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亡国の剣姫  作者: きー子
27/34

弐拾漆、ヴァルドル城塞攻略戦

 黒馬は一路、十字通りを北上する。

 進む先には高き王城──その前哨基地にして出城の役割を果たす要塞の一角がかいま見えた。

 鳥瞰してみれば、ヴァルドル城塞はいわゆる六芒星の形をなしている。

 中心部には王権の中枢を擁する根城があり、それを取り囲むように角ばった出城がいくつも突出しているのである。

 六つの出城のうち半数は外壁と一体化しており、王都の防備をも担っている。

 そして残りの半数が、内部からの攻撃を跳ね返す絶対堅固の盾であった。

 人呼んで星条郭(せいじょうかく)

 それこそは、シオンが攻略しなければならない要塞の名であった。

「シオン。あたしのベルトに吊るしてあるやつが見えるかい」

「中、見ていいの」

「あんたに渡すもんだからね」

 馬首にしがみついたまま一瞥すれば、ファリアスの逞しいほど張り出た大腿部を包むズボンに、掌大の麻袋がぶら下がっている。

 シオンはそれを掠め取り、口を縛る紐を解いた。

 その最中、ファリアスは鉄筒を片手に周囲を見渡している。

 ほとんどの兵はファルの速度に着いてこれないが、追い縋ろうとするものは容赦なく銃撃した。

「……これは」

 袋を開けた途端、中に丸めてあった羊皮紙がひとりでに広がった。

 書かれているものは文書ではない。

 絵だった。単純な線だけで描かれた簡潔な図像。

 色付けもなければ影もない。そのくせ、高低差だけはきっちりと分かるように示されている。

「地図」

「と、いえるほど大層なもんじゃないさね。城内の大ざっぱな構造とそこに至るまでの侵入ルート。見落としは確実にあるだろうから過信するんじゃないよ」

 国境線地帯でのファリアスとの会話を思い出す。

 そもそもシオンは登城したことなど一度もない。ヴァルドル城塞の構造など全く知らない。

 そう告げたシオンに、ファリアスは確かにいっていた。侵入ルートくらいは確保できるかもしれない、と。

 シオンはぎゅっと地図の端を握りしめる。

 これほどありがたいものはなかった。

「まあ、部隊の中でも一等出来が良いのをあたらせたからね。明らかな間違いはないはずさ。その程度には、信ずるに足る」

「十分」

 元より、空手でも乗りこむつもりに変わりはなかったのだ。

 地図にざっと目を通して大まかな構造を把握しておく。それだけでも、どこに兵が配置されているかは想像がつくものだ。

 さらに袋を漁れば、鋼鉄製の細々とした器具が入れられている。

 侵入のための道具一式、といったところだろう。楔やら鉤縄やら、暗殺者にでもなった気分である。

 否。シオンは実際にそれをやるのだ。

 失敗すれば、そこで全ては終わる。

「……世話をかける、ね。最後まで」

「最後とは思っちゃいないさ。だから、これくらいは、やる」

 響き渡る馬蹄にまぎれて声。

 同時に銃声が鳴り響いた。後ろから追走してきた騎兵を撃ち抜き、矢継ぎ早にファリアスは外装を展開する。

 "撃剣・カノン"──長大なる刃と一体化した異形の銃身が顕現し、ファリアスはさらに銃爪を引き絞る。

 今度は後方ではなく、前を撃った。

 見るからに守備兵の数が増えているのだ。星条郭が近づいている証左である。

 大通りが少しずつ狭まり、ファルの走りが制限されていく。星条郭に至る道は一本に限られており、迂回路を取る余裕は一切ない。

