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亡国の剣姫  作者: きー子
24/34

弐拾肆、結束剣・グランガオン(下)

 一騎当千。

 鉄巨人を駆るアイザックを一言で言い表すならば、それがもっとも相応しかろう。

 数多の銃弾をものともしない白銀の装甲。

 距離を問わず中隊規模の敵兵を一瞬にして薙ぎ払う火力。

 そして、城柵をたやすく粉砕する剣碗。

 その存在だけでも敵兵は否応なく恐れ慄き、敵指揮官は士気の維持に苦心する羽目になる。

 一方で、味方にすればこれほど頼もしいものはない。

 アイザックの麾下にある兵はこの"魔剣"に鼓舞されて大いに士気を上げ、凄まじい戦果を叩き出してきた。

 それは心理的な効果は言わずもがな、巨大な躯体を即席の防壁として利用できることもある。

 どれほどの銃弾であれ、火砲であれ──"結束剣・グランガオン"を撃破することはほとんど不可能とされてきた。

 無論、例外はある。

 前王ルクス・ファーライト。

 彼と、彼の"魔剣"の力によって、鉄巨人はあえなく打ち破られた。

 それが唯一の例外だった。

 しかも、その例外とて御前試合のようなもの。よもや全力で打ち合えるはずもない決闘である。

 やはり、実際の戦場で撃破することは事実上不可能とするのが妥当。

 誰もがそう考えていた。

 麾下の兵もまたそれを信じていた。

 華陵帝国が侵攻を躊躇っているのは、この"魔剣"の影響ということも大いにあろう。

 軍神。そうもあだ名される鉄巨人は、大隊の兵員にとって絶対的な勝利の象徴であった。

 それが、どうだ。

 この有り様は。

「……どうなってんだ、ありゃあ」

 大隊の兵たちは遠巻きに、二者の激突に視線を注いでいた。

 巻きこまれないところから目を向けて、信じがたい光景をしかと見る。

 鉄巨人"結束剣・グランガオン"は確かに、巨大だ。圧倒的な巨躯を誇る鉄人形だ。

 かといって鈍重なわけではない。駆動を補助するスラスターとスタビライザーを備え、旋回する機動も至って滑らかなもの。

 だが彼は、シオンの猛攻に押されていた。

 寄せては返す波のよう。少女の疾駆はまるで絶え間がない。

 蝶のように舞い、蜂のように刺す。

 言葉にすれば陳腐なものだが、実際にやるとなれば話は別だ。

 目にも映らぬ速度で銀の切っ先が尾を引き、空を渡るように疾駆しながら幾度ともなく斬りつける。

 斬りこんでは退き、またすぐに踏みこんで斬る。

 薄い刀身の頑強さは"魔剣"ゆえの賜物だろう。

 へし折れることを気にせず振るえるのは非常に大きな利点だが、それを差し引いても────

 シオンの体捌きと剣筋は、まさに異様の一言だった。

「姫様……なんだよ、な」

「そのはずだ、が」

 兵たちは口々に囁くが、誰しもが自らの言葉を信じられないでいる。

 目に見える光景だけが唯一の真実だ。

 まるで羽でも生えているようだった。

 鉄巨人の躯体に取り付いては離れ、駆けてはすり抜け様に斬りつける。

 無為な剣撃も少なくはない。先ほどまでは徹底的に一点を狙っていたシオンは、各所に狙いを散らしている。

 だが、それぞれの部位ごとに狙いを一点に集約しているのは変わりがなかった。

 当初の狙いであった右腕関節部から意識を逸らす目論見か。

「……偽物なんじゃないのか」

 当然といえば当然の疑問。

「偽物だろうとなんだろうと、とんでもねぇな」

 真偽などどうでもいい、と首を振るひとりの兵。

「いや、しかしよく似てる。閲兵式でちょっと見たよ」

「馬鹿。似てないのを影武者にするか」

「そりゃそうだけどよ」

 少女が疾駆する。

