89.
ハリルが去ってからどのくらい時間が経ったのだろう?
いくら物思いに耽ろうと窓も何もない部屋と細切れの情報では何の解決策も思い浮かばなかった。
予想としていくつかの打ち捨てられた砦、物見の塔、そういったものが自然環境の変化から地方で放棄されたものがあるということは書類を見て知っているので、恐らくそれらのどれかを使っているであろうことくらいか。
ハリルの思惑は、恐らく私が思い当たった通りで良いはずだ。
自分を捨て駒にして、皇位継承権争いに対して静観の構えを見せていたディミトリエ皇子を参加表明せざるを得ない状況に追い込む。
そして巻き込まれる形となった私に対し、責任を取って婚姻を結びマギーアとターミナルの関係を築く……といった辺りだろうか。
(この場合、交渉としてはマギーアの方が弱くなるけれど)
大国として他国を見下している感が拭えないマギーアだが、最古の王国というものに各国の王家が敬意を示しているのも事実。
その中でどちらにせよ後ろ盾になってもらうのならば、結果新皇帝はターミナル王国に対して多少の遠慮が生まれるのはもう織り込み済みなんだろう。
そう考えれば強硬策ではあっても、これ以上マギーアを混乱に晒したくないであろう愛国者からすれば皇位継承権争いの終わりが見えるだけでも僥倖なんだと思う。
(……巻き添えになる私や、民衆がお構いなしというのがいただけないわ)
それに思い通りに事が運ぶと思われるのも癪だし、そんな上手くいくはずもない。
恐らく私が攫われたことで王城内はとてもピリピリしているだろうし、軍部も動いているだろう。
兄様の指揮のもと、レイジェスが私を見つけてくれるんじゃないかと期待している。
(……私がどこに隠れても、貴方は見つけてくれたものね?)
ここにいない愛しい人に、問いかける。
どんな時でも、私が声を潜めていようと誰もが見つけられなくても、レイジェスだけは見つけてくれた。
どこにいたって、「こんなところにいたのか」って呆れながら来てくれた。
すれ違いを乗り越えて、ようやく分かり合えた大切な人。
今頃、彼は何を思うんだろうか?
(私の迂闊さを怒っている? ディミトリエ皇子に怒っている?)
自分に対して怒っているかもしれない。
でも貴方のせいじゃないのよって、言いたい。伝えたい。
もしも私が王女じゃなくて、もしも貴方が騎士じゃなかったら。
身分差なんてなくて、お互い平民の立場であったなら。
(もしも、なんて考えるのはよくないわね。……弱気になっている証拠だわ)
狭い部屋に、一人きり。
味方らしい味方はいなく、私のことを『ターミナルの軍事力』を使うためのカードとして見ている人たちに囲まれている。
挙句の果てに、魔力なし。
もし私が王族らしく強大な魔力を持っていたならばもっと解決方法として別の切り口があったのではないだろうかと思わずにはいられない。
まあ、もしそうだったなら魔法に対しての研究が世界のどこよりも進んでいるマギーアの兵だもの、対策されて結局同じか。
(どうしたらいいのかしらね……)
「王女殿下、起きていらっしゃいますかな?」
「!」
あまりに糸口が掴めなくてため息を吐き出したところで扉越しに声をかけられて、思わず肩が跳ねた。
あの声は、……あの代表者の男かしら。
一日に何度も顔を出す余裕があるのか、それとも何かあったのか。
寝たふりをすべきかどうか考えて、私は口を開いた。
「起きています」
「それでは失礼いたします」
ドアが開いて入って来たのは、私の予想通り代表者の男だ。
その後ろにハリルと、彼の兄の姿もある。
「王女殿下の御心が乱れ、不安になられておられると部下から聞きましてな」
「……」
「未来の国母たる王女殿下に対し、我らがいかに敬意を払っているのかをご理解いただきたくこうして参りました次第です」
「……理解?」
あんな薄っぺらい言葉をまた聞かされるのかと思うとうんざりなのだけれど。
勿論そんなことは顔に出して不興を買うわけにはいかないけれど、私としては信じることができないと態度には出した。
そのくらいには“王女”として彼らよりも身分が上の人間らしい態度を取らないと、軽んじられそうな気がしたから。
……私の王城内での暮らしぶりが密偵から報告されていたり、ハリルから伝えられていたならば無駄な気がしないでもないけれど。
「どうか我々と共にお越し願えませんか。これよりお見せする光景をご覧いただければ、我らが主が貴女様をいかに大事にしてくださる偉大な御方か伝わると思うのです」
「……」
光景ということは外に出るのか。
いいえ、恐らく外に出すのではないだろうから屋上か何か……或いは窓がある部屋?
そこから逃げることはできなくても、場所はわかるかもしれない。
この男に『私が不安がっている』と伝えたのは間違いなくハリルだろう。
一体何を企んでいるのか私には皆目見当がつかなかったけれど、ここは乗っておくことにした。
「良いでしょう。案内しなさい」
私の言葉にハリルが頭を下げたまま前に出て、布の靴を履かせた。
あまり触れられるのは好ましくなかったけれど、私も何も言わないでおく。
そして恭しく代表者の男が手を差し出してくるのを一瞥して、無言で立ち上がり彼を見下ろせば男は笑みを苦くした。
私が素直にエスコートされると思ったのだろうか?
だとすれば思い上がりも甚だしい。
(私は、……ターミナルの王女だ)
彼らが国母にと望む程度には、尊き身分の人間として。
私を誘拐した男たちに媚びへつらい、媚びられることで絆される。そんな愚かな女に成り下がるつもりはないのだ。
「では、こちらへ。階段が些か脆くなっておりますので、どうぞ足下にお気を付けください」
「……ええ」
部屋の外に出てわかる。
これは塔の構造だ。
そして彼らは、私を上の階へと誘っていく。
階段の石が脆い、どうやら随分と古い建物なのだろう。
(魔石類を埋め込むための穴もない)
だとすれば、これは不要のものとして廃棄された塔なのだろう。
どこかの領主のものなのか或いは物見のために国が置いたものなのか。
国が置いたものだとすればお父様が相当前に取り壊しを指示していたのだから、それがなされていないのはどこだっただろう?
思い出すために必死に記憶を探りつつ、私はとうとう屋上に足を踏み入れた。
高い位置だからか吹きつける風が強烈で、思わず一旦足を止めた。
周囲は真っ暗で、何も見えない。
ただただ、星の瞬きがこの場にそぐわぬほどに美しかった。
「王女殿下、大丈夫ですかな」
「ええ……」
「少々風が出てまいりました。今風除けの防陣を張りますのでお待ちください」
ハリルがすかさず私の側により、小さな声で呪文を唱える。
それだけであれほどに強烈な風が和らいで、私は改めて彼の能力の高さを知る。
(あれだけの短時間の詠唱で、あっという間に張るだなんて)
魔法が使えないからと言って、私が魔法を学ばなかったわけではない。
仕組みを知ればわかるかとあれこれ試行錯誤をしたこともあるからこそ、詠唱の短縮と展開の早さ、正確さがどれほどの実力者であることを示すのかわかるというもの。
ハリルは間違いなく、ターミナルのレベルで言えば宮廷魔術師を務めてもおかしくないほどの実力を持っているのだろう。
そんな彼を顎で使えるのだから、きっと彼レベルの人間がもっといると考えて良いのだと思うとぞっとする。
「さあ王女殿下、あちらをご覧ください」
代表者の男が私に笑いかける。
そしてその手が指し示すのは、暗い森――その遥か向こうに見える、広範囲にわたる明りだった。