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亡国の剣姫  作者: きー子
29/34

弐拾玖、天聖剣・エンジェルハイロゥ

 渡り通路を抜けた先、シオンはふと足を止めた。

 そこに敵がいたからではない。

 誰の姿も見えなかったからだ。

 がらん、とした柱状のエントランス。外から見た時よりもかなり余裕を感じさせる大広間が、シオンの目の前に広がっている。

 白亜の壁面は磨き上げられたように美しく、床には埃のひとつもない。

 天井から吊り下げられているシャンデリアが、全体を隈なく照らし出している。

 螺旋状に続く上り階段を除いては遮蔽物のひとつも見当たらない。

 隠れたまま──あるいは混乱に乗じて進みたかったが、やむを得ない。

 シオンは堂々と天塔への侵入を果たした。

 大広間の左右にはいくつもの通路が口を開けている。どこに通じているのかはわからない。

 気にする必要もないだろう。

 今、シオンが目指しているのは最上階以外のどこでもないのだから。

 気にするべきは、シオンを付け狙う敵がどこにいるのかということ。

 シオンは螺旋階段へと進路を取り、まっすぐに迷いなく歩いていく。

 瞬間、風がかすかに薙いだ。

 ひゅん、という音が後から耳に届く。

 (びょう)

 大気のわずかなゆらぎを感覚し、シオンは"妖剣・月白"を払い抜いた。

 シオンに届く遥か手前で、切っ先が飛矢を一閃する。

 鏃を切り飛ばされた矢はあえなくそのまま地に落ちた。

「……は」

 どこから飛んできたかはわかっている。

 シオンの側面にある通路の口だ。そのどこかに、敵が潜んでいるのだろう。

 雑兵などとは比べ物にならない。親衛隊、近衛兵以上であることも間違いがない。

 一瞬、始末するべきかどうかを考える。先に進んだ時、後ろから不意を打たれるかもしれない。

 そして当然、無視することに決めた。

 深追いしたところを狙われては本末転倒である。

 そう決めたシオンは、さらに歩みを進めていく。

 その瞬間だった。

 風の揺らぎを二重に聞く。

 攻撃は左右から全く同時に行われていた。

 初手はシオンの出方をうかがうものだったのだろう。あるいは、一方に警戒を集中させるためか。

 シオンは前方に飛び出すように避けた。矢はシオンにかすりもしなかった。

 "返し矢"は控えることにする。厄介な毒を塗りこんでいないとも限らない。

 そのまま階段まで駆け抜けようとした瞬間、シオンはかすかに目を見張った。

 通路のほうからなにをはばかることもなく、外套を羽織った男たちが飛び出してきたからだ。

 それぞれの通路からひとりずつ。

 総勢六人の刺客が身軽な動作で、シオンを取り囲むように機動する。

 密偵か、暗殺者か。あまり表には出せない類の戦力だろう。

 四人は肩から腰を覆う取り回しのいい黒のクロークを。

 二人は、全身を包む紫紺色のローブをまとっている。

「ここから先はまかり通らぬ」

「行かせはしない」

「我ら諜報部隊」

「我ら"僵葬会(きょうそうかい)"」

「新王陛下の名の下に、貴様を捕殺する」

「──シオン・ファーライト。悪逆の叛徒よ」

 彼らのひとりひとりが言葉を継ぎ、淡々とシオンに語りかけた。

 恐ろしく抑揚のない声だった。声の別すらわからないほど無機的な声色。

 所属を口にしたことはわかったが、それ以外はなにひとつわかりそうにない。

「そう」

 シオンは一向に構わなかった。

 彼らがなんであろうと同じこと。

 邪魔するものはあまねく斬り伏せ、ただの死体にするだけだ。

 シオンは無形の位に"妖剣・月白"を構え、見るともなく周囲を包囲する刺客たちを見る。

 奇妙だな、とシオンは思った。