 鉄人形は自在に四肢を操るが、シオンを捉えることはない。

 わずかに掠めることはあっても、図ったように少女が一歩先を行く。

 黒布を散らし、掠り傷を負い、吹き抜ける剣風ですら少女を圧倒するには十二分。

 なれどもシオンは肉迫し、鉄巨人の躯体へと魔剣を振り放つ。

 瞬く剣光。

 甲高い金属音が響き渡り、鋼鉄の一部位が悲鳴をあげる。

 瞬間、躯体へとにわかに火が取り巻き、損傷部位を素早く焼き固める。

 "結束剣・グランガオン"の再生力の発現である。

 押されていてもなお、アイザックは冷静さを保っていた。

 否、押されているからこそ冷淡なまでに感情を抑えつけている。

 その姿に、一抹の不安を覚えてしまうのは決して気のせいではないだろう。

 本来。

 本来ならば兵たちの心はアイザックにある。

 彼の勝利をこそ祈るべきなのである。

 彼こそは自分たちを最もよく使える指揮官なのだから、当然だ。

 だが。

「……化物だな。人間離れしてやがる」

 ────綺麗だ。

 とは、兵士の男もさすがに口にはしない。

 しかしほとんどの兵は、予想を大きく裏切る眼前の光景から、目を離すことができなかった。

 鋼鉄の人形を相手に、年端もいかない剣姫が踊る。

 剣戟の舞踏。

 それに彼らは否応なく釘付けにされる。

 驚愕するでもなく、戦慄するでもなく、激情するでもなく──

 ただ、見入る。

 まるで魅入られてしまったかのように。


 そして当のアイザックもまた、抜き差しならない苦戦を強いられていた。

 本来、鉄巨人の巨躯は圧倒的な優位である。生半可な身軽さでは攻撃を避けることもかなわず、敵は骸を晒すことになる。

 その最たるものは、敵を自らの間合いから逃がすことがないという点にある。

 敵がどれだけ素早く身を引こうとも、"結束剣・グランガオン"の兵装は容易に届く。

 魔術による砲撃は言わずもがな、巨大な剣身から逃れることすらも困難を極めよう。

 それは、凄まじき駿足を誇るシオン・ファーライトさえ決して例外ではありえない。

 ありえないはずなのだ。

「くッ……!」

 だが、アイザックはいまだにシオンを捉えることができていない。

 彼女は小柄であるがゆえに、その利点を最大限に活用していた。

 適確に懐に潜りこんで斬りつけ、すぐさま安全域に離脱する。

 "結束剣・グランガオン"の射程から逃れることは難しい。難しいが、一瞬一瞬に限るならば話は別だ。

 鉄巨人。

 それが人を模した姿を取る以上、各部位の駆動限界はいかんともしがたく存在する。

 その間隙を突くように駆け回るシオンは、人体の運動というものを余すところなく熟知しているように見える。

「せッ!!」

 咄嗟に旋回機動を取る"結束剣・グランガオン"。

 その時、シオンはすでに巻きこまれないよう後方に離脱している。

 当然アイザックはそれを前もって読んでいた。

 朱く明滅する鉄巨人の左掌がかざされる────次々と射出される火矢が六つ。

 それぞれが時間差でシオンを追うように空を飛び交う。

 自動追尾。

 シオンもまた追撃を読んでいる。すぐさま前方に飛び出し、追いすがる火矢を置き去りに疾駆する。

 それはアイザックの思惑通りであった。

 単純な機動力や質量でシオン・ファーライトを圧倒することはできない。

 となれば有効なのは単純な直感──剣士の先読み。そして、敵を誘いこむ戦術である。

 持続的な牽制を行い、思うようにシオンを誘い出す。動いたところを迎え撃つ。

 お手本のような戦術の通り、アイザックは巨大な剣を地と垂直に構えさせた。

 真正面を中心から左右に分かつような斬り上げ。

 大地を抉り、砂礫が無尽に巻き上げる。シオンがいたはずの場所を巨大な刃が勢い良く通り過ぎていく。

