38.
翌朝、グロリアに起こされた時間は確かにいつもより遅くて、私の身体は前日の緊張やダンスの疲れでまだぐったりとした感じだった。
ベッドの上で上体を起こしたまま、差し出されたぬるめの紅茶を飲んで息を吐く。
「……今日の予定は、レイジェスと昼食と、夕方にヴァッカス殿との面会。それだけよね?」
「はい、さようにございます。王妃様からは本日の朝食はクリスティナ様が大変お疲れであろうことは理解しているので、自室にてゆるりと過ごすようにというお言葉をいただいております」
「そう……」
「本日のお召し物はいかがなさいますか?」
「そうね……できれば楽なものが良いけれど、レイジェスと昼餉を共にするならそれなりの恰好をすべきよね」
「はい」
グロリアは私の答えに、少しだけ考えてゆったりとしたエンパイアドレスを持ってきてくれた。
それに袖を通しながら、小さく欠伸をかみ殺す。
ああ、昨日のあれは夢じゃない。
(……前向きに、って考えてもなかなか上手くいかないなあ)
レイジェスがドレスを褒めてくれて、周囲の人からゼロの姫君と褒め称えられて、『ああ、少し前進できたんだ』って思っていたのに。
彼が私を婚約者にしたのが、軍部の為じゃないって何度か言っていたのを聞いていなかったわけじゃないけどまさかマールヴァールの遺志を継いで私を守るためだなんて聞いたら、少しだけ前向きになった気持ちだってぺしゃんこになるじゃない。
……いや、そこでぺしゃんこになっちゃう自分の弱さがダメなんだろうなあ。
「クリスティナ様、疲れてる?」
「えっ?」
私の腰のリボンを結んでいたサーラが、ちょっとだけ難しい顔をして私を見ている。
そんなに疲れた顔をしていたのかしら。
……いや、うん。まだ疲れが正直に言えば取れてないけど。
「そうかもしれないわ。昨日のパーティは本当に緊張したものだから……」
「そう……いやなこと、なかった? 大丈夫? ですか」
「ええ、大丈夫よ。ありがとうサーラ」
「か、かかか、髪形はいかがなさいます、か?」
「今日は下ろしたままでいたいわ」
「か、かしこまりました!」
「着替えが済んだら、ラニーを呼んでくれる?」
「あっちの、応接室、来てる。です……」
ああそうか、私だけが遅いのかと思い至ってちょっとだけ恥ずかしくなる。
疲れたから朝を遅らせて欲しいと願うなんて、少し子供のようだっただろうか。
だけど、本当に昨日は色々あったから疲れたのは事実。
カイマール殿下やディミトリエさまは、この王城のどこかにいらっしゃるんだろう。
会いに行こうとしなければそう会うことはないと思うけれど、会ったらまた緊張してしまいそうでいやだなあ、なんて思う自分の小ささにまたため息が出そうになるのを飲み込んだ。
そうよね、こうして何かあるたびにため息をついてちゃいけない。
けれど、立派な王女さまになるって、なかなか大変なことなんだなあ。
その一歩が昨日のパーティであり、婚約発表の場を飾ることだったんだけど。
まあまあの出来だったとは思うけれど、レイジェスとの関係はちょっとおかしくなった気もするし……今日のお昼、どうしたらいいのかしら。
話題なんて思いつかない!
あ、いえ。今日ヴァッカス殿と会うことの話をすればいいんだわ。
(良かった、話題が見つかった)
「クリスティナ様、食欲、ある……ですか」
「ええ。でも起きたのが遅いから軽めにしてもらえるかしら。お昼にまだお腹いっぱいだとちょっと、ね」
「わかった。……わかりました」
サーラは相変わらず丁寧な言葉というのが苦手らしく、言い直しが多い。
でもそれをみて注意するグロリアや、一緒に笑ってくれる人がいることに私はほっとすることができて……ああ、そうだよね、変わっていないわけじゃないんだ。
私はちゃんと、誰かと向き合うことができた。
それはきっと、これからもっとその輪を広げていくことができるはず。
(怖がってばかりじゃダメなのよね)
レイジェスを幸せにしたい。
それは変わらない。
それならやっぱり、向き合っていかなくちゃ。
彼が望む未来を聞かせてもらって、私はそれを実現できるように私なりに行動する。
それは私が決めたことで、変わらない目的で目標。
「ラニー、クリスティナ様が、呼んでる」
「おはようございますクリスティナ様。今日も良い天気ですねえ!」
「おはよう、ラニー。昨日はご苦労様」
「あはは、大したことはしてませんけどね! 今日は昨日の学者さん、あの人が来るんでしょう?」
「ええ、その時にはラニーに同席して欲しいの。やっぱりランドドラゴンの事について詳しく知っているのはラニーだと思うし……」
「まあ、わたしは難しい事は何にもわかりませんけどね。それでよろしければ勿論護衛武官としても喜んで同席させていただきますとも」
「ありがとう、ラニー」
アニーの怪我が治れば良いのだけれど。
ラニーは治ったとしてもそばにいてくれるというけれど、やっぱり貴重なドラゴンライダーは適した場所で活躍するべきだと周囲は言うのかもしれない。
そうなったら、少し……いいえ、やっぱりかなり、寂しい。
だけど、どうなるかなんてまだわからないのだし……ああだめだめ、こうやってマイナスなことばかり考えるから良くないんだった。
「レイジェスが来るまでは、今日は読書でもして過ごそうかしら。ああでもヴァッカス殿が来られる前には資料を整えておかなくては」
「それではわたくしめがお手伝いをさせていただきます」
「そうね、グロリアお願いね」
「かしこまりました」
「サーラ、キャーラ、レイジェスは甘くない紅茶が好きなの。準備をよろしくね?」
「うん、……はい、がんばる。です」
「か、かかっか、かしこまりっました!」
特別なことは何もない。
私にとって、今こうして皆がいるというのは特別なこと。
そう思うなら、この場所にレイジェスが来るというなら頑張れる気がする。
立派な王女で、ちゃんとした婚約者。
どうするのが一番かなんてまだよくわからないけれど、とりあえず笑顔で出迎えよう。
(……お前の笑顔は、不快だって昔言われた気もするけど)
思い出してまたため息が出そうになる。
ああ、どうしてこうも良くないことばかり思い出してしまうのか。
でも、今日二人で食事ができるのは良いことかもしれない。
マールヴァールの遺志だと昨日知れたのだって、ショックだったけれど大事なことだ。
レイジェスがどうしたいのか。
嫌っていたはずの私を、守るためだけに婚約なんてするだろうか? いくらマールヴァールの遺志だからって。
それだけなら、彼が信頼できそうな相手を私にあてがう事だって考えられたはずなのだから。
私も冷静に、今度こそちゃんと彼の言葉を受け止めよう。
テーブルに着くと、サーラとキャーラが給仕を始めてくれて遅めの朝食があっという間に準備される。
(そうよ、クリスティナ。もう足を止めている時間なんて勿体ないの。立派な王女になるんだって家族にも、自分にも誓ったでしょう?)
ありがとう、と二人にお礼を言ってサンドイッチに手を伸ばす。
イチゴのジャムの、甘さがとても優しかった。




