37.
舞踏会をある程度過ごしてから、疲れたから辞するとお父様たちにご挨拶をして自室に戻ることにした。
レイジェスは私の部屋の前まで送ってくれると申し出てくれたけれど、これも婚約者としての義務だから期待してはいけない。
そうよ、期待をしたって良いことはなかった。
なら最初から期待しない方が、私にとって辛いことは少ないの。
彼が、こうして並んで歩いてくれる。
部屋まで送ってくれる。
義務だとしても、それだけで嬉しいだなんて私はどこまでも、恋に愚かな女なんだなあと思うとおかしかった。
こんなところで笑っては、また彼に変な女だと呆れられると思うからただ前を見ていたけれど。
城内は、大広間以外今は明かりも少ない。薄暗い中、私たちが歩くには少しだけ足元が心もとないから明かりを持った人間に先を歩いてもらうのが一般的。
だからグロリアがランタンを持って先導してくれる姿を見ながら私はレイジェスと共に歩くだけ。
(……今夜は、色々あって、疲れちゃった……)
色んなことがあって、私の気持ちは乱れていて今はまだ冷静に物事を判断できない。
でも、彼が言うように私はレイジェスの婚約者。それは変わらない事実。
「ありがとう、レイジェス……」
送ってもらって普段私が過ごす部屋まで来て、ほっとようやく息が吐き出せた。
上手く呼吸ができていなかったんだと思うと、私はまだまだ立派な王女には程遠いんだと思い知らされた気持ちだ。
この後着替えれば、寝室に移動して眠るだけ。
今日はもう、泥のように眠ってしまいたい。
部屋の中で、私はまずレイジェスにお礼を言った。
顔は、見れそうにない。
どうして私を婚約者にしたの、義務だから? マールヴァールの遺志だから。
わかっているのに「どうして」と問い詰めてしまいたくなるような、レイジェスの温かな腕の感触が私を苛む。
諦めよう、愛をもらえなくても良いじゃないか。
想えるだけで幸せなのだ、いつかは折り合いをつけてこの恋が良いものだったと笑えるように。
そう願っていたはずの自分の気持ちが、未だ諦めきれずに愛されたいのだと知って悲しくなった。
諦めきれない自分にも、私の気持ちに気が付かないレイジェスにも、私のことを案じて亡くなったマールヴァールの親切にも。
なんて私は勝手なんだろう。
「クリスティナ」
「……なに?」
「明日は、例の学者に会うんだったな」
「ええ……あの、ラニーの竜の治療法が見つかるかもしれなくて」
「そうか。……俺との時間も、とれるか」
「えっ」
「言っただろう、お前と過ごす時間を増やすと」
「そ、そうだったかしら」
そういえば、そんなことを言っていたかもしれない。
だけれど急に過ごす時間を増やすと言われても、私にはレイジェスと仲良く過ごす図が想像できなくて目を泳がせるばかり。
そんな私に痺れを切らせたらしいレイジェスが、私の肩を掴み、もう片方の手で顎を掴む。そして顔を上げさせた。
乱暴に見えて痛みをまったく感じさせない、そんな壊れ物を扱うような触れ方だった。
「俺を見ろ」
「……」
「言っただろう、俺とお前は婚約者だ。婚約者が共に過ごして何がおかしい」
「な、にも。なにもおかしく、ないわ……」
「なら、いい」
手を離されて、また私は俯く。
私を見ていたレイジェスの目は、苛立っていた。
どうしてそんな感情を見せていたのかなんて言われなくてもわかる。私がこんな煮え切らない態度だからだ。
立派な王女になってみせる、婚約者として恥ずかしくない振る舞いをする。
そう宣言したにもかかわらず、私は彼を見ることもしなければこうして俯いてばかりで、共に過ごすという言葉にも消極的。
それで苛立つなという方が難しいんじゃないかなって自分でも思うもの。
「……じゃ、じゃあ、こうしましょう? あなたも職務があるし、私も色々学んだりすることも多いから、昼餉を共にするようにしましょう。忙しい時やどうしても抜けられない時、そう言った時には連絡をする。どうかしら」
「いいだろう。では、明日」
「ええ。……おやすみなさい、レイジェス」
「おやすみ、クリスティナ」
手を取って、唇を落とす紳士の姿。
だけれど、その心の内は一体どうなっているのだろう?
出ていくレイジェスの背中を見送る私は、どんな顔をしていたんだろう。
「グロリア」
「はい」
「……明日の、昼はレイジェスと食べるから、そのように準備を整えて。夕方は、ヴァッカス殿と会うけれど、それは私の書斎にするからそのつもりで」
「かしこまりました」
レイジェスの振る舞いに、グロリアは一切口を挟まなかった。
多分、彼女も私の様子があまりにも幼くて、レイジェスのしたことを支持したっていうことなんだろうなって思うとまた自分が情けなくなる。
私の部屋を守る、警護の兵には今の会話は聞こえていないのが救い。
「失礼いたします」
ドレスを脱がすために私の背後に回ったグロリアが、そっと呟いた。
「あれ以上の狼藉を働くようでありましたら、クリスティナ様のお言葉がなくとも王妃様にお願い申し上げてレイジェス様を遠ざけることが可能かと思いますが」
「え」
「いくら婚約者とはいえ、あれは横暴でございましょう」
「……グロリア……。いえ、いいの。あれは私が悪いのよ、煮え切らない態度だったのは貴女から見てもそうだったでしょう?」
「望まない婚約とあれば、あのように遠慮をなさるのも無理からぬ話かと」
「……そう、ね」
望まない婚約。
私としては、恋しい人と繋がった縁のはずなのに、誰よりも近くなるはずの、夫となるはずの人との心の距離が、こんなにも遠い気がするのは、私が悪いからなんだろうか?
レイジェスの気持ちが、彼のことを優先するべきなのであれば、彼が望むままに振る舞うのが良いことなんだろうか?
それが彼の幸せに、一番手っ取り早いのだろうか。
私には、答えがまだ見えない。
きっと今は、疲れているから。
そのせいだということにして、私は差し出された夜着に袖を通して化粧を落とした。
ようやく色々なものから解放されたと思うと、体中から力が抜ける。
「グロリア、寝る前のお茶が欲しいわ」
「かしこまりました」
「お茶に、少しだけお酒を入れてくれる?」
「では、そのように」
グロリアが手早くお茶の用意をしてくれる。
今日はもう、本当に何も考えずに眠ってしまいたい。
本当は明日のことを少しでも考えて、準備をして、万全で臨まなければいけないのに。
私は立派な王女になるんだ、と思って気合だけは十分だけれど、気合だけでは世の中渡っていけないんだなあと改めて思う。
「お待たせいたしました」
「ありがとう」
「今夜はゆっくりとおやすみくださいませ」
「ええ……明日の朝は、申し訳ないけれど少しだけ遅く起こしてくれる? お母様にも、そのように朝で良いから使いを出して欲しいの」
「承知いたしました、お任せくださいませ」
「ありがとう、グロリア。貴女もゆっくり休んでね? 今日は本当にありがとう……とても心強かった」
「もったいないお言葉にございます」
「……ご馳走様、それを片付けたらもう休んでいいから。また明日、お願いね」
「それでは失礼いたします。何かございましたらいつでもお呼びくださいませ」
深くお辞儀をしたグロリアが、部屋を出て行く。
夜特有のしんとした空気に、遠くで虫の鳴き声が聞こえてくる。
私はベッドに潜り込んで、ぎゅっと自分の体を抱きしめる。
そうしたら、なんだか落ち着く気がした。