 肉を断ち切る手応えはない。

「……ふッ」

 咄嗟に反応したシオンは、右方に刃を躱して駆ける。

 少女の狙う本命が右腕なのは明らかだ。至極理にかなった回避行動である。

 だからこそ、読みやすい。

 "結束剣・グランガオン"の背部スラスターが唸りを上げる。業火を吐き出し、鉄の巨人が加速する。

 勢いのまま、少女の矮躯に叩きこまれんとする純然たる暴力。

 ────蹴撃である。

 シオンは一瞬、息を呑む。

 それはシオンが足を止めることを意味しない。

 退くべきか、進むべきか。

 シオンは、進んだ。振り上げられた脚と地面の隙間を抜けていく。

 それはさながら"放たれた矢"。

 尋常の相手ならば間違いなく退くべきだったろう。

 しかしそれは"結束剣・グランガオン"相手には愚策以外のなにものでもない。退けばそのまま轢き潰されるだけに終わる。

 だが、鉄巨人の背後に抜けても炎に巻かれるのは避けようがない。

「全く凄まじい業前だ────が」

 やはり、少女にも限界はある。

 人間である以上、それは逃れようのない限界だ。

 一方、"結束剣・グランガオン"はその限りではない。消耗はシオンよりは遥かに少ないだろう。

 最後に立っているのがどちらかなど、言うまでもない。

「報われんな。徒花よ────」

 と。

 交錯した刹那、"結束剣・グランガオン"が旋回機動を取った瞬間だった。

 シオンはすでに、鉄巨人目掛けて再度駆け出していた。

「まだ、わからない」

 静穏な呟きをひとつ。

 炎をかぶり、火の粉がまとわりつくも全く気にしていないかのように。

 燃え盛る葦原を切り裂くようにして少女が来る。

「ぐッ」

 アイザックは目を見開く。

 戦慄の声音を押さえ、歯を食いしばった。

 鉄人形の右腕関節部に弾着が二打。意に介するなと意識から追いやり、再び切っ先をシオンに向ける。

 一瞬、奥の手の存在がアイザックの脳裏を過る。

 自爆。

 鉄巨人の全質量とこれを動かす熱量を全て周囲にぶち撒ける、"結束剣・グランガオン"の最後の手段である。

 否とすぐに首を振る。

 確かに、シオンを仕留めることはできるだろう。

 しかしアイザックも確実に死ぬ。安易に選ぶことはできなかった。

「……()ェッ!」

 面を爆撃する魔術を投射する。同心円上に広がる爆撃が、立て続けにシオンの進行上に放たれた。

 草の原を薙ぎ払い、燻ぶる炎を撒き散らし、大地をあらん限りの煉獄に変えていく。

 熱すらもシオン・ファーライトを責め苛む武器とする。

 だが、少女は止まらない。効力射を認めることはできない。

 爆風がシオンの黒髪をなびかせ、荒れ狂う熱が肌身を焼き、そして──その肉をえぐるには至らない。

 爆炎が張れ、黒い煙が立ち上る向こう側。

 シオン・ファーライトはぬるりと姿を見せて、"妖剣・月白"を手に真っ向から向かい来る。

 再加速────間に合わない。

「はッ……」

 少女の息遣いが聞こえてくるかのようだった。

 疾駆するシオンが鉄巨人の左半身を渡りゆく。

 空を翔けるように躯体上を駆け抜ける。

 旋回によって振り落とす試みを、部位を飛び渡ることによって無効化──

 左腕を足蹴に駆け、"結束剣・グランガオン"の巨大な剣身に乗りかかり、三角飛び。

 そして狙いは、言うまでもない。

 幾度ともなく斬りつけられた華奢な外装。

 右腕関節部。

「く……ッ!」

 鉄巨人の装甲が断ち切られることはない。

 幾度ともなく剣撃を受けようと、浅い傷しか付けられていないのがその証拠。

 数多の銃弾を浴びせかけられても破れることのない白銀の外装は、事実上無敵なのだ。

 ────本当か?

