26.
ラニーの言葉の重みに、私の方が狼狽えてしまった。
だって、そんな。私は彼女が言うような、そんなすごく優しい人間ってわけではないのに。
「ラニー、私は別に優しい人間ではないのよ?」
「……そう、ですか?」
「私は良い王女でありたいと思っているの。勿論、アニーが治ることでラニーが喜ぶ、それもこのターミナルの民として貴女を思えばこそで、そこに偽りはないわ。だけれど……」
そう、私の中にはアニーが治ってラニーが喜べばいい、と思った気持ちとは別に考えもあった。ラニーが私の護衛武官としていてくれるのは嬉しいけれど、騎竜兵という特殊なその力を私のような人間のそばに置いておくのは勿体ないとも同時に思う。
レイジェスが私の為に彼女を連れてきてくれたことは嬉しいけれど、もし復帰の可能性があるのなら……そちらを優先するのが、良い王女というものじゃないのだろうか。
「騎竜兵としての貴女が、北の砦に戻れば……より多くの民が救われると思ったの。貴女の都合を考えない、そんな理由でもあるのよ?」
アニーを撫でながら、そっと目を伏せる。
ああ、そうだ。
良い王女でありたいと思いながら、それはなんて利己的な話だろう。
アニーの為。
ラニーの為。
国民の為。
色々な言いようがあるのに、私がしているのはとにかく利己的で、そして自己満足的な物。そう自分でも思うのだから人から見たらもっとそうなんじゃないだろうか?
だから、ラニーが言うような『優しい人』ではないのだと思う。
むしろそう見てくれるラニーの方が、ずっと優しい人なんじゃないだろうか?
「それでも、わたしはクリスティナ様は優しいと思いますよ?」
「ラニー……」
「だってアニーがそんなに甘えてますしね! 人を見る目はわたしよりもある子ですから。それに、わたしの言葉にそんな真面目に答えちゃうようなクリスティナ様ですから」
誤魔化しようはいくらでもあったでしょう。
そう笑うラニーは、懐からハンカチを取り出して私に差し出した。
「え、ええと……それはともかく、クリスティナ様、すみませんアニーが! あの、わたしのハンカチじゃ失礼かなとは思いますがお顔をどうぞ」
「あ、ええと……ありがとう」
アニーに舐められた頬を気にしてくれている、というか……ああそうか、私は王女だからこういうのって不敬だって思ったんだ。
別に私は気にしないけど……いや気にするべきか、厩舎の管理人たちもハラハラした顔でこっち見てるものね。
「あら? そこにいるの、クリスティナじゃない?」
ラニーのハンカチを借りて顔を拭いている私に、後ろから声がかかる。
聞き覚えのある声に振り向けば、厩舎の入り口に馬を連れた女性のシルエットが見えた。
「……マルヴィナ?」
「そうよ! 久しぶりね!!」
「えっ、マルヴィナまさか王城まで馬で来たの? 単騎駆けじゃないわよね!?」
「まさかぁ! まあ供の連中のだらしないことったら! 笑えるわよ?」
「もう……公爵家のご令嬢なんだから馬車を使わないと……先日の件で注意されていたでしょう?」
「いいじゃないの、大丈夫よう。クリスティナったら相変わらず心配性なんだから。それにしても珍しいじゃない、ディアティナ様がカエルムに行っちゃってからアナタ、乗馬とかもしてないって聞いてたけど?」
「えっ、ああそうね……、マルヴィナはどうしてここに?」
「ああ、たまには伯父様にご挨拶しようと思って! ついでにシグルド様にもね!」
にっこりと笑ったマルヴィナ。
レイジェスが恋する人。
明るい金の髪に、朗らかな笑顔。私とは真逆で、ディアティナ姉様とも違って、彼女はまるで大輪の花のような人。
ただちょっと時々お転婆が過ぎるって言われるその行動力が玉に瑕というべきか、あるいは彼女の魅力というべきか……何事もなかったなら良いけれど。
まさかアニーに会いに来てマルヴィナに会うだなんて!
(……レイジェスに、知らせる、べき?)
