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亡国の剣姫  作者: きー子
9/34

玖、妖剣・月白(上)

 分厚い霧の層を抜け、小舟は目的の孤島に接岸した。

 聞けば船頭はそのまま待っていてくれるという。取りはぐれのない客がいるというのはおいしい話なのだろう。

 かくしてシオンとジムカは、六水湖中央部の小島に降り立った。

 周囲は白い霧に満ちていたが、それはせいぜい身の丈ほどの高さまで。天蓋から降りそそぐ月明かりを妨げるものはなにもない。

 岸辺を見渡せば咲き誇る睡蓮の花。水面下には景気よく泳ぐ川魚の影も少なくない。

 ちょうど気流がぶつかり合うところなのだろう。手に触れる水温は思ったよりも低くなく、水底も存外に浅かった。

「確かに」

 ぽつり、とシオンは声を漏らす。

「死ぬには、いい場所ですね」

 素直にそう思った。月光を照り返した水面がきらきらと輝いている。

「だろう」

 "剣魔"ジムカは島の中心で天を仰ぎ見る。空には雲ひとつ見当たらない。

 釣られて見上げれば、星と月がよく見えた。

 まるでここが世界の中心であるかのよう。

 ぱちゃりと、水面が飛沫を跳ねさせる。

 ジムカはシオンを見るともなく見て、目を逸らしながら眉を寄せた。

「それで、どういうつもりだ」

「見ての通りですが」

 シオンはゆっくりと水面に肩まで沈み、清々しい感触に身をひたす。

 その身は一糸まとわぬ裸体であった。

 岸辺には脱ぎ去られた衣服が綺麗にたたんで置かれ、短剣が重石のように乗せられている。

「おれは長いこと生き過ぎてきたが、なめられるのは初めてのような気がしてならん」

「……そのようなつもりでは」

 肉付きの薄い白い裸身が、煌めく月明かりに照らしだされる。

 その身に膨らみなどはかけらもない。胸も尻も全くの子どもそのもの。そのくせ見るのは躊躇われるような、どこか背徳的な色香を醸し出す。華奢な腰つき、ほっそりとしたなよやかな肩が、申し訳程度に女性であることを主張していた。

 見るからに手弱女。一見しただけでは見目麗しい少年と間違えてもおかしくない。そんな少女が無防備なまでに裸身を晒し、沐浴に興じているのである。

 天下に名高き"剣魔"といえど、毒気を抜かれようものだった。

「応と仰ったでしょう」

「まあ、そうだが」

 ────どうせ逃げも隠れもできないのだから、少し時間を頂けませんか。

 そんなシオンの頼みにジムカはわずかに渋ったが、

 ────あなたにふさわしい姿で立ち会うため、必要なことなのです。

 そういうと、彼は静かに頷いた。

 騙し打ちされるとは思わなかった。やるつもりがあるなら、出くわした時にとっくにやっているだろう。

 なんなれば船の上から蹴落としても良かった。シオンの命を刈り取る機会は、ジムカにはいくらでもあった。

 だが、いずれの時も彼は手を出さなかった。しかるべき立ち会いによって、しかるべき決着をつけることを望んでいる、という証だとシオンは理解した。

 それはあながち間違っていないのだろうと思う。こんなところにわざわざ連れてきたのも、老人が語った通りの理由なのかもしれなかった。

 ならばと、シオンはそれに相応しく身なりを整えることにした。

 見苦しく、泥臭い格好で斬り結ぶよりはいくらかいいと思った。それだけのことである。

 土と垢染みた肌をすすぎ、黒髪にこびりついた脂をこそぐ。艶やかな黒髪を取り戻す。

 全身に湖水の冷たさが染み、身体の芯がしゃんと引き締まる。獣のようだった臭いももはや無い。

 水に濡れた傷が少しだけ痛む。だが、無視できる程度だ。動きに差し支えはないだろう。

 傷痕はくっきりと残ってしまっているが、しかたない。刻まれた一筋をそっと撫ぜる。

 血のにおいがした。

「少しはつつしみを持たぬか、おなごよ」

「あいにくながら」

 シオンに真っ当な恥じらいは身につかなかった。

 貴族には珍しいことではない。彼らは多くの場合、着替えや湯浴の手伝いを使用人に依存している。

 だが、それを加味してもシオンは真っ当とは言いがたい。ジムカは七〇をこえるような老人だが、殿方には違いない。しかも英雄的な功績によって地位を得た、まごうことなき貴族なのである。