 本当に、そうだろうか?

 アイザックの脳裏に遠い過去が去来する。

 御前試合。前王ルクス・ファーライト。"魔剣遣い"との対等な一戦。

 "結束剣・グランガオン"誇る巨躯と装甲は、ルクスの手にかかって斬り伏せられた。

 彼の剛剣と、その手に握られた魔剣によって。

 太刀筋こそ似ても似つかないが────シオン・ファーライトの剣は、どこか、彼のものを思わせはしないだろうか?

「撃てッ!!」

 アイザックはかすかに、激した。

 瞬間、再び放たれる六つの火矢。

 自動的にシオンを追尾するそれが矮躯目掛けて飛ぶ。

 シオンもまた、跳んだ。

 空に疾駆する少女が、後から追いすがる火矢の尾を引く。

 (びょう)

 剣風が吹き荒び、宙にありながらシオンは刀身を抜き放った。

 暗夜にきらめく"妖剣・月白"の刃。

 その時、月夜に吠える人狼の遠吠えひとつ。

 放たれた銃弾が鉄巨人の右腕関節部を叩き、そして火矢のひとつを撃ち落とす。

 それはさながら少女を導く灯火。先駆けた導をなぞるように、シオンは落ちながら鉄腕と交錯する。

「────()ィッ!!」

 刹那、斬り下ろす銀の剣光の軌跡が、空に走った。

 一閃。

 鈴の音に似た刃鳴が散り、矮躯が滑るように燃え盛る大地へと落ちていく。

 波のようにうねる炎を避け、少女は柔らかな草原へと接地。

 そしてシオンは、背後の鉄巨人を仰ぎ見た。

 剣を握った右腕は微動だにしない。

 右腕関節部に新たな傷はない。

 代わりに。

 鉄巨人の華奢な関節部──その断面が、ずるりと滑った。

「う──」

 動け、と。

 言いかけた瞬間、アイザックは異変に気づく。

 "結束剣・グランガオン"の右腕は、彼の制御系を離れて地に落ちた。

 ずずん、と鈍い地鳴りが響き渡る。

 アイザックは、戦慄を禁じえない。

 いかに損傷が蓄積していたとはいえ、"結束剣・グランガオン"の外装は強靭そのもの。

 銃弾の雨あられを物ともしないほどのものである。

 その装甲に守られた駆動部が、ひとりの少女の細腕と──

 一振りの"魔剣"によって、断ち切られた。

「……馬鹿な」

 唖然とするが、アイザックは戦意を絶やしていない。

 鉄巨人の左腕が咄嗟に巨大な剣を拾い上げ、構える。

 完全に断ち切られては再生も不可能。左腕一本でやるほかにないだろう。

 一転して不利な状況。

 いや、とアイザックは首を振る。

 何を馬鹿な。腕を一本失っただけだ。鉄巨人はなおも健在だ。(コア)を破壊されたわけでもない。

 だというのに、アイザックはもう、自分が優位にあるとは思えなかった。

 優位にあるとは、思い上がれなかった。

 シオンは残心とともに刃を返し、アイザックをじっと見る。

 深く蒼い眼差しが男を射抜く。

『試して、みようか』

 先ほどの少女の声が、リフレインするかのようだった。


 鉄巨人を、斬った。

 確かな手応えを感じ取りながら、シオンは休む暇を与えることなく駆け出した。

 一方、右腕を失った"結束剣・グランガオン"はすぐさま状況に対応。

 シオンが右方から来ることを読み切っていたように草原を薙ぐ。

 だが、遅い。

 先んじて疾駆したシオンが一歩先を行く。

 刃の下を潜り抜け、狙うは膝下。

 もはや腕に固執する必要はない。

 初っ端から脚甲に斬りかかるのは危険が大きかったが、鉄巨人が隻腕となった今は積極的に狙うべきである。

 なにより、シオンの剣撃が通用することが証されたのだ。

 少女を押しとどめるものはもう、なにひとつ存在しなかった。

「……ッ、は」

 振り子のように振られる脚甲を横に避け、呼息。

 宙で一瞬静止した爪先に乗りかかり、飛び、斬る。

 "妖剣・月白"の刀身が、装甲に深々と食いこんだ。

「────馬鹿なッ!!」

