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亡国の剣姫  作者: きー子
32/34

参拾弐、魔剣・再臨剣

 退き、踏みこみ、斬る。

 この三つの工程からなる"秘剣・再臨剣"が大きな欠陥を抱えていることは先に述べた。

 即ち、退く動作が余分であるという点である。

 とはいえ、これをまさか無くすわけにもいかない。

 対手に斬られないために退くのだから、退かなければそのまま叩き切られて死ぬだけだ。

 斬られる前に、斬ればいい。

 そういう考えもあるにはあるが、それはもはや別の"型"である。

 相手が剣を振るった直後、生じざるを得ない隙を狙う"秘剣・再臨剣"の剣理とは相容れない。

 そもそも先に斬りこんだ場合、相手から手痛い反撃を喰らう可能性は低くない。

 瞬間的に剣の軌跡を転じられるような実力者が相手であったらなおさらのこと。

 少なくとも、ルクス・ファーライトには通じないだろう。

 "閂"の型で構えるルクスに付け入る隙など微塵もない。

 ──ともあれ、相手の剣を避けなければならないというのは"秘剣・再臨剣"の大前提。

 そのうえでシオンは、"退く"動作の短縮によって問題の解決を図ろうとした。

 結果はご覧の有様だ。

 シオン・ファーライトは失敗した。

 否──成功こそしたが成果は芳しくなかった、というべきだろう。

 シオンの"秘剣・再臨剣"は目覚ましく進化した。それは間違いがないことだ。

 一方でシオンは、自らの矮躯という肉体的な限界にぶち当たった。

 シオンは幼くも、その類まれなる剣才ゆえに──覆しようのない、絶望的な解を導き出してしまった。

 どれだけ回避動作を切り詰めようと、シオンの剣はルクス・ファーライトには届かない。

 これはもう、どうしようもない。

 シオン自身が認めたことだ。

 しかしシオンは、自らの限界というものを自覚した結果、あるひとつのことに気づいた。

 その発見は"秘剣・再臨剣"の剣理にある。

 退き、踏みこみ、斬る。

 斬られないために退き、斬るために踏みこみ、斬る。

 ────大前提となるこの剣理には、致命的な誤謬が潜んでいる。

 それは"秘剣・再臨剣"を編み出したジムカすら。

 それを受け継いだルクスすら、気付けなかったことだった。


 (ごう)


 振り落とされる"破断剣・ヴァールハイト"に矮躯を斬られ、シオンは淡く微笑んだ。

 否。

 斬られたのではない。

 シオンは、自ら斬られるように仕向けたのだ。

「……か……ふ」

 ほとんど半身を刻まれながら、"妖剣・月白"を握る手に緩みはない。

「……オ、ォ」

 全力で大剣を振り切ったルクスこそ、どこか呆然として呻く。

 肉を斬られ、骨を断たれ、血を吐き──

 しかし、"破断剣・ヴァールハイト"の刃は臓腑にまでは達していない。

 決して達させるようなヘマはしない。

 そうなるようにシオンが仕向けたのである。

 極限まで研ぎ澄まされた全神経を総動員する、寸分とも違えぬ"見切り"の極致。

 もはや"枝読み"の型に収まらない────"見脈(けんみゃく)"の型。

 人は三寸斬られればそれで死ぬ。

 では、二寸までならばどうだろう。

 あるいは、二寸五分までは許されようか。

 人の命には限りがある。ゆえにこそ、死ぬまでの猶予というものも当然ある。

 それこそ、シオンが見出した"秘剣・再臨剣"の誤謬の正体であり。

 旧き剣理に取って代わる、(まった)き新たな剣理のかたち。

 "斬られないために退く"のではない。

 "死なずに斬るために退く"のである。

 言い換えれば────死なないならば、斬られても一向に構いはしない。

 いっそ斬らせてやればいい。

 それを厭わねばならない理由は、シオン・ファーライトにありはしない。

 生死の狭間を見極め渡り、半死半生で振るう剣。

 それこそは極限の状況下でシオンが見出した剣の極致。

 ────"魔剣"。

 かくて、シオンはほとんど身を切られながら肉迫する。

 退く距離が身を切られるほどに縮まった結果、深く踏みこむ必要はすでにない。

 "飛鳥"、"縮地"──かつての"秘剣・再臨剣"を織り成していた妙技すらもはや必要としない。

 シオンはごくごく自然に身を引いて、まるで当たり前のように身を切られ、刻まれた刃傷を構いもせずに──

 ごくごく自然に、踏みこんだ。

「"魔剣"────」

 生と死の狭間を縫って進むように。

 百分の一秒にも満たない時間の中で、シオンは"妖剣・月白"を一閃する。

 (びょう)

