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亡国の剣姫  作者: きー子
26/34

弐拾陸、剣姫の帰還

 魔剣兵混成大隊は新王トラスの勅令に従い、王都ファルクスへと帰投する。

 これは叛逆者シオン・ファーライトを拘束した旨を伝え、改めて上層部に支持を仰いだ結果であった。

 先立って王都に送られた伝書には、証拠としてシオン本人の血判が捺されている。

 王都に残されているであろう生誕記録と照合すれば、真贋は自ずと明らかになるだろう。

 ともあれ大隊はつつがなく、王都に向かっての行軍を続けていた。

 当然シオンが来た道とは経路が異なる。

 まさか、三〇〇もの兵を引き連れて山越えをするわけにもいかない。

 三〇〇人は決して大軍ではない。むしろ王都に侵攻することを考えれば少なすぎるくらいだ。

 それでも多くの人々が同時に通行することを考えれば、多少の遠回りはやむを得ない選択と言えるだろう。

 大隊は八槍岳(はっそうだけ)を大きく迂回し、辺境貴族の領地を渡り歩いていく。

 道中、州境の防衛に当たる兵に見咎められるようなこともない。

 それは大隊副官、アルスル中尉の働きの賜物であった。

 逆賊を捕らえた末の凱旋であると宣伝し、各領主にも先に挨拶を済ませておいたのである。

 なにせシオン・ファーライトの首には呆れるほどの大金が賭けられている。いちいち足を止めていては、彼女を狙う賊が忍び寄らないとも限らない──

 そんな話を吹きこんでおけば、大抵の領主は快く通行を許可してくれた。

 善良な領主にとっては厄介事の種にもなりかねない。さっさと通りすぎてもらいたい、というのが本音だろう。

 中には許可を装い、自ら賊を雇い入れ、大隊に襲撃をかけさせる不逞者もいたが──

「私もずいぶん、なめられたものだな」

「礼参りはいかが致しましょうか」

「今は作戦中だ。これ以上足止めされる前に去るとしよう──返礼は後から、いくらでもできる」

「は」

 寄せ集めの賊が、精兵揃いの魔剣兵混成大隊に敵うわけもない。

 "結束剣・グランガオン"は修復が終わっていなかったものの、賊は瞬く間に鎮圧された。

 シオンに至っては出る幕も無かった。

 捕虜という(てい)なのだから、まさか出張るわけにもいかないが。

 そのシオンはといえば、隊列の中心──ファルが曳く馬車の中で大人しくしていた。

 周囲は大隊の中でも最精鋭の兵で固められている。まさに護送という言葉が相応しかろう。 

「……修復、時間がかかるんだ」

 鉄巨人が出現しなかった様子を察して、誰にともなく呟くシオン。

 それに応じたのは馬車と並走するアイザックであった。

「多少の損傷ならば一日以内には修復完了するが、全壊するとそうもいかない。一回目は二ヶ月かかった。今度は、どうだろうな」

 シオンが"結束剣・グランガオン"を打ち破ってから、すでに結構な月日が経過している。

 にも関わらず修復は完了していない。

 行軍が予定通りに進めば、王都に到着するころには修復が完了している計算になるが────

 以前の通りになるとも限らない。必要があれば行軍を遅れさせることも考慮するべきだろう。

 なにせ、三〇〇人もの人間が一斉に移動するのである。

 シオンとファリアスの二人旅とはわけが違う。進む速度はどうしても遅くなるし、言い訳はなんとでもつく。

 魔剣兵混成大隊には砲兵も編成されているのでなおさらのことだった。

 ────それより、シオンには気になることがあった。

「一回目?」

 一回目。

 つまり"結束剣・グランガオン"を破壊したのはシオンが初めてではない、ということだ。

 むしろ、まだ二回しか壊れていないことのほうが驚きだが。

「ああ」

 アイザックは一瞬苦々しげに笑ったあと、言った。

「ルクス・ファーライト陛下。貴公の父上だとも、シオン殿。私は、あのお方と、その"魔剣"に、打ちのめされた」

「……陛下、が」

 父と言われても、シオンはいまだに実感が無い。

 彼に伝えられた剣術こそが、今のシオンを生かしているというのに。

 その死を目の当たりにしていないせいだろうか。