恋する相手が近くにいるのなら、会いたいと思うかもしれない。
だけれど余計なお世話だと睨まれてしまう可能性の方が高い。
「ご挨拶が済んだら、たまにはワタシとお茶でもしましょ? それとも忙しかったかしら?」
「いいえ、大丈夫よ。じゃあ私は部屋で待っているわね」
「ありがとう! 後でね!!」
ひらりと手を振って去っていく凛とした背中を見送って、私は何とも言えない複雑な感情を持て余してなんとなく笑ってしまった。
そんな私のことを不思議に思っているであろうラニーとサーラに、彼女が何者であるのかを伝える。
「今のがマルヴィナ・アッダ・コーズ。コーズ公爵家の長女で私の……大切な、従姉よ」
古くからある公爵家、【信頼】の名を持つ王家の影とまで呼ばれる公爵家。
私の叔父様、つまりお父様の弟が婿入りした先。といっても、恋愛結婚らしいのだけれども。
「金の髪にあの明るい笑顔でね、ディアティナ姉様と並ぶと彼女の方が姉妹らしいなんてよく言われたものよ。……私は快活な方でもなければ、この通り銀髪だし」
指で摘まむようにして自分の銀髪を見る。
実母の髪が、銀色だったのだとお母様が教えてくれたから今では大切なものなのだと考えるようになったけれど、昔はせめて自分も金髪だったら良かったのになんて思ったものだ。
まだ、ちょっとだけ。
受け入れきれないお母様から聞いた実母の話。
そして、良い王女ってなんだろうという疑問。
ああ、なんで今更そんなことに頭を悩ませるの。私はこんなところで躓いていちゃいけないのに。専属侍女と武官を求めた段階で、私は彼女たちの主人として誇れる人間になろうと決めたのに、早速くじけてしまいそう!
「アニー、また来てもいいかしら?」
そっと角を避けるようにして顔全体を撫でるとアニーはまた「くるるる」と鳴いてくれた。
全部を誤魔化すように、いいえ、すべてを後回しにして私は厩舎の出口に向かって足を向ける。
そうすればラニーとサーラも当然私に従う。
(ごめんね)
マルヴィナを理由に、今は色々向き合わなくちゃいけないことを後回しにしよう。
……いつかは、ちゃんと向き合ってみせるから。
今は、そう。
(折角マルヴィナに会えたのだもの。レイジェスへの感情を確認しなくちゃ!)
レイジェスに幸せになってもらいたい。
その当初の目的。
「戻ってマルヴィナを迎える準備をしましょう? 彼女はとても甘いものが好きだから、甘いお菓子をたくさん用意しなくっちゃね!」
「……クリスティナ様……」
マルヴィナのことは、好き。
だけど、羨ましくて、妬ましくて、苦しい気持ちが同じくらい……いいえ。
多分、私が自分で思うよりも、もっとずっとドロドロとしたものが、たくさんあるの。
だけど、本当に彼女のことも好きなの。嫌いに、なりたくなんてないしなれないってわかってる。
ディアティナ姉様と性格も行動力も、容姿も……何もかも似ていることも。
魔力が多くて姫として私よりも相応しいって言われたことも。
王女でない分、自由であることも。
何もかも、羨ましかった!
明るく笑って、自分は王女でなくて良かったなんて言ってしまえる彼女の明るさが、妬ましかった。
だけれど、その性格に救われたのは事実。
私に対して陰口を叩く人たちの前に仁王立ちをして、「ワタシの従妹を虐めるなんて許さないんだから!!」と啖呵を切ってくれたのはマルヴィナだった。
レイジェスが彼女のことを好きになるのだってわかるもの。
マルヴィナだから、諦められるんだと思うの。
どうして、私じゃないの?
そう思う未練がましいのは止めようって決めたのに。
私は今、笑顔を浮かべられてる?
会えて嬉しいのに、心の中がじくじく痛む。
避けていたわけじゃない、いいえ避けていた。
(大好きな従姉。私の好きな人が、好きな人……それだけで、こんなにも、心の中がぐちゃぐちゃ)
サーラとラニーの方を、振り向けない。
早く早く、彼女たちからも見えないように。まるではしゃいでいるかのように見せなくては。
だって私は王女様。
誰よりも寛大で、優美で、優し気な笑みを浮かべて、誰にも慈愛を与える存在なのよ。
……わかってる。
そんな人間、この世に存在するはずないってね!
本日分の更新を持ちまして、次回より『転生侍女』と同じく3日に1回の更新へと移行させていただきます。
ここらへんで主要人物は全体的に登場したはずだ……!!w
これからは3日に1回の定期更新でお楽しみください(*´ω`)