2.
私の中に『芽生えた』記憶。
それは、ディアティナ姉様が主役の物語、だった。
『物語』はこうだ。
ターミナルの王女ディアティナは、愛情深く気が強い、そんな女性だ。
王女としてカエルムという隣国の王太子と縁を繋ぎ、より友好を深めるために彼女は留学という形でそちらへ赴き、そこで婚約者と生活をする。そしてその中で王太子妃候補として成長し、王太子と恋に落ち、互いの心を理解し絆を深めていく。そんな最中に彼女の故国ターミナルが謀反により危機に晒される。
慌てて頭を下げて戻ろうとするディアティナに、婚約者は快く応じて更には軍を率い同行してくれた。
しかし帰参は僅かに間に合わず、ターミナルの親衛隊隊長であるレイジェスの命は失われ、奪われかけた国宝――“増幅の魔石”を守ろうと父親である国王は深手を負い、あろうことか“増幅の魔石”は争いの最中、衝撃で欠けてしまう。それを見て国王は絶望の中、ディアティナの腕の中で息絶える。唯一の救いは、愛娘と最期の別れができたことだと言い残して。
さらにターミナルの王太子である彼女の兄が「国を、頼む」と告げて魔力と命を注ぎ込み、魔石は修復されるが……ディアティナに残されたのは、“増幅の魔石”ただ一つという悲しい結果に。
そして救国の姫と呼ばれ、たった一人、ターミナルの王族として残されたディアティナは、国を選び女王として生きるのか。或いは愛を選び、カエルムの王太子と結ばれるのか。
物語は、そこまでで続いていた、と思う。どうなるんだろう、どうなるんだろうと『前世の』私がハラハラドキドキしたという記憶で、そこから先がない。
(その物語に、“残念姫君”は……いなかった)
物語と違う、未来は得られた。決して私が望んだそのまま全部ではなかったけれど。
ディアティナ姉様が、婚約者と共にカエルムに帰っていく。それを、私は自分の部屋の窓から見送る。ドラゴンたちが空を飛ぶその姿は、雲の切れ間から差し込む光を受けて、なんだか神々しく見えた。
(堂々と、お見送り出来たら良かったのだけれど)
けれど、私の立場が微妙であることに加え、外に出ればそれだけで嫌な顔をする人もいる中で見送れば相手方にとって良い印象は与えないだろう。
特に今回は、謀反問題で私は囚われの姫君だったと公表されているからいまだ療養中ともなっているのだし。実際には残念姫君はなるべく外の偉い人に見られて、ターミナルの威信に傷がついては、という政治的配慮というやつだったんだけれどね。今は違うかもしれないけど。
……謀反の残党がいて、その恨みから私を傷つけないとは限らない。そして今回の件で私の株が上がっている状態でそんなことになれば、また謀反問題で失墜した軍部の権威は地に落ちてしまうし王族の警護問題で国中に不安も走ってしまうだろう。
だけど、それだけじゃない。
単純に、私が姉様の優しさが心苦しいから、だなんて。
そんな気持ちも、気づかれたくないから。
(逃げられたら……ここから離れたら、なにか変わった?)
姉様が仰るように、逃げられたら。一時でも距離をおけたなら、どれだけ気持ちが楽になるんだろうか。それとも彼に会えなくて、私の心は悲鳴を上げてしまうんだろうか。
結局どこにいても私という女は、レイジェスという男に恋をしている以上、逃れられない気がした。嫌われているのに。
嫌われているのに。自分で自覚もしているというのに、じくじくと胸が痛む。
どうして嫌われていると言えるのか。そりゃ勿論、その言動だ。
冷たい物言いで私を姫として扱いながらも一瞥たりともくれなかった、それは勿論、姫と騎士という立場だからしょうがないのかもしれない。
なのに、周りに人がいなくなると途端に口が悪くなって「これだからお前はおとなしく部屋にいればいいものを」とか「大したことができるわけでもないし、魔力がないから自分の身も守れないお荷物は閉じこもっていてくれた方がマシだ」とか。
マルヴィナには笑顔を見せて私に見せないとか、例をあげだしたらきりがないんじゃないだろうか。
「ここにいたのか」
「……レイジェス」
「皆が、探していた」
「どうして?」
「どうして、だと?」
「魔力もない私が、いつも自分の部屋でおとなしくしていることを誰もが望んでいたでしょう。そして私は今までそうしてきたし、これからもそうするわ。変わらない」
「お前は、もう“残念な姫君”じゃないだろう」
「……そうね、“今”は」
いつも通り、私は自室にいただけ。それを探していただなんて滑稽だ。
いないと思ったなら、最初に部屋を見に来ればいいのに。それすらしなかったのは、それが答えでしょうに。
レイジェスだってここに来た時に私がいた時点でそのことは気づいていたはずだ。
それなのに、そんな言葉を投げかけるだなんて。
(酷い人)
私のことが、嫌いだから?