 悲しみを覚えることもなく、感傷を覚えることもなく。

 心の中に、ぽっかりと空洞ができているようだった。

 あるいは、元から開けていたものが塞がれてしまったのか。

 我ながら薄情なこと。口にはせず、シオンは心中で独りごちる。

「ルクス王の魔剣──"破断剣・ヴァールハイト"の力も結局わからずじまいだった。私にわかるのは銘だけだ。これから先にわかることもない」

 もう、逝ってしまったのだから。

 それだけ言うとアイザックは馬首のほうに向き直った。

 聞くべきではなかったのかもしれない。

 シオンがふと彼の横顔をうかがえば、意外にもその表情は晴れやかなもの。

「剣士とは因業なものだな──父娘二代に渡って敗れようとは。私も精進が足りないようだ」

 アイザックは肩をすくめると、そう言って薄く微笑んだ。

 憑き物が落ちたような顔だった。


 いよいよ六水湖(ろくすいこ)の近辺まで進軍し、大隊は別働隊として動いていたファリアスと落ち合った。

 その時、ファリアスは五〇人程度の人狼族を率いていた。

 聞けば、古巣の森でくすぶっていた精鋭の戦士を引き連れてきたという。

 よくそれだけの人数が賭けに乗ってくれたものだと思う。シオンは思わず感嘆した。

 あるいは、説得と煽動にあたったファリアスの人徳のおかげかもしれない。

 大隊との軋轢を防ぐためにも接触は最小限にし、彼らは引き続き別働隊として動く。

 主となるのは、大隊に先行する斥候としての役割だ。

 大隊とは伝令を通じて密に連絡を取り、情報共有を欠かさないようにする。

 一方、侵攻の際には彼らが全面的にバックアップを行ってくれるという。

 頼もしい限りだったが、活動が露見してしまっては元も子もない。表立っての破壊工作は控えるよう厳しく念押しされた。

 重要なのは現地の情報を得ること。そして地の利を掌握することだ。

 先行する別働隊を見送ったあと、大隊は六水湖を通り過ぎ、街道沿いを抜けていく。

 ここまで来ると人の目は避けがたい。部隊は行き交う旅人の視線に晒されることになる。

 とはいえ、大隊はあくまで、誰もが捕らえきれなかった逆賊を捕虜とした英雄なのだ。

 称賛こそあれど、人目を憚らねばならない謂われはない。

 ──もっとも、人々の反応はきわめて微妙だった。

 王都周辺の治安が良くなることを素直に喜ぶものもいる。王都に帰還した兵がどのように扱われるかを危惧するものもいる。

 国を乱した逆賊が捕まったことを素直に喜ぶものもいる。ただの子どもにすぎない末姫を大罪人として扱うことに違和感を覚えるものもいる。

 民衆というものは、いつでも利に聡い。

 特に、王都ではその傾向が顕著だった。

 先に現地入りした人狼族の諜報活動によれば、王都の情勢はもはや、混沌というべき有り様だった。

 何者かの手によって吹き荒れた粛清の雨。それは政治参加を訴える活動家の代表格を刈り取り、市民運動を沈静化に追いやった。

 だが、それは活動家の根絶を意味しない。活動家たちは権力の手が届かない地下に潜り、虎視眈々と牙を研いでいた。

 それほどに問題の根は深かったのだ。

 王都の現状は、もはや王政が時代に即していないことを示している。

 君主制が共和制に劣っているわけではない。事実、共和制を取りながらも自滅した国家を知るには歴史を紐解いてみればいい。

 ただ、今の時代を生きる民衆にはもう適していないだけだ。

 それだけのことだった。

 火をつけるには十分な状況、とアイザックは判断した。

 寝た子を起こすには一発蹴りを入れてやればいい。それを実行することこそ、大隊の仕事に他ならない。

 シオンがやるのは、そのおまけ。

 いうなれば汚れ仕事の部分である。

 敵に一矢報いること。もう、逃げ回らなくてもいいようにすること。

 それをこそ望んでいるシオンには都合がいい。

 事が済んだあとで王都に戻るつもりもない。せいぜい派手にやることにする。

 ────母上の御墓くらいは、造れたらいいのだけれど。

 実際には難しいだろう。造ってもまた壊されてしまう可能性は低くない。

 平民でありながら王の妾となった傾国の女。その悪評はすこぶるつきだ。

 彼女に向けられた憎悪が晴れるには、後世の評を待つ必要があるだろう。

