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亡国の剣姫  作者: きー子
23/34

弐拾参、結束剣・グランガオン(上)

 朝昼を隔て、シオンとファリアスは国境線地帯の高台に向かった。

 場所はおおよそわかっている。大隊の陣地からさして遠くもない。

 アズーリ高原。地平線の向う側に国境線を見晴らす、葦の原も高き(くさむら)である。

 空にはまばゆい夕日が傾き、青海の草原を赤々と鮮やかに照らしだす。

 陽は今にも沈まんかという刻限。

 この時に至るまで、シオンはろくに食事もしなかった。

 朝方のアイザックとの会合後、炊いた大麦の粥を口にした。それだけだった。

 後の時間はゆっくりと休んで英気を養い、"妖剣・月白"の刀身を検めることに費やした。

 これまで散々酷使してきた"剣魔"のかつての愛刀。

 そのきらびやかな刃には傷のひとつも見当たらない。

 見るものを妖しく蠱惑するような輝きを放ち、天の光を映して返す。

 まさに、魔剣────"妖剣・月白"。

 普段は粗雑にしか扱えない刀身を丁寧に手入れしてやれば、時間が経つのはあっという間だった。

 果たして、アズーリ高原までの道のりをシオンらが迷うことはなかった。

 すでに先客が集まっていたからだ。

「来たな」

「お姫様のお出ましってかい」

「よく逃げなかったもんだ」

 口々に野卑な声があがる。

 おそらく、彼らは大隊の兵員だろう。

 ちょっと見るだけでは数えきれないほどの人数が集まっている。

 シオンは反射的に警戒する。が、彼らの中に武器を携行しているものはほとんどいないようだった。

 それぞれが一定の距離を取りながら、ひとりの男を取り巻いている。

 はっきりいって品はないが、一定以上の規律は保たれている。

 言葉遣いも下品だが、罵倒というほどのものではない。せいぜい女子どもをからかうようなもの。

 まともに相手にならないか。あるいは、すぐに怖気づくと思われているのか。

 少なくとも、彼らはシオンの力量を知らないようだった。

 あえて知らせなかったのかもしれない。シオンのような幼い娘──それも王家の末姫が数多の"魔剣遣い"を斬殺したなど、早々信じられるものではない。

 それならば、実際に目にしたほうが早かろう。

 警戒はファリアスに任せ、シオンは人と人の間を抜けるように進む。そして辺りを見渡した。

 目当ての人物はすぐに見つかった。

「なにか、いっぱいいるけれど」

「ああ」

 彼は困ったように苦笑し、シオンに向き直る。

「申し開きの次第もない。当然、彼らには指一本も触らせはしない。あの時、場所を伝えたのは私の失敗だったな。すぐに部隊全体に広まってしまった」

 アイザック・アスモフ。

 魔剣兵混成大隊指揮官。銀翼突撃勲章附大佐。

 彼は今朝とさして変わらない格好で、ぴんと姿勢よくたたずんでいた。

 右手は剣の柄頭を押さえている。そうしようと思えばすぐにでも抜き放てることだろう。

「どこまで信用していいんだい、そいつは」

「私以外のものの介入があった場合、そのときは即座に私の負けとしてもらって構わない。良いな、皆よ。この闘いには一切手出し無用だ」

 アイザックは声を張り上げ、周囲の兵に語りかける。

 揃って肯定の言葉が返ってくると同時に、兵たちは揃って一歩あとじさった。

 アイザックからもっと距離を取るように。そうしなければならない理由があるように。

「降参するなら今のうちだぜ、嬢ちゃん」

 意味ありげな言葉が彼らのほうから聞こえてくる。

 声はすでに遠い。

 引き下がる理由は特に無かった。

「これで良いか、シオン殿────いや。シオン・ファーライト」

「構わない」

 アイザックは碧眼を鋭く細め、シオンを見た。

 シオンはちいさく頷き、足元の草原を踏みしめる。

「私の準備は、とうにできている」

 (びょう)