 その最中、ひとりの男が率先して死合の火蓋を切った。

 その手が懐から刃を抜き放つ瞬間、シオンはそれに先んじて斬り捨てた。

 確かに雑兵とは比べものにならない。が、遅い。

 グラークのほうがまだマシだった。

 他の刺客たちは驚きもしなかった。

 ひとりが死んだにも関わらず、彼らは淡々と状況を進めていく。

 黒のクローク──諜報部隊の三人は短槍を手に。

 紫紺のローブ──僵葬会の二人は錫杖を手に。

 ローブの男たちの詠唱に応じ、地を薙ぎ払う業火が吹き荒ぶ。

 魔術を戦闘に援用する場合、大抵は火に行き着いてしまう。そのほうが熱効率が高いからだ。

 それは人ひとりに向けるには有り余るほどの火力であったが、当たらなければ何の意味もない。

 当然それは、神霊の理力を賜った"結束剣・グランガオン"が放つ魔術砲撃の足元にも及ばなかった。

「……ひゅ」

 呼息。

 瞬間、飛ぶように疾駆したシオンは魔術師ふたりに肉迫する。

 ひとりの首を跳ね飛ばし、返す刀でもうひとりの腹を斜めに斬り下ろした。

 瞬く間にふたりを始末する。彼らの成果といえば、燃え盛る炎によってシオンの包囲が狭められたくらいのものである。

 それでもなお、残された三人は微塵も動揺しなかった。

 シオンの背後から突きかかってくる槍の穂先を振り返りざまに斬り払う。

 そのまま槍の柄を横に避けて踏みこみ、一閃。

 刃を振り切る前に剣閃を転じ、切っ先を次のひとりへと跳ね上げさせた。

 首をざっくりと刺し貫く──首筋から溢れ出る血潮を"妖剣・月白"が吸い上げていく。

 最後に残ったひとりは咄嗟に飛び退くが、シオンから逃れられるほどの疾さではない。

 背を見せて逃げる彼に追いすがり、容赦なく後ろから斬り捨てた。

 そして、まさにその瞬間を狙っていたようにシャンデリアの影からひとりの男が音もなく落ちてくる。

 シオンは"妖剣・月白"を片手に無拍子で斬り上げた。

「ア"ガッ」

 男は空中で真っ二つになり、周囲に血潮と(はらわた)をぶちまけて死んだ。

 その手から鋭い短槍が零れ落ちる。

 それを見てシオンは得心した。

 そもそも、奇妙だと思っていたのである。諜報部隊を名乗った彼らは、どうしてわざわざシオンの前に姿を見せたのか。

 全ては、隠れて潜んでいた最後の一人の刃を届かせるため。無駄に思えた魔術の行使も、シオンの動きを誘導するため。

 六人の刺客は自らその犠牲となったのだ────もっとも、その努力は全て無駄に終わったが。

 ゴミひとつ見当たらなかったエントランスの床は、いまや無残な骸と血の海に沈んでいた。

「……今、行くから」

 もはや振り返りもしない。

 シオンは改めて螺旋階段に脚をかける。

 螺旋階段は天塔の壁に沿うように配されており、一周するだけでもかなりの距離を行く必要があった。

 不便極まりないと思う。普段は最上階まで転移する機能があるのかもしれない。

 なんにせよ今はそんなものはない。

 潔く、シオンは長い道のりを駆け出した。

 白亜の床に黒ずんだ血痕が点々と刻まれていく。

 構いはしない。

 道中、不意を打って襲いかかってくる刺客が撒き散らす返り血を思えば些細なもの。

 延々と続くように思える螺旋階段を駆け上がる。壁に歴代の"王"の肖像画が飾られていたが、シオンの目にとまることはない。

 諜報部隊の攻撃は散発的に続いたが、いずれもシオンに被害をもたらすことはなかった。

 螺旋階段の幅は狭く、攻撃を仕掛けるにはあまりにも向いていない。

 包囲する分には楽だろうが、突破するのもまた容易。

 そもそもこの天塔は、王の権勢を誇示するための象徴的な建造物に他ならない。

 元より、防衛に適した構造など望むべくもないのであった。

 防衛拠点としての役割を果たすべきは、この天塔に至らしめるまでの道のりであり──