 愕然とするのはアイザックのみに留まらない。

 灯火をかかげて見守る兵たちからもどよめきが起こる。

 無理もない。

 先ほどまでは装甲を傷つける程度だったシオンの剣が、明らかに鋭さを増しているのである。

 もっとも、シオンにはなんら不思議なことではない。

 当然、異常な斬れ味を発揮できるのは"魔剣"あってのこと。

 だが、威力が増したのは単なるシオンの武芸によるものである。

「あなたの、その剣は────その剣は、あなたのものではないだろう」

 ついに冷静さを失い、アイザックはにわかに声を荒げる。

 さすがに、気づいた──いや、そもそも知っていたのか。

 シオンは一太刀浴びせるやいなや付かず離れずの距離を取る。

「その剣は、前王(ルクス)陛下の業だろう、シオン・ファーライトッ!!」

「……そう」

 シオンは手短に首肯する。

 まさにアイザックが看破した通りだった。

 発想の元はジムカ・ベルスクスの披露した"水鏡剣"────

 つまりは単なる模倣である。

 もっとも、"水鏡剣"のように完璧な模倣というわけではない。

 完璧に模倣する必要もない。"水鏡剣"のように、相手を惑わせたいわけではないのだから。

 シオンが斬りつけるその一瞬のみ、断ち切るために、ルクス・ファーライトの"剛剣"を模倣する。

 それだけのことだった。

 当然、シオンの体格では威力は劣る。とてもルクスの剣を再現できたとはいえない。

 だが、シオンの剣技は全身の力──特に体幹や腰の力を各部位に伝達して振るう剣である。

 少女の華奢な腕は、シオンの剣術を構成するただの部品に過ぎないのだ。多少頼りなくても問題はない。

 配分する力の総量を調節し、手に載せる力の比重を大きくする。

 代わりに先ほどのような縦横無尽の機動はできなくなるが、もはやその必要はない。

 鉄巨人の右腕はすでに断ち切られた。無理に駆け回らずとも、"結束剣・グランガオン"の隙を突くことは十分に可能である。

「なぜ、あなたがその剣を知っているッ!?」

「前王陛下の魂魄は私の中にいる、といったら」

「……(たわむ)れ言を……ッ」

 アイザックは明らかに惑わされていた。

 シオンの世迷い言すら完全には否定できないのである。

 兵たちがまさかと噂を囁きはじめる始末。

 潮時か、とシオンは判断する。

 まずは立ち上がれぬよう脚を斬り。

 それでもダメなら残った腕を斬り。

 最後に残った頭部を斬り捨てよう。

 そしてシオンが疾駆するのと、巨大な剣が地に突き立てられたのは同時だった。

「そのようなこと、私は認めないッ……!」

 突き立った剣先を軸にして、大地にヒビ割れが生じ始める。

 ヒビは蜘蛛の巣のように領土を広げ、地の底から急速に膨大な熱量を沸き立たせた。

「それで、いい」

 当然のことだった。

 今も前王陛下は、不肖の娘を見守ってくれている────

 そんな夢物語など、ありはしない。

 あるのはただ、執念じみて叩きこまれた武芸のみ。

 その武芸こそ、少女を守っているのだから、全く笑えもしないけれど。

「通すものかッ!!」

 駆けるシオンを遮るように、深淵から炎の柱が噴き上がる。

 地下に撃ちこまれた炎が大地の力によって増幅されたのか。

 魔術、ないし呪術的な働きを見切ることは難しい。シオンにはまず不可能である。

 瞬間、"結束剣・グランガオン"は背面ブースターを噴かして距離を取る。

 地割れはすでに十分に、お互いの間合いを侵食し終えていた。

 鉄巨人にとって噴き上がる炎の影響は微々たるもの。しかしシオンには細心の注意が要求される。

 右腕の損失を補うには十分なように思われた。

 が。

「……逃がさない」

 噴き上がる炎には、前兆がある。

 葦の原に隠された地面から光が漏れ、大地がにわかに隆起する。次にヒビ割れが広がり、ついには炎の柱が噴出するという寸法である。

