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95.

 ハリルを奴隷として迎えたその翌日、私はどうするべきか悩んでいた。

 だってそうでしょう? このターミナルに、奴隷という身分制度はない。

 マギーアだって、奴隷というのは一定以上の凶悪犯罪を犯した者に課せられる罪であり、それ故に彼らは『制約の魔法』という特殊な魔法で様々な制限を課せられる。


 それは詐欺罪を犯した者に、声を失わせるものであるとか。

 殺人罪を犯した者に、攻撃を禁ずるものであるとか。

 とにかく『これ』と決めた制約を課し、破ると恐ろしいほどの苦痛を与えるのだとか。


(とはいえ)


 ハリルはどうやら魔法を使えることから、声を失っているようだった。

 そして、手には重い枷がつけられており、動かすのも億劫そうだ。


「……貴方に、名を与えねばなりませんね」


 私の傍に仕えるみんな、彼の存在を良しとはしなかった。

 それは当然だと思う、彼が何者かであるのかは、城内の人間ならばすぐにわかるはずだ。


(でも、今更嫌だと返せもしない)


 そうなれば彼は、今度こそただの奴隷としてどこかに売られてしまうに違いない。

 そしてそれは、誰も幸せにならない。

 元々この段階でも幸せではないのだけれど。


(王女を誘拐した片棒を担いだ、忠臣のふりをした男という不名誉は……ずっと、消えることがないのかもしれない)


 名もなき奴隷だから、ハリルではないと言っても納得してもらえるものではないはずなのだしそれはそうなのだけれど。

 けれど、名もなき奴隷だとディミトリエ皇子が宣言した以上そう(・・)なのだし、それをお父様たちが認めたのであればやはりそう(・・)なのだ。


 だから彼を手放すことは、私にはできない。

 すべてはディミトリエ皇子がもっと早くに行動を決めていればこんなことにはならなかったはずだし、本来ならば私が彼の忠臣を、永遠に失わなくて良いように行動する必要はない。

 だけど、でも、だってそれは。

 じくじくと、傷口がまた痛んだ。


「……なにがいいかしら」


 名無しのままでは、やりづらい。

 勿論呼び辛いというのもあるけれど、ハリル(・・・)ではないという証を早々に作り、私がディミトリエ皇子からもらった奴隷であり、第二王女の『持ち物』であると示すことによって彼の身の安全を確保する意味がある。


 だけど、彼は動かない。

 ぴくりとだけしたけれど、否定も肯定もしなかった。

 ただ、膝をつき頭を地につけ、私を前にまるで石のように丸まっただけだ。


「グロリア、良い案はあるかしら」


「わたくしには、お答えいたしかねます」


「……犬とか、まぬけ、で、良いんじゃ、ないですか」


「サーラ」


「そ、そ、そうです、クリスティナ様に、名付けをさせるなんて……!」


「キャーラまで」


 そんなにいやなのか、と私が視線で咎めるようにみなを見るとじっとりと彼を睨みつける三人に私の方が引いてしまった。

 思わず救いを求めてラニーを見たけれど、彼女は苦笑しただけで私を助けてはくれなかった。


「彼はディミトリエ皇子が今回のお詫びにとくれた人員なのだから、そんな対応をしてはいけないわ。この国では奴隷制度はないのだし、扱いには気をつけないと」


 マギーアにその制度があるとは知っていても、実際にそれを目の当たりにするのはこれが初めてと言ってもいい。

 私は外の世界に出ることがないのだし、当たり前と言えば当たり前なのだけれど。


 だからといってそれを理由に、ましてや、彼がハリルだった(・・・)からといって虐げて良い理由にはならない。

 そもそも私は彼に個人的な恨みなどないし、それこそ厄介ごとを押し付けたディミトリエ皇子にこそ文句を言うべきだと思うのだ。

 

(ここで下手に彼をどこかに閉じ込めるなり、勝手に自由にしたりすればそれはそれで面倒なことになるのだし)


 人道的に扱う以外、ここターミナルでは選択肢がない。

 名前を与え、きちんと衣食住を満たし、給金を与え……人として扱う。ただそれだけだ。

 ちなみにターミナルでは重罪人は奴隷ではないにせよ、過酷な環境での重労働が課せられる。その現場を見に行ったことはないけれど、大変厳しいものだという話。

 それでも年季が明ければきちんと解放されるということだけれど……彼はどうしたら良いのだろう?


