92.
目が覚めたらそこは、見慣れた私の部屋だった。
ああ、私は気を失ったんだったと思い出したところですでに日は高く、かざしてみた自分の手には白い包帯が巻かれていた。
「クリスティナ様……!」
思ったよりも傷は深いのだろうか、そんなことをまだはっきりしない意識のまま考えていたところで部屋に入って来たグロリアが、私に気が付いて声を上げた。
彼女の名前を呼ぼうとしたけれど、上手く声は出なかった。
「ああ、ああ、どうぞそのままで。今お水をご用意いたします」
グロリアに渡された水を飲み干して、ようやく私は己が渇いていたことを知る。
ということは、随分寝ていたのだろうか。
そんな疑問が顔に浮かんでいたんだろう、グロリアは水を飲み干すために起こした私の体を丁寧にもう一度寝かせて、説明してくれた。
「どこからお話いたしましょうか」
グロリアが、静かに話し始める。
私は、あの救出劇の日から三日間、眠りっぱなしだったらしい。
私が攫われた翌朝、それはもう大騒ぎになったんだという。まあ当然よね。
レイジェスには早馬が行き、城内の警備兵が誰一人気づかなかった理由はなんであるのかを軍部の特殊兵団が調べた結果ターミナルでは知らない魔法ではないかという結論に達した。
そして協力要請という形の強制をディミトリエ皇子が受け、自分の配下二人が行方知れずであることを告げ捜索に名乗りを上げた。
……そこからは、私が救出されるところで何か色々あったのだろうけれどグロリアは教えてくれなかった。
(まあ、私が聞く必要はない、ということなのでしょうね)
実際今こうしてベッドの上で話を聞いているだけなのに、私の体は悲鳴を上げている気がする。
今色々な情報を与えられて考えろなんて言われても、まともな答えは出せそうになかった。
「クリスティナ様の痕跡を追ったのは、アニーでございました。クリスティナ様がヴァッカス殿と研究していた『番の奇跡』が起きたとのことでございます」
「……アニーが?」
「はい。ラニーともどもクリスティナ様が攫われたと聞き、鬼の形相で出撃いたしまして……あの救出の部隊では塔一つ破壊いたしました」
「まあ」
レイジェスが私を救出した後は、ラニーとアニーが塔を破壊する勢い……というか実際破壊したのだけれど、その勢いで戦って全員捕縛されたらしい。
その上救出部隊には兄様も参加しておられたらしく、国籍不明の飛空艇は兄様の重力魔法で魔の森に墜落したので捜索はできないとのことだった。
(絶対わざと、森の方に落としたんだわ)
きっと誰も助かるまい。
けれど、その方が良いと判断したに違いない。
飛空艇ごと捕まればどうあってもマギーアとの戦争は免れない。
飛空艇さえなければ、私の誘拐は未遂として国内の問題に落ち着け、処罰もこちらでできるから。
とはいえ、それでもそんな簡単な話じゃない。
多くの人が罰せられるだろう、警護を掻い潜られたことも、王女が連れ去られたことも、客人の部下が背信者であったということも。
あまりにも大きな問題で、これは先日の反乱と同じか、それ以上の問題だということにお父様たちはきっと頭を悩ませているのだろう。
「我ら一同、クリスティナ様の御身に危険が迫っていたというのに気が付かなかったことが口惜しく、どのような叱責も受ける覚悟にございます」
「必要ないわ」
「……お優しいことは重々承知しておりますが」
「罰せられる人間が必要であるならば、それはまず私でしょう」
「は?」
「何か起こるかもしれない、それはわかっていた。手薄になることもわかっていた。それでもみすみす敵の手に落ちた私の迂闊さこそが叱責されてしかるべきだわ」
しかも魔力がないから効きが悪いとまで言われていたのに笑っちゃうよね、と自分の中でだけ呟いてグロリアを見れば、難しい顔をしていた。
まあ彼女の言い分もわかる。
私は、王女だ。
この国の王家の一員が攫われて、誰も罰せられないなんてことはない。
「グロリア」
「はい」
「あの日いなかった貴女の給金を、三か月減俸とします。サーラとキャーラ、ラニーに関しては一週間の減俸と休日の返上で私の側に控えさせて」
「……クリスティナ様?」
「それで良いわ。……外で警備していた兵士たちに関しては私に権限はないから、それは公平に軍部に任せることにしましょう」
「……畏まりました」
これが妥当なのかどうかは、知らない。
むち打ちだとか暴力的なことは望まないし、できれば何もないのが一番だけれどそうじゃないのならばわかりやすく労働で返してもらえれば、それでいい。
彼女たちは私に多くのことをくれた。
信頼を、安心を、温かさをくれた。
そんな大切な人たちを困らせてしまった私は、私自身をどう罰するべきなのだろうか?