 葦の原を舐める戦風が吹き荒び、シオンの羽織がはためいた。

 黒地を彩る鈴蘭の花弁。風を孕んだ布地がふくらみ、そのまま後方に抜けていく。

 鈴の音めいた金属音とともに、シオンはひそかに鯉口を切る。

 同時。

 追い風を受けたアイザックが一歩踏み出し、腰に帯びた剣を抜き払った。

「後ろ。任せる」

「おうさ」

 ただ、一言。

 それだけでファリアスは警戒を張り巡らせ、シオンはアイザックに集中する。

 前方で、彼の剣身が眩い白金の光を返した。

 そしてアイザックは、詠じた。

『地の神よ! 火の神よ! 鉄の神よ! 鋼の神よ!』

 それは神霊を讃える祝詞。

 あるいは、祭文。

 アイザックがそれを口にした瞬間、剣先から黄金の炎が溢れだすように噴出する。

 炎は蛇めいて刃を取り巻き、螺旋を描き、さらにはアイザックの全身をも絡めとっていく。

「……魔剣」

 ぽつりと呟く。

 とてもではないが手出しはできなかった。

 ファリアスが咄嗟に銃砲を放つ。だが銃弾は神聖なる炎に呑まれただけだ。

「ちっ……」

 反射的に息を呑む。

 大隊の兵にすらも緊張が走る。

 だが、彼らはそれを恐れてはいない。驚いてもいない。

 彼らはそれを知っているし、信じてもいる。

 その最中にも渦を巻く炎の中で、巨大な人型の陰影が浮かび上がる。

 足元から立ち上がる巨大な人型の泥。あるいは土。

 それは炎に熱されながら整形され、焼き固められ、瞬く間にして鉄を(よろ)い、鋼をまとい、白銀に彩られ────

 果てにアイザックの肉体と重なりあう。

『神よ、妖精よ、精霊よ! 我がなすべきことのため、我が手に汝の力よ参られん!』

 葦の原の上に立ち上がるのはもはや、粗末な土人形では決してない。

 それは、ゆうに20フィートを超越する巨大な鋼鉄の人型だった。

 炎に焼き削られた鋭角的な輪郭(フォルム)