 (そよ)ぐ剣風が身を薙いで、瞬く剣閃がルクスの胸を抜けていく。

 もはや風もなく、音もなく。

 銀の剣光が尾を引いて、振り切った剣先がぴたりと静止する。

 そして静寂が訪れた。

「……お、ぉ」

 ルクスもまた、言葉にならない呻き声をもらして、止まった。

 まるで、死んだはずの相手が蘇って斬りつけてきたかのような驚愕の表情。

 剣を握る手は上段から振り下ろした姿勢のまま、もはやぴくりとも動かない。

「お……おぉ────」

 男の喉から歓喜にも似た咆哮が迸る刹那。

 ルクスの胸から下にかけ、剣閃の軌跡が鮮やかな線を描いて走り抜ける。

 男の手から"破断剣・ヴァールハイト"が零れて滑り、落ちる。

 瞬間、ルクスの亡骸は胴から真っ二つに分かたれた。

 切断面からどす黒く濁った血をぶちまけ、上半身だけがそのまま血の海に沈む。

 シオンはひゅんと軽く剣を振るい、ルクスの顔を見つめたあと、穏やかに詠じた。

 亡き父王への贈り物。

「────"再臨剣"」

 "秘剣・再臨剣"完了体────

 "魔剣・再臨剣"──ここに為る。



「……っ……は」

 ルクスの最期を見届けたあと、シオンは今さら痛みに呻く。

 死なない程度に。だが、死ぬぎりぎりを見極めたうえで斬らせた一閃である。

 痛くないほうがどうかしている。

 だが、まだやらなけれならないことがある。

 ここで斃れるわけにはいかなかった。

「……ふっ……」

 鼓動がいやに早い。心臓が全力で血液を送り出している証拠だった。

 見れば、シオンは肩から腰にかけてを一直線に斬られていた。

 羽織はもちろん、衣服は全てぼろぼろ。肌はべっとりと血に塗れ、傷口からは赤いものが露出している。

 自らやってみせたことながら、正気の沙汰とは思えない。

 だが、成功には違いない。

 一か八かの賭け。ぶっつけ本番の一本勝負に、シオンは勝った。

 ここに、シオンの────師弟三代に渡る"魔剣"の血脈は完成した。

 "魔剣・再臨剣"──それを手土産にして、シオンはゆっくりとルクスの亡骸に歩み寄る。

 ろくな王では無かったかもしれない。ろくな親では無かったかもしれない。

 けれども、彼こそはシオンを生かし続けた親の片割れに違いない。

 だから、埋葬くらいはしてあげたかった。亡き母上と一緒に。

「……嗚呼」

 痛みを堪えながら屈み込み、ルクスの上半身を持ち上げる。

 その身体は笑ってしまうほどに軽かった。

 血はとうにあらかた抜けて、無理やり身体を動かしていた筋肉は急速に衰え、その手に"魔剣"はもはや無い。

 まるで蘇生の反動と言わんばかり。二度目の蘇生は"魔剣"の力をもってしても不可能だろう。

 そのまま、首だけ刎ねて抱えていこうとした瞬間────

「……お、ぉ」

 にわかに、ルクスの口が声を上げた。

 まだ息があったことに少なからず驚きながら、シオンは彼をまじまじと見つめる。

 父娘ともによく似た眼の中に、生の光が宿っているのをシオンは見た。

「……お、……」

 眼の焦点がシオンにぴったりと合う。

 刻一刻と死につつあるルクスの瞳が、娘をしっかりと見つめている。

「……しお、ん」

 ルクスは声にならない声を上げ、希った娘の名を呼んだ。

 シオンは一度目を瞑ったあと、ちいさくため息をついて、こくりと頷いた。

「……うん」

「……ぉ、おお────」

 とても言葉は紡げそうにない。

 だが、シオンの言葉は理解しているのだろう。

 それが本当にルクスなのか、もはやシオンにはわからなかった。

 ただルクスは何ともつかない哀切と歓喜の滲む声を上げ、手を伸ばした。

 よろよろと亀のような遅さで伸ばされた手が、そっとシオンの髪に触れる。

 大きな手だった。かさかさに渇いた手だった。血に濡れた手だった。ごつごつと硬い手だった。

「……ばか」

 何のつもりかなんて、わかるはずもない。

 "魔剣"の結実。シオンが生きていること。あるいは──最期に会えたことか。