 光源を避ければ安全ではある。が、その場合にはそれなりに広範囲を通行不可能と看做さなければならない。

 実際には安全な場所であろうとも、それを見切るのは困難を極める。

 その問題は、一発の銃弾が解決した。

「──あたしが道を示すよ」

 声と銃声が重なりあう。銃弾は"結束剣・グランガオン"の胸郭を撃ち、弾けた。

 安全域に退いていたファリアスの声だった。戦況の変化を見逃さず、シオンの後方に戻ってきてくれたのだ。

 彼女の──人狼の金眼をもってすれば、暗闇に秘された前兆を見極めることも難しくはない。

「あたしの銃弾があんたの(しるべ)になる。いいかい」

「無論。お願い」

「了解。合図するよ」

 是非もない。

 次にシオンが、視界に朱い光を感じた瞬間、

「────今ッ!」 

 銃声が一度、鳴らされて。

 刹那、一条の銀の軌跡が夜の暗闇を切り裂いた。

 弾丸は光源のほぼど真ん中を突き抜けていく。

 シオンはそれとほとんど並走するように疾駆する。

 はたから見れば自殺行為もいいところだろう。

 兵たちから歓声とも戦慄ともつかない声があがる。

 シオンは構わなかった。

 示された導を信じて駆ける──ほとんど追い越すような速度で抜ける。

 炎の柱が、吹き上げた。

 莫大な熱量はシオンの真横に襲いかかった。

 1フィートでもずれていればまともに巻きこまれていただろう。

 幸いにして、シオンが炎に呑まれることはなかった。

 振り散る火の粉を払い、燃え盛る葦原を突き抜ける。

 その向こう側には、当然というべきか。

 今か今かと待ち受けていたアイザックが、"結束剣・グランガオン"が────

 巨大な剣を構え、疾駆するシオンを迎え撃つ。

「……ここまでだッ!」

 感情を押し殺して声で言い放つアイザック。

 そして、"結束剣・グランガオン"は鋭く剣身を振り放つ。

 "屋根"の構えからなる斬り払い。

 鋭角から滑りこむような一撃は、適確に下段を払う太刀捌きであった。

 まともに向かってきた相手は、避ける暇もなく斬り潰されることだろう。

 ──それがまともな相手であったならば。

「……ひゅ」

 シオンがまた一歩踏みこむと同時に、呼息。

 そして少女は、急停止した。

 それはまだ鉄巨人といくらかの距離を置いた間合いであった。

 シオンの剣が絶対に届くことはなく──対して、"結束剣・グランガオン"の巨大な剣はたやすく届く。

 シオンがその場から退かない限りは、十分に届く距離だった。

 とん。

 と、ちいさな足音とともに、シオンは一歩飛び退った。

 嵐のような剣風が吹き抜け、シオンの黒髪をなびかせる。黒地の羽織をはためかせる。

 "結束剣・グランガオン"の刃は、シオンのまさに目の前を通り抜けていた。

 それを確認するよりも疾く少女は地を踏む。

 着地の反動を活かして矮躯を跳ねさせる────"飛鳥"の型。

 しなやかに躍動する足首が足裏を浮かせ、爪先がしたたかに地面を蹴る────"縮地"の型。

 放たれた矢のように鉄巨人へと迫るシオン。

 剣を振り抜いた直後の"結束剣・グランガオン"は無防備そのものだった。

 スラスターでの再加速を行う猶予もない。

 今度は、魔術での砲撃も行われなかった。

 何のことはない。演算回路が戦場を支配する"炎の柱"に費やされたため、瞬間的にリソース切れを起こしているのである。

 当然、シオンの知ったことではない。

 ただ、直感的にシオンは敵の隙を突いた。

 避けて、踏みこみ。

 斬る。

「こんな────これは、まさに」

 果たしてアイザックは、少女の剣に何を見たのか。

 シオンはただ、"妖剣・月白"の刃を抜き払った。

 ────秘剣・再臨剣(リバースエッジ)