 その道を、シオンはとっくに駆け抜けてしまっている。

 シオン・ファーライトは止まらない。

 今さら止められるはずがない。

「よもやここまで来るとは──化物め」

 螺旋階段を三周分ほど駆け上がったころ、くぐもった声がシオンを出迎えた。

 その見た目は、諜報部隊の暗殺者よりよほど無機質なものだった。

 白銀の全身鎧(フルプレート)に覆われた重装歩兵。

 それが三人と並び、シオンの行く手を塞いでいる。

 銃が立ち現われてからはめっきり衰退した、時代遅れの兵科であった。

 それもやむを得まい。どれだけ板金を分厚くしようとも、銃弾はあっけなくそれを貫いてしまうのだ。

 無論、やろうと思えば弾丸を完璧に防ぐ全身鎧を作ることはできる。

 目玉が飛び出るほど高価なうえに、着用できる人間が誰もいなくなるのが欠点だが。

「だが、これは押し通れまい」

「大人しく縄にかかるが良い」

 おそらく、彼らは親衛隊員──その中でも精鋭といえる兵なのだろう。

 分厚い全身鎧を着込んでいることからも、屈強な体躯の持ち主であることがうかがえる。

 彼らはそれぞれが長槍を手にし、シオンを近づかせまいとしている。

 槍の全長はシオンの間合いよりもはるかに長かった。

「何人殺めたかは知らぬが、貴様のような畜生とても新王陛下と血を分けた人の子。ともすれば寛大な措置もあろう。今すぐに降伏すれば────お゛ぼッ」

 言い終えるより早く、"妖剣・月白"の剣先が男の首を串刺しにした。

 鎧の隙間を適確に射抜く絶死の業前──"鎧通し"の型。

 なんのことはない。槍の穂先を斬り払い、柄と柄の間をするりと抜け、踏みこみながら剣身を突き出しただけのこと。

「……は」

 返す刀で隣のもう一人を刺殺し、後方から飛んできた矢を斬り払う。

 勧告によって気が抜けたところを狙う策だったのか。それとも本気だったのかわからない。

 どちらにせよ、ずれているな、とシオンは思った。

 寛大な沙汰などありはしない。人殺を償える罰など無い。

 あるとすれば、生きるか死ぬか。

 それだけだ。

「あ、ぁ、へ、陛下に、新王陛下に、お伝えせねば────」

 這いつくばって呻く親衛隊員を無視して進み、矢を放ってきたひとりを追う。

 問題なく追いついて斬り殺したあと、シオンは大きく開けている道の先を目のあたりにする。

 螺旋階段を登り続けた末に至る先。

 それは踊り場だった。天塔の中心部──地上を遠く離れた空に、円形の広場が展開している。

 円座の中心からは、さらに上へと一本の階段が伸びていた。

 たった十段しかないその階段の向こうに、シオンの行くべき扉が見える。

 少女の数倍する丈があろうかという巨大な扉。

 "謁見の間"。

 それと確信させる威容を前にして、シオンは気負いなく階段を進んだ。

 髪を留めもせず。靴の汚れを拭いもせず。返り血に濡れた服を構いもせず。

 魔剣──"妖剣・月白"の血振るいだけして、扉の前に立つ。

 シオンは鉄扉に華奢な手をあて、力いっぱいに押しこんだ。

 蝶番がわずかに軋む音を立て、王への道が開かれる。

 瞬間、シオンの眼前に迫り来るものがいた。

「叛逆者よ、覚悟ッ!!」

 最後の刺客とでも言うべきか。

 全身鎧を着込んだ男が並び、凄まじい勢いで少女に突撃してくる。

 シオンはそれをするりと横に避け、刃で脚を払い、受け流した。

 勢い余った男たちは謁見の間への階段を転げ落ち、あえなく踊り場まですっ飛んでいった。

 シオンは彼らに駆け寄り、全員を順番に踊り場から突き落としていく。

「うわああああああああッ!!」

「た、たすけ、ひッ」

「し、新生王国に、栄光あれ────」

 悲鳴の残響を背中で受け止める。

 彼らは親衛隊隊長とその直参兵であったが、シオンには知る由もなかった。

