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亡国の剣姫  作者: きー子
25/34

弐拾伍、約束

 国家に対する叛逆者シオン・ファーライトは魔剣兵混成大隊指揮官大佐、アイザック・アスモフによって拘束された。

 アイザック率いる大隊の一部は捕らえたシオンを護送するため、かねてより命じられていた通りに撤退を開始。

 国境線地帯の防衛は辺境都市軍に徐々に引き継ぎつつ漸進的な撤退を続行──最終的には全兵が王都に帰投するものとする。

 それこそは、シオンがアイザックに語った計画のあらましであった。

「……狂気の沙汰だ」

 人払いがなされた天幕の中、シオンとアイザックは一対一で向き合っていた。

 昨夜の決闘から丸一日が経ったあと、ふたりは改めて話し合う場を持ったのだ。

 シオンたちは今、大隊の兵営地に宿泊していた。一時的な客人という立ち位置である。

 天幕の外では現在、大隊副官のアルスル中尉とファリアスが待機している。護衛と見張りを兼ねてのことだろう。

「悪くは、ないと思うけれど」

 初夏の夜気。

 淹れたての黒茶に口をつけながら、シオンは平然とアイザックを見る。

 当然、シオンには捕まるつもりなど微塵もない。

 単なる偽装。

 アイザックが見事にシオンを捕らえたという芝居を打ち、王都に直接乗りこもうという算段である。

 大隊をともなって王都に乗りこんだアイザックたちは、果たして何をすべきか。

 言うまでもない。

「確かに、英雄には違いあるまい。誰しも捕らえることができなかった貴公を捕らえたという名誉。あるいは──腐敗した王権を打倒する英雄か」

 新生王国にとって待ち望んだ朗報。拒絶することは難しかろう。

 参政権の解放を望む市民たちにとっても同様だ。

 王都の市民らはすっかり疲弊していたが、新生王国に真っ向から対立する軍事勢力があれば事態は急変する。

 もっとも、シオンは王都の現状など知ったことではなかったが。

 なんにしても、新生王国と対立する彼ら大隊にとっては、決して悪い選択肢ではないだろう。

「私が、それを考えなかったと思うか」

 アイザックの愁眉な瞳がシオンをじっと見る。

 シオンは首を軽く振って応えた。

「考えたかもしれないけれど。そこに私は加味されていない」

 考えているはずもない、というべきか。

 仮にシオンを庇護下に置いたとしても、アイザックはそうしなかっただろう。

 リスクが大きすぎるのだ。

 奇襲は成功するかもしれないが、なにせ彼らは寡兵である。後が続かないだろう。

 たった一〇〇〇。

 現王権がクーデターを成功させるのにもその十倍以上は要したというのに、たったの一〇〇〇である。

 全兵を撤退させるわけにはいかないという事情を鑑みれば、実際には一〇〇〇にも満たない。

 例え"結束剣・グランガオン"の力があろうとも、王都ファルクスのヴァルドル城塞は堅牢堅固。

 攻城兵器に対する防衛火線を備えていることもあり、強行突破は不可能に近い。

 まさに────狂気の沙汰だった。

「いくら貴公の剣があろうとも、無理がある」

 アイザックはあくまで冷静に言う。

 しかしその声には自信が欠けていた。

 彼自身、ありえないはずの敗北を喫したのだ。

「あなたの懸念は、つまり、攻勢の手を欠いているということ」

「……そうだ」

 重々しく頷く。

 魔剣兵混成大隊は疑いようもない精兵だが、多勢に無勢。

 機動力は高いが火砲の数は心もとなく、城攻めには不十分と言わざるをえない。

 頼みの綱である"結束剣・グランガオン"も堅牢堅固な城塞を前にしては通じない。

 シオンの類まれなる剣技とて、所詮は一個人の武芸である。

 であればこそ、アイザックは反旗を翻そうとはしなかった。

 あくまで政治的な対立に留め、シオンの身柄を利用し、新生王国からの譲歩を引き出そうと考えていたのだ。

 そんなアイザックに、シオンは何の気なしに告げた。

「私なら、ひとりで城を抜ける。絶対に」

「……その根拠は」

 ほんの一二歳の少女が、一個大隊も身を退く城をひとりで攻略できるという。

 どうかしている。

 だが、その言葉を一笑に付すことができないアイザックも、いよいよどうかしていた。

「忘れているかもしれないけれど、私はこれでも王族だよ。登城したこともあるし、城の内部構造も頭の中に叩きこんでる。きちんとした道具があれば外壁を登るのも難しくない。あの無闇に大きな図体の人形でなければ、だけれど」