 その前で惜しげもなく白い裸身を晒すというのは、つつしみが無いと言われてもしかたがないだろう。

 今さら何をいわんや、という話ではあるのだが。

 シオンは水辺からあがると、濡れた身体を布で拭い、零れる雫を余すところなく拭き取っていく。

 華奢な身体のうえからじかに、一番マシな服を身につける。

 白地のブラウスと、細い身体の線にぴったりと合ったパンツ。腰をきつくベルトで引き締め、岸辺に置いていた短剣を差す。

 そしてすっかり慣れ親しんだ黒外套を肩にかけた。身を隠す用はもはやなさないが、よく馴染む。ずっと昔からこうしていたかのように。

 少しだけ伸びた髪を後ろでまとめ、紐でひとくくりにしてしまう。顔を隠すのには役立つ髪も、斬り合うのならば邪魔なだけ。

 乾いた長靴下に脚を通し、ブーツをきちっと履き直したあと、シオンはジムカに向き直った。

「お待たせしました」

「応」

 月を仰いでいたジムカは、ゆるゆるとシオンに視線をくれた。

 そして一寸、目を細める。刃のように鋭い視線が少女を射抜く。

「後ろから斬られるとは思わなんだか」

「そのつもりなら、私はすでに生きてはいないかと」

 軽く肩をすくめる。

 なんのためかは定かでない。だが、一切気取られることなくシオンの間合いに入り込んだ力量は本物だ。

 シオンが気づく隙もなく斬り捨てることも難しくはなかったろう。

 そしてジムカはそれをしなかった。

 味方であるとは思わない。ジムカは自らの剣に手を添えて、いつでも抜き放てる姿勢を保っている。

 恐ろしいほどに隙のない立ち姿だった。彼の刀身の届く距離がすなわち絶対的な剣の結界。

 うかつに踏み込めば即座に斬り捨てられるという確信がある。

「誤解してもらっては困るが、孫弟子といえど情け容赦をかけるつもりは、かけらほどもありはせぬ」

「……はい」

 頷いたあと、孫弟子と認識されていたことに気づく。

 彼の意識に引っかかっていたのが意外だった。ルクスが話していたのかもしれない。だが、それだけでは彼の記憶に留まるには至るまい。

 なにせシオンの剣はルクスにも遠く及ばなかったのだ──そのまた師ともなれば、果たして実力差はいかほどのものとなろう。

「おれがこうしている理由はひとつ」

 すらりと、まるでそうするのが自然であるようにジムカの刀身が抜き放たれる。

 月明かりを浴びた白刃は怖気をもよおすほどに美しい。まばゆい白光を照り返し、剣は妖しい煌めきを発す。

「齢七四、この期におよび浅ましくも生き永らえ、ついに見果てぬは剣の頂き。これより行き着く先には死があるばかり」

 詩吟めいて発せられる言葉に、しんと静寂が落とされた。

