40.
「……まず誤解をきちんと晴らそう。俺がお前を妻にすると決めたのは、俺自身だ」
レイジェスは何かを躊躇うようにしながら、それでもきっぱりと言い切った。
どうして?
そう思ったけれど、私は彼の言葉には続きがあると思って待ってみる。
だけれど、レイジェスは黙ってしまった。
苦しそうに、何かを言いかけはするのだけど……私も、何か言うべき、何だろうか。
「……私が、妻で、いいの……?」
「……」
「だ、だって。私は、レイジェスに嫌われていると思っていたの。ずっと、……ずっと」
「……」
私の言葉に、レイジェスが眉間に皺を寄せて目の前のサラダを睨んだ。
なかなか食事に入らない私たちのせいで、給仕のグロリアには迷惑をかけているってわかっているんだけど……どんなに美味しい料理が今目の前にあっても、喉を通る気がしない。
「別に、嫌ってなど、いなかった」
「えっ」
「確かにお前に対して邪険にするような物言いもあったと思う。それは、詫びる」
「……」
ひゅっと喉から、変な音がする。
それならば、どうして?
私が傷つくと思うような言葉を選んだり、疎んじるように睨んだり。
嫌っていないなら、妻にしても良いと思うなら。
どうして、お前は他の人間に劣っているとか、外に出るべきじゃない、とかそんなことを言ったの?
マールヴァールの遺志だからですべてを片付けるわけじゃないんだろう、彼なりのなにかがあるんだろう。
でも私には、まったくレイジェスの意図が見えなかった。
「私が、残念姫君って呼ばれても、レイジェスもそれを否定しなかった、でしょ……?」
「それは……」
魔力がない。
王族の中で、それは致命的とすら言われて多くの人が、私に対して失望した。
代わりに何か頑張れないかと教師たちにお願いしてみても、魔力のない人間の教育に当たったことがないと匙を投げられた。
それを見た人たちに、ああなんて残念な姫様だろう、って笑われた。
助けて欲しいって。
助けて欲しい、心の底からその時思っていたの。
だけど、私を抱きしめてくれたのは、姉様だった。
お父様とお母様は、公務でお忙しかったから。
私はその助けになることなんてできないって突きつけられて、周囲の人たちから疎んじられて、そうして今に至るのに。
「どうして……?」
口から零れたどうして、が何を指すのか自分でもわからない。
今まで助けてくれなかった事に対してなのか、今更妻にと望むことなのか、それまで私の事を貶すに等しい言動すらしていたはずの事に対してなのか。
私だって好きで魔力がないわけじゃないし、好きで前世の記憶を取り戻したわけじゃない。
みんなにだって嫌われたくないし、頑張ろうと前向きになってみてもどうしようもないなんて言われたらどうしていいかわからないじゃない!
だから自分で、自分でできることを探して……。
(あ、ダメ)
泣きそう。
感情的になっちゃだめだ、ちゃんと話をしなくちゃ。
前に進むために、ちゃんと話をしようって決めたのに!
「それ、は……」
「どうして、そんなことを今更言うの?」
「クリスティナ」
「……っ、ごめんなさい……」
「なぜ謝る」
「……私の魔力がなくて、何もできないって、残念姫君ってみんなが呼んでも、レイジェスが呼んでも……それは仕方ないのよ、ね……」
「……」
「私の魔力がないのは、事実、だもの……」
泣きそうな気持ちも、涙も、飲み込む。
私は前向きに進むんだって決めたんだもの。
ちゃんと、そうよちゃんと話をするの。
レイジェスの言葉をちゃんと、受け止めなくちゃ。
でも今は、少しだけ待ってもらいたい。
「ごめんなさい、ちょっと私……感情的になってしまったみたい。お話は、もう少し落ち着いてからでも、いいかしら……」
「そう、だな。……食事をしよう」
「ええ……」
私たちには、きっと言葉が足りない。
だけど、それを補う方法が見当たらない。
どうしたらいいんだろう。
どうしたら、お互いに言いたいことが伝えられるんだろう?