 剣影がするりと脚甲の膝を抜け、地と水平に払われる。

 手には何の抵抗もありはしない。

 がしゃん。

 "結束剣・グランガオン"の右足がずるりと横滑りして、崩れて、落ちた。

 もはや自立することもままならない。今にも倒れそうなほど神の似姿が安定を失う。

「……嘘、だろ」

 兵の誰かがぽつりと零す。

 どよめきの声すらもない。死んだような沈黙が周囲を支配している。

 戦闘続行は不可能だろう。

 そう判断し、シオンが退きかけた瞬間だった。

「……かくなる、上はッ」

 表情を精神的疲労で汗みずくにしながら、アイザックは決断的に呟く。

 その声を、その表情を──ただひとり、ファリアスだけが見逃さなかった。

「シオン、そいつ、まだやる気だよッ! 退きなッ!!」

 ファリアスが咄嗟に叫び声をあげる。

 まさにその時、アイザックが"魔剣"の柄頭をぐっと押した。

 かちり。

 ちいさなスイッチ音とともに、"結束剣・グランガオン"の胸郭の奥が朱く明滅する。

 そして、その場の誰でもない無機質な声が、ひそかに読み上げを開始した。

『三』

「皆よ、我が兵よ! 退けッ! まだ間に合う!」

 アイザックは遠巻きにしていた兵たちに警告する。

 つまり、彼らをも巻き添えにしかねない何かが起こるということだ。

 この至近距離からでは、もはや間に合わない。

 そう直感したシオンは、退かなかった。

「ひゅ」

 息を吐くとともに、疾駆。

 肉迫とともに斬りつける。

 無拍子の剣光。

 もはや逃げる必要もなく、まさしくシオンの全力が"妖剣・月白"に載せられている。

 細腕から繰り出される"剛剣"と呼ぶに相応しい一閃が、胸郭の装甲をあっさりと真っ二つに断ち切った。

『二』

 外装の向こう側から土砂の胸壁が現れる。

 シオンは手を止めることなく一度、斬りつけた。

 脆い。幾度も斬撃と銃撃を浴びせられていたためだろう。

 続けざまに一閃。

 十字に刻んだ土壁に向けて、シオンは返す刀で刺突を放つ。

 防壁は、存外呆気無く貫通した。

『一』

 そして、最後。

 赫々と輝きを放つ、胸郭の最奥に秘められたもの。

 それは、鉄巨人の心臓部だった。

 "結束剣・グランガオン"を司る核。球体状の魂とでも言うべきものが、鉄人形の奥深くに息衝いている。

 そして、悟った。

 突き出した剣先を引き、そして再度突き入れるだけの時間は、シオンには残されていない。

 だからシオンは、取るべき選択を取った。

 胸から"妖剣・月白"を抜き放ち、打ち捨て。

 同時に腰の後ろから抜き放っていた短剣を投射する。

 残されていた最後の一振り。前王陛下譲りの銀の短剣。

 その煌めく切っ先が、狙い違わず"結束剣・グランガオン"の心臓部を貫いた。

 そのまま接地するとともに魔剣を拾い上げ、飛び退る。

 核というべきものを破壊したら、なにが起こるか。

 そこまでは考えていない。

 もし暴走でもしたら、その時は──終わるだけだ。

 シオンはこの鉄くずと諸共に死ぬ。

 "妖剣・月白"を片手に、シオンは、どこか呆然としているアイザックの姿を仰ぎ見た。

 そんな少女の視界が、突然なにかに覆われる。

「わぷっ」

 それは白くごわごわした何かだった。

 近すぎてよく見えない。少しだけ汚れていて、端々が固く逆立っている。

 頬に触れる感触でようやくわかった。毛皮だ。

 それは人狼の毛並みだった。

「……ふぁ、りあ、す」

「ああ」