 空にさえずる鳥の声。岸辺に響く虫のさざめき。魚影に揺らめく湖面の水音。

 全てが元より無きがごとく立ち消え、静謐が世界を支配する。

「名乗れ、我が弟子ルクス・ファーライトの忘れ形見よ。おれに剣の極みを見せてくれ。それこそがおれの大望なれば────さもなくばここに骸を埋めるがよい」

 刃のように鋭い視線は、唯一今生に残された希望に縋るかのようだった。

 老剣士の発した剣気が、シオンを除いて周囲のあまねくを排他する。虫が息の根を止め、飛ぶ鳥が堕ちる。波立つ水面が静まり返る。

 立ちこめた白い霧さえ吹き散らし、ジムカは、詠じた。

「"剣魔"ジムカ・ベルスクス。流派、ファーライト流剣術ベルスクス礼刀法」

 抜身の刀身を片手で構える。刃が胸を横切るように剣をかかげた。

「……ッ!」

 異様な剣であった。シオンは思わず目をみはる。

 漆塗りの柄拵えに円形の鍔。刀身は根本から切っ先にかけて反り返りながら細くなっている片刃剣。

 その白刃は極端なまでに薄かった。あまりに薄く、あまりに鋭く、そして────あまりに美しい。

 見るものをあまねく魅入らせるような魔性の剣。剣客を誘蛾灯のように惹きつけて止まないそれは、愚者の血を数知れぬほど吸い取ってきたに違いあるまい。

 刀と呼ばれる華陵帝国の剣に似ているが、あれよりもずっときゃしゃな刃だ。まともに打ち合わせれば傷つき、あるいは折れてしまいそうだった。

 刀身が月明かりを照り返して妖しい光を発する──魔性の剣はその儚さゆえに美しい。

「"妖剣・月白(つきしろ)"を我が手に。いざ参らん」

 シオンはそれと相対しながら、静かに息を吐いた。

 不思議と緊張は無かった。身体がこわばることもなかった。

 鞘から短剣を抜き放つ。冴え冴えとした銀光が瞬き、蒼い双眸とともに老いた"剣魔"を射すくめる。

「シオン・ファーライト。流派は知らない。銘もない。……行く」

 気負わず素っ気なく名乗りをあげる。

 死の恐怖はもはやなかった。とっくに通り越してしまったように、シオンはその先の境地にある。

 剣の極みなど知ったことではない。やれるだけやる。生きられる限りは生き足掻いてみせる。

 捨て鉢でもなく、そう思った。



 数歩の距離を保ったまま睨み合う。

 刃は届かないが決して遠くもない。一瞬で侵食され尽くすような儚い間合い。

 そんな中、シオンとジムカは一歩も動くことなく膠着状態に陥っていた。

 シオンは腰溜めに短剣を構え。

 ジムカは胸の前に魔剣をかざし。

 視線こそ片時も離れることなく重なりあうが、刃は一度も交わしていなかった。

 (びょう)