私は、ただレイジェスに幸せになって欲しい。
私自身を前向きにして、進んでいきたい。
でもそれを私が言っても、レイジェスは納得しない気がする。
そしてレイジェスの言葉を、私は上手く飲み込めない気がする。
(……グロリアたちに間に入ってもらう? それも、何か違う気がする……)
本来は自分たちでなんとかしなくちゃいけないんだって思うの。
だけど思いつかなくて、結局先延ばしになってしまった。
出される食事を、二人で無言のままに食べて行く。
味なんて、わからない。
カチャカチャと、食事をする音だけがして、義務のように咀嚼して、飲み込むだけ。
だけれど、無言で食べ続けていたおかげか、私の中で少しだけ感情が落ち着いた。
色々あるけれど、私は肝心なことを伝えていなくて、それを伝えた上でレイジェスがどう思うのか。そしてどうしたいのか、それを聞いてどうしていくのかを二人で考えて行かなくちゃいけないのよね。
私だけで、どうこうできる範囲をもうとっくの昔に飛び越えているのだから。
レイジェスと私は、婚約をした。
それももう、大勢の前で発表された。
嫌だと言ってもどうなるものじゃない。
どうにかするには、互いに協力しなければならない。
もし……この関係を続けたいというならば、それは利害関係だけではいられない。
私だけが我慢をする?
いいえ、きっと私はそんなことできない。
(レイジェスが、どんなつもりで私と婚約をして、そしてそれを自分の意思だと言ったのか。それでも彼は、ちゃんと言ってくれた)
私はひとつでも彼に、ちゃんとした言葉で、彼の目を見て心を告げただろうか?
子供の頃の言葉を、いつまでも心に刺さる棘として俯き続けていてはいけないと、自分で決めたんじゃなかったのか。
この先に起こることは、きっと私をまた傷つける。
誰も幸せにならないのかもしれない。
だけど。
無駄な、一歩じゃないと思う。
すべての料理が出された後、グロリアが紅茶を出してくれた。
温かいそれが、私の心に小さな余裕をくれた気がする。
いいえ、多分、それは私が『孤独ではなくなった』から。
自らの殻にこもっていた時よりも、少しだけ前に出て知った温もりがあるから。
「……レイジェス、私ね」
「うん?」
「私は、貴方のことが、好きなの」
思ったよりも、すんなりと言葉が出た気がする。
震えることもなかったし、レイジェスの顔を、目を、真っ直ぐに見て言えた。
そんな自分に少しだけ、驚いたけれど。
それよりも、レイジェスが目を大きく見開いて、私の言葉が理解できないとでも言うような表情を見せたことの方が、おかしかった。
(それは、そうよね)
彼に嫌われている言動を、いくつもいくつも受けてきた。
それでも尚、恋をしているだなんて。
あの時、見つけ出してくれて、いつでも、見つけ出してくれた。そんな彼に恋をしたまま、今に至るだなんて自分でもおかしいと思うくらい。
「……本気か」
「ええ。だから、レイジェス。そのことを踏まえてちゃんと私たちは話をしなければならないの。……もう、感情的にならないように努めるから――」
「俺は」
レイジェスが私の言葉を遮った。
強い眼差しに、私はまるで金縛りにあったように動けなくなる。
そして、続けられた言葉に、ぐっと苦しくなった。
「俺は、お前を好いてなんか、いない。俺の中にある感情は、そんな綺麗なものなんかじゃない」
ええ、知っている。
知っているわ、レイジェス。
貴方は、私を嫌っているのよね。憎んでいるのよね。マールヴァールが私を守り続けたせいで、苦労をしたのだということを私だって知っている。
知らない人なんていないでしょう。
それだからこそ、私は貴方に想いを伝えたのだから。