 再び階段を踏みしめて上り、肩の上に剣身を担ぐような構えを取る。

 "屋根"の型。

 蒼い瞳が目の前を見る。扉はすでに開けている。

 謁見の間を眼前にして、一度だけ深く息を吸う。

 ────そしてシオンは地を蹴った。



 天蓋を仰ぐような謁見の間。

 四方を白亜に囲われた王の間の足元には、血のように赤い絨毯が敷かれている。

 その道のりは段差をこえて、新王陛下の玉座まで一直線に続いていた。

 ────屍山血河を踏みしだいてここまで来た少女が、紅き道筋を疾駆する。

 シオンが目を向ける先には、三人の人物が見えている。

 ひとりは、齢にして五〇ほどの小太りの男であった。

 くすんで白ずんでいる金髪を横分けにして、憮然とした態度を貫いている。その表情から思考を読むことはできなかった。

 男は宰相バルザック。

 シオン・ファーライトの処刑を強硬に主張し、新王トラスの決定を全面的に支持し続けてきた文官のひとりである。

 彼は玉座の脇に控え、もうひとりの男に何事かを伝えている。

 ひとりは、まだ若いはずの男であった。彼はシオン・ファーライトの腹違いの兄であり、年の頃は三〇ほど。

 しかし、その風体は異様に老けて見えた。朱い壮麗な衣装に包まれた顔貌(かおかたち)は四〇の男と変わりない。

 シオンと違って鮮やかな銀髪だが、眼の色はひどく似通っている。海のように深く、色濃い蒼色である。

 もっとも、その目付きは似ても似つかない。男の目は飽くなき野望と欲心にぎらぎらと輝き、シオンに殺意を向けている。

 男の名はトラス・ファーライト。新王トラスその人だった。

 彼はバルザックの耳打ちに首を横に振る。彼の進言を受け入れまいとする。

 万が一のことを考え、陛下は今すぐ逃げるべき。バルザックはそうトラスに進言していた。

 にも関わらずトラスはそれを拒絶する。癇癪を起こしたように白い顔が赤く染まっている。

 その顔色が不意に青くなったのは、まさに迫り来るシオンを目にした瞬間だった。

「────嗚呼(ああ)

 こんな男にこだわっていたのか。

 一瞬、過ぎる思いをシオンは握りつぶす。

 元より、新生王国の舵取りをしていたのは彼ではない。

 隣に控えている宰相バルザックのほうである。

 彼を殺せば事は済む。

 シオンはひたすら跳ぶように疾駆する────"縮地"の型。

 見る見るうちに彼我の距離が狭まる最中、トラスは跳ねるように玉座から立ち上がって大声をあげた。

「メア・リィ!! 私を守れ!!」

 叫んだ瞬間、もうひとりの人物がシオンとトラスの間に立ちはだかる。

 若い女だった。

 肌の色は青白く、髪に至っては色艶のない総白髪。落ち窪んだような双眸は虚無を湛えてやけに暗い。

 肩には紫紺の外套をはおり、その下に華陵帝国風の真っ赤なドレスを着用している。

 ドレスの袖や裾は異様に長かったが、スカートのスリットはほとんど腰まで開いていた。足運びを妨げられることはない。

 漆黒の棺桶を背負ったその女は、一振りの細剣を片手にシオンと相対する。

 ────メア・リィ・シェルリィ。

 それは、シオンがその存在を全く予期していなかった人物であった。

「アイ、アイ。ボクが出張る羽目になるなんてネ────」

 メア・リィはドレスの裾を棚引かせ、無造作に剣を構える。

 得物の刃渡りはせいぜい2フィートほど。刃はまるで針のように薄いが、剣身は不思議としなやかなもの。

 円形の鍔は二重の円環に縁取られており、柄尻には"尾を食む赤龍"の紋章が刻印されている。

 シオンはその姿を直視した。

 確かに殺したはずの女──"魔剣遣い"をしかと見た。

 そして迷わず駆け抜ける。

「ボクの手に余りそうだケド、試してみようじゃないカ」

 ────どうして、生きている?