 一陣の風が吹き抜け、湖の水面を波立たせる。

 シオンの黒衣。

 ジムカの陣羽織。

 いずれもが風にはためき、身体の線に絡みつく。

 それでもふたりは動かなかった。

 時が止まったかのように、微動だにしない。

「……ッ、は」

 息を吐く。

 苦しげに息を漏らしたのは、シオンだった。

 その頭の中では幾通りもの"読み"が浮かび上がり、そして泡のように消えていく。

 残った"読み"はそれこそ幾百通りにも枝分かれし、更なる分岐を繰り返す。

 正着手とでもいうべき攻め手がまるで無い。いかなる手も読み切られるような気しかしない。

 "枝読み"の型。それは刹那ともいうべき時の中で想定・思考・決断を下す、未来視にも似た高速思考法である。

 だがそれは理外の神秘などではなく、剣の理にもとづいて行われる技術──"型"にほかならない。

 そもそも剣の"型"とは、つまりが剣術の定跡(パターン)のようなもの。

 斬り下ろしは横に捌く。斬り上げは出足をくじく。突きにはこのように切り返す。

 連綿と積み重ねられた剣戟の記憶、経験の結晶。それこそが"型"なれば、先読みの技もまた一種の"型"なのだ。

 そして読みとは、相手の情報が多いほどに複雑化する。

 シオンとジムカはお互いの業こそ目にしていないが、同門であることに変わりはない。情報量はきわめて多かった。先の手をまともに読み切ろうとするのは不可能に近いだろう。

 そのうえ、中途半端に読めるのがかえって仇となっている。可視化された死に飛び込むなどすでに尋常の人間の所業ではない。

 ────だが、尋常でないのは双方ともに今さらだ。

「弑ィッ!」

 静寂が破れたのは刹那。

 動いたのはほぼ同時。いや、ジムカのほうがわずかに早い。

 最小の軌跡を辿って繰り出される"妖剣・月白"。凄絶なまでに鮮やかな円弧を描いて刃が走る。

 老いを全く感じさせない剣閃。シオンは直感のままにそれを剣身で受け止める。短剣の腹で押さえつけるかのように。

 見た目のきゃしゃさとは裏腹に、魔剣の刀身は極めて強靭だった。(かろ)く、しなやかで、よくしなり、おまけに尋常ではなく鋭い。

 ぴ、とシオンの頬に一筋の傷が走る。

 刀はシオンに触れてもいない。巻き起こした刃風が少女の肌身を傷つけたのだ。

 まともに刃を受けたら短剣も危うかったろう。刀の腹を叩いて捌きながら、シオンは不意に違和感を覚える。

 それは既視感。似ている、と思った。実父にして師──ルクス・ファーライトの剣に。

「ほ」

 驚きもせずに返す刀で斬り下ろすジムカ。

 疾く、鋭く、そして重い。老人の細腕にどこにこれほどの力がこめられていようか。

 全長4フィートほどもある"妖剣・月白"を軽々と手繰り、幾重にも斬撃が重ねられる。

 反撃の糸口が見当たらなかった。雨あられと重ねられる剛剣の手数に防戦一方。

 刀の腹を叩いてさばく。柄尻で打って跳ね除ける。火花を咲かせ、刃鳴散らす。十重二十重と積み上げられる死線を潜り抜けるたび、シオンの違和感は増していった。

 やはり似ている。というより、ルクスの剣がジムカに似たというべきなのかもしれない。そのほうが辻褄は合うだろう。

 それでもなにか、引っかかりのようなものがあった。

 ルクスとシオンの剣はまるで違う。当然そこに年齢差や体格差、性差という要素はある。違って当然ではあるのだろう。

 だが、だからといって──師弟の剣がこれほど似通うことがあろうか?