 銃身が焼けつくほど立て続けに鉛弾を放つ。前方で構えていた槍兵はなすすべもなく倒れ伏した。

 銃兵が隊列を組んでいれば危なかっただろう。まだ反乱の情報が伝わっていないに違いあるまい。

 ────今こそは好機。

「……ファル」

 そっと耳元で囁くシオン。

 声に応じてか──あるいは言われるまでもないとばかりに黒馬が溜めていた脚を解放する。

 全力疾走。

 黒き疾風が吹き抜けていくような速度で、ファルは十字通りを北向きに突破した。

 至らしめるは星条郭。ヴァルドル城塞のお膝元とも言えよう前哨基地の一角である。

 そこには案の定、少なくない常備兵が詰めかけていた。

 全体の状況こそ理解していないようだが、異常事態であることは敏感に感じ取っているのだろう。

 派手に鳴らしたファリアスの銃声がなによりの証拠である。

「……ここだ」

「派手に、やろうかい」

 余計な言葉はもはや不要。

 視線を見渡し、敵数をざっと確認する。

 前方に槍兵が六。後方に弓兵が一〇。ちょうど入り口の城門を背にして、侵入を阻むように兵たちは隊列を組んでいる。

 しかし意気軒昂とはとてもではないが言いがたい。

「な、なんだ、こいつら」

「いいから構えろ、構えッ────」 

 シオンが飛び降りるように下馬した瞬間、号令をあげた槍兵が弾丸を撃ちこまれもんどり打って倒れた。

 にわかに混乱しかけたところに、シオンは素早く疾駆する。

 "妖剣・月白"────抜剣。

 鈴蘭の羽織を風になびかせ、吹き抜ける剣風が空を薙いだ。

 滑るようにまずひとりを斬り、その隙に突かれた槍を捌きながらもうひとりを斬り、改めて槍を突き出した兵を斬り捨てる。

 さらに前方へと駆け抜けながら腹を掻き切る。

 この時点で、放たれた矢はシオンの遥か後方に落ちていた。

 味方を射抜くわけにはいかない必要上、放物線を描くように矢を放っていたからだ。

 瞬間、シオンは弓兵のひとりの眼前に肉迫している。

「ま、待て、待ってく────」

 言い終えるのを待たないうちに兵の首が飛び、閉ざされた門に叩きつけられた。

 目の前に死の恐怖が迫ってなお、まともに狙いがつけられる兵などいない。

 ましてや──常軌を逸した剣気に間近であてられてはなおさらだった。

「戦う気がないなら、武器を捨てて」

 シオンは素っ気なく言い放ち、刃を振りかざす。

 半数の兵は、我先にと弓を捨てた。

 そうしなかったものは、次の矢を放つ間もなく死を迎えた。

 それでも矢を番えようとしていた弓兵は鉛弾を叩きこまれ、ファリアスに淡々と処理される。

 そして最後に残った槍兵のひとりは、ほとんどやけになったようにファルへと突きかかった。

「おおぉぉぉぉッ!!」

 せめて、乗馬だけでも。

 渾身の力をこめて振るわれた槍は、ファルの後ろ足に蹴り飛ばされて終わった。

 2000ポンドを超過する黒馬の体重が叩きこまれ、男の首は無残に折れ曲がった。

「おい、門の様子がおかしいぞ!!」

 門前を壊滅させたと思ったのも束の間。一息つく暇もなく、異変を聞きつけた兵が後から後から押し寄せてくる。

 もたもたしていたら援軍は増えるばかり。このままでは埒があかないだろう。

 無理やりにでも埒をあけるべきだ。

 そう判断するやいなや、シオンは門を一瞥する。正面突破するか、上から行くか。

「シオン。ちょっと門の前を空けてくんな」

「──うん」

 その一言でファリアスの意図を察し、シオンは一歩横に避けた。