「……詮ないこと」

 王都ファルクスも近くなった空を見上げて、シオンはため息をひとつ零す。

 シオンの心模様とは裏腹に、空高く真円のお月様がまばゆく輝いている。

 その日の夜、シオンは大隊の列を離れ、王都近辺の駐屯所まで出向いていた。

 当然、周囲は大隊の最精鋭で固められている。

 アイザックの"結束剣・グランガオン"も修復が確認されており、護衛の体勢は万全だ。

 事の発端はといえば、近いうちに王都に到着することを伝えた大隊への返答にある。

 捕虜がシオン・ファーライトであることに間違いはないか。確かに拘束されているのか。

 直接それを確かめたいと言ってきたのだ。

 厄介事という程でもない。むしろ当たり前に予想されていたことだ。

 魔剣兵混成大隊は、つい最近まで新王トラスに反目していたのである。

 すぐに信用されるわけがない。まずは疑ってかかるはず。

 おそらくだが、王都に入城することが許されるのもせいぜい小隊規模だろう。

 そんなことは最初から承知の上だった。

 このような事態にも当然、抜かりはない。

 今のシオンは粗末な服装に加え、手首は縄で戒められていた。

 黒髪はくしゃくしゃにかき乱され、脚は当然のように裸足のまま。

 むき出しの手足にはいくつもの火傷とあざをつけた。

 シオンはついでに「顔を殴ってほしい」と頼んだが、誰もできなかった。

 その程度には、シオンは慕わしく思われてしまっていた。

 仕方がないので顔の傷は自分でつけた。少し不自然だろうがやむを得ない。

 ともあれ、偽装の総合的な出来栄えは上々だった。

 どこからどう見ても悲惨な扱いを受けている捕虜である。

 これにはさすがのアイザックも、

「……あまり広められると、部隊の信用に関わるな」

 と、顔をしかめるほどであった。

 そのまま伝書で指定された時間通りに、シオンらは一〇人ほどの使者たちを出迎える。

 彼らはシオンの姿を見るやいなや、いやらしい笑みを浮かべてみせた。

 アイザックは清廉にして勇猛と名高い指揮官のひとりである。彼ですら、叛逆者の少女への手荒な扱いは止められなんだか────

 そんな、暗い悦びの色が透けて見える。

 少女の姿がそれなりに衝撃的だったのか、確認はつつがなく進められた。

 その間、シオンはじっと俯いたままでいる。何事にも動じない捕虜というのは、あまり彼らのお気には召さないだろう。

 確かに少女がシオン・ファーライトであることが認められたあと、使者のひとりは出し抜けに言った。

「もし、私が今ここですぐに、この娘を処刑せよと────」

 言い終わるより早くアイザックは抜剣した。

「御意に」

 流れる水のように刃を滑らせ、シオンの首筋に向けて振るう。

 慌てたのは使者のほうだった。

「ま、待て。やれとは言っておらん。この娘は、王都で処刑されねばならんのだ。盛大にな」

「は。これは失礼を」

 アイザックは一切表情を変えず、剣身をシオンの首の手前で止める。

 お互いに頷き合う使者たちの様子を確認して、彼は刃を鞘に納めた。

 絶対とはいえないが、これで大隊に対する疑惑はかなり薄らいだことだろう。

「ここで引き受けても構わんのだが、引き渡しは王都中央広場で行うようにとの命令を授かっておる。何より、そのほうが貴殿らにとっても名誉なことだろう」

「お心遣い、まことに光栄。栄誉の一端に与ることを誇りに思います」

 アイザックは模範的な礼をしたあと、縄を引きずるようにシオンを下げさせた。

 大隊の行軍速度を鑑みれば、王都には三日とかからないだろう。そう告げると使者たちは破顔し、伝えておくことを請け負った。

 王都からの使者と円満に別れたシオンらは、大隊の野営地に戻っていく。

 首を落とされかけたシオンはといえば、さして動じた様子もない。

 それも当然。先ほどの一幕はあらかじめ想定していた演技のひとつに過ぎないからだ。

 万が一のことを考え、足枷はつけられなかった。

 いざとなれば避けようもある。

 そう考えれば、大人しく刃を振るわれるくらいはどうということもない。

「全く」

 むしろ、野営地で倦んだような声を漏らしたのはアイザックのほうだった。

