少しでも早く大人に
レイジェス編 不定期更新となります!
その子に、初めて会った時に思ったんだ。
俺が守らないといけない、と。
それは、どんなことをしても、だった。
「ディアティナ姫、クリスティナ姫、ご機嫌麗しゅう」
「マールヴァール将軍、その子が兄様の稽古相手なのね?」
「はい。さようにございます」
利発そうな少女が俺を興味深そうに見てくるその陰に隠れるようにして、こちらをちらりと見上げてくる幼子に、俺はどう接するべきか少し悩んだ。
森で息絶えた母と、その子である俺を引き取り育ててくれた恩人でもあるマールヴァール将軍がくれぐれも失礼のないようにと言い含めて連れてこられた王城で、相手が俺よりも幼い上に女だということもあって、戸惑いが隠せなかった。
「ほらクリスティナ。ご挨拶しなくっちゃ!」
姉姫に押し出されるようにして現れた小さな女の子は、俺を見て怯えたようにしながら笑みを浮かべる。
怖がらせたいわけではないが、……俺は『呪い子』だから仕方ないと思う。
下手に近寄らずに、この挨拶だけでおえるしかないなと思ったところで、その小さな女の子は俺をしっかりと見たのだ。
それまで、怯えていたのが嘘かのように。
「クリスティナ、です。よろしくおねがいします」
「……レイジェス、です」
その日から、俺の中でこの少女は、守るべき対象だった。
小さくて、か弱くて、穏やかで。
どう扱ってよいのかわからない反面、クリスティナが側にいると誰もが穏やかな気持ちになった。
わがままを言うでもなく、かといって隠れっぱなしというわけでもなく。
むしろ姉のディアティナのフォローに回る姿は若干将来世話焼きになる未来が見えて、それはそれで不憫だなと思わなくもなかった。
優秀な兄と姉を持ち、愛される少女。その図式は穏やかな兄妹図だったけれどそれはこの場だけの話だ。
魔力を重視するお国柄でもあるターミナルで、クリスティナは珍しい、王家初とまで言われた『魔力なし』なのだという。
そのせいか平民で将軍の従者という立場に過ぎない俺よりも、クリスティナを軽んじるかのような態度をとる侍女までいる始末だ。
どうして誰も咎めないのかと思ったけれど、魔力もない子供が裕福な暮らしを国税でしているのだと思うと不満らしい、幼子に何を思うのだろうと呆れるが、これが実態なんだろう。
実際問題、この国はとても豊かだ。
それは王家が供給する魔力のおかげで、魔法道具を用いて開発・発展をしてきた結果なのだ。
(だからって、供給役は国王だ。……別に国王になるわけじゃないこの子を咎め立てて何になるってんだろう)
役に立たないと決めつける、そんな連中に腹が立つ。
だけど、俺自身もまた無力な存在だということを知っているから表立ってクリスティナを庇うことはできなかった。
もし庇えばその場は助かるだろうけど、きっと今度からは見えない場所でやられるに違いない。それならせめて、何が起きたのかを知ることができれば慰めることだってできるんじゃないんだろうかと思ったから。
だが育ちが良いとは決して言えない俺だったし、この赤い目は疎まれる。
魔力が豊富でマールヴァール将軍の庇護下にある、その評価のおかげで今の所目立った中傷がないだけだ。
クリスティナを守る手立ても、慰める言葉も、なにもない。
気遣いだって優しい言葉をかけてやれなくて、クリスティナは俺の言葉を耳にするたびに泣きそうな顔をする。
そんな顔をさせたいわけじゃないのにと思うのだが、俺のことを全身で『好きだ』と後ろをついて回る子にどう接していいのかわからない。
(まあ、そのたびにシグルドに容赦なく攻撃されるんだけどな)
俺の呪われた証と言われる赤い目を見ても、綺麗だと笑うクリスティナ。
お月様のようだなんて、子供らしくてなおかつ……優しいことを言う女の子。
「どうしたら、クリスティナの側でアイツを守ってやれるだろう?」
「……そうだなあ、クリスティナはいつかお嫁に行っちゃうだろうしなにより王女だからなあ」
俺の問いに、シグルドがうーんと首をひねって良いことを思いついたかのようにぱっと表情を輝かせた。
「レイジェスが、マールヴァールみたいに将軍になればいいんじゃないか!」
「……俺は貴族じゃないぞ」
実力でのし上がるにも、限度ってものがある。
幸いにも自分の身の内に溢れるほどある魔力と、シグルドの本気の攻撃を凌いで育った分、経験も割とある方だと自負はしているが身分だけはどうしようもない。
だが、シグルドの言い分は間違いなく最短距離だ。
(……武功を立てれば、取り立てられる。取り立てられて、どこに入隊すれば王族を近くで守ることができる?)
将軍職は貴族から選ばれることが多い。
特に、二つ名を持つ名門貴族から。
……だとすれば、それは俺には難しい。
けれど、道がないわけじゃない。
(昇進だけを視野に入れるな。必要ならば自分を売り込めば或いは)
将来有望だと思えば、俺の身の上よりも実力を重視して養子縁組を求める連中が現れるかもしれない。
勿論その代償は、それ相応に払わねばならないだろう。
「けど、なんだってそんなにあの子に執着してるんだ?」
「執着? 誰がだ」
「お前が」
「誰に」
「クリスティナに」
「馬鹿なことを言うな、シグルド」
「だってそうだろう?」
なんて間抜けなことを言い出すんだ。
俺はただ、あの純粋で優しい女の子を守ってやりたい。そう思っただけだ。
世の中は、優しくなんてない。
ありとあらゆる人間が、生き残るために誰かの足を引っ張って。
自分は不幸ではないのだという優越感を得るために、誰かを足蹴にする世界。
そこにあの子がいることが、俺にはただ耐えられない。それだけの話だ。
「ディアティナだって守ってやるべき対象だろうに、お前はいつだってクリスティナを優先してる」
「あの子の方が弱いだろう」
「そりゃまあ、小さいしね? でもそうじゃなくてさ」
「……何が言いたい」
「レイジェス、きみのことは身分関係なく友達だと思っている。だけどね、クリスティナがきみのフィライラになるには、色々大変だよ」
「だから、俺は」
「そんな気持ちが一つもないのに、ただか弱い女の子だからっていう理由で茨の道を歩むやつがいるもんか」
この世の中に、そんな風に迫害された人間がどれほどいるのか知っているのか。
そうシグルドが冷静に問うてきても俺はただ眉を顰めるだけだ。
だってそうだろう?
俺の目の前にいるのはクリスティナで、その彼女が辛い目に遭っている。
ディアティナは魔力も豊富で気も強い。
だけどクリスティナは違うんだ。
王族である以上シグルドもディアティナも、クリスティナを表立って擁護できないこともあるだろう。
そんな時に誰かが味方でなくちゃ、いけないだろう。
これは、好きとか恋とか、そんな甘ったるくて綺麗な感情なんかじゃない。
どろっとした大人たちの、勝手な優越感への挑戦だ。
俺を迫害した連中から守るために母が死んだ、その原因である自分への挑戦だ。
(……そんな汚い部分は、俺が引き受ければいいんだ)
俺の代わりに、俺が歩めなかった綺麗な道を歩んでほしい。
けれどそのためには、少しだけ待たせなくてはいけない。
自分の手を、見下ろせば。
クリスティナの小さな手に比べれば大きくても、それはまだ、子供の手だ。
あの子を守るためならば、俺は少しでも早く、大人になろう。
何もない俺だから、何も失う前のクリスティナを守りたい。
――ただ、それだけなんだ。