 そんなことはもう、どうでもよかった。

 確かに、メア・リィ・シェルリィに瓜二つの女が目の前にいる。

 そして彼女は、シオンの眼前に立ち塞がっていた。

 邪魔するというのなら斬り捨てるのみ。

「────()ィッ!!」 

 渺。

 剣風が吹き抜け、"妖剣・月白"が一閃する。

 対し、突き出された細剣の切っ先が風を切った。

 二振りの刃が交錯し、甲高い金属音が謁見の間に響き渡る。

 衝撃が一点で収束するやいなやふたりはお互いに弾きあう。

 刹那、シオンは跳ね上げられた剣身を返す刀で斬り下ろした。

 メア・リィは迷わず左腕を差し出して刃を食い止める。

 そのおかげで右腕の剣が自由になる。再びメア・リィは腰溜めからの鋭い刺突を放った。

 一時の優位を得るために、彼女はあっさりと左腕を手放したのだ。

 シオンはメア・リィの左腕を引くように斬り落とし、そのまま背後に飛び退った。

 細剣の切っ先はシオンにかすりもしない。

 だが、左腕を犠牲にシオンを一歩退かせることには成功した。

「フフ。やってみればできるものだネエ」

 改めて十歩の間合いを置き、シオンはメア・リィと相対する。

 見れば見るほどに、瓜二つの外見だった。

 かつてのメア・リィ・シェルリィとの差異はほとんど見られない。

 だが。

「……あなた、つくりものか」

 一合斬り結んだシオンには、その違いが手に取るようにわかった。

 わかってしまった。

 かつて、グラーク・メルクリウスの"偽物"をその手で作り上げたように。

 シオンが殺した"本物"のメア・リィ・シェルリィは、自分の"偽物"──複製品を作り上げてしまったのだ。

 少なくとも、それを不可能と決めつけるに足る理由は見当たらない。

「どうだろウ。ひょっとしたらボクのほうが"本物"かも知れないヨ」

「人はからくりで動いたりはしない」

 左腕の断面から筋繊維や骨格にまぎれ、血に濡れた歯車が零れ落ちる。

 だが、メア・リィは目を細めて婀娜っぽく笑うのだ。

「イヤイヤ。元々つくりものでしかない原型(オリジナル)のボクが生身のボクをつくったとしたら筋は通る。違うかナ」

 まさか本気で言っているわけではないだろう。メア・リィは口元のにやついた笑みを隠しもしない。

 シオンはちいさく鼻を鳴らす。

 馬鹿げた話だった。これ以上付き合う理由もない。

 シオンは刀身が胸の前を横切るように"妖剣・月白"を構える。

 "閂"の型。

「何をしている、メア・リィ! 早く殺せ!! 私を誰だと心得ているッ!!」

 メア・リィの後ろに控えるトラスがわめき散らす。

 癇に障る声だった。命の危機を感じているのは確からしいが、戦場の機微を心得ているようには思えない。

 さっさと彼も斬ってしまおう。そしてこの国を、終わらせよう。

 対するメア・リィは首を振り、背負っていた黒い棺桶をずんと下ろした。

「フフ────今言ったじゃないカ、新王陛下殿。本物のボクが負けたんダカラ、偽物のボクが勝てるワケがない。だからボクの手には余る、ってネ」

「な……」

 絶句して硬直するトラス。

 その横から宰相バルザックが耳打ちする。

 状況に反して穏やかな調子。策はある、と言わんばかりだった。

「でも、安心していいヨ」

 漆黒の棺桶に、細剣の切っ先が突きつけられる。

 以前、"本物"のメア・リィ・シェルリィは棺桶の中にグラーク・メルクリウスの模造人形を内蔵していた。彼女はそれを"魔剣"の力で蘇らせ、思うがままに使役した。

 ────あの中には、何が……誰が、いる?