「企みでもしているか」

「いえ」

 鋭い視線とともに剣閃を浴びせかけられる。

 シオンはそれを一歩退いて避ける。間合いは掴んだ。

 しかしそれは本命ではない。おそらくはシオンを死地に追いやるための布石。

 詰めにかかる一閃がいくつも振るわれる。斬り下ろし、転じて跳ね上がるような斬り上げ、円弧を描いて斜め斬り。

 完全な真円を描く斬り落とし。

 そのいずれもが必殺の一撃で、シオンは避けるほかにない。短剣を頼りにすれば刃が悲鳴をあげかねなかった──着々と、重ねられる一閃がシオンを追い詰めていく。

 だがそれは問題ではない。問題は、シオンを仕留めるための奥の手──殺し札。

 グラークの"奇剣・毒操手"。あれも本命というべき必殺手を隠し持っていた。

 ジムカの振るう魔剣──"妖剣・月白"もまた、神秘の力を備えていたとしておかしくはない。

 それをいかにして見切るか。シオンの生死は、その危機察知能力と反応速度にかかっていた。

「────ひゅ」

 ジムカが短く息を吐く。

 まるで手元が伸びるように迫る一閃。それをシオンはすんでのところで真横に交わす。

 当然それでは終わらなかった。シオンの回避は誘導されたものであったように、狙い澄ました切っ先が飛ぶ。

 凄まじく鋭いえぐり込むような一撃。

 十全に殺し手といって差し支えない。危うく右腕を飛ばされるところだったシオンは、それを咄嗟に剣身で受けて返す。

 ────瞬間、シオンの全身が総毛立った。

 全思考が真っ赤に染まる。全神経が警鐘を鳴らす。

 シオンは目の前をしかと見た。

 跳ね上げた"妖剣・月白"の切っ先が、陽炎めいてわずかにぶれる。

 刃が、少女の目を幻惑するように落ちてくる。

 違う、と思った。それはルクス・ファーライトの剣とはあまりに違う。不断の剛剣などではない。見るものを惑乱するまぼろしの剣。

 眼前に鮮やかな銀光が瞬く。シオンはまるで魅入られたようにそれを見て、

「────唖々(アァ)ッ!!」

 がつん、と受けた剣身が火花を散らした。

 一瞬にして、まるで別人の剣に変貌したような一閃。それにシオンはすんでのところで追いついてみせた。

 ほんの一拍でも反応が遅れていればシオンの腕は飛んでいる。直感の働きのおかげというべきか──否。

「そういう、こと……」

 得心したように、シオンはつぶやく。

「ほう」

 この時初めて、ジムカは驚いたように目を開かせた。

 今の一閃を受け止められたこと。そして、シオンの言葉。そのどちらもが予想外であったかのように。

「今のを、受けるか」

「……悪趣味な真似を」

「性格のいい剣客は長生きせん」

 道理だと思った。騙されたほうが先に死ぬ。

 シオンは一歩飛び退き、距離を取った。

「"水鏡剣"といってのお」

 ジムカは少女を追うことなく、だらりと刃を地に垂らした。

 先ほどとは明らかに異なる構え。しかしそれが自然であるかのように、ジムカはゆらりと刃先を揺らす。

 無形の位。あらゆる状況下に対応するための柔軟な立ち姿──といえば聞こえはいいが、要するに立ち尽くしているだけだ。

 生半可な技量では隙を晒すだけ。

 だが、それが天下に名高き国随一の武芸者ならば。

 ────それこそが。

「それが、あなた本来の構えですか」

「応」

 ルクス・ファーライトとは似ても似つかない硬軟織り交ぜた変幻自在の剣。それこそがジムカ・ベルスクスの本領だ。

 つまりジムカは、つい先ほどまで、ルクス・ファーライトの剣を"ほぼ完璧に"模倣していたということになる。

「誰かの剣に擬態すれば、斬り結ぶほどそいつと戦っているように錯覚する。動きが、読みが、そいつと戦うためのものに切り替わる。そこからの急激な変化に、普通は、ついてはいけぬ」

