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35.

「泣くな」


 涙が、滲む。

 悔しくて、苦しくて。

 今、口を開いたら泣き喚いてしまいそうで。


 私が悪いのか、ああ、そうだろう私が悪いんだろう。

 それでいいんでしょう、と言いたい気もするのに、きっとそんなものは言葉にならない。嗚咽になって、涙と一緒に漏れ出て、私はただ己がどれだけ弱いのかと思い知るだけなのだ。


 だから、唇を噛み締める。

 涙は、ポロリと零れて頬を伝った。


「泣くな、クリスティナ。……お前に泣かれると、どうしていいかわからない」


 レイジェスの、本当に困っているらしい声が聞こえる。

 涙を拭うようにレイジェスの指がなぞったのが、くすぐったい。


 ああ、どうしてこの人は。

 本当に、本当に。


「クリスティナ。俺が何を言ってもきっと、おそらく、お前は信じてくれない。だが、俺はお前の婚約者だ。何度でも言葉にするぞ、俺が、お前の婚約者なんだ」


「……」


「こうしてお前に触れるのも、婚約者として横に立つことも。お前を守ることも、俺が、全て引き受ける。それはマールヴァール様がきっかけだったとしても、俺の意思だ」


「……レイジェス」


「お前は、いずれ俺の妻となる。余計なことは考えるな」


「……」


「どこに居を構えるか、そういった問題はあるだろう。だが、お前が煩わしく思うような人付き合いもしなくていいようにするし穏やかに過ごせるよう、心は配るつもりだ」


(それ、は)


 親衛隊隊長の妻として、それはおかしいのではないだろうか?

 少なくとも貴族の末端に座して、王族の血を受け継ぐものを妻に持った男が周囲と社交性を持たないのはおかしな話であるし、その妻が人付き合いを選んではいけないだろう。

 地位と権力を持つ人間には、それ相応の義務や責務がつくものなのだから。


 レイジェスが私に気を使っているのだとすれば、それは周囲に私が能なしだと公言しているようなものだ。

 逆にレイジェスが私を軽んじているというならば、やはりそれはただ囲い込みたいだけのような気もする。


 どちらも違う、というのならば、どうしてそれを示してくれないの?

 どうなの、と私が問えれば良いのだろうに、だけど私と来たら今は泣くのを堪えるので精いっぱいだなんて!


「……いずれにせよ、まだ当面先の話だろう。王太子殿下が正式な婚姻を結ばれて、ターミナル王家が盤石であると内外に示してからの話だ」


「ええ、そう、ね」


「クリスティナ。違う。……俺はそんな話がしたかったんじゃない」


 レイジェスからせめて視線だけでも逃げたくて、私は体を捩って背にしていたバルコニーの方を向いた。

 背中を向けたことで、レイジェスを拒絶しているかのような態度になってしまったことにちくりと罪悪感を覚えたけれど、今の私は彼の言葉を必要以上に否定してかかっている気がする。

 視線なんて合わせたら、もっと素直になれない気がした。


 ああ、どうしてこうなった!


 前世の記憶をたどって、レイジェスの命を守って彼を幸せにする。

 その予定は本当に上手くいっていると思ったのに、どうして私が婚約者になって、しかもそれが国の為とかそれなら納得もしなくちゃって思ったのに。

 彼が尊敬する人の遺志だって、でもそれは自分の意思でもあるからとか。


 ああ、もうどうして!

 どうせだったら国の為だ、マールヴァールのためだ。

 はっきりそれで終わらせてくれたら私だってまだ割り切れたのかもしれないのに。


「……クリスティナ」


 そっと、背後から抱きしめられる。

 声を上げることができなかった。


 本当に、優しく抱き留めるそれは、まるで恋人同士のよう。

 それなのにその実違うのだから、滑稽だ。滑稽なのに、笑えない。


「こうして、俺はお前に触れることが許される」


「……婚約者、だも、の」


「そうだ。婚約者にならねば、お前に触れるなど、できるはずもない」


「……れい、じぇす?」


「お前の心が、遠くにあるのだとしても、近くにあるのだとしても。俺は、……」


 苦しそうな声が、私の耳をくすぐった。

 ねえ、それは、どういう意味なの?