 全身を皮膜のように包む鈍い銀色の装甲。

 すらりとした手足は人型を模したものだが、人のものとは比べ物にならない頑健さを誇る。

 掌中にはアイザックが手にしていた魔剣を思わせる剣がある。だが、そのスケールはおよそ四倍にも達するだろう。

 そのあまりにも巨大な刃は、儀礼刀を思わせる華麗な装飾とは裏腹に、いっそ無骨な印象を感じさせる。

 頭部にはお伽話の一つ目鬼を連想させる単眼──内側にひとりの男を格納するそこは、巨人の中枢部に相当していた。

『招来せよ────四神結束!!』

 アイザックは、鉄人形の内部に搭乗していた。

 彼はなおも祝詞を紡ぎ、召喚を万全なものとする。

 人型を模した巨大な装甲戦車。あるいは鋼鉄の巨人。鉄騎。

 いずれとも呼べようが、確かなものはなにもない。先の例などあるはずもない。

 異形の鉄巨人を顕現させながら、アイザックはその銘を宣言する。

「────"結束剣・グランガオン"ッ!!」

 どっ。

 地面がまくりあげられ、烈風が吹き荒んだ。

 巨大な質量が鳴動する瞬間、シオンは彼を──アイザックが駆る鉄巨人を。

 "結束剣・グランガオン"を仰ぎ見る。

「……なんだってんだい」

 唖然としてつぶやくファリアス。

 兵たちは歓声をあげつつも一様に鉄巨人から距離を置く。

 降臨、とでも言うのが相応しいか。

 軍神でも降り立ったかのような兵たちの反応に、シオンは思わず苦笑する。

 瞬間、風になびく髪を押さえつけ、すらりと刀身を抜き払った。

 魔剣──"妖剣・月白"。全長4フィートにも及ぼうかというシオンの愛刀。

 それがどれだけの頼りになろうものか。

 相手は20フィート以上、乃至(ないし)25フィートにも及ぼうかという鋼鉄の巨人なのだ。

 まともに斬り結べるはずがない。

 その場の誰しもがそう思った。

 おそらく、ファリアスですらもそうだろう。

「今ならばまだ、私は貴公の降伏を受け入れよう。恥じることはない。我々は貴公を侮ることはない。貴公を死傷されるのは望ましいことでなく、可能な限りは避けるべきであるからだ」