 シオンもなんと言ったものやら、思わず生意気な言葉が口をついて出る。

 ルクスは困ったように笑っただけだった。

「……しお、ん────」

 まるで祈りのように呟いたあと、瞼がゆっくりと落ちていく。

「……ありがとう。さよなら」

 声はもう、届いているかもわからない。

 伸ばされたルクスの掌が力なくだらりと落ちる。

 いかにも老いを感じさせる、深いしわが刻まれた陛下の手。

 否。

「……おとうさん」

 父の手。

 その手にシオンがそっと触れた瞬間、男の眼から一筋の雫が伝い落ちる。

 ……筋弛緩のせい、といえばそれまでだろう。

 死顔にぽたりと落ちた涙を拭ったあと、シオンは刃を鞘走らせた。

 刎ね飛ばしたルクスの首を丁寧に抱え上げ、玉座のほうへと向き直る。

 シオンは"妖剣・月白"を納刀し、代わりに"破断剣・ヴァールハイト"を拾い上げる。

 少女の矮躯には見合わない大剣。重量は"魔剣"の力で加減できるが、長さばかりはどうしようもない。

 しかし別に構いはしない。ただ、一緒に持っていたほうがいいと思っただけだ。

 いわばお護りのようなもの。

 それに、玉座で腰を抜かしている新王陛下をぶん殴るくらいはできるだろう。

「……ひ、ひッ」

 最強の護衛であったはずのルクスを打ち破られたトラスは、もはや完全に腑抜けになっていた。

 先程までの威勢の良さは完膚なきまでに吹き飛んでいる。

 気づけば、いつの間にか側にいたはずの宰相バルザックがいなくなっている。

 窮地と見るやひとりで早々に逃走したらしい。主である王をあっさりと見放して。

「……は」

 シオンは肩をすくめ、第一の側近に見捨てられた新王陛下を一瞥する。

 それだけでトラスは飛び跳ねんばかりに身体を震わせた。

「……ば、バルザックよ、なぜ、なぜ戻ってこないッ! 早く、早く私に退路を確保して──」

 この期に及んでこの男は騙されているらしい。

 哀れだな、とシオンは思った。

 特に容赦するつもりもないが。

 シオンは悠々と赤い絨毯を駆け、玉座の前にたどり着く。

 トラスは剣を抜こうとすらせず、玉座にうずくまって怯えるばかり。

「ひ……た、たのむ、助け、助けろッ、バルザックッ、いや、シオン殿、たすけ、たすっ────ぐぎゃああああああああッッ!!!!」

 聞く耳持たず。

 シオンは無造作に"破断剣・ヴァールハイト"をトラスの脚に叩きつけた。

 高重力下で叩きこんだせいで腕が軋みをあげるが無視する。

 確かな手応え。骨と言わず関節も神経も筋肉も全てひき肉になるまで何度も叩く。

 ──もう、何があってもどこにも逃げられないように。

 あまり長い時間はかけたくない。そう遠くには行っていないだろうが、バルザックを逃すわけにはいかなかった。

 作業を手早く済ませたあと、シオンはトラスを玉座のうえから放り捨てる。

 彼の顔はいまや涙やら鼻水やら何やらでぐちゃぐちゃになっていた。見苦しいことこの上ない。

 声ももう何を言っているのかわからない。聞くつもりもないので問題ないが。

「……は」

 ため息をついたあと、トラスを捨て置いて周囲を見渡す。

 程なくして、シオンは謁見の間から続く上り階段を発見した。

 階段の通路はひどく狭く、急角度で、ずっと螺旋状に続いている。

 天塔にはまだ先があったのだ。

 そう気づいた瞬間、シオンは少しだけ惜しんだあと、"破断剣・ヴァールハイト"でトラスの赤外套と床を縫い止める。

 これでもう逃げられない。

 後の始末は反乱軍の誰かがつけてくれるだろう。誰だっていい。

 結局のところ傀儡に過ぎなかったこの男は、見せしめに処刑するにはうってつけだ。

 シオンはもはや振り返りもせず走りだした。一路"天塔"の最上層を目指して進む。

 残るシオンの敵はただひとり。絶対に逃したりはしない。

 絶対に。



 王都征圧が完了したというアイザックからの報告を受け、ファリアスはいち早く星条郭に突入した。

 麾下には五〇余りの人狼と、"魔剣兵混成大隊"の最精鋭が一〇〇人ほど。