 淡々とつむがれる。

 その内容に、シオンは戦慄を禁じ得なかった。

 言葉でいってしまえば簡単だが、他人の剣筋の模倣など早々できることではない。

 端的にいって狂人の所業である。

 そしてジムカは、それを当たり前のようにやってのけた。

 "剣魔"などという言葉では生ぬるい。"魔剣遣い"などという枠に収まるものではない。男は剣に狂っていた。

 剣に狂った亡霊のような男。ジムカ・ベルスクス。

 その一端を少女は垣間見た。

「相手を選ぶうえに相手を知らなければ使い物にもならん。魔剣としては二流三流もいいところよ。極みというには程遠い」

 ジムカは素っ気なく言い捨て、一歩踏み込む。

 水が流れるように自然な挙動。シオンの反応が一瞬遅れる。

「しかし、見極めるのには呆れるほど有用なのも確かでのう」

 使えるものは使う。武芸者らしいこだわりのなさだった。

 なにより恐ろしいのは、ジムカが自らの剣をほとんど晒していないという一事に尽きる。

 彼が見せたのはあくまで他者の剣筋に擬態したまがいもの。そのことを利用して遠慮無く撃ちこみ、シオンの剣を幾度ともなく晒させた。

 しかしシオンが見たのは最後の一閃のみ。これはもう何も見ていないにも等しかった。

 技を盗まれたようなもの。

 状況そのものは五分といえようが、情報戦の観点ではシオンの圧倒的劣勢と言わざるを得まい。

 そのうえでジムカはシオンに、己が本来の剣を向ける。

「ッ!」

 シオンは咄嗟に腰の裏から二本目の短剣を抜き、投擲。

 ジムカはそれを空手の左で打ち払った。枯れ木のような掌が傷つくことを厭わない。

 そうすることによって、足を止めず踏み込むことを可能にする。

 遅れを取り戻すだけの猶予は得た。だが、すでにここは"剣魔"の結界の内側だ。

 渺。

 シオンは風の哭く音を耳に聞く。風の流れを肌に知る。

 そして見るより先に短剣をかざした。ぎんと鋭く火花が散って、次の瞬間には刃を返されている。

 咄嗟の選択は正解だった。もはやジムカの剣は、目に捉えられる域にない。

「────は」

 息を吐く。続けざまに風が哭く。魔剣はすでに眼前にあった。

 死の風が音より疾く迫り来る。

「そこよ」

「くッ……!!」

 シオンの右手は伸びきっている。短剣はもはや間に合わない。

 ならばとシオンは左手で腰からそれを抜いた。

 短剣を納めていた鉄鞘。耐久性に難はないが、"妖剣・月白"の前ではあまりに心もとない。

 しかしこの他はない。鞘の半ばで一閃を受ける。

 す、と薄刃が鞘をまっすぐ通り抜けた。

 一瞬後、すぱん、と鞘が真っ二つに断ち割られる。

「────ぁ」

 どこか呆けたような声は刹那にも満たない。

 抜けた切っ先がシオンの胸に達する。

 だが、鞘が衝撃を殺した隙を見逃さない。その一瞬で、シオンは身体の位置を微妙にずらす。

 "妖剣・月白"と、少女の胸骨が熱いヴェーゼを交わす。

 賭けだった。剣撃の勢いを殺せていなければ、シオンの骨が少しでもやわであれば。

 少しでも掛け違えがあればシオンは死ぬ。

 それを覚悟の上で、シオンは刃先を骨身で受けた。自ら進んで受け止めさせた。

 がちん、と何かが噛み合ったような音を耳に聞く。

 胸の奥に熱いものを感じながら、シオンは咄嗟に飛び退いた。葦原を蹴り、土を跳ね上げ、身体を滑らせながら接地する。

 ずるり、と胸の中心で刃が滑る感触を味わった。

「……ごぽっ」

 胸の半ばから血がしぶく。

 喉の奥から血の泡を噴く。

 魔剣は少女の肉を割り、骨を突き、そこで止まったようだった。

 一瞬でも退くのが遅れれば肉を裂かれていただろう。幸いなるは鉄鞘の頑強さのおかげだった。

 斬撃の勢いを殺せていなければ、おそらくは骨すら断ち切られていた。

 シオンは激しく喀血するも、まだここでは止まれない。

「死ぬぞ、おまえさん」

 ジムカがなおも止まらないのだから、少女が止まれるはずもない。

 三本目の短剣を腰から抜く。後は右手の短剣ばかりだが、今は四の五のいってる場合ではない。

 同じ轍を踏みたくはないが、脇目もふらず刃を投射。眩みそうになる視界の中で、飛刀は狙い通りジムカの脚を目掛け飛ぶ。

 それで射止められるとは全く思わない。距離を開かせるための一手である。

 狙い違わずジムカは地を蹴り、一歩飛び退いた。

 ────瞬間。