 鉄扉に次々と銃弾が叩きこまれる。着弾の衝撃力が門の耐久をこえ、扉は後方に吹き飛んだ。

 駆けつけてきた兵の何人かがまともに扉に巻きこまれる。鉄塊の下敷きになった彼らはもはや助からない。

「あたしはここに留まる。広場の方からも敵が来るだろうからね。あたしはあたしのやるべきことをやる」

「……ひとりで?」

「別働隊が動いてる。すぐに合流するさ。だから──あんたはあんたのやるべきことをやんな、シオン」

 ファリアスは十字通りのほうを一瞥する。広場に狙撃役の人狼が潜んでいたことを思えば、合流予定時刻もそう遠くはないだろう。

 ならば、と。

 シオンは、こくりと深く頷いた。

「清算してくる。全て」

「あぁ。尻の毛までむしり取ってやることさね」

 シオン・ファーライトの求める代価。

 それはいうまでもなくこの国だ。

 前王陛下の、母上の、そして少なくない民の屍の上に打ち建てられたこの国だ。

 国を亡くした剣姫は、御身を、国を亡ぼす剣鬼と化さしめた。

「武運を祈るよ。シオン」

 そういってファリアスは後ろを振り返った。

 広場のほうから向かってくる兵の姿をその眼に捉えたのだ。

「また。ファリアス」

 そういってシオンはもう、振り返らなかった。

 銃声を耳にしながらも前を向き、第一の門を突破。ファリアスから遠ざかり、星条郭の内部へと躍り出る。

()ィッ!!」

 そして続けざまに、門の影に控えていた兵を一太刀に切って捨てる。

 ものも言えぬまま、門兵は血飛沫をあげて倒れこんだ。

 盛大に返り血を浴びた少女のかんばせは、もはや悪鬼とも見紛おう。

「ひッ……」

 震える手で、反対側の門兵が弩の引き金を絞る。

 弩。射程距離や威力では銃に劣るが、連射性能や兵站においては勝る兵器である。

 会戦では銃剣に軍配があがるが、防衛戦では弩が大いに活躍する。

 ────しかし当然、欠点はある。

 シオンは咄嗟に斬り捨てたばかりの死体を蹴り上げ、盾にした。

 男の死体に矢が突き刺さる。そしてあいにく、弩に鎧と肉身を貫通するほどの威力はない。

 立て続けに引き金が引かれるが無駄なこと。

 シオンは針鼠のようになった死体を彼に投げつけた。

「や、やめろッ、やめ、助けッ────」

 大人しく退けば、殺しまではしなかったのに。

 もっとも、先に刃を向けたのはシオンだった。身勝手な感想を抱きながら、死体越しに刃を突き立てて刺殺する。

 躊躇いなど微塵もなかった。

 扉に轢き潰された兵に代わって後から援軍が現れる。しかし一歩遅かったと言うべきだろう。

 前衛と後衛で編成された基本的な隊列。だが、それでは足りない。

 流水のように絶えず動き回るシオン。その影を、防衛兵たちは全く捕らえることができずにいる。

 白兵戦では話にならなかった。後詰めの槍兵が弓兵の護衛に飛び出しても、ただただ死体が増えていくばかり。

 屍山血河を踏み越えた先、星条郭前を掃討したシオンは、出城の上部を仰ぎ見る。

「ちくしょう、なんなんだよ、あれは!」

「一人だけじゃないか……しかも、子どもだ」

「おい、まさか────」

 そこには、少女の所業を恐れ慄き、ついにはその正体に思い至るものがいた。

 大隊の手によって捕らえられたはずの大逆人。

 五人もの"魔剣遣い"を屠った罪深き娘。

 捕虜の少女はいかなる所以か剣を片手に────

 今まさに、新生王国へと牙を剥いている。

「シオン・ファーライト……」

 叛逆の末姫。

 誰にともなく口にした名は、恐怖とともに兵から兵を介して伝染した。