「暗殺か」

「そう。頭を刈る」

 すなわち、電撃作戦。

 アイザックが最も懸念しているのは、長期化したクーデターが内戦に発展することだった。

 そうなれば、まず間違いなく近隣諸国の干渉を招くことになる。

 彼らに、兵糧攻めなどの長期戦は許されない。それこそは、城攻めを困難にする最たる要因だった。

 その問題を、シオンが単身で解決できるならば──不安要素は一気に半減する。

「……馬鹿げている、と、昨日までの私なら言っていただろう」

 ありえない、と。

 アイザックはもう、一言で切って捨てることができなかった。

 この娘ならば、やりかねない。

 そんな畏怖にも似た感情が、アイザックの表情に浮かび上がる。

「どの道、この話を無かったことにするなら、私は帝国に渡る。それだけ」

 それもまた、華陵帝国の干渉を招きかねないのは言うまでもない。

 後は、あなたが決めること。

 英雄になるか、どうかを。

 シオンは最後通牒のように、アイザックに告げる。

 半分脅すような交渉は、シオンの亡命を邪魔しないというアイザックの誓約によって成り立っていたが──

 おそらく反故にはするまい、とシオンは直感していた。

 それはアイザックの騎士としての誇りを問題にするわけではない。

 アイザックが誓いを破ってでもシオンを攻撃した時、部隊から夥しい犠牲者を出すことが明らかだからだ。

 海のように深く蒼いシオンの瞳が、アイザックをじっと見据える。

 彼は一度息を呑み、軽く肩をすくめた。

「一日、返事を待って頂きたい。構わないか」

「うん」

 急ぐ理由は特にない。

 その場は解散として、シオンとファリアスはふたりのあてがわれた天幕に戻る。

 アイザックと副官のアルスルは改めて話しこむようだった。

 この時シオンは、アイザックが恐らく了承するであろうことを確信した。

 辺境都市への交渉役としてアルスル中尉を送るのを、アイザックが命じているのが漏れ聞こえたからだ。

 さておき、ふたりはすっかり暗い天幕の中で横になる。

 ファリアスは毛布をかぶりながら、寝袋にもぐるシオンをじっと見た。

 ひそめた声でファリアスは言う。

「ねぇ、シオン。ちょいと気になったんだけど」

「……うん」

「絶対に城を征圧できる、って言ったじゃないかい」

「うん。言った」

「あれって──」

「うん」

 もちろん、真っ赤な嘘である。

 シオンはヴァルドル城塞の構造など全く知らない。

 そもそも登城したことなど一度もない。

 妾腹の末姫。貴族にはありえない黒髪の王族。

 そんな娘の姿を衆目に晒す親が、一体どこにいるというのだろう。

「……だろうと思ったさね」

 さすがにファリアスは見抜いていたらしい。

 長い付き合いではないが、短い付き合いでもない。

 アイザックはどうだろうか。

 彼はいかにも人が良さそうだし、差別感情も常軌を逸して薄い。

 その人柄は平民出身の兵を大切に想っている様子からもうかがえる。

 実際のところ、わからなかった。彼とて貴族だ。

 ひょっとしたら、気づいた上で賭けに乗ったのかもしれない。

 シオンが帝国に亡命してしまうよりは、あるいは、と。

「……ファリアスは────いいの?」

 言うなれば、これはシオンのわがままだ。

 シオンひとりの感傷のためだけに、一国を巻きこんだ動乱の引き金を引こうとしている。

 前王陛下が見ればきっと嘆くだろう。目の前に生き延びるための道が開けているのに、と。

 紫苑の花は夏には咲かない。

 この選択は狂い咲きの徒花に過ぎないか、果たしてなにかの実を結ぶのか。

「ああ。もちろん────いいや」

 ファリアスは隻眼の金眼をすがめて、天上をそっと仰ぎ見た。

「望んでいたのさ、こういうのを。あたしは──人狼族(あたしたち)は、ね」

 決断的な言葉だった。

 それはともすれば、シオンよりもずっと力強いほど。

 シオンはちいさく息を吐き、寝袋の中で肩をすぼめる。

「……甲斐があったのなら、よかった」

 ただ、生き延びるためだけに。

 そう思って走り続けてきたシオンは今や、再び死地に舞い戻ろうとしている。

 笑えない話だった。今になって、本当に望んでいたことに気づくなんて。

