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98.

 自分には何もない。

 そう自ら口にしておいて、泣きそうになった。本当になにもないんだなあって思うと、自分が情けない気持ちになる。

 色々なものを得たつもりでいたけれど、それは与えてくれる人がいたからであって、私はまだ与える側になっていないのではないか。

 それはつまり、与えるものがなにもない(・・・・・)から。

 

 レイジェスが、そんな私をどう思うのか。

 ああ、馬鹿らしい。あんなにも私を手放せないと言ってくれた人にこんな問いかけをするだなんて。

 そう思うのに止まらない不安と、言葉にしてしまった僅かな後悔と、破裂しそうなほど煩くなった私の鼓動。


 今は王女、だけれどレイジェスの妻となったら。

 いつか、兄様が国王となりその子が玉座に歩み寄る頃には、元王女の私には何があるのだろう。


(なにもないかもしれない)


 美しさも、朗らかさも、教養も、何もかも! 中途半端な私。

 転生しているということで思い出せた知識もろくに使いこなせないまま、今ここにいるだなんて。


 足を竦ませているままではいけない、前へ進まなければと思い続けてきた。

 実際少しは前に進んだけれど、でも私が手にしたものはまだ掴みきれない幻で……いまシャボン玉のように脆くて、あっという間に消え去るものなのではないだろうか。


「クリスティナ」


「……」


 静かな呼びかけに、私は返事をしようとして喉が張り付いて上手く声が出せなかった。

 こんな時にまでみっともなくて、情けなくて、思わずじわりと涙が滲む。

 見上げたレイジェスの視線を受け止めきれなくて、涙を零しそうな顔を見られたくなくて、私は立ち上がってレイジェスから一歩離れた。


 もう見られたとは思うけれど、それでもみっともないこの顔を見られたくないと思うのは、レイジェスが私にとって『好きな人』だからだ。

 こんな時まで、いいえ、こんな時だからこそこの感情は私の冷静さよりも前に前に出てきて、彼を求めてしまうのだ。


「クリスティナ、確かに俺は、フィライラの花などないと言った。お前が見つける必要はないと、言った」


「……」


「それは、お前だからだ」


 レイジェスの声は、何の感情も見出せないほどに静かで、そして穏やかだった。

 私だから、その理由がよくわからなくて、とりあえず彼の視線から逃れたくて俯いた。その瞬間に、涙が零れてドレスに落ちる。


「お前こそが、俺の“フィライラ”だ。フィライラの花と呼ばれるのは、男から見て最愛の女性を示すのだという」


「えっ」


「無論、伝説になぞらえてだからな。当時幼かったお前がわからなくても無理はない」


 彼の言葉に、私は思わず顔を上げる。

 なんてことのない、世間話をするかのようなレイジェスの表情にその話が嘘ではないのだと知って顔が赤くなるのを感じた。


 確かに『フィライラ』は建国の英雄がただ一人愛した女性だ。

 だからこそ、理想の女性としてターミナルでは語られることも多い。


 フィライラに捧げた花、永遠の愛の象徴であり、それがなんであるのか今でも解明されない幻の花。

 だから見つけたいと、子供心に思ったそれは、大人たち(・・・・)からすれば『一途な愛の象徴』であり、捧ぐのは最愛の人なのだから、ああ、なんてこと。


(フィライラの花を見つけたら、レイジェスにあげたかった、だなんて)


 それらしい花を見つけたりとか、そんな子供の遊びに付き合うようなレイジェスでなくて良かったと思う。子供心に何も知らずに告白をしていたのかもしれないと思うと恥ずかしくてたまらない。