 危うく恐慌状態に陥りかけた部隊を引き止めたのは、屋根に陣取った指揮官の成果であった。

「怯むな!! 彼奴の剣がここまで届くことはない! 撃て、撃てッ!!」

 星条郭の屋根にずらりと並ぶは射手の一隊。それぞれが弩を手に、矛先を一斉にシオンへ向ける。

「……同じ、かな」

 向けられた弩と、先ほど刺殺した兵が持っていた弩を見比べたあと、シオンはぽつりと呟いた。

 そして一直線に駆ける。

 瞬間、彼らは同時に弩の引き金を引いた。

 放たれ矢がシオンのいる一点に収束する。矢はいずれも今のシオンの後方へと向かっており、当たることはない──前方の一本を除いては。

 つまり、その一発を摘み取ってしまえばいい。

「……ひゅッ」

 シオンは軽く息を吐き、空手の指先を宙に走らせた。

 ぱしっ。

 ちいさな音を立てて、シオンの指先が空を駆けるなにかを捕らえる。

 矢だ。

 正面から放たれた弩の矢が、シオンの指と指の間にしかと摘み上げられている。

「な──」

 理解できない事態に彼らが目を疑うのと、シオンが矢を放るのは同時だった。

 手首のひねりを効かせて、受け止めた矢を投げ放つ──"返し矢"の型。

「ア゛ガッ」

 飛ぶ矢が弓兵の顔面を狙い澄ましたように射る。

 男は額からだらだらと血を流し、糸が切れたように倒れこみ、屋根の端から落下する。

 そして動かなくなった。

 その間もシオンは一切足を止めていない。

「あ……ありえない」

 指揮官の男が歯を食いしばって呻く。

 弩には利点がある。腕力が無くとも放たれた矢は真っ直ぐ飛び、威力は常に一定である点だ。

 しかし、シオンを前にすればそれらの利点は欠点に裏返る。

 直線の軌道は攻撃を読みやすくする上に、威力が一定であれば受け止めるための力を察するのもまた容易い。

 射手の力量が如実に反映される通常の弓相手には難しい芸当も、弩であれば十分に可能なのである。

 屋上の弓兵らが次の矢を番えるのを待たず、シオンは砦に突入した。



 全体で六つある星条郭が一。

 砦内は吹き抜けになっていた。壁面に沿うように階段が並び、一番上は屋上に通じている。

 根城と直結しているわけではないそこを叩く必要は必ずしも無いが、後方の安全を確保するためには潰しておくに越したことはない。

 その点では、目的はすでに達成したと言えるだろう。

 シオン・ファーライトの破竹の侵攻を恐れてか。砦内部の多くの兵がすでに本拠地へと後退していたからだ。

 少女ひとりを相手にこの体たらく。怯懦の謗りは免れないが、結果的にそれは正しい選択だった。

「も、もう、来やがったッ」

「クソッ! 絶対に通すなよッ!!」

 シオンを真っ先に出迎えたのは重装歩兵二名の突撃だった。

 横に躱し、同時に脚を引っ掛けてつんのめらせる。

 背中を取り、首の後ろから刃を貫き通す──"鎧通し"の型。

 兜に包まれたまま声もあげられず絶命する兵から刃を抜き、立て続けに振り返ったもうひとりの手首を払う。

 槍を握った腕が飛び、落ちた。

 返す刀で関節部を狙って膝から下を切り分かつ。

 男はそのままもんどり打ち、絶叫しながら倒れこんだ。

 ──ひゅん、という音を耳にしたのはほぼ同時。

 寸前に迫っていた矢を握り取り、放り捨てる。

 掌の皮が破れて血が滲む──構わずシオンは疾駆する。

「こ、こっちに来る」

「畜生!! やってられるか、こんなこと!!」

 苦しみ悶える重装歩兵の姿に、兵たちの士気が崩壊した。

 大方、強引にこの場を保持することを命じられたのだろう。