 私は貴方を見てきたのに、やっぱり貴方がわからない。


「レイジェス、それは」


「カイマール殿下には気をつけろ。一夫多妻の国だ、浮ついた話を聞かないのではなく、いずれ複数の妻を娶ることが決まっているから争いごともないだけだ」


「えっ、あの、レイジェス?」


「……お前と、過ごす時間を俺も増やすつもりではある。そのつもりでいてくれ」


「レイジェス!」


 どうして、もっとちゃんと言葉にしてくれないの?

 私が問おうとする言葉を遮るの?


 頑ななその赤い瞳を見上げると、レイジェスの感情が揺れた気がした。


「――クリスティナ様、レイジェス様、国王陛下がお呼びでございます」


 続けて問おうとする私の声は、喉から外には出なかった。

 少し慌てて戻ってきたグロリアのその言葉に、私たちは顔を見合わせる。


 そうだ、まだここは人々の社交の場。

 私たちだけの、話をするためにほんの少しだけ人払いを済ませただけ。


 本当はもっとちゃんと聞きたい。

 だけど、レイジェスはきっともう語らないのだろう。


「……手を、クリスティナ姫」


「ありがとう、レイジェス」


 私たちは婚約者で、親衛隊の隊長で、この国の第二王女で。

 ただのレイジェスと、ただのクリスティナという人間というだけではいられない。


 お互いに、いくつもの思惑と仮面を被って、いつから素直に気持ちを言えなくなったのかしら。

 私を愛していないなら、そう言ってくれていい。

 王女として、この国の人間として、そうして尽くすだけの心はあるの。

 愛されたいと願う気持ちも、勿論……あるけれど。


 だけど、繕われた愛情が欲しいなんて思ってはいないの。

 形だけで、上手くいくなんて思って欲しくない。


(いくら私のことを、愚かだと思ってくれていてもいい)


 ああ、そうだ。

 姉様を想っているのかどうかも聞けていない。いいえ、もう聞かなくてもいい。

 少なくとも、私を婚約者としてこのまま妻として迎えたい、そう言ってくれているのは分かった。


 それでも、彼はその心を聞かせてくれない。

 聞こうとする私の気持ちも、聞いてくれない。


(それでも、泣くなと言ってくれたあの声は、子供の頃みたいに懐かしかった)


 どうしようもなく、彼が愛しい。

 転んで泣いた時も、人々に『残念だ』と言われてこっそり泣いた時も、レイジェスは隣にいてくれた。

 頭を撫でて、いつもいつも言うんだ。「お前が泣くと、どうしていいかわからない」って。


(……どうして、予定通りに行かないのかしら)


 彼を幸せにする。

 そのために私は立派な王女になって、彼が心配しなくてもいいようにして、そして……って心に決めたというのに当人が『婚約者だ』と何度も何度も繰り返す。

 それじゃあ、まるで彼が私と婚約を心から(・・・)望んでいるみたいじゃないか。


 期待してはいけない。

 彼はマールヴァールの遺志を継いだ。

 この国に、全ての忠誠を捧げた人。


 期待してはいけない。

 お前を愛する男など、この城の中にいるはずがない。そう言ったのも彼なのだ。

 あの時はショックだったし、言い返そうと思ったのにレイジェスの顔があまりにも真剣だったから余計ショックを受けたのを覚えてる。


 まあ、私に対して少しの利用価値、その程度で寄ってくる人たちがいた。

 あの時にレイジェスにそう冷たく言われたから、私はどんな美辞麗句にも一歩引いてしまうようになっていたおかげで妙な人に引っかかることもなかったのだけれど。

 私が恋愛するかどうかではなくてお父様の、国王の意向の方が大事だから私から何かを申し上げることはできませんという便利な言葉で遠ざけてその人たちの反応を見て知ったというのが正しいのだけれど。


(望まれて、なんて、いない)


 そう、クリスティナは望まれていない。

 それだけの、話だ。


 こうしてエスコートされて、婚約者だと何度も念を押されなければそう見えないのが私たちの関係なんだ。

 これが、現実なんだ。

 そう改めて思うと、落ち着いた筈の胸の痛みが、またぶり返すような気がした。

そろそろパーティ編も終わります。

どうにもお互いちぐはぐ!!

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