「子どもを捕らえて、痛めつけて、処刑台に送りこんで、名誉か。笑い話にもならんな」

「傷は、見えないようにしとく」

 あまり大隊の風聞が悪いと、後の統治にも悪影響を及ぼしかねない。

 顔の傷も、湿布を貼っておけば問題はないだろう。

 夜気に身体を冷やさないよう焚き火に当たっていると、隣にファルが寄ってきた。

 彼はのっそりと首を降ろし、シオンの(かんばせ)の傷をおもむろに舐めはじめる。

 くすぐったい。そして生暖かった。あまり衛生的でもないだろう。

「……心配ないから」

 シオンはファルの頭を押し返そうとするが、彼はしばらく舐めるのを止めなかった。

 その様子を見守っていた兵たちがおもむろに忍び笑いを漏らす。

 無双の業前を有する武芸者の少女が、馬に手を焼いているのである。なんとも微笑ましい光景と言えよう。

 改めて、シオンはファルを見上げる。

 黒き威容。壮健なる巨躯はシオンにまるで似つかわしくない。

 黒い毛並みはごわごわと堅く、重低音の嘶きが頼もしい。

 思えば、彼とも短くない付き合いだった。ほんの少しだけだが、ファリアスよりも長い。

 そ、と黒毛の体を撫でてやる。

 ファルは嬉しげに低く鳴き、その場で足踏みした。

「……ここまで、付きあわせた、ね。色々」

 ジムカから譲り受けた時から、今に至るまで。

 彼はシオンに忠実に、勇猛に──忠勇の限りを尽くしてくれた。

 反面、シオンが彼に報いられたとは思えなかった。

 ファルに与えたものといえば、日々の糧と、その名前くらいのもの。

「あと、少しだけ。お願い」

 別れは近い。

 言葉が通じるファリアスと違って、ファルがどうなるかは予想もつかなかった。

 本来、馬は臆病な生き物である。王都の動乱を目の当たりにすれば、どこかに逃げ出してしまうかもしれない。

 ────それでもよかった。銃弾か矢に倒れるくらいなら、遠くに逃げ延びてくれたほうがいい。

「……また、一緒に行ければ。それが一番だけれど」

 ゆっくりと馬体を撫でながら、シオンはうそぶく。

 ファルはふんすと鼻を鳴らし、力強く嘶いた。

「最後までは、連れていけないから。……どこでもいい。どこかで、生きていて」

 それは願いにも似た、確たるシオンの命令だった。

 ファルは馬首を振ってそれを受け入れた。

 騎兵の男たちには覚えのある光景なのだろう。感慨深げに、シオンとファルが寄り添う姿を見守っている。

 今宵、シオンはファルの馬体に寄りかかって眠った。

 夢を見た。

 ファリアスが黒馬の手綱を取り、シオンは馬首の背にもたれかかっていた。

 ふたりを背にしたファルは、軽快に広々とした草原を駆けていた。

 ────それは、彼の夢だったのかもしれない。



 二日後。

 魔剣兵混成大隊は王都ファルクスの入り口へと辿り着いた。

 王都の外縁部には水堀が張り巡らされ、堅牢な外壁が空高くまでそびえ立っている。

 外壁を警備する見張り兵の数はあまり多くない。

 王都の城壁は二重構造になっていて、外壁を抜けただけではまだ王都の外側であるからだ。

 跳ね橋を渡って第一の城壁と第二の城壁の中間まで歩みを進めた大隊は、案の定、そこで進軍の停止を命じられた。

「我々の帰投は前もって申し伝えているはずだ。なぜ門を開けられない?」

「申し訳ありません。今、確認を仰いだのですが……全部隊を入れるわけにはいかない、と上からのお達しがあるようで。私どもからは、なんとも」

 佐官級の指揮官であるアイザックに射竦められた門兵は、すっかり恐縮してしまっている。

 もっとも、これはアイザックが予想していた通りの展開だった。抗議してみせるのは単なるポーズである。

「仕方がない。では、どの程度の規模ならば許される? まさか誰も入れないというわけには行かないだろう。我々には、叛逆者を新王陛下に引き渡すという任務があるのだから」

 ことさらに肩をすくめて問うと、門兵は前もって暗記していたように条件を話し始めた。

 いわく、入城が許されるのは副官を陣頭にした小隊規模の部隊のみ。シオン・ファーライトの護送が無事に完了次第、大隊は速やかに解散すること。その後は、追って伝える指示に従って各地に移動すること。