 つまり、彼らは単なる捨て駒だ。 

 戦意などあろうはずもない。

 我先にと兵たちは砦の階段を駆け上り、屋上に脱出しようとする。

「いぎゃあああああッ!!」

 先陣を切って逃げ出した兵のひとりが絶叫する。

 その顔面には、一本の矢が突き立っていた。

 彼らを迎えたのは空ではなく、味方の構えた弩であった。

「愚図め」

 屋上から砦内部に戻った現場指揮官が、逃亡兵を射たのである。

 麾下の弓兵らが指揮官に率いられ、再びシオンに弩を向けた。

「撤退は一切許可しない! 我々はこの砦を死守する!! すぐにも本拠からの援軍が駆けつける!! それまで、なんとしてでも持ち堪えるのだ!!」

 指揮官は砦内の兵を叱咤し、強引に持ち場に戻らせる。

 その時、シオンは階梯の一段目に脚をかけたところだった。

「狙え────射てッ!!」

 上層階からいくつもの矢が飛ぶが、壁に突き刺さるだけに終わる。

 偏差射撃は無意味だった。武芸者に特有の自在の足運びは、シオンの速度を一定にさせない。

 前傾に踏み出した瞬間に加速して、シオンは飛来する矢を置き去りにする。

 そこで重要になるのは階段途中に配置された兵の対応だ。

 が。

「くそ、も、もう……」

 逃げれば射殺され、逃げずとも斬殺される。

 逃れ得ない恐怖に手が震え、もはや装填することもままならない。

 崩壊した士気を、死の恐怖で立て直すのは不可能だった。

 そこにシオンが迫り来る。

「ひッ────」

 少女の剣が届く領域。絶死の間合いに入りこんだという感触が男を襲う。

 萎びたように全身から力が抜け、男はその場にへたりこんだ。

 シオンはその横を颯爽と駆け抜けた。

「……え」

 斬られていない。生きている。

 男は咄嗟に逃げ出そうとしたが、立つことが出来なかった。

 間近に浴びた剣気だけで、男の足腰は萎えていた──抜かずして斬られたかのように。

 そうなったのは彼だけではない。逃げ出そうとした兵は皆、シオンに斬られるまでもなくへたりこんで動けなくなった。

「貴様らッ!! 立て!! 弓を取れ、立って戦えッ!!」

 指揮官は怒鳴り声をあげるが、まさか今彼らを射殺するわけにはいかなかった。

 今にもシオンは屋上に近づいているからだ。

 一〇の弩が常にシオンを照準している。

 だというのに、当たらない。ただの一度もシオン・ファーライトを捉えることができない。

「……は」

 シオンは息を吐き、ついに階段を登り切った。

 その間、一〇人以上の兵が戦意喪失に追いやられている。

 不思議でもなんでもないとシオンは思った。誰しも死にたくはない。犬死にしたい人なんかいない。

 そしてシオンは、居並ぶ弓兵の矢面に飛び出しながら、言い捨てる。

「もう、遅いから」

 姿勢を低く、"屋根"に構え、疾駆する。

 斬り下ろし。

「あ、あぁぁぁッ!!」

 弩を向けてきた一人目の肩から腰にかけてを真っ二つに斬り捨てる。

 咄嗟に短剣を抜こうとした二人目を返す刀で斬り払う。

 三人目の射た矢を躱しながら前へ。すれ違いざまに斬り捨てて前進。

「こ、こんなところで死にたくねえッ!!」

 四人が揃って屋上へと逃げ、さらに二人は前方に活路を見出した。二人のほうは階段から脚を踏み外し、吹き抜けの砦を真っ逆さまに落ちた。

 肉の弾ける音。

「お、お前たちまで──何たることかッ!!」

 残るはただひとり、指揮官のみ。

 一切の味方を失った彼は短剣を抜き、奮然とシオンに斬りかかってくる。