 ファリアスが、まるでかばうようにシオンを抱きすくめていた。

 シオンの背中に腕を回し、鉄巨人に背を向けることもいとわず。

 どうやら"魔剣"も放り出して走ってきていたらしい。

 いつの間に──

 いつの間にもくそもない。シオンが心臓部を破壊しようとしていた時だろう。

「無茶すんじゃないよ」

「無茶なのは……ファリアス、だ」

 シオンは、彼女の肩越しに"結束剣・グランガオン"の姿を見る。

 鉄巨人は完全に沈黙していた。

『動力源の破壊を確認。最終攻撃シークエンスを強制終了────』

 誰のものとも知れぬ無機質な声だけが、"結束剣・グランガオン"が機能停止したことを物語る。

「やれやれ。無事に済んだみたいだねぇ」

 ファリアスは肩をすくめ、シオンからそっと離れる。

 特に問題があったわけではない。けれども、また借りを増やしてしまったような気がする。

「……ありがとう。でも、そこまでしなくたっていい。私が死ぬまで付き合うことは、ない」

「乗りかかった船、さ」

「私は、そんなに頑丈な船じゃないよ」

「少なくとも泥船じゃあないし、護る甲斐はある。あたしには十分だよ──国向こうまで行くってんなら、似たようなもんさね」

 ファリアスがそういうと、シオンは一瞬、考えこむ。

 そして、打ちひしがれたようなアイザックの姿を一瞥したあと、ファリアスに囁いた。

 それはちょっとした思いつきだった。

 華陵帝国に渡るわけでもなければ。

 彼ら大隊の庇護下に入るわけでもない。

 後者を否定し、前者を実力で許させる状況に持ちこんだからこそ可能な交渉。

 第三の選択肢。

「……本気かい?」

 ファリアスがシオンに問う。

 だが、その表情には笑みがあった。

 面白いと言わんばかりに口端を吊り、隻眼を細める。

 シオンはこくりと頷くと、話は決まったとアイザックのほうに歩いていく。

 うなだれていたアイザックは、しかし敗者が果たすべき責務を思ったのだろう。

 搭乗部の水晶壁が開かれ、アイザックが鉄巨人から降機する。

 大隊の兵たちがものも言えない中、彼は先んじて口を開いた。

「────シオン殿。此度は、私の敗北だ。まごうかたなく。遺憾ではあるが、騎士の誓約は違えられない。約束しよう。貴公らの行路を遮ることは決してない。このことは、部下たちにも頑として徹底しよう」

 そういってアイザックは、周りの兵たちを軽く見渡すと、苦笑した。

「……もっとも、先の闘いを見て、貴公らに異を唱えようというものは我が隊にはいないはずだ。おそらくは今日にも陣中全体に広まろう。気骨のものの存在までは否定しきれないが」

「襲われたら、斬るから。頑張って」

「……善処しよう。全力で。私は兵の命が惜しい。信用ならないというならば、これは私の首を代わりにするほかにないだろう。貴公は決闘の勝者だ、シオン殿。貴公にはその権利がある」

 アイザックは"魔剣"を鞘に収め、無防備に立つ。

 しかし、シオンはあっさりと首を横に振った。

「それより、話があるの」

「……話?」

 話し合いで決着がつかなかったからこそ、シオンとアイザックは対峙するに至ったのだ。

 この期に及んで何の話があるというのか。

 あからさまに訝るアイザックをよそに、シオンは花のような唇を開かせる。

 だしぬけに少女が紡いだ言葉は、彼を驚愕させるには十分だった。


「────英雄になるつもりはない?」

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