 この上なく鋭く細められたジムカの眼が、修羅としか言いようのない凄絶さを帯びて光る。

 後方へと接地したジムカの足運び。それを見切り、シオンは次に繰り出される技を知った。

「────ほ」

 足裏が着地の反動を生かして跳ねる────"飛鳥"の型。

 足首がしなやかに駆動し爪先が地を後方にする────"縮地"の型。

 そして次なる疾駆は目にも見えぬ──いつの間にか目の前にいるとしか言いようのない疾さでジムカはシオンに肉迫する。それは"放たれた矢"のごとく。

 繰り出されるは腰より逆の肩へと斬り上げる一閃。

「────()ィッ!!」

 声は果たしてどちらのものであったか。

 ふたりの身体が交錯する。

 秘剣・再臨剣。

 シオンのそれをはるかに凌駕する一太刀が、"剣魔"の手により抜き放たれた。

 ぎぃん、と刃鳴りを散らして刃が互いを擦り合わせる。

 斜めに重なりあった殺意が、対手を射殺さんとうなりをあげるようだった。

「……ッ!!」

 流れるように動いたのはシオンだった。

 刃を食い止め、翻る身体が鋭く蹴りを放つ。

 読み切ってもジムカを止めることはできない。例え刃がジムカに届こうと、もろともシオンが死ぬは必定。

 なれば止めたうえで弾き飛ばす。その場を動かず、軸足一本の支えで勢いを乗せて蹴り抜く組み打ち術"車輪"の型。

「グッ……」

 打ち据えられたジムカは息を詰まらせる。後退することを余儀なくされる。

 一手を返した。が、攻勢をかけるには至らない。

 シオンの右手は、まるで血が止まったかのように痺れていた。ジムカの全霊を受け止めた衝撃によるものだ。

 "妖剣・月白"。やはり尋常の剣ではない。老爺の片手で軽々と振るわれるにも関わらず、その剣撃はあまりに重すぎた。

 ジムカのためにあつらえられたかのように、"魔剣"は枯れた掌に馴染んでいる。

「……は……」

 口元を血の紅に濡らしながら、シオンは息を吐く。

 知った技を、読み切ったうえで、これだ。

 ジムカは土に脚を擦り、喘ぐシオンを一瞥する。

「これを、見切るかよ」

「このざまですが」

「知った業であったか」

「でなければ見えもしますまい」

 ひゅう、ひゅう、と喉から奇妙な音が漏れている。

 臓腑を刻まれることこそ免れたが、体内のどこかにいらぬ傷がついたか。

「さようか」

 と、ジムカはだらりと剣先を垂らした。

「しからば、これで終いにするとしよう」

 シオンの余力を見切ったつもりなのか。

 否。実際に、見切っているのだ。

 致命こそ避けたが傷は浅くない。流れる血潮は止まらない。赤い花を抱くように、胸から血泡が溢れ続ける。

 あと、どれだけ持つだろうか。もはやシオン自身にもわからない。

 本当に死を免れているかさえ定かではない。今まさに冥府への道を歩んでいるのではないかという疑問が浮かぶ。

「全力で来い。おれも全力でゆこう」

 疑問はすぐさま泡のように雲散霧消。

 言われるがまま──否、自然とシオンは前に立つ。

 生きるか、死ぬか。元より紙よりも薄い勝算だったが、その力量差を突きつけられれば笑うほかはない。

 笑ってみせる。口元が月のような弧を描く。天に戴く満月とは似ても似つかないが、上等だと思った。

「狂うたか」

「……いえ。あなたほどには」

「言いやがる」

 口内にこもった血を吐き捨て、紅を差すように指先で唇を拭う。

 視線をあげて見ればジムカも笑っていた。

 歯を剥き、落ち窪んだ洞穴のような目を細め、構えは無形の位を保っている。

 老爺の掌中で冴え冴えと輝く"妖剣・月白"。その切っ先はシオンの血色に朱く濡れ、歓喜に哭くかのようだった。

 狂人め。

 自分をあざ笑ったのか、相手を罵ったのか。もはやどちらかもわからない。

 狂した剣鬼に相対し、シオンは短剣を逆手に構える。

 剣筋はすでにいやというほど晒してしまった。シオンの剣はとうに目で盗まれた。

 それでも、やり方を変えるようなことはできない。

 ジムカのように人の真似ができるほど器用ではないし、人斬りとしての経験も浅い。

 だから少女は、前を向いた。

「行きます」

「応」

 ざ、と同時に一歩を踏みしめる。

 渺。

 一陣の風が吹き抜け、そしてふたりは相手を見る。

 お互いに殺意はみじんもない。

 ────ただ、斬ろうと思った。

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