 そう過ぎった瞬間、シオンは城塞に入って初めて躊躇った。

 迂闊に踏みこんではならないと、頭の中で警鐘が激しく掻き鳴らされる。

「ボクは偽物だけれど────この"魔剣"は、本物ダカラね」

 ずっ。

 細剣──"魔剣"が棺桶を貫いた瞬間、目を覆わんばかりの光が爆ぜた。

 白光は棺桶の内蔵物を中心にして二重の円環を形成し、やがて内側に収束する。

 その反応は、"偽聖剣(ぎしょうけん)・エンジェルハイロゥ"の反応とは明らかに異質なもの。

 その場に踏み留まったシオンの判断は、結果的には正しかった。

 そうでなければ間違いなく──内側から振るわれた暴虐に巻きこまれていたことだろう。

「"天聖剣(てんしょうけん)・エンジェルハイロゥ"。本物のボクの忘れ形見、サ」

 穏やかに詠じ、"魔剣"の切っ先が引き抜かれたその刹那。

 刧、と大質量の鋼鉄の塊が唸りを上げた。

 内側から振るわれた大剣が棺桶をぐしゃぐしゃに叩き潰し、中からひとりの男が現れる。

 その姿を目にした瞬間、

「……ぁ」

 と、シオンはか細い声を上げた。

 こくん、と息を呑む。

 目を瞠る。

 シオンは、彼に見覚えがあった。

「……オ、ォ」

 彼は年かさの男だった。

 齢は五〇を数えようか。老いをあらわにする白ひげを顎元にたたえ、銀の頭髪も半ば白く染まっている。

 反面、その肉体は強靭だった。身の丈は6フィート近くもあり、胸板は分厚く、いかめしい顔付きはいかにも逞しい。

 その肉体はボロのような布切れに覆われている。貫頭衣を紐で縛っただけの、ひどく粗末な衣服だった。

 まるで罪人。見るものが見れば、囚人にあてがわれる類の衣服とすぐにわかる。

 男は全長7フィートにも及ぶ大剣を片手だけで悠々と掲げ、シオンをじっと見下ろしてくる。

 先刻のグラークと同じく、眼には感情の色がない。

 まるで虚に呑まれたかのようだった。

「よく目覚めたネ。早速だけど、キミにはトラス陛下と宰相殿を護ってもらう。そのためにも、彼女を殺セ」

 メア・リィは"天聖剣・エンジェルハイロゥ"の切っ先をシオンに突きつけて命じる。

 男は、彼女の言葉に応じてシオンに向き直る。

 その首には斬られた傷痕──そして継ぎ接ぎされた痕跡がくっきりと見える。

 それは彼が斬首刑に処されたことを如実に物語っていた。

「オ……オ」

 意志といえるものはほとんど奪われているのだろう。

 もはや意味をなさない声を漏らして首肯する。

 男は大剣をゆっくりと下げ、剣身が胸の前を横切るように構えた。

 ────"閂"の型。

「叛逆者、シオン・ファーライト────キミの実の娘をネ」

 "武断王"ルクス・ファーライト。

 かつてそう呼ばれた男は、屍と化して蘇り、シオンの前に立ちはだかっていた。

「……陛下」

 シオンは、ぽつりとちいさく呟いた。

 その声が彼に届くことはない。

 ルクスは依然として一分の隙もなく、大剣を構えたままだった。

「違う、この国の王は、私だ!! そこにいる男ではない! そいつはもはやただの死兵よ──私が、私こそが、王なのだ!!」

 玉座の上で新王トラスがなにやら喚いている。

 シオンが、ルクスを"陛下"と呼んだのが不服であったらしい。

 下らなすぎて笑えもしない。

「逆賊の娘よ、ここまで来ようとは実に天晴。ですが、どれだけ足掻こうとも我々には届かぬのです。今眼にされたように、我々には力がある。死をも乗り越える力がある。あなたがどれだけの兵を殺めようとも、私共はその全てを蘇らせて護国の鬼といたしましょうぞ。ゆえに、安心して────父上の剣にて天に召されるがよろしい」

 その横で、宰相バルザックが悠々とさえずる。

 このような事態を、予想していたのか。

 少なくとも、彼の許しがなければルクス・ファーライトの死体はとうに破棄されていたはずである。

「……そういう、こと」

 と、シオンはにわかに得心する。

 つまり、ルクスは死兵の筆頭なのだ。その下に数多の死兵による軍を組織し、国の防衛に当たらせる。

 当然のことなら死人に給金は必要ない。お腹が減らなければ兵站を考える必要もなくなる。

 おまけに疲れ知らずと来れば、これほど経済的な軍隊は他にない。

 実に合理的な考えだ。家族を弔うこともできない遺族には堪ったものでないだろうが。

「いやはや、前王殿下には実に手を焼かされました。何人の兵が犠牲になったことやら。ご一族のご助命を引き換えに投降してくださったのが幸いでありましたなあ。あなたも実の娘として父御に倣うつもりはございませんかな。つまらぬたくらみは捨て、我らのもとに降るのです。そうすれば────死兵となる程度のことは許しても構いはしませんぞ」