 ふと、シオンの黒髪にごわごわとしたものが触れる。

 ファリアスの掌だった。ちょっとだけ群れた毛並みが、シオンの髪をどこか優しげに撫でつける。

「……そんなこと、気にするもんじゃないさ。全く、厄介な時代に生まれたもんだよ」

 種族も、身分も、故郷も、ふたりはなにもかもが違っていた。

 真に厄介な時代だった。けれども、ふたりを繋いだのはまさにその厄介な時代がもたらしたものだった。

 全く、度し難い。

 これをこそ奇縁と言うべきなのだろう。

 シオンはこくりと頷き、目を閉じた。

 穏やかな眠りに落ちながら、少女はしがらみのない世界を想う。

 シオンには想像もつかなかったし────

 当然、その時にどうするべきなのかもわからなかった。


 翌日、アイザックから伝えられたのは了承の一言だった。


 その日から、シオンが提案した杜撰極まりない計画は、アルスル中尉によって現実的なものに修正されていった。

 計画を予定通り運ぶためには入念な準備が必要だ。それは一昼夜で片付くようなものではない。

 ゆえにシオンも足止めを余儀なくされた。思い立ったら即行動、とはいかないのが組織というものである。

 その間、シオンはほとんどの時間を休息と鍛錬に費やした。

 なんとなれば、五人もの"魔剣遣い"を打ち破ってきたシオンの疲労は相当なものになっていたのである。

 いくら休み休みに進んでいたとはいえ、一二歳の少女の身体が耐えられる行程では決して無い。

 午前は朝の少し遅い時間に起き、ファルの散歩代わりに平原をぶらりと歩かせる。

 これは部隊の男たちの目をよく引いた。

 シオンとは似ても似つかないような巨躯を誇る黒馬である。

 どうしてシオンに大人しく従っているのか。兵たちは心底不思議そうに首をかしげたものだ。

 騎手として感じるものがあるのか、騎兵の中にはシオンに声をかけるものもいた。

 大抵は些細な好奇心からだろうが、どのように手懐けたのか知りたがるものもしばしばだった。

 言うまでもなく、シオンにもわからないので答えようがない。「前の馬主が良かったの」などと適当に答えておいた。

 間違ったことは言っていないのでなにも問題はない。

 午後はもっぱら午睡か、鍛錬に勤しむのが常だった。

 シオンがその手に剣を握る姿は、馬上姿以上に人の目をよく引いた。

 なにせシオンは、アイザックとその"魔剣"を見事に打ち破ったのである。

 実際、とてもそうとは信じられない兵も少なくなかった。

 大隊の兵が皆、あの決闘を目にしたわけではないのだから。

 "結束剣・グランガオン"──部隊の兵たちからは軍神のように扱われる鉄巨人。

 それを斬り伏せたともっぱら噂の末姫様は、果たしてどんな鍛錬を行っているのか。

 興味が湧いたのも無理からぬことだろう。

「……なぁ」

「あれ、本気か」

「……だと思うぞ。昨日もああだったらしい」

 それを目の当たりにした兵たちは、ただただ困惑した。

 シオンにすれば全くいつも通りの鍛錬だが、彼らにはその意図が測りかねたらしい。

 見えない線をなぞるように、剣先をゆっくりと振り下ろす。

 あるいは、ゆっくりと一直線に横に振る。

 ゆっくりと弧を引き、完全な真円を描くように斬り上げる。

 正しい動きを確かめるように。無闇に早く動いて雑にならないように。

 基本の型を身体の根底に染みつかせるように。

 それは、かつてファリアスが垣間見たものとさして変わりはしない。

 しいて言うならば、剣速は以前よりも遅くしているように見えた。

 遅くすれば遅くするほど、腕にかかる負担は増大する。斬線もぶれやすくなる。

 端的にいって、難しい。

 剣先に蝿が止まるような遅さ──否、虫すら剣が振られていることに気づかないかもしれない。

 兵たちの何人かはそれを見て、鍛錬の意図を理解した。

 シオンとアイザックの決闘を見ていたものは、何らかの秘訣があるのだと深読みした。

 そして、一〇〇〇人もいれば少しくらいはいるだろう不届き者は、シオンを嘲った。

「遅すぎるぜ、話にならねえ──どうせアイザック隊長がやられたってのも作り話、談合かなにかだろ」

 その言葉は彼個人の思いつきというわけではない。実際、少なくない兵がそう考えていた。