 そんな私に薄く笑みを浮かべたレイジェスが、ゆっくりとした動作で膝をつく。

 頭を下げてドレスの裾を軽く持ち上げ、そこに口づけを落とすその仕草に私は思わず呼吸を忘れた。


「レ、レイジェス?」


「クリスティナ。俺のただ一人の愛しい人よ、俺のフィライラ。幾重に言葉を重ねようが、俺がお前を傷つけた事実は変わらないし守ると言っておきながらこのざまだ」


「……」


「お前が不安に思うことは仕方のないことなのだろうと思うが、それでも俺は(こいねが)う」


 赤い目が、私を見上げる。

 真っ直ぐに射貫くような、そんな力強さを持っている。

 それなのに、どこか不安げに揺れている。


「王女である御身にただ願う。俺は面白みもなければ、どこかおかしいと自覚しているような人間だ。それでも貴女を愛している」


 ああ、ああ、この人は、なんで、こうなんだろう。


「御身ただ一つあれば、この間抜け(・・・)は世界中のすべての幸いを手中に収めることができるのです。どうか、クリスティナ」


 私の願いを知っていて、私の願いを叶えてくれる。

 いつだって、そう、いつだって。

 私を遠ざけながら守っていて、私に悪態をつきながら庇っていて、なんてちぐはぐな人なのだろう!

 そしてなんて、なんて。


「ただのレイジェスが望むのは、ただのクリスティナ。愛を、受け取ってくれ。生涯をかけて共に幸せになってほしい、お前がいなければ幸せなど見つけられない」


 なんて、愛しい人なのだろう。

 体中から、心の奥底から溢れてくるこの感情を、どう御したら良いのだろう。

 嗚咽が零れそうになるのが怖くて、口を押えた。


(なんで、今さら)


 国が定めた婚約で、心はあれども形式で、そこから始まった私たちの関係は今、正されて順調だと思っていた。

 正されたのだから大丈夫、そう思うことで私は心の平安を保とうとしていたけれど、そんなことはきっとお見通しだったのかもしれない。


 こうして、ただの女として、愛しい人にプロポーズをされてどうして嬉しくないなど言えるものか!

 個人を求められ、王女と騎士なんていう誓約もなく、ただなにもない(・・・・・)私を、ただの(・・・)レイジェスに求められたかった。

 ただでさえ恵まれた状況になったのだからこれ以上を望むなんておかしいって、ずっとずっと、忘れようとしていた。

 私たちは結婚するし、それを前提とした婚約なのだから今更普通の恋人のようなプロポーズなんてなくても、と王女としての立場で自分を納得させ続けていた。


「……答えは、知っている。知っているが、聞きたい」


 涙がぽろぽろ零れて、みっともないほどに叫び出しそうだから口を押えっぱなしの私にレイジェスが笑みを浮かべて立ち上がった。

 そして歩み寄って、私の涙を拭って顔を上げさせる。それでも零れてくる涙は、止まらないのだけれど。


 赤い目が、私に訴える。答えをくれと、告げている。


(私は幸せだ)


 頬に添えられた手の温かさが、夢でないことを教えてくれる。

 私はたまらず、彼の胸に飛び込んでしがみついて、礼服に染みをつけるのも構わずぎゅっと抱き着いた。

 身じろぎ一つせずに緩く私を抱き留めたレイジェスが、喉を鳴らして笑った気がする。

 上機嫌な時の彼の癖だと思うと、たまらなく愛しかった。


「ああ、……クリスティナは何もない方がいい。今まで持ってきたものは、全部お前にとってただの重荷だったんだ」


「……れいじぇす」


「これからは、ただ俺の妻であってくれれば、良い。立派な王女でなくても、お前は良き王女だったしこれからだって変わらない」


 私を抱く力が、少しだけ強まって私は驚いた。

 はっと顔を上げれば口角を上げたレイジェスの姿がそこには合って、その視線は会場に向けられていて。


 多くの客人たちが私たちの方を見て何かを言い合っているのが見えて、私はとんでもない状況なのだと今更ながらに気が付いて慌てて身を離そうとする。

 けれどレイジェスはそれを許さなかった。


「クリスティナ。なにもないままでいい。なにもないまま、俺と共に歩めばいいんだ」


 傲岸な物言いなのに、それはどこか縋るような声音だった。

 だから、私は目を逸らさない。


「いいわ、私があなたのすべてになってあげる」


 何もない。

 そう言った私を否定しないこの人の方が、本当は何もなかったのかもしれない。

 それを埋めるために、今までどれだけ苦労を重ね、どれだけ理解してもらえなかったのだろう。


 だけれど、それも終わり。


 私は、周りのことも忘れてただ彼の腕の中にいる幸せを、今は享受することにしたのだった。

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