 何の工夫もない愚直な突き。シオンは刃を切っ先で巻き取り、跳ね飛ばした。

 短剣が宙を舞い、吹き抜けへと飛び、遥か地上へと落ちていく。

 同時にシオンは"妖剣・月白"の柄を男の顔面に叩きこむ。

 指揮官はそれをまともに受け、星条郭の壁面に打ちつけられた。

 シオンは周囲に落ちている弩を蹴り飛ばし、屋上に逃げた兵が戻ってこないのを確認したあと、蹲った指揮官と向き合う。

「……こ、殺せ、この叛逆者がッ!! 狂人め、貴様のような売女が王国に牙を剥くなど────おげぇッ!!」

 みぞおちに靴先を叩きこんで黙らせる。

 そしてシオンは、その指揮官を砦の吹き抜けに宙吊りにした。

 シオンがそのちいさな手を離せば、男は真っ逆さまに落ちる。

「ぐ、き、きさま、なんのつも、り────」

「聞いて」

 シオンは指揮官を無視して砦内に呼びかける。

 決して大きな声ではない。が、その音は凛として不思議と砦内の全体に響き渡った。

「ここにいる全員、私に従って。従うならこの男は殺す。従わないならこの男は捨て置く」

 瞬間、へたりこんでいた兵たちの視線が軒並み指揮官の男に集中する。

「なッ……」

 彼は宙吊りにされたままたじろぐ。

 死ぬ覚悟はすでに済ませていたように見える。

 が、自らの死を寝返りの材料に使われるとなれば話は別なのだろう。

「か、考えるまでもないだろうッ!! 離せ、逆賊めッ!!」

「あなたには聞いていない」

 素っ気なく言い捨て、シオンは軍服の襟ぐりを掴み上げる。

 少女の深く蒼い眼は、砦内の兵たちに向けられていた。

 命に替えてでも砦を死守することを命じられた守備兵たち。

 シオン・ファーライトは彼らの味方を容赦なく殺した仇敵である。

 しかし宙吊りにされている指揮官は、彼らに無理な命令を押し付け、おまけに逃げ出そうとした兵を射殺した。

 軍規に照らし合わせれば全く問題ない行いである。逃亡兵は死をもってその罪を償う。

 だが、今の兵たちに軍規などなんの意味もなかった。

「馬鹿なことを考えるんじゃない、寝返ってもお前たちにはなんの利も無いぞッ!!」

 指揮官の叱咤は俯いた兵たちの耳に届かない。

 誰からともなく守備兵のひとりが顔を上げ、ぼそりと呟きを零す。

「…………せ」

 あまりにもかすかな声だった。

 そして、同じ声はひとりだけでは終わらない。

「……せ」

 切れ切れに聞こえる音の欠片が重なりあい、明確な言葉の輪郭を形作る。

「……殺せ」

 それはもはや呟きではない。

 兵たちの意志が、確かな声となって向けられる。

「殺せ」

「殺せ!」

「殺してくれ」

「勝手に死んじまえ、クソ野郎」

 兵たちの呪詛と怨念が叩きつけられ、指揮官の男がシオンの手の中で震えた。

「ま、待て、おまえたち、考え直して──」

「そう」

 シオンは彼の声を遮り、頷いた。

「従ってくれるの」

 シオンの言葉に、兵のひとりがよろよろと立ち上がり、応えた。

「あんたの剣がこっちに向かないならなんだっていい。そいつをさっさと黙らせてくれ」

 他の兵たちの表情を順繰りに見る。

 異論は無いようだった。

 シオンが宙吊りにしているひとりの男を除いては。

「さ、さっきのことはやむを得なかったんだ、済まなかった、頼む、だから────あぁぁぁぁぁッ!!」

 ぱ、とシオンは手を離した。

「さよなら」

 指揮官の男は悲鳴をあげながら真っ逆さまに落ち、叩きつけられ、床の赤い染みと化した。

 事がすんだあと、シオンは砦内の兵たちを見渡す。