 密室での政治的決着が行われたに過ぎないのだろう、と。

 その程度に、アイザック・アスモフに対する信頼は篤かった。

「そう思うなら、試せばいい」

 よせばいいのだが、言われっぱなしも癪だったのだろう。

 素っ気なく言い捨てたあと、シオンは黙々と鍛錬に戻った。

 もちろん、それで事が済むはずもない。

 いくらシオンが王族とはいえ、今は事実上の叛逆者だ。地位も権力もなにもない。

 そんな幼い少女に挑発されて黙っていたら腰抜けもいいところである。

 男はシオンの挑発を買った。

 そして一〇秒とかからず程々に叩きのめされた。

 木の棒で。

 そんなことが何度か繰り返されたあと、シオンの武芸はまさしく本物として部隊内で認知された。

 今のシオンに地位はない。権力もなにもない。

 だが、剣はある。大逆の末姫シオン・ファーライトには剣がある。

 その頃からか、シオンに対する部隊員の反応もいくらか柔らかくなった。

 一種の通過儀礼を経たような感じだった。

 顔が知れたということもあるし、本質的には大人しい娘とわかったこともあるだろう。

 篝火を囲んでいるところに顔を出せば、ちょっとした世間話をしてくれるくらいにはなった。

 一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、作戦の準備は着々と進展していた。

「最近、王都のほうが随分きな臭いらしいからな。俺たちが出張ることになるかもしらん」

「まさか。その手の話はだいぶ前に無かったことになったろう」

「いや、わからんぜ。中尉殿も妙にあわただしく走り回ってるからな。行軍の準備ってこともある」

「なにか聞いちゃいないのかい────姫様は」

 と。

 情報が通達されていない下級兵も、戦の気配は如実に感じているらしい。

「ううん。私は、なにも」

 応えて、シオンは首を振るばかりだった。

 嘘ではない。

 シオンは発起人ではあるが、その後の準備には一切関与していない。

 実務的な側面は、全て大隊の指揮官であるアイザックに一任している。

 シオンに不利益な企みがないように、ファリアスが絶えず聞き耳を立てていたが。

「残念だな。いっそ派手にやれれば清々するってのに」

「全くだ。王都にはもうちょっとましな使者がいないのか? ろくな奴をよこされた試しがない」

 シオンが同席していても口が軽いのは、おそらく黒髪ゆえの気安さからか。

 なにせ一見しただけではとても貴族には見えない姿である。

 顔貌(かおかたち)は綺麗に整っているが、まだまだ子どもとしか言いようがない。

 そう。

 なんだかんだ言っても、シオンは子どもだ。

 そして兵たちは、戦闘訓練を積んでいるものの、ごくごくありふれた市民である。愛する妻子がいるひとりの人間だ。

 シオンのような少女を見て、処刑すべきと考えるのは甚だしく困難である。

 むしろ、故郷に残してきた我が子を思い出すものが大多数を占めるだろう。

 あまり感傷を思いおこさせるのも本意ではない。シオンは会釈してその場を辞し、自分たちの天幕に戻る。

 その日はすでにファリアスが帰っていた。

 ファリアスは"その時"を待つように過ごしているシオンと違い、精力的──かつ積極的に動いていた。

「シオン」

 天幕に入ってきたシオンを見るファリアスの隻眼は、いつもより心なしか輝いて見えた。

「……どうしたの」

 思わずシオンが問うと、ファリアスは上機嫌に声を上ずらせる。

「ああ。一族と接触できたんだよ。辺境都市にも同胞がいたみたいでねぇ──あたしらと連携して動けるかもしれないよ」

「……つまり、ファリアスみたいに動ける人が、いっぱい増えるってこと?」

「正しくはないけど、それほど間違っちゃいないよ」

 ファリアス・ガルムは人狼族全体でも上位に位置するほどの戦士である。

 隻眼というハンデキャップを差し引いてもその地位は揺るがない。むしろ、狙撃技術と"撃剣・カノン"の存在が欠点を補って余りあるだろう。

 彼女に及ぶ戦士はそう多くはない。徴兵されていない在野の人狼族に限ればなおさらだ。

 だが、戦闘技術無くとも人狼族には優れた素質がある。優秀な感覚器官が、人狼族限定の伝達技術が、強靭な身体能力がある。

