39.
昼が近づくにつれて、私の集中力が切れていく。
読んでいた本もいつの間にか逆さまだったり、お茶をお願いしておいて気が付くと冷めていたこともしばしば。
レイジェスが来れないって連絡をしてきてくれないだろうかなんて淡い期待までする始末。
(ダメダメ、そんなことでどうするの!)
自分を叱咤してみるものの、どうにも落ち着かないのも本当のこと。
出きれば色々話をして、良い未来を手にしたい。
私にも、レイジェスにも、他の人たちにも。
そのためには色々と話をして、解決策を見出すべきだと心に決めたのにすぐ揺らぐのは……彼が、私をどう思っているのか改めて聞かねばならないというのが怖いから。
今までさんざん、多くの人たちに『残念姫君』と呼ばれてため息をつかれたり笑われたりしたことがあるし、それでも心が痛んだとしても気にしないようにできていたのに。
レイジェスのこととなると、私は途端に弱虫になってしまう。
「クリスティナ様、ファール親衛隊隊長がお見えです」
「……! あ、えっと、あの」
「クリスティナ様?」
「お、お通しして頂戴」
来るとわかっていても、来たと知らされればびくっとする。
ああ、なんて情けない……グロリアが不思議そうな顔をしていたもの。
しかも声が震えたし。
「失礼する。貴重なお時間をいただき、感謝を」
「……いいえ。貴方は私の婚約者ですもの、いつでもお越しくださって良いのです」
現れた黒衣の軍服姿。それはレイジェスが仕事の合間に私の所に来たということで間違いない。
忙しい中を縫ってきてくれたのだと思うならば、感謝をすべきなのは私なのだろう。
だけれど、ああ、本当に私はどうしてこうも臆病なのか!
「レイジェス、今日はこの後どのくらいいられるの?」
「……そう、ですね」
少し考える素振りを見せたレイジェスは、私の方をちらりと見る。
あまり時間がないのかなと思ったけれど、じゃあすぐに食事にしましょうとは言わずレイジェスの答えを待ってみた。
どうしてか、そうした方がいいと思ったから。
「もし、クリスティナ姫の邪魔でないというならば、学者殿との時間にも同席させていただきたい」
「……勿論、貴方の時間が許すなら」
もどかしい。
どうして私たちはこんなにも他人行儀な会話をしているのだろう?
理由なんてわかっている。
私が、そう、したからだ。
この距離感は、レイジェスが私を嫌っているはずの距離。
だけど、その距離を詰めようとしなかったのは私自身。
それを改善する時が、きっと昨晩であり今なのに、私はまだ躊躇っている。
私が近寄ろうとすることを、レイジェスが拒否したらと思うと怖いだなんて!
「クリスティナ様、ファール隊長、御席の準備が整いましてございます」
「ええ。ありがとうグロリア……」
「……お手を」
すっと差し出された手に、少しだけ躊躇って自分の手を重ねる。
黒い皮手袋は、彼の温もりを伝えてくることはなかった。
それなりの広さがある部屋に暮らしているとはいえ、テラスまですごい距離があるわけじゃなくて、レイジェスは紳士らしい態度で私を椅子に誘導してから座った。
当然、一緒に食事をする私と彼は対面で座っているのだけれど、私は視線を合わせるのが怖くて外の景色を見る。
「今日は、良い天気ね」
「ええ」
聞くのは怖い。
だけど、聞かなければ始まらない。
私は勇気を出して、進まなければ。
それがどんな道でも、彼を幸せにしたい。
変わらない、私の願いはそこなのだから。
「……ねえレイジェス、ここには私が信頼する侍女と、そしてラニーしかいないの。だから砕けた口調で構わないわ」
「……。わかった、そうしよう」
「ありがとう」
ほっとする。
でも、まだまだこれは序の口。
「グロリア、給仕役を一人でお願いするのは申し訳ないけれど良いかしら」
「勿論でございます」