 指揮官のアイザックが入城を許されないのは、"魔剣"の力を恐れてのことだろう。

 "結束剣・グランガオン"単騎で城塞を攻略できるわけではない。が、市街地の主要施設を制圧する程度ならば容易いこと。警戒するのも無理はない。

 アイザックは渋々を装って条件を了承。

 副官のアルスル中尉を筆頭にした護送部隊を編成し、馬車の周囲に固めて配置。

 数にしてたった三〇名。王都に駐留している防衛軍と衝突すれば、瞬く間に鎮圧されることは疑いようがないほどの寡兵である。

「大役だ。仕損じる事のないように頼む」

「は。無論のこと」

 アルスル中尉は眼鏡のつるを持ち上げ、完璧な敬礼をアイザックに返す。

 改めて馬車の中にシオンがいることを確認され、護送部隊は無事に王都ファルクスへと入城した。

「このまま中央広場に向かいます。問題はありませんね」

 アルスル中尉が確認の(てい)を装い、シオンに告げる。

 是非もなかった。作戦の詳細は頭に叩きこんでいる。別働隊との連携についても問題はない。

 あとは、信じるのみ。

 シオンはちいさく頷く。同時に、部隊はゆっくりと王都の大通りを進み始めた。

 現在、シオンは手枷足枷に加えて目隠しまで付けさせられている。

 久方ぶりの王都の風景は見えもしない。

 だがシオンは、肌で感じた。

 ──空気がすこし、違う気がする。

 まだ日も高い時間だというのに、王都の通りは静まり返っている。

 かすかな囁き声と人々の息遣いは感じられたが、賑わいや喧騒はかけらもない。

 なぜだろう。シオンは不思議に思う。

 通常、部隊の行進ともなれば民衆は見物に集まってくるはずだ。

 王都の民には、娯楽というものが慢性的に不足しているのだから。

 そういう見物人を相手にする商人がいるであろうことも想像に難くない。

 だというのに、大通りはあまりに静かだった。

 首を傾げているうちにも護送部隊は滞りなく大通りを進んでいく。

 そのまましばらく進むうち、少しずつ人の声らしいものが漏れ聞こえる。

 目的地が近づいている。中央広場には大通りとは違って、多くの人々が集まっているようだった。

「もうすぐです」

 アルスル中尉が囁くような声でシオンに伝える。

 中央広場。各方面に通ずる大通りが交差する十字通り。

 そこでシオンは、ついにその身柄を引き渡されようとしている。

 ひょっとすると、その場で処刑するくらいのことは考えているかもしれない。あるいは市中引き回しの上で獄門にかけられるか。

 それだけの被害を、シオンは新生王国に与えてきたのだから。

 ついに大通りを抜け、護送部隊は開けた空間に辿り着く。

 王都中央広場、十字通り。

 ファルが先陣を切るように、一歩、馬蹄を鳴り響かせた瞬間────

 溢れんばかりの怒号と叫び声が響き渡った。

 ほとんど波のように押し寄せる音の嵐。それらを声として聞き分けるのはほとんど不可能に近い。

 その中を護送部隊は構わず進み続け、十字通りのさらに中心へと至る。

「よくぞ参られた、大隊副官殿。アルスル中尉と仰られたか。我々は貴官らを歓迎致しましょうぞ」

「本来、この場にあるべきは私ではなく、我が上官です。過分な称賛には及びません」

 進行方向から部隊を迎えるは、壮年の男の声だった。

 アルスル中尉は陣頭に立って形ばかりの挨拶を交わしたあと、馬車の中にいるシオンを呼ぶ。

 シオンは兵のひとりに手を引かれ、広場の石畳の上に立った。

 ひやりとした感触が足裏に伝わる反面、民衆の熱狂はシオンの姿を見ていや増した。

 声は何ともつかなかった。罵倒か、侮蔑か、あるいは哀悼か、同情か。

 少なくとも、表立って新生王国を非難するような声はない。

 その手の反動家は揃って隠れ家に潜ってしまった。

 潜在的にそのような意識があるものは、俯いて口をつぐむだけ。

 ひとりで勇気を振り絞るような真似は、王都軍を前にしては自殺行為も同然である。

「では、早速彼女を引き渡していただこう。叛逆者(それ)に手を貸すには及びません。自らの脚で、行かせるのです」

 それはおそらく、大隊の誰かがシオンを解放することを恐れての処置だろう。