だからそんなわかりきったことを、言うの?
じくりと胸が痛んで、少しだけ目頭が熱くなる。
だけどそんなこと、気づかれたくないから私はただ窓の外を見続ける。ドラゴンたちの姿は、もう随分と小さくなっていた。
「見送りに、親衛隊長である貴方がなぜそこに残っていないの?」
「飛び立つのを見送ってからここに来た」
「そう……」
「どうして、お前は部屋にいるんだ」
「どうしてって」
私の口から、どうあっても言わせたいというのだろうか。
思わず私はうつむいて、唇を噛み締めた。私の惨めな部分を、この人はどうして躊躇いもなく踏みつけるようにすることができるんだろう!
……嫌いだから。そう、答えは簡単よね。
「どうして、……なんて……」
どうせ私はお飾りの王女。
今回は役に立ったけれどそれまでなんの役にも立たず、そして今だけ国民の不安を隠すための飾りにできる、そんな存在で。
軍部で『ゼロの姫君』なんて言い方をして持ち上げたところで、今までどう扱われていたかが変わるわけじゃないのに。
あからさますぎて、逆に私の心は置いてけぼりで、いいえ、国のためを思うならばそれが当然だと受け入れなければならないんだろう。
だけど、それじゃあ。
思わず窓についていた手を、ぎゅっと握る。
「……私が部屋の外に出ては、見苦しいものを見たと嫌な気持ちになる方もいらっしゃるでしょう。そして同時に、未だ謀反人一派の手の者が城内に残っていないとは誰も言い切れない状況で、私が暢気に城内をうろつくことは良くないはずです」
「それはそうだが……どうして、お前は」
「ファール親衛隊隊長、どうぞ私のことはお気になさらぬよう。名前だけの婚約者であろうと、気を使わねばならないことは心中お察し申し上げますけれど。もう私とこうして言葉を交わしたことで、周囲には十分示せているはず」
「なにを言っているんだ」
「……『ゼロの姫君』は、あの事件から今でも体調思わしくなく、部屋で療養中。婚約者である親衛隊隊長はそれを見舞う日々。……そう言えば、周囲は十分安心いたします。見舞いなのですから長居をする必要もございません」
「……この婚約が、不本意であることは知っている」
苦々しさを滲ませる声に、私は振り向けなかった。
嗚呼、どうして私はこうも弱虫なんだろう。嫌われていると知りながら、いっそのこともっと嫌ってくれれば諦めもつくのにと心の中では思っているのに。
それでも、心のどこかではまだ少しは、私のことを嫌わずにいてくれる部分があるんじゃないのか、って期待しているところがある。
だから、その期待が、振り向いた今この瞬間に木っ端微塵になるんじゃないかって。
振り向いたら、これ以上ないってくらい冷たい目で、私をなんてみっともない姫だろうと蔑む眼差しが待っているんじゃないのかって思うと怖くてたまらないのだ。
この声を聴いたら、そんなのただの夢だって、幻だって、私の甘ったるい“願い”でしかないってわかっているくせにまだどこかで縋っているなんて滑稽だ。
「クリスティナ姫、どうか、私を見ていただけないか」
「……」
声音が、柔らかくなる。弱々しくなる。
そんな演技もできたのね、と余計に胸が軋んだ。そしてそんなことをさせている自分がまるで駄々をこねる子供のようだとも思って少しだけ笑えた。
「貴女はこの国の王女。私はただの騎士。婚約者と名乗ることすら本来ならば烏滸がましいほどの身分差で、この国の危機を救った貴女を、私が手に入れることができたと勝手に舞い上がった、それを許せないのは承知の上です」
「……ファール親衛隊隊長、どうか顔を上げてください」
視線だけ、そちらに向ければ深く頭を下げるレイジェスの姿に、私は泣きそうになって。そしてそれを堪えて、目を閉じて。ゆっくりと、深呼吸をする。
膝をついて臣下の礼を取るレイジェスが、自分のことを“私”と呼ぶときは騎士としてのレイジェスであるということ。
騎士として、私を妻にと望んだとはっきりこう言われてしまえば、私はこの国の『姫』として応じざるを得ない。
「貴方は私が、謀反人の手により散るところを救ってくださったのです。私は陛下や王太子殿下、“増幅の魔石”を守るために王族としてやらねばならぬことをしました。その上で命を救ってくださった貴方が、私を望んでくださるならばどうしてそれを拒めましょう」
なんて空々しい言葉。するする口から出る自分に、反吐が出る。
ああ、本当に。お互いに、お互いに。
なんてズルい人間なんでしょうね、恋しい人!