「サーラ、キャーラ、大丈夫だとは思うけれど周囲に気を付けてもらってもいいかしら……あまりここでの会話を聞かれたくないの」
誰が気にするわけでもないのだろうけれど。
でも万が一、そう、万が一。
レイジェスの本音が、私との結婚を厭うものであったなら、それを理由に彼を攻撃する勢力がないとは言い切れない。
残念ながら、叛徒を倒したところで国の中に不満がまるでないわけがない。
集団なんて、そんなものなのだから。
だからこそ、私は慎重にならなければ。
そして守りたいものがなんであるのか、忘れてはいけないんだ。
決して、それは自分の身でも心でもないのだ。私の、大切な人なのだ。
サーラとキャーラが外に行き、グロリアが給仕を始めてくれる。
遠くで、雲雀が鳴く声が聞こえた。
「レイジェス、いくつか、質問をしても……いいかしら」
「ああ」
「ねえ、レイジェス。後悔はしていない?」
「……後悔?」
ぴくりと片眉を上げた彼の赤い目は、怒りもなにもない。ただ不思議な質問をぶつけられた、そんな感情を物語っていた。
「ええと……」
そしてそんな目を向けられると、私が間違っていたのだろうか?
そんな風に思ってしまうから、私も不思議だ。
でもレイジェスは私を嫌っていたよね?
幼い頃から、まあ幼かったからこそだけど「どんくさい」とか色々言って、私が何かするたびに眉間に皺を寄せていたのをちゃんと覚えているもの。
ついてくるなとも言われたことだって、忘れてない。
「貴方は、軍部のために私と婚約したわけじゃないと言ったわ」
「……ああ」
「そして、昨晩マールヴァールの遺志で私を守るのだと」
「ああ」
「でもそこに、貴方の幸せはあるの?」
「……」
声は、震えなかっただろうか。
けれど、聞きたいことは聞けた気がする。
「貴方は、好きな人がいるんじゃないの? ……ディアティナ姉様とか、マルヴィナとか、他の人とか……その、私と婚約したからって遠慮せずに、ちゃんと言って欲しいの。勿論婚約してしまった以上とか、立場の問題とか、色々あるのはわかっているわ」
「待て」
「でもそれらを踏まえて、いつかはなんとかできるように」
「待てと言っている! 昨晩も話していて思ったが、お前は何か決定的に勘違いしているだろう!!」
珍しく、レイジェスが困惑していた。
そして、怒っているようにも、見えた。
どうして?
本当なら、私が怒るべき立場なんじゃないのかな、なんて思うんだけれど。
婚約を申し出ておいてそれは立場からの利用、他に好きな人がいる……だなんて。
まあ王女として私は政略結婚とか、そういうものがあるのは理解しているから受け入れやすいというのは確かなんだけれど。
前世の記憶があると言っても、あくまでそれはディアティナ姉様の『物語』における序盤を知っていた、っていうだけの話で他は何も思い出せないんだもの。
時々、よくわからない単語がちらほら思いついたりもするけど……。その意味までは、まだよくわからない。
思い出せた時には何かの役に立つのかもって、メモには取ってあるんだけれどね。
そんな私を他所に、少し大きな声で私の言葉を遮ったレイジェスに、グロリアが厳しい目を向けていた。
私が気にしないで欲しいと目で訴えれば、ちょっと納得はできなかったのだろうけれど彼女は小さく頷いて、下がってくれる。
それに気が付いたレイジェスも、気まずかったのか小さく舌打ちをして視線を落とした。
「……まず、順を追って説明するが俺は俺の意思で、お前を妻に欲しいと陛下に願い出た」
「マールヴァールの遺志、でしょう?」
「それは、……それは少し、説明をするから待ってくれ」
レイジェスは、言葉を選んでいるようだった。
私はどうしていいかわからない。
目の前には、美味しそうなサラダとスープが出されているというのに私たちは手を付ける気にはならなかった。