 頑として言い放つアイザック。

 その姿は"結束剣・グランガオン"の頭部にあった。

 半透明の結晶に覆われた鉄人形の眼球部から、彼はシオンを見下ろしている。

 その手に収められたるは"魔剣"の実体。

 彼はそれを、杖か指揮棒であるかのように軽々と片手で操る。

「……は」

 シオンは軽く息を吐いたあと、吸息。

 "妖剣・月白"をだらりと下げ、半身だけを鉄人形のほうに向ける。

 そして一歩、飛び退った。

 その移動はほとんど意味をなさない。

 "結束剣・グランガオン"の間合いから逃れられたわけではないからだ。

「……おい、まさか」

 と、つぶやいたのは果たして誰か。

 シオンはアイザックの言葉に応じることなく、首を振る。

「シオン・ファーライト。いざ」

 そして、素っ気なく言い捨てるように名乗りを上げた。

 ほとんど沈んだ夕陽の残照が、手に持つ"魔剣"の刀身を赤々と闇夜に照らし出している。

「──それがあなたの選択ならば」

 鉄人形はほとんど滑るように大地を蹂躙し、構えを取った。

 見かけから予想される鈍重さはかけらもない。

 "結束剣・グランガオン"はなめらかに構えを取る。

 背部に折り畳まれていた銀翼が展開され、噴出口が加速推進の焔を噴き上げる。

「魔剣兵混成大隊指揮官大佐、アイザック・アスモフ! 征くぞ、我が敵よッ!!」

 "結束剣・グランガオン"────騎兵をも上回るその機動性をもって、鉄騎兵が唸りをあげる。

 鋼の脚甲が葦の原を散らし、高原の大地を蹂躙した。



 重騎兵の凄まじさは衝撃力をもって語られる。

 衝撃力とはすなわち、重騎兵が有する三点の凶悪な特徴からなった。

 速度。

 質量。

 そして、頭上を取ることの優位である。

 騎兵突撃による心理的な危害を除いたとても、重騎兵の衝撃力はかほどに重篤なものであった。

 歩兵などゴミのように叩き潰され。

 槍衾を組もうと、その上から粉砕されることは珍しくもない。

 弓は重騎兵の装甲を貫くに十分ではなく、狙いを付けるのも難しい。

 ゆえに重騎兵の攻略には、銃火器の登場を待たなければならなかった。

 そして。

「っ……は」

 シオンの眼前に迫る"結束剣・グランガオン"は、重騎兵に似通った特徴を備えながら────

 それを遥かに凌駕するほどの圧倒的な脅威であった。

 単純な大質量による吶喊。

 ただそれだけでシオンは十分に死ぬ。

 ゆえにこそ、シオンは身を跳ね上げるように飛び退った。

 爪先がしたたかに大地を蹴り抜いた瞬間、ちいさな身体が風のような疾さを発揮する。

 "縮地"の型。

 瞬間、先ほどまでシオンがいた場所を鋼鉄の人形が通り過ぎていく。

 疾い。

 と、シオンは思った。

 速度はおそらくシオンの愛馬──ファルに匹敵。

 あるいはそれ以上か。

 それは驚くべきことであった。

 "結束剣・グランガオン"は明らかにファルよりも巨大で高重量、かつ高い密度を誇っているというのに。

 しかし驚いている暇はない。

 シオンの眼差しが彼を追うやいなや、鉄人形はなめらかに旋回する。

 小回りがきかない、などというわかりやすい欠点もない。

 再加速にもさしたる時間はかからない。背部のスラスターが火を吹き、"結束剣・グランガオン"は膨大な運動エネルギーを獲得する。

「容赦もクソもありゃしないねぇ……!」

 ファリアスも無事に吶喊を逃れ、シオンの傍らについていた。

 全くだった。あの速度と質量を叩きこまれたら、シオンなど原型も残らない。

「あなたの目的を達成させないことはあなたの生存に優先する、ということだ」

 ごもっとも。シオンは彼に正対したまま口を開く。

「ファリアスは下がって。巻きこまれないように」

 敵がこれでは、警戒もへったくれもないだろう。

 安全圏から張っていてくれたほうがまだしもシオンに有利である。

 それをファリアスもすぐに察し、隻眼の目をそっと眇めた。

「……武運を、祈るよ」

「うん」

 武芸でどうこうできるかは別にしても。

 ファリアスはすぐさま後方に離脱。援護に専念するため銃は握ったまま、金眼の視線を絶えずシオンのほうに送り続ける。

 手の届かない距離から生きるか死ぬかという状況を見守ることを余儀なくされるのは、彼女に相当な精神的苦痛を与えるだろう。

 頭の下がる話だった。

 刹那の思考の合間にも"結束剣・グランガオン"が迫りくる。

 ギシリと鉄の関節部を軋ませ、剣を取る右腕が振り上げられた。

 直線的な吶喊では捉えられない、という判断だろう。

 瞬間に垣間見るアイザックもまた、剣を肩の上に掲げていた。

 標準的な"屋根"の構え──鉄巨人の動きは、どうやらアイザックの挙措をある程度投影したものらしい。

 あるいは、そうすることによって精度を高められるのか。

「……そこだ」

 アイザックは変わらない冷静さそのまま、シオン目掛けて剣を振るった。

 劇的な破壊が巻き起こった。

 巨大な剣の軌跡が強風を引き連れ、叩きつけられた剣先が地を粉砕する。