 さらに一〇〇ほどの投降兵が加わり、先遣部隊の陣容は中隊規模にも及んでいる。

 なにより奇妙なのは、投降兵が戦意に満ち溢れているということだ。

 白旗を掲げて突撃してきた彼らを見た時は思わず目を瞠った。偽装の降伏にしては堂々とし過ぎている。

 あまりに怪しいので最前列に立たせたのだが、彼らは銃火を恐れもしなかった。

 もっと恐ろしいものを見てきたとばかりに。

 話を聞けば、

「我々は姫様の側に忠誠を誓わせて頂きます!!」

「どのような命令も謹んでお請けします!! ゆえ、何とぞご容赦を!!」

 と、彼らは口々に言いつのる始末である。

 姫様といえば、思い当たる人物などひとりしかいない────"黒髪姫"シオン・ファーライト。

 いったい、何をしでかしたのやら。

 ファリアスも大隊の兵も、揃って苦笑するしかなかった。

「お前が選んだ娘は、本物の怪物のようだな」

 ファリアスの隣でひとりの人狼がしみじみと呟く。

 彼の名はグレイ。かつてはディエトリィ・ヴォルフの部下であり、新生王国に帰順したはずの人狼だった。

 もっとも、今はファリアス率いる別働隊の筆頭格である。

 何を隠そう、王都の破壊工作を率先して手引した人狼こそ彼だった。

 大広場でシオンの手枷を見事に撃ち抜いた狙撃手も同様。

 一度は王都に帰還したが、新生王国への忠誠などグレイには毛頭ない。

 ファリアスの呼びかけ──人狼の"咆哮"に応じ、今こそは好機と喜び馳せ参じた次第であった。

「あんたも直接やりあったろうに。身にしみてわかってるんじゃないかい?」

「……いや」

 城塞内部は完全なる混乱状態に陥っていた。

 外からは砲弾や魔術砲撃が雨あられと降り注ぎ、周囲の砦──星条郭が徹底的に蹂躙されている。

 数千という守備兵もすでに無力化されており、後は征圧を残すのみである。

 ────それというのも、そもそもはシオン・ファーライトが内部から混沌と殺戮をばら撒いたためである。

 彼女の引き起こした混乱がなければ、王都ファルクスの主要施設をこれほど早く制圧するのは不可能だったはずだ。

 しかし実際には援軍が滞りに滞り、王都の守備兵は各自で"結束剣・グランガオン"と対峙する羽目になった。

 勝てるわけがない。

 結果、少なくない守備兵が王都の各地で各個撃破され──結果的に防備を欠いた城塞は今、徹底的な砲撃の嵐に晒されている。

「彼女は確かに怪物じみていた。だが、ここまでとは思いもしなかった。だから俺は、彼女に賭けようとは──とてもではないが思わなかった」

 それが、どうだ。

 グレイが周囲を見渡せば、そこには歩いていける地獄が転がっている。

 まるで冥府の底だった。

 ここが王都ファルクスの中心をなす王城であると、果たして誰が信じられよう。

「よく見抜いたな」

「そいつは、買いかぶりさ」

 ファリアスはそっと目を細めて首を横に振る。

 なにせこの惨状は──ファリアスをして、遥かに予想を超えていたからだ。

 その思いは、いざヴァルドル城塞の惨状を目にした時に強まった。

 城内の一階はがらんと静まり返っていた。人っ子ひとりも見当たらない。

 が、死体はいくつか転がっている。無惨に潰れている様子を見るに、いくつかは上から落とされたものらしい。

 生き残りは逃げ出してしまったのだろうか。

 いぶかりながらも、ファリアスは中隊規模の先遣部隊をいくつかの小隊に分けて突入した。

「私も同行しよう」

 市民勢力を説得して味方につけたアイザックが後から追いつき、先頭を進むファリアス小隊に随伴する。

 どこかに敵が潜んでいないとも限らない。いざという時、彼の"結束剣・グランガオン"は大いに役立つことだろう。

 だが、その心配は全くの無駄に終わった。

 ファリアス率いる先遣部隊を出迎えたのは、ゴミのように転がっている数多の死体だけだった。

 まず間違いなく一〇〇は下らないだろう。

「これを……」

 これを、彼女が一人でやったのか?