(とにかく、名前だわ)


 けれど、名前を付けるなんて行為はそう経験のあるものではないし、私は頭を悩ませる。

 毒見役にしていた金魚も、数匹いて区別がつかなかった……というか気が付いたら変わっているような気がしたから名前はつけなかったし。


(ああ、そうだ……)


 中庭にいた子猫に、そういえば私はなんて名付けて呼んでいたんだっけ。

 

(そうだわ、たしか……)


 あの子もボロボロだった。

 それでも必死に生きていた。


 あの頃の私には、何もしてあげられることがなくて……でも、今は違う。私には、ちゃんと何かを成す手がある。大人になってできることが、少しだけ増えたこの手がある。


「アノス」


 私が短く声を発すれば、彼から息を飲む音がした。

 それに気が付かないふりをする。


「あなたの名前は、今日からアノスです。良いですね?」


「……」


 困惑、怖れ、嘆き、懇願。

 そんな感情の色が彼の目に浮かんだけれど、私はそれも気が付かないふりをする。


(アノスという名前は、そういえばマギーアでは嫌われた名前だった)


 かつてこの国の王妃となった、捨てられたマギーアの王女フィライラの乳兄弟であるアノスが、辺境の地に生贄として捧げられる彼女を見捨てられず単身救いに行こうとし、命を落としかける。

 それを奴隷兵士でもあった英雄スライが看取るという伝説がある。


 だから、マギーアでは愚かな男の象徴であり、ここターミナルでは兄弟思いとして語り継がれているのだから彼の反応は妥当なのかもしれない。

 愚かな男、そう呼ばれていると思っているのだろうか?

 私は、兄弟思いとしてその名を与えたのだけれど。


 でもそれをわざわざ説明など、しない。いつか彼が気づけばいいと思う。


(国をこえて、できることはなにかなんて知らない)


 何かをしたいのであれば、自分でするしかないのだから。

 それを私は知っている。


「グロリア、ヴィンスとアルガンシアの所にアノスを連れて行って服を数着用意させてちょうだい」


「はい」


「今はまだ、何を命ずるか何も決めていないけれど、私の従僕となるのであればそれ相応の恰好をさせなくてはね」


 私の傷は、癒えることはないのだろう。傷跡として残るこれは、愚かさの象徴だ。

 だけれど同時に、私が抗った証拠でもある。


 だからアノスという名前も、彼にとって故国を失った大きな傷として癒えることなく内側に刻まれ続けるのだろう。

 愚かな男という名前が、いつしか彼がこの国の住人となった時に、意味あるものになってもらえたら嬉しい。


「アノス」


 だから私は彼を呼ぶ。

 彼は。アノスは、泣きそうな顔を一度だけしたけれど。

 ぐっと唇を引き結び、目を閉じ、次に私を見た時には静かな、表情だった。

 私に向かって拱手をしたアノスは、それを飲み込み受け入れたのだろうと勝手に思う。


 辛いのだろうか。

 苦しいのだろうか。

 それとも、仕方ないと諦めたのだろうか。


 いずれにせよ、マギーアに戻ることもなく、望まぬ新しい人生を、望まぬ主の下で送る彼にできることはまだ少ない。

 少なくとも、私も主人という立場では新米も良いところなのだから互いにこれからを築いていくしかないのだから。


 だから、私は傷が痛まない程度に笑みを浮かべた。

 手を差し伸べる代わりに、彼の目をまっすぐに見て親愛の情を込めて。


「これから、よろしくね。アノス」

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