「……大変申し上げにくいことにございますが」
グロリアが、頭を下げる。
そして告げられた言葉に、私はただ目を伏せた。
(ああ、これが私に対する罰なのか)
ハリルの兄が放った魔法、それによって刻まれた体の傷は痕が残るに違いないとあの時も思ったけれど私が思っていた以上に深く、広範囲であったらしい。
どうあってもドレスで隠れない部分もあるし、頬から首にかけての傷など化粧を施しても薄く見えてしまうとの医師の見解だ。
どうりで包帯がすごく厳重だなって思ったのよね。
治癒魔法も効きにくい、それ故にこの傷も自然に癒えるのを待つしかないのだというのだから、私はどこまでもお荷物なんだ。
「……レイジェスは?」
落ち込んでしまいそうな意識を振り切って、グロリアに問う。
彼女は顔を上げて私を見て、口を開いた。
「クリスティナ様を王城に連れ帰られた後は、何度かお見舞いに来られておりましたが……事後処理があるようでなかなか時間はとれぬご様子でした」
「そう……」
「後ほど、クリスティナ様がお目覚めになられたことをお報せしておきますので」
「ありがとう」
レイジェスは、私の容体を知っているのだろうか。
そしてふと思い出す。
あの夜、私はレイジェスに謝ってばかりだった気がする。
自分が不甲斐なくて、迷惑をかけて、甘えて、それが申し訳なかった。
その気持ちがなによりも先に立って出たからこそ、ごめんなさいと言ったけれど。
(そうじゃないわ)
言うべきは、それじゃなかったと今更思う。
ベッドの上で、私の日常に戻ったのだと知ったからこそ言うべき言葉はあったはずなのに、あの時出た言葉はそのまま私の弱さを体現していたに違いない。
(ありがとう、と言うべきだった)
来てくれると信じていた。
実際彼は来てくれた、私の無茶を文字通り、受け止めてくれた。
その上で私の弱さを包み込んで、否定せずに受け入れて、救ってくれた。
身も心も、彼は私を救ってくれたのだ。
あまりにも不器用な人だから、今まで当たり前に助けてくれすぎてて知らなかった。
彼の言動に傷つくことがたくさんあった。その理由を知った今も、あれは理不尽だと思う。
だけど。
だけど。
来てくれた。
それが、小さい頃から変わらない真実だ。
それこそが、彼の愛なのだと、ようやくすべてが結びついた気がする。
「クリスティナ様、医師を呼んでまいりますのでどうぞそのまま」
「ええ……お父様たちにもご迷惑をおかけいたしましたと、改めてご挨拶に伺うと連絡をしてくれる?」
「かしこまりました」
グロリアが出ていくのを見送って、私はほっと息を吐き出す。
(本当に、馬鹿な嘘つき)
レイジェスの愛情に、ちゃんと気が付いていたんでしょう、クリスティナ。
そう私は私に対して、笑った。
気づかないふりをして、不安がるのはもうオシマイ。
真っ直ぐぶつかっていった、そんなつもりでいた。
でもそれは「つもり」だった。
なんて遅いのかしら。ああ、でも私らしい。
(傷だらけになって、ようやく受け入れることができるだなんて)