 弾けた岩盤があちこちに撒き散らされ、巻き上げられた粉塵が周囲を無秩序に漂った。

 轟音。地が揺るぐ衝撃とともに視界が揺れる。

「……は」

 無茶苦茶だ。

 シオンは鉄巨人の刃を逃れ、剣身の半ばに接地していた。

 刃を抱えたままひらりと矮躯を翻し、衝撃を逃れ、剣風に揺さぶられながら着地する。

 そしてすぐさま峰を蹴って駆け出す──伊達や酔狂で刃の上で踊りたくはない。

「────む」

 アイザックは咄嗟に腕を振り上げてシオンを振り落とそうとする。

 その時すでにシオンは剣身を蹴り、矢のように宙を舞っていた。

 掲げられ、むき出しになった右上腕関節部を頭上に見る。

 瞬間、"妖剣・月白"が天に向かって半分の円弧を描いた。

 一閃。

 かち上げた刃と関節部が激突した瞬間、金属音と同時に白銀の装甲が軋みをあげる。

 鉄騎の有する部位の中では最も華奢に見える関節部。それを狙い澄まして斬りつけた一閃は、確かに傷を刻んでいた。

 一筋の薄っすらとかいま見える白い斬痕。

 それだけだった。

 刃は一寸斬りこんだが、"結束剣・グランガオン"の機能になんら支障はない。

「……くッ」

「──なんと」

 シオンは歯噛みし。

 アイザックは少なからず驚愕した。

 シオンの見せた動きは言わずもがな。その太刀筋の鋭さたるや、アイザックも目をみはるほどのもの。

 鉄巨人は銃弾の斉射をものともしない。その頑強な装甲を、比較的脆弱な関節部とはいえ、傷つけてみせたのである。

 ただの子どもにしか見えない、幼い少女が。

 驚きは大隊の兵すらも例外ではない。

 彼らにすれば、まさに目を疑わんばかりの光景だろう。

「だが」

 鉄巨人は右腕をあげたまま、左掌の五指を開いた。

 シオンを握りつぶさんとするかのように迫る左手。

 それは落下するシオンの矮躯を見事に捕らえるほどに正確なもの。

「ここまでだ」

 シオンを内に収めた掌が閉ざされる。

 握りこまれる。

 瞬間、甲高い金属音が響き渡った。

 指先は完全に閉じきらず、3フィートもあろうかという手が軋みをあげる。

「……っ」

 聞こえるかすかな息遣いに眉をひそめるアイザック。

 掌はシオンを捕らえきれなかった。

 指と指の間に"妖剣・月白"がねじ込まれ、支え棒の役目を果たしていたのだ。

 特別な力が無くともやはり"魔剣"。

 "妖剣・月白"は、その華奢な刀身とは裏腹な頑強さでシオンの身体を支えていた。

「────唖々唖(アァア)ッ!!」

 蛮声を上げ、身体を刃ごと下方に滑らせるシオン。

 支えの"妖剣・月白"が抜かれたとき、シオンはとうに鉄巨人の掌から逃れている。

 地に降り立ち、天を仰ぐ。

 適確な判断力。機を見るに敏の回避行動。

 アイザックはもう驚かなかった。

 立て続けに振り上げていた右腕を振り落とす──鉄巨人の剣が地に突き立つ。

 シオンはそれを紙一重で避けた。

 刃の分厚さゆえに紙一重の疾駆では全くないが、すんでで躱したことには変わりがない。

 峰に足掛け、鍔に飛び、柄頭に乗って身を中空に躍らせる。

「そう何度も、やらせるものか」

 シオンが"結束剣・グランガオン"の下腕に脚をつけた刹那。

 鉄巨人の左手がシオンに向けられていた。

 掌中には鮮やかな光が集約し、束ねられ、朱色の煌めきを明滅させる。

 魔術が顕現する前兆たる現象──魔光。

 それが砲兵として運用される高位魔術兵の励起反応と等しい現象であることを、あいにくシオンは知らなかった。

 知らずとも危険性を察知するには十分だった。

「────ッぅ、く……ッ!」

 シオンは咄嗟に掌の直線上から逃れ、腕の側部に"妖剣・月白"を突き立てた。

 浅く刺さった切っ先を頼りにして矮躯がぶら下がる。

 瞬間、魔光の輝きと明滅が頂点に達した。

 爆発。

 橙色の炎と轟音、衝撃と熱風が撒き散らされる。

 爆撃の残滓に揺られながらもシオンは無事だった。

 振り落とされかけるところを鉄腕の影にしがみつき、吹き寄せる熱風をやり過ごす。

 即座に剣先を引き抜き腕の上に復帰──下方の関節部を狙って斬撃する。

 斜めに斬り下ろすように一閃。返す刀で横薙ぎに一太刀。

 いずれも効き目は極めて薄い。

「────()ィッ!」

 続けざまに"妖剣・月白"を逆手に持ち替え、体重をのせて切っ先を振り下ろす。

 それも劇的な効果はなかった。右腕の関節部に浅い刀傷を刻んだだけだ。

 刃傷はいずれも極めて正確に関節部の一点に集中していた。

「小賢しいッ」

 アイザックの落ち着き払った声にかすかに焦りが滲む。

 "結束剣・グランガオン"の左手が再び赤光に明滅する。

 瞬時に第二の術式を投射。爆炎は今度こそ、なにものに阻まれることもなく撒き散らされる。

 シオンは後方に顕現する爆風に煽られながら腕を蹴り、鉄巨人の躯体から飛び降りた。

 きゃしゃな脚が柔らかい草原を踏みしめた瞬間、遠方より二度の銃声が鳴り響く──二連射(ダブル・タップ)

 それが三度