「……気が変わった人は?」

 守備兵の反応は一定ではなかった。

 興奮醒めやらぬ様子のものもいれば、熱狂が落ち着いて気まずそうにしているもの。

 いずれにせよ、彼らの心はすでに決まっていた。

 上官に反旗を翻したという事実は拭えない。生きて戻れる保証もない。

 となれば今は少女に従うのが得策。そう考えたのか──彼らは頷き、シオン・ファーライトに運命を委ねた。

「そう」

 シオンは首を振り、守備兵らに命じる。

「全員、二手に分かれて近くの出城に逃げて。そしてこう伝えるの──"元いた砦は壊滅した。敵は反対側の砦にいる"と」

 星条郭を構成する六つの出城のうち、シオンが制圧したのは六時の方角の出城だった。

 左右──四時の方角と八時の方角にはまた別の出城がある。そこに向かい、偽りの情報を伝えるようシオンは指示する。

 当然、それぞれの砦の守備兵は敵襲に備えるか援軍に向かうかするだろう。

「そ、その後は……どうすれば?」

「混乱しているうちに脱出して。火でも点けてくれればもっといいけれど────」

 見たところ、守備兵に銃火器を装備しているものはいない。火薬の持ち合わせはなさそうだ。

 その時、守備兵のひとりがおずおずと手を上げた。

「あの……」

「言って」

「は、はい。この砦に油と火薬の備えはあるので、やろうと思えば」

 熱した油をぶちまけるのは防衛戦での基本だ。射手だけでは追っつかない時のために、砦内に備えてあっても不思議ではない。

「そう。なら、それを使って。無理はしなくていい。危なくなる前に引き上げて、十字通りに向かって走って。白旗かなにかを掲げるように。運が良ければ、助かるから」

 そこでは今もファリアス率いる別働隊が踏ん張っているはず。敵対行動を避ければいきなり攻撃されることはないだろう。

 とはいえ、ここはもはや戦場だ。何が起こるかはわからない。結局のところは運次第である。

「……わかったら、急いで」

「────は、はいッ!」

 守備兵たちは揃って敬礼すると、ほとんど逃げるように二手に分かれて駆け出した。

 命令通りに動いてくれるかは期待していない。なにせ指揮官もいないのだ。裏切りが露呈しなければ御の字だろう。

 そのままシオンはひとり屋上に出る。外壁にかけられていた梯子を駆け下り、ほとんど飛ぶように地へ降り立った。

 "飛鳥"の型。着地の反動をそのまま速度へと転化し、駆け出す。

 両脇に、命令通り二手に分かれて行動する守備兵たちが見えた。

 彼らを見たのはそれまでだった。

 シオンは真っ直ぐに疾駆する。

 段差を駆け上がり、迫るは高くそびえ立つ根城。星条郭を越えた先にある王城──ヴァルドル城塞。

 その正門は堅く閉ざされている。

 シオンは構わず白亜の城壁に肉迫。

 懐から鉄の楔を引き出し、切り立った絶壁に迷うことなく撃ちこんだ。

「おい、あそこ────」

 瞬間、城壁沿いに並ぶ凹凸の角から囁くような声がした。

 二人組の射手だ。城壁に四門設置された弩砲(バリスタ)のうち二門がシオンの矮躯に向けられている。

 その威容たるや、攻城兵器を容易く粉砕することだろう。おそらくは"結束剣・グランガオン"さえもただでは済むまい。

 シオンは地を蹴り、城壁に撃ちこんだ楔を足がかりに、跳んだ。

 ほとんど飛翔と変わりない軌跡である。

「貴様かッ、逆賊の────」

 城壁上に控えていた歩兵らが咄嗟に銃剣を抜く。

 だが、すでに遅い。

 抜刀。

 銀の軌跡が尾を引いて、剣光が白く瞬いた。

 (びょう)