 それは大いに、シオンらの作戦を利することだろう。

「これで何とかして、王都に残ってる一族に働きかけたいところさね。そうしたら、城塞への侵入ルートくらいは確保できるかもしれないよ」

 その言葉を、聞いて。

 ……嗚呼、とシオンは嘆息した。

 ファリアスはなおも、シオンを生かしてくれようとしている。

 元を辿れば、シオンが無責任にも見得を切ったのが悪いというのに。

 それでシオンが倒れたとして、自業自得以外のなにものでもないだろうに。

 それでもまだ、ファリアスは、自分にできる限りのことを、尽力し続けていてくれた。

「ファリアス」

「なんだい」

 シオンが生きて、ヴァルドル城塞を攻略する。

 それがファリアス、ひいては人狼族全体の利益であることは自明の理だ。

 情を抜きにしても、きっとそうするのが一番正しいのだろう。

 そうわかってはいても、シオンはどうしようもなく面映ゆい気持ちになる。

「……ありがとう」

「今さら、水臭いこと言うんじゃないよ。当然さね」

 そういうファリアスに、シオンはゆっくりと首を振った。

「今だから、言うの」

 おそらく、作戦の発動はそう遠くないだろう。

 いざ実行に移された時、シオンとファリアスは別行動を取ることになる。

 拘束されているように偽装しなければならないため、当然といえば当然だ。

 だから、と。シオンは言葉を続けかけて、止めた。

 ────これが最期かもしれないから。

「馬鹿だね。機会なんていくらでもあるよ────シオン、あんたが生き残りさえすればね」

 ファリアスは瞳を眇め、咎めるようにシオンの頭を軽く叩いた。

 全くもってその通りだった。

 そしてそうなるように、ファリアスは尽力してくれている。

「……生き残れば」

「そうさ。生き残れば、なんだってできる。なんならシオン、あんたが王位につくこともね。無理な話じゃない──ま、これは無しだけどね」

 シオンには統治に関わるつもりなど微塵もない。政治に至っては言わずもがな。

 それは以前にもシオンが言った通り。

 シオンの国は、もう()いのだから。

 未練がましく王位にこだわる理由は、ひとつもなかった。

「あるだろう。やりたいことのひとつやふたつくらい、ね。今も、まさにあんたが望んだ通りに事は運んでるんだから」

 シオンはちいさく首肯する。

 まさに計画はシオンの思ったように進んでいる。

 だが、その後は。まだその先というものがあるのだとしたら。

 望みは、シオンが思った以上にすんなりとこぼれた。

「……旅が、したいな」

 今のように、追われながらの旅路ではなく。

 何物にも縛られることなく。

 誰に追われることもなく。

 それも、叶うのならば、ひとりではなく────

 願わくば、今のように。

「旅に、出たい。貴女と」

 シオンはちょっと視線をあげて、ファリアスを見つめた。

 ファリアスは灰毛の生い茂る耳の裏を掻いたあと、目を俯かせた。

「……本気かい」

「うん」

 独立直後の人狼族は、優秀な戦士であるファリアスを必要とするかもしれない。

 そう思えば身勝手な話ではあるけれど──あくまで、シオンが望んでいるというだけのこと。

 わざわざしがらみを鑑みることもあるまい。

「わかった。……考えとくよ」

「うん。お願い」

 ファリアスはくすぐったそうに瞼を掻いたあと、深々と頷いた。

 その言葉が判断の保留でなく、どのように実現するか"考えておく"という意味だったとは、シオンは思いもしなかった。

 その夜は寄り添うように眠り、夜が明けた。

 翌日。

 大隊の中でも限られた精兵三〇〇名──そしてシオンとファリアスに、侵攻作戦の概要が通達された。

 作戦発動は明朝六時。

 抜ける戦力を補うために辺境軍への引き継ぎが行われ、兵営地はいよいよ混乱を極めた。

 結果から言えば、なんとか間に合ったと言うべきだろう。

 翌朝────王都侵攻作戦はひそかに開始された。

 迫りつつある脅威の存在を、まだ王都の誰もが知らなかった。

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