16.
グロリアが私の侍女となってくれてから、初めてこうして城内を歩く。
行き交う人が好奇の目で私を見ているんじゃないのか、それは『残念姫君』が『ゼロの姫君』なんて呼ばれるようになったから?
嗚呼、違う。私がそうなんじゃないかって疑ってかかっているから、余計にそう見えるんだってこともわかっている。
だから、私は胸を張る。
そして前だけを、見る。
それは虚勢なんだと思う。
前を向き、どんな中傷誹謗にも私が屈せずにここにいるのだと今主張を始めているだけなんだけど……それは、見ようによっては毅然とした態度にも見えるんじゃないかなって思うの。
(実際は、前だけを見ることで他の人の視線を気にしないだけなんだけど)
頭を下げる文官、武官、侍女、そのほかの人間に混じって幾人か高位貴族の姿も見えた気がするけれど彼らが私に挨拶をしてくることはなかった。
それはちょっとどうなのかなって思うところがないわけじゃないけど、私としてもまだこうやって“なんでもない”って堂々とした態度で振舞うっていうのを演じるだけで精いっぱいなのでその方が正直助かる。
挨拶なんてこられたら、ボロが出ちゃいそうじゃない?
「クリスティナ様」
「ええ。……ここからなら、彼らの訓練の邪魔にもならないでしょう?」
「よろしかったのですか?」
「少し話が出来たらとは思うけれど、私の一方的な願いで彼の時間を無駄にはできません。ファール親衛隊長……レイジェスは、お役目の途中」
そう、訓練中で隊長である彼を呼び出すなんて、もってのほか。
今回は、グロリアと一緒に出掛けるという点が私にとっては重要で、レイジェスの姿を……一目でも見れたらいいなっていう小さな、私の想い。
護衛兵の話はお父様がしてくださっているだろうから、私からも手間をかけてごめんなさい、と伝えたいけれど……忙しい彼の邪魔をしたくないというのは、本音だから。
「こうして、練兵見学をするのは初めてなの」
「さようでしたか」
「兄様や姉様は、私を近づけたくないっていつも言っていたし……私もあまり、外に出たがる子供ではなかったからいつの間にか足が遠のいていたのよね。マールヴァールがいた頃は、まだ彼に会いに足を運ぶこともあったのだけれど……」
笑って出迎えてくれる老将軍が、私はとても好きだった。
豪快に、大きな声で笑って大きな剣を担ぐ姿は、確かにこの国を守る人の姿そのものだった。
親衛隊の隊長は当時別の人で、マールヴァールが将軍で、レイジェスはその後ろによく控えていたっけ。
マールヴァールが老衰でなくなって、その後任には……そういえば、なんて名前だったかしら。謁見の間で姿を見ることはあったけれど、私は儀式とかで顔を出すだけだからあまり詳しくなくて……だめだこんなんじゃ!
「ねえグロリア、今の将軍は何という名前だったかしら」
「当代の将軍は、アルス・カルマナ・ヴァルスというヴァルス公爵家のご子息にございます。……ファール親衛隊隊長とは犬猿の仲と耳にしております」
「まあ、そうなの?」
「はい、平民の出でありながら故マールヴァール将軍より【アルバ】をいただいたことが大変不満らしく、それを公言していらっしゃるとのことですから」
「そう……」
この国の貴族、というのは『意味のある』二つ目の家名を持っている。
それは建国の時に尽力した人々の証であり、誇りだと聞いている。
マールヴァールがレイジェスに託した【アルバ】は『守る者』であり、つまり……レイジェスを、マールヴァールが意味ある家名を与えたことで準貴族とした……っていう意味があって、本来それは簡単に行っていいものじゃなくて。
何せいくら功績高きマールヴァール将軍とその家柄だとしても、勝手に貴族を増やすなんて普通に考えたら国王の了承なくやっちゃだめでしょって話なんだけどね。
なんていうか、事後報告でゴリ押ししたんだ……っていうのは私も耳にしている。
まあ多分、普通に通しても他の貴族たちに阻まれて上手くいかなかったんだろうって予測できていたんだろうし、残された時間が短いって気づいていたのかもしれない。
結局お父様が認めて、レイジェスは準貴族という立場があるから親衛隊の隊長にまでなれたんだもの。
(とはいえ、今も貴族たちからは貴族として認めてもらえてないってことね……)
今のグロリアから聞いた話でわかるのは、レイジェスはレイジェスでやはり苦労しているんだろうなってことかな。
ただでさえ貴族たちの反発を食らっている『親衛隊隊長』の地位にあって、そこにこの謀反。
生まれた反発や不信感、それを穏やかにいなすために望んだ『ゼロ姫との婚姻』だけど……余計に貴族たちからは攻撃を食らう理由にならないのかしら。
(レイジェスが、王位を狙っているとは到底思えないのだけれど)
まあ、愛妾の娘である私にはそもそも王位継承権が低いし、魔力がないから論外なんだけど……それにレイジェスを婿入りさせるって話でもないし。
「クリスティナ様」
「えっ、あっ、なぁに?」
「レイジェス隊長がこちらを見ておいでです」
「えっ……」
物思いに耽りながら練兵を眺めていた私の姿に、いつのまにか彼は気が付いたらしい。
おかしいな、ここ二階なんだけど……目立つ素振りがあっただろうか?
だけど気づかれたなら、無視するわけにもいかない。
私はレイジェスに向かって、小さく手を振った。
二階から下の練兵場に向けてお辞儀するのも変だし、王女が婚約者とはいえ身分が下の人間に頭を下げるのもどうかなって思った結果なんだけど……。
(あっ、しかめっ面した)
相変わらず、嫌われてるなあって思うとちくんと胸が痛んだけれど。
今日は少しだけ距離があることと、後ろにグロリアが控えていてくれることの安心感があるから、思った以上に痛まなかった。
「クリスティナー!」
「……兄様?」
だけれど、私の名前を呼ばれて思わず立ち上がる。
それはレイジェスではなくて、レイジェスの隣に立つ兄様からだったのだけれど。
ぶんぶんと大きく手を振る兄様は、先日の事件からずっと難しい顔をなさっておいでだと聞いていたのとは打って変わって明るいものだ。
びっくりはしたけれど、兄様が嬉しそうに笑って手を振ってくれるなら、私も笑顔で振り返すことができた。
この国の王太子、未来の国王。
シグルド兄様は、ディアティナ姉様と同じ王妃キャサリンの息子。
私たちの兄で、いつだって笑顔で私たちを愛してくれる優しい兄様。
ディアティナ姉様と同じように、金の髪を持つ太陽のような人。
「クリスティナ! 降りておいで!!」
「え? に、兄様それは……練兵中のみなさんの、ご迷惑に」
「ああ、面倒だな。その手摺から飛び降りてもいいよ、僕が受け止めるからね」
「に、兄様それはだめです!」
「シグルド王太子殿下、どうかそのようなお言葉をクリスティナ様におかけになることはお止めください。……いかがなさいますか」
「そ、そうね。……兄様が呼んでいらっしゃるなら、行かないわけにはいかないから」
大声で呼んだ挙句に飛び降りろって、兄様ってあんなタイプだったかしら?
いいえ、そういえばよく木登りもしたし勝てないからってマールヴァールの執務室にトカゲを捕まえて投げ込むような兄様だった。
私はグロリアと顔を見合わせて、曖昧に笑う。
階下から見上げてくる、兵士たちの視線が、やけに痛くて……どんな意味があって見られているのか、それがわからないのはとても怖い。
ドレスの下で、自分の足が竦むのを感じた。