 どうしてルクスは彼らに敗れてしまったのか。なぜ逃げることもできなかったのか。

 その疑問が氷解する。つまりは、人質に取られた一族の命を優先したからだ。

 約束は、裏切られた。

 新王トラスは前王の係累をことごとく処刑し、徹底的に殺し尽くした。

 トラス・ファーライトその人と────

 逆賊の末姫、シオン・ファーライトを除いては。

「……もういい」

 これ以上、男の言葉を聞く気にはならなかった。

 素っ気なく言い捨て、"妖剣・月白"を構えるともなく構える。

 無形の位。

 誰であろうと同じこと。

 立ち塞がるものは斬り捨てるのみ。

 相手が例え、死した父王であろうとも。

 シオンはもう、止まりはしない。

「聞いたろう、メア・リィ。これ以上それを生かしておく必要はない。さっさと命じろ! その娘を失せさせよ──目障りだ!!」

「……フフ。わかりましたよゥ」

 メア・リィは頷き、ルクスに命じる。

「殺レ。キミの魔剣──"破断剣・ヴァールハイト"はそのためにあるんだカラ。ルクス・ファーライト────行け」

「……オォ」

 応じて、ルクスは一歩踏み出した。

 シオンは相対しながら、じっと彼を見極めようとする。

 なぜだか、少しだけ懐かしい気持ちがした。

 かつて、彼と対峙した思い出が脳裏を過ぎる。

 楽しくなんてなかった。ひたすらに辛いだけだった。どうしてあんなことをさせられていたのかもわからなかった。

 けれども父王から伝えられた剣術(こと)は、確かにシオンを生かしていた。

 今ここに至るまで、数多の命を散らしながら──実娘を生かし続けていた。

 郷愁めいた記憶はすぐに去った。

 後はただ、死線の匂いがくゆるだけ。

 ルクスがにわかに、腹から声を張り上げる。

「オオオオォォォ────ッッッッ!!!!」

 戦場の咆哮(ウォークライ)

 過日の剣術指南の時とは比べものにならないほどの、圧倒的な剣気が迸る。

 しかしシオンはひるまなかった。嵐に矮躯を晒すように立ち、そのまま真っ向から受ける。

「……は」

 勝負になるかはわからない。死兵といえどグラークは生前と同程度の実力を保っていた。

 ルクスにしても同様である可能性は高い。

 だが、やるしかない。

 瞳を眇めた刹那、ルクスは踏み出した一歩を軸足に身を回した。

 薙ぎ払う巨大な剣身がメア・リィの身体に叩きつけられる。

 ────"破断剣・ヴァールハイト"の刃渡りは5フィート以上にも及ぶ。

 剣身も異様に分厚く、幅が広い。剣というより、ほとんど巨大な鉄塊というべきだろう。

 柄や鍔の拵えは見事なもの。だというのに、概観すればどうしても無骨な印象が拭えない────

 そんな大剣の刃を叩きこまれたメア・リィの上半身は、いとも容易く吹き飛んだ。

 腰から上が白亜の壁に叩きつけられ、びちゃりといやな音を立てる。

「……アレ?」

 メア・リィは呆けたような声を上げ、切断面からだらだらと血を流し、瞼をゆっくりと閉ざしていく。

 メア・リィ・シェルリィ──その代替品はもう二度と動かなかった。彼女は眠るように死んだ。

 シオンにしてみれば特に驚くには及ばない。

 メア・リィの命令に、"メア・リィ・シェルリィを護ること"は含まれていなかったのだから。

 護れと命じられたのは新王トラスと宰相バルザックだけである。

「……オ、ォ」

 最も近い脅威を排除したルクスは再びシオンに相対する。

 命令者が死んでも命令は健在であるらしい。

 咄嗟の判断か──"天聖剣・エンジェルハイロゥ"は宰相バルザックの手元に投げ放たれていた。回収するのは不可能だろう。

 シオンはそれを一顧だにせず、身を滑らせて疾駆する。

「────行く。陛下」

「オ……オオオォッッ!!!!」

 女魔術師の無惨な最期に恐れをなす二者をよそに────

 父娘の、最後の剣戟が幕を開けた。

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