 剣風が吹き荒び、一時の静寂が訪れたあと、最も近くにいた歩兵の上半身がまるごと吹き飛ぶ。

「銃だ! 銃を使え!!」

 弩砲の威力は極めて高い。シオンなど掠っただけでも肉身を持っていかれるだろう。

 だが、代わりに射角を修正するには時間がかかる。射程距離は長いが、近づかれた相手にはめっぽう弱い。

 それが弩砲の欠点だった。シオン・ファーライトを前にして、弩砲はまさにその欠点を露呈した。

「冷静に迎え撃て! 敵は一人だ!! 殺しても構わん! 構え、突け!!」

 シオンが一人目を斬り捨てた直後、銃剣を構えた兵が三人殺到した。

 着剣された矛先が三つ、同時にシオンに迫り来る。

 同時に、城壁上の角にいる射手が四人──前後それぞれふたりがシオンに狙いを定めている。

 壁上の防衛を指揮しているのはそのうちのひとり。彼らは、接近戦を挑んだ前衛に構わずシオンに銃口を向けている。

 やむを得ない犠牲、ということだろう。

「────は」

 シオンは一番近い一人目の首を刈る。

 その隙に放たれた突きを横に避け、受け流し、蹴躓かせて横倒しに。

 そのまま真っ直ぐ駆け抜けざまに三人目を斬り捨てる──前方の角に向かって疾駆する。

 銃声。

 放たれる一瞬前、銃口と一寸身体をずらすようにして回避。そのまま少しずつ前傾に姿勢を低く、体重移動の力を利用してシオンは加速した。

「ひ、ぃ────」

「弑ィッ!!」

 冷静さを保っていた守備兵が、とうとう崩れた。

 瞬間、シオンは横薙ぎに"妖剣・月白"を振るう。

 一斬にて二殺。まとめて斬り捨てた射手はそのままふらふらと城壁から足を踏み外し、地に落ちた。

 刹那、背後からの銃声を耳に聞く。

 振り返りざま、シオンは剣身を斬り上げた。

 ひゅん。

 一閃とともに、銃弾がはらりと地に落ちる。

「なッ────」

 続けざまに弾丸が来る。

 変わらない弾速。

 変わることのない直線の軌道。

 連射性能に至っては言わずもがな。

 "撃剣・カノン"の鉛弾をすら斬り捨てたシオンの剣閃が、銃剣の弾を見逃そうはずもない。 

 ひゅんと白刃が閃いた瞬間、やはり銃弾は二つに分かたれるのみ。

 そしてシオンは再び地を蹴った。

 横倒しになっていた歩兵を捨て置いて、シオンは真っ向から残りの射手へと向かう。

 彼らは恐慌状態に陥っている。掃討は一瞬にして完了した。

 夥しい返り血はそのままに血払いをして、納刀。

 先ほど蹴躓いて倒れた兵が残っているが、もはやシオンの眼中にはない。

「ま……待て」

 残った男のほうにすたすたと歩いていくシオン。

 彼に用はない。

 目的は内部に突入するための採光窓にある。

「待て……!!」

 男は必死に立ち上がり、シオンの前に立ち塞がらんとした。

 少女との間合いが急速に狭まる。

 十歩。

 九歩。

 八歩。

 七歩。

「────あ」

 その距離にまで近づかれた瞬間、男は急に脚が萎えたようにへたりこんだ。

 シオンは刃を抜いてもいない。

 なのに、立つことができない。

 少女の間合いにいるだけで、"斬られる"という確信が押し寄せてくる。

 剣気と呼ぶのも生温い。

 絶死を思わせるその感覚はまさに────剣の結界。

「あ────あぁぁぁあ」

 男は絶望した声をあげたまま、脱力した。軍服の下が湿りだしていた。

 シオンは構わずすたすたと歩み寄る。

 三歩。

 二歩。

 一歩。

「……そこ、危ないから」

 シオンは男を横に退かし、銃剣を使い捨てにして採光窓を叩き割った。

 そのままシオンは男を一瞥もせず、窓から城塞内部に侵入する。

 残された男はひとり、呆然と座りこんだまま。

 醜態を晒していることを気にもせず、ただ──生き延びたことに、心底胸を撫で下ろした。


 抜かずして敵を制する最強の魔剣。

 誰一人とて斬ることのない活人剣。

 絶死の間合いそのものが対敵を抗わせない剣気の結界────魔剣"不抜(フバツ)"。

 少女が重ねた死闘の果て、ついにその萌芽を見たことを、まだ誰もが知らなかった。

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