれながらに他者が己に何かをしてくれることは当然という立場にあった。理屈は知っていても、理解はしていない」
「……」
「その点、クリスティナ、お前は違う。もともと聡明だったとは思っていたけれどね、私がそれを確信したのはあの謀反の日にお前がしたという行動すべてだ。そして兄上もそれを理解しているからこそ、あの部屋に王太子でもないお前が入室できるよう手配したのだろう」
叔父様の言葉に、ついていけない。
私はただ、目を瞬かせて見つめるだけ。
叔父様が、冗談を言っているようには到底思えないのに私にはやっぱりわからなかった。
「お前は、人がいて国が成り立つことを理解している。そして王がいなければいけないことを理解している。だからこそ、あの時己を犠牲にしてでも国と王を守り抜いた……それも、自分一人の犠牲だけで済むように」
「そ、れは……ただ、の、偶然です。わた、私はただ。……私はただ……」
喉が、張り付いたみたいに上手く言葉が出ない。
だってあれは、そんな大層なものじゃない。
どんな展開が来るかわかっていたから、誰も惜しまない私を使えば丸く収まるのだと思って立てた計画だった。
そうよ、私のあの計画は十年近いものだったのだから、ぽんと思いついて実行できたわけじゃない。
ただ、前世の記憶だのなんだのって誰にも言えなかったから、私があの場で思いついて行動したかのように見えていただけで、ああ、じゃあこの誤解をどう説明したらいいのかもわからない。
「……だとしても、恐れながら私はクリスティナ姫を妻にと、変わらず申し上げるのみです」
「れ、いじぇす?」
「後の国益を考えるならば、ディミトリエ皇子に嫁がせるべきはクリスティナだと言っても? 彼の隣に立つならば、王の意を知る、王の資質ある女性が望まれる。そういう点で愛ではないかもしれないが、尊重し合う相手として大切にされるとは思うが」
「私にとって他の誰かでは、意味がないのです」
叔父様が続けて諭すように言っても、レイジェスは全く怯む様子はなくて、むしろ静かなのにそれ以上相手が説得できないとわかるだけの、何かを持っているように見えた。
叔父様はそれでも薄く笑っていて、私だけがまるで取り残されたかのように会話についていけなくて、おかしいなあ私当事者なのに……。
「クリスティナ姫は、私が陛下の許しを得て妻として娶ることとなりました。これを、譲る気はございません」
「……まあ、そうだろうねえ。あんな場で一国の王女を望むなんて大それたことを言うなんて相当の覚悟をもってだとは私もわかっているよ。まあ、言ってみただけさ」
大それた、と叔父様が言って両手を軽く上げてまるで降参といったような態度を見せた。その途端空気は和らいだけれど、私だけが取り残されているのは変わらなくてどうしていいかわからなかった。
レイジェスを見ても、彼もただ静かにお茶を飲んでいるし、ああ、私だけが理解できていないのか。
(あれは、……あれは、私を妻にとお父様に願い出たのは、そんなにすごいことだったの?)
誰も望まない姫。
行き遅れ、と陰で笑われていた私を。
お父様たちが、他国からの縁談を私の自由を守るために断ってくれていたのだとしてもレイジェスが私を求める理由は? マールヴァール? いいえ、それだけじゃないと彼は言った。だけどそれがなんなのか、私にはわからない、わかりたくない。
だって、期待をしたくはないの。
期待をしてしまったら、その瞬間からまた怖くなってしまうでしょう?
そして不安が的中したら、すごく苦しむのだもの。そんな思いはもうたくさん!!
……そんなことじゃ、だめなんだろうけど。
「まあ、私が話したことは私だけが思っていることじゃない。これからそういった目も二人は向けられることが増えるだろう。とはいえ、ディミトリエ皇子が勝ち残れるかどうかと問われればそこはわからないとしか言えないしこうやって直接的に申し出てくるような人物がいるかもわからないがね」
叔父様はそう言うとお茶の残りを飲み干して、立ち上がる。
そして私の前に立って、そっと手を取って優しく笑った。
「……すまないね、クリスティナ。叔父としてはキミが幸せになれるのであればどの道でも構わないと思っている。だけれど私もただの男としてではなく、王弟として、或いはこの国を守る名門『信頼』の名を受け継ぐ貴族としてあらねばならないんだ」
「叔父様……いいえ、叔父様が謝られる事は、何一つ、ないと思います。……それが、叔父様の、公爵としての立場で正しい行動だったのだと思います」
謝罪をされて、少しだけ私は返答に困った。
告げられた内容は確かに衝撃的だったし、困るものだったけれど……国益を優先すべきだという立場で、代わりに娘を差し出しても良いからなんて普通の、一般的な親だったら簡単に口になんてできない。
それは、叔父様の覚悟も含めてだったはず。
すべての泥を被るとまで宣言した上での言葉の数々は、すべて国のためなのだろう。
私に、王の資質がある云々は、叔父様の思い違いだと思うけれど。
「さて、長居をしてしまったね。二人の邪魔はもうしないし、気持ちは聞かせてもらった。気が変わったならばいつでも言ってくれて構わないが、そうはならないんだろう? ファール親衛隊隊長」
「決して」
「……なら、いい。それじゃあクリスティナ、今度は我が家に遊びにおいで。マルヴィナもきっと喜ぶからね」
「はい、叔父様。お忙しい中、ありがとうございました」
「いやいや。ああ、そうそう! 大事なことを言い忘れていたよ!!」
「え?」
叔父様は、優しく笑った。
「婚約おめでとう、クリスティナ。どんな道でもお前ならきっと幸せを掴みとれるはずだけど、人に頼ることをもっと覚えなさい。一人で幸せになるのが夫婦ではないのだからね」
「……叔父様、……。はい、肝に銘じます」
一人で幸せになるのが夫婦ではない。
その言葉に、どうしていいかわからなくて曖昧に笑うしかできなかった。
「グロリア、叔父様のお見送りを」
「かしこまりました」
「……それから、少し人払いを」
「はい」
叔父様が出て行く背中を立ち上がって私とレイジェスも見送る。
グロリアに人払いをお願いしたから、部屋の中には私とレイジェスだけ。
ええ、そうね。叔父様。
一人で幸せになるのが夫婦ではないのなら、どうするべきなのか話し合うのが始まりよね。
例えそれが本音を口にしなければならない、それがとても勇気のいる作業だとしても。それが必要なんだって私だってわかっているの。
「クリスティナ」
「レイジェス、私たちも話を――」
言いかけた私がレイジェスに視線を向けたところで驚いた。
だって、彼は思いの外、近い距離にいたものだから!
「れ、レイジェス?」
「……」
彼の手が、ゆっくりと伸びてきて、私の髪をひと房取って熱っぽく見つめられるだなんて。
どうしたんだろう、今日は色々あり過ぎて、私はもう夢を見ているんだろうか。
「今更、手放せるものか」
低く、低く。
そう告げられた言葉に、私の胸がとくんと跳ねた。