 逃げられる心配はない。シオンの足首はしっかりと鎖で戒められているからだ。

 知らず、シオンの口元に笑みが浮かぶ。

 彼らは、恐れているのだ。

 手足を縛られ、

 目隠しをされ、

 手に武器もなく、

 粗末な服を着て、

 靴すら履いていない──

 ただひとりの、ちっぽけな少女を。

「行けるな」

 アルスル中尉の声に、こくりと頷く。

 そしてシオンは、男の声がしたほうに歩き出した。

 迷わず、ためらわず、ゆっくりと。

 急に民衆たちが水を打ったように静まり返る。

 なぜかは、わからなかった。

 ただシオンは、ひたひたと石畳の上を歩いていった。

「そうだ。そのまま来い」

 全く手を焼かせてくれたものだと罵る声を耳に聞く。

 構わずに歩みを進める。

 一歩、二歩、三歩。

 制限された歩幅は小さいが、そこでつんのめったりはしない。

 シオンは自分の小ささを知っている。自分ひとりでできることなど、たかが知れている。

 そこを見誤りはしない。

 今、シオンがここにいるのは────数多の人々に助けられたからだった。


 その時、一発の銃声が轟いた。


 銃弾は狙い違わずシオンの手枷を撃った。

 鎖が弾ける。反動で倒れかけるところを踏み留まる。

 心の準備は先に済ませていた。すぐに態勢を立て直し、手を伸ばす。

 自由になった手で目隠しを放り捨て、シオンは目の前をしかと見た。

 まだ判然としない視界の中、眼前にいる壮年の男が腰に剣を帯びているのを確認する。

 驚愕のあまりに思考が停止している男に何気なく歩み寄り、剣を奪い、抜き払った。

 驚きに目を見開いたまま、男の首が飛んだ。

 男の死体の周辺には、王都の防衛を司る治安部隊と憲兵隊を合同した王都軍──そのごく一部であるおよそ三〇〇が展開している。

 壮年の男は、彼らの指揮官であった。

 指揮官を失った部隊がもたらすものはひとつ。混乱だ。

「な……なにが」

「なぜ撃った!!」

 アルスル中尉は間髪入れず、王都軍に向かって叫んだ。

 まるで糾弾するような口調であった。

「見ての通り、我々は一切の銃器を所持していない! 誰だ、撃ったのは!!」

 アルスル中尉、否、護送部隊の面々はそれをやったのが王都軍ではないことを知っている。

 目的は至極単純。混乱から立ち直る暇を与えず、傷口に指をかけて押し広げることにある。

 本来、彼らがやるべきはシオン・ファーライトを確保することだ。

「誰なんだ!?」

「俺じゃない!」

「音はあっちの方からしたぞ!」

「そんなに遠くじゃないはずだ」

 しかしアルスル中尉の扇動に乗せられ、少なくない兵が凶事の犯人探しに目を向けてしまった。

 生き残りの副隊長が慌てて彼らを制止する。

「静まれ!! そんなことは後でいい、今は──」

 瞬間。

 副隊長の怒鳴り声をかき消すように、立て続けに銃声が鳴り響いた。

 今度はシオンを狙ったものではない。銃弾は、市民集団のほうに放たれていた。

 幸いにも被害者はいない。というより、あくまで威嚇射撃なのか、着弾地点は集団からかなり離れている。

 だが、それは群衆を恐慌させるには十分過ぎる脅しだった。

 悲鳴、狂騒、そして「逃げろ」という叫び声。雪崩を打って我先にと広場から逃げ出そうとする市民たち。

 一方、その場から動こうとしない市民たちもいた。

 彼らは揃って、王都軍を指弾するように声をあげた。

「あいつらだ。あいつらが撃ちやがったんだ!」

「あんな子どもだけじゃなく、俺たちまで殺す気だ!」

 それは一時的な恐慌状態からなる集団妄想──というわけではない。

 前もって別働隊が接触し、群衆の中に潜ませていた反動勢力の工作活動である。

 シオンの手錠を狙撃したのも、やはり別働隊の人狼だ。これは前もってシオンに知らされていた作戦計画の一部にすぎない。

 王都軍の一部は犯人探しに躍起になり、また別の一部は民衆の混乱を収拾するために駆け回り────

 そして本来やるべきことを思い出した一部が、シオンのほうに押し寄せてきた。

 瞬間、大通り沿いに並んだ建物から飛び出してきた人影ひとつ。