 アイザックが言わんとした言葉は、口にされずともありありと伝わった。

 もし、兵を挙げての総力戦を行っていたら──"魔剣兵混成大隊"は一体どうなっていただろう。

 ぶる、とアイザックは思わず身震いする。

 高い戦意を誇る人狼の戦士たちですら同様だった。

 投降兵などは千差万別で、あまりの惨状に嘔吐するものもいれば、自らの幸運に神への感謝を捧げるものもいた。

「間違いないだろうさ」

 動じなかったのはただひとり、ファリアスだけ。

 死体の中にシオンがいないことがわかったからだ。

 シオンが生きているなら、それでいい。

 歩みを止めないファリアスに率いられ、小隊は遅々とした歩みを進めていく。

 数えきれないほどの死体をこえて、鉄橋を渡り"天塔"へ。

 ここに至ってもやはり死体。

 その場に放置された骸の山を踏み越えながら、ファリアスたちは螺旋階段を登りつめていく。

 途中、上から落ちてきたらしい死体にも出会った。

 が、ほとんどの死体には極めて鋭い刀傷があった。

 それこそはシオン・ファーライトがやったというなによりもの証拠。

 道中、死に損ないは一人たりともいなかった。誰もが確実に、かつ徹底的に斬殺されている。

 彼女と出会って生き延びたものがいるならば──それは、とてつもない幸運の持ち主に違いあるまい。

 そんなファリアスの考えは、とうとう"謁見の間"に辿り着いた瞬間、消し飛んだ。

 生きながらに地獄を味わっている男がそこにいたからだ。

「なんだい、ありゃ」

 ここで見つかると思ったシオンの姿はない。

 代わりに見つかったのは首なし死体がひとつ。上半身と下半身が分かたれた女の死体がひとつ。

 そして、脚を完全に破壊されている頭のいかれた男がひとり。

 小隊の面々は謁見の間の入り口を固めたあと、すぐさま男に駆け寄った。

 そして、その正体に気づいたグレイが真っ先に口を開く。

「新王トラスだ」

「……これがかい」

 ファリアスには吐瀉物にまみれている狂人にしか見えなかった。

 が、よく見ると確かにそうだとわかる。

 吐瀉物にまみれた服は朱色を基調にした壮麗な衣装。

 顔はずいぶんやつれていたが、トラス・ファーライトに間違いない。

「あ……ぁ、あ……バル……ザック……おそい、では、ないか……」

 トラスは白目を剥いたまま、口を半開きにしてあらぬ声を漏らす。

「……落ちぶれたものだ」

 アイザックは肩をすくめる。

 が、特に同情するつもりはない。その眼はむしろ、服と床を縫い止める巨大な剣に向けられている。

 "破断剣・ヴァールハイト"。かつてアイザックを打ち破った前王の"魔剣"が、どうしてここにあるのだろうか。

「どうする。殺すか」

「いや。市民らの判断に委ねることにする。おそらく、シオン殿もそのために生かしておいたのだろう」

 アイザックは民衆らに約束した。新生王国打倒のあかつきには、市民が政治に関わる機会を必ず与えると。

 具体的にはアイザック──あるいは他の誰かがが一時的に代表の座につき、貴族制を部分的に維持しながらも、民衆代表が参加する形式の議会制へと緩やかに移行するつもりである。

 その意向を示すためにも、新王トラスの処断は市民に委ねるべきだった。

 ────もっとも、彼が極刑を免れる可能性は万に一つも無いだろうが。

「あたしはそれで問題ないさ。けど、ひとつ聞きたいことがある」

 ファリアスは他のものを退けてトラスの前に立った。

 呆けている男に銃剣を向け、よどみなく装弾する。

「おい。ファリアス」

「殺しやしないさ。────起きな、新王様」

 ファリアスは筒先を天井に向け、トラスの耳元で銃砲を響かせた。

 トラスは飛び上がらんばかりに驚き、泡を食ったように目を見開いた。

 もっとも、彼は身動きすらできない。脚は徹底的に潰され、身体は今も"魔剣"に縫い止められたままである。

「……な、き、貴様ら、い、一体誰だ、私を誰と────ォグッ」

「誰でもないさ。あんたは、なんでもない」

 気を取りなしたトラスの口に筒先を突っこみ、ファリアスは男の耳元に囁きかける。

「あたしの質問に答えな。口答えできる状況じゃないってことはわかるだろう。あんたを守るやつなんてもう、いやしないよ。いいね?」

 トラスは数秒間静止したあと、壊れたように首を縦に振って頷く。

 自らの身に何が起こったか。冷たい鉄を頬裏に感じながら、ようやく思い出したのだろう。

 ファリアスは口元に、獰猛な人狼の笑みを浮かべて尋ねた。

「なにも難しいことを聞こうってんじゃない。全部、あらいざらい喋りな。ここで何があったか、あんたが見たものをね」

 トラス・ファーライトは観念して、その質問に素直に応じた。

 脚の痛みと恐怖の震えに耐えながら、男は懸命に話し続ける。

 全て話し終えたとき、トラスはそれだけですっかり憔悴しきっていた。

 "魔剣"の力によって生まれる死兵。屍として蘇った前王ルクス。

 父娘の死闘。そしてその結末。

 生者と死者の剣戟を制したのは────。

「おそらく、嘘ではないだろう。間違いなくこれは"武断王"の剣だ」

 アイザックがそういって太鼓判を押す。

 同時に彼は──否、小隊の全員が心底戦慄した。

 たった一二歳の幼い少女が、稀代の剣客と謳われた"武断王"を討ち取ったというその事実に。

「なるほどね。……本当、大したもんさ、全く」

 父王をその手で斬り伏せ、シオンは何を思ったか。

 いつものように端正な顔立ちをぴくりとも動かさなかったか、あるいは。

 ──ファリアスにも、想像もつかない話だった。

「……話は済んだな。後の始末は俺たちでつけよう。広場に連れていかなければならん」

 グレイはそういうと床から"破断剣・ヴァールハイト"を引き抜き、トラスをしっかりと拘束する。

 瞬間、トラスは急に慌てふためいた。

「な、なにをするッ!! わ、私は、全て大人しく喋ったではないか!?」

「誰が生かすと言った」

 つくづく呆れた男だった。

 力なく暴れるトラスの肩をしっかりと掴み、アイザックははっきりと断言する。

「だが、殺すと決まったわけではない。私たちはその判断を民に委ねる。民があなたを殺すべきでないと判断すれば、生きる目もあるだろう。あなたは、民に試されるのだ」

 トラスはそれを聞いて顔を真っ赤にする。

 王族に生まれ王族として生きてきた男が、民衆ごときに試されるなど、堪ったものではないのだろう。

「ふ、ふざけるなッ!! 民ごときが私を試すだと!? 私を、私を誰だと思って────」

 ほとんど声にならない憤怒の叫びをあげるが、それを聞き入れるものは誰もいない。

 あまりにうるさいので、しまいには布を噛まされてしまう有り様だった。

 そのまま城下へと連行されていく新王トラス──トラス・ファーライト。

 それは、骨肉の争いによって王権を奪いとった王の、あまりに呆気無い末路であった。

「ファリアス殿。これはあなたが持っているといい。これを預かるには、シオン殿に縁があるあなたが最も相応しいはずだ」

 トラスが謁見の間から連れ出されたあと、アイザックは"破断剣・ヴァールハイト"をファリアスに差し出す。

 ファリアスはそれを大人しく受け取った。後でシオンに返すつもりである。

 この"魔剣"をどうするか。その権利は、きっとシオン・ファーライトにあるだろうから。

「待つのだろう。彼女を」

「……ああ。無論さね」

「大事はないと思うが、気をつけてくれ。兵も残していくが、万が一ということもある」

 そう言い残してアイザックは謁見の間を辞した。

 即日で処刑を行うとは思えないが──やはり、代表者がいなくては反乱が締まらないだろう。

 さて、とファリアスはさらに上へと続く階段に視線を向ける。

 程なくして戻ってくるだろう。シオンは、彼女よりもずっと先行していたはずだから。

 だからファリアスは、待つことにした。

 不安はない。

 ただ、帰ってくるという確信だけがあった。

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