 彼女はシオンに向けて細長いものを放り投げ、同時に足枷の鎖に銃剣の筒先を向け、撃った。

 足枷が無残に砕け散る。

 自由な四肢を取り戻したシオンは片手の剣を放り捨て、投げられたものをしかと受け取った。

 掌中に収まる手に馴染む感触。それだけでシオンは理解した。

 これこそは"魔剣"────"妖剣・月白"に違いなし。

 黒塗の鞘から煌めく白刃を抜き払い、抜刀。

「う、あああああッ!!」

 同時、押し寄せてきた兵を適当に斬り捨てる。

 王都軍の制式装備は銃剣と槍。だが、シオンを捕獲するために接近していたのがまずかった。 

 瞬く間にして死体の山ができあがる。死者数はあっという間に一〇をこえた。

 その中に副隊長だった男が含まれていたのか、広場の混乱はなおも膨れ上がるばかり。

 何人かの兵は迫る死の恐怖に逃げ出してしまった。無理には追わず、刃にこびりついた血を振り払う。

 一息ついたところで、シオンは改めて飛び出してきた人影を見た。

「……ファリアス」

「ひとまず、無事だったみたいさね」

 ふたりして笑みを交わし、頷く。

 彼女は別働隊を率いるものとして、王都ファルクスでの諜報活動に従事していたのである。

 捕虜に偽装するため、"妖剣・月白"を預けていたのも彼女にだった。他にそれを頼めるものは誰一人としていなかった。

「まずは準備、済ませちまいな。あの城は裸足で行けるもんじゃないよ」

「……うん」

 ファリアスは背負っていた背嚢を石畳の上に置く。

 中には必要最小限の水と着替えがあった。当然、靴もある。

 馬車に飛びこんで一分とかからず支度を済ませる。

 少しは頑丈な革の服を着て、ブーツを履き、上からは黒地に鈴蘭の羽織を身にまとう。

 最後に水分を補給して飛び出し、ついで、黒馬と馬車を繋いでいる紐を断ち切った。

 これでファルは自由だ。

 ふと空を見ると、発煙弾が打ち上げられている。

 別働隊による"決行"の合図である。これを機にアイザック率いる大隊は城門を突破し、王都の主要施設を制圧する手はずになっている。

 その最中、可能な限りは市民勢力を味方につけようとするだろう。その試みがどう転ぶかはシオンにもわからない。

 さて、とシオンは王都の一際高い地区──高層部にある異様な建築物を見た。

 そびえ立つ白亜の塔にして砦にして城。

 王都ファルクス王城、ヴァルドル城塞。

 そこにシオンは進路を定め、かたわらのファリアスを一瞥する。

「……私、行かなきゃ」

「あたしも途中まで行くよ。城への援軍を止めるのはあたしらの仕事だ」

 意想外の言葉だった。面映ゆく思いながら、こくりと頷く。

 言われてみれば確かに、誰かが城の入り口を押さえる必要があるだろう。

 さもなくばシオンは城内の近衛軍と城外の援軍から挟撃を受ける羽目になる。

 揃って駆け出そうとした瞬間、ファルの巨躯がふたりの目の前に割りこんでくる。

 乗れ、ということだろうか。

「こんなところで解放されたって困るだろうさね。こいつも、こんなところまで来ちまったんだ」

 先立ってファリアスが手綱を取り、シオンを先導。

 応じて、シオンも前に騎乗する。ファルの首に腕を絡め、姿勢を前倒しに安定させる。

「シオン殿。武運を祈ります」

 アルスル中尉以下護送部隊は完璧な敬礼をしたあと、市民の避難誘導のために行動を開始。

 その後にアイザック率いる大隊と合流し、制圧を支援する手筈である。

 王都軍の混乱がいつまで続くかが問題だろう。今は別働隊の工作活動が功を奏しているが、援軍と合流されると状況はかなり不利になる。

 それまでにいくつかの駐屯所を潰しておく必要がある。

 つまり、時間との勝負だ。

「おたがいに」

 護送部隊の背中に目礼を送り、シオンは前に向き直る。

「さ。行こうじゃないかい」

「────行こう」

 応じて、ファリアスは手綱をわずかに緩めた。

 十字通りに力強い嘶きが響き渡る。

 そして刹那──ファルはヴァルドル城塞に向け、猛烈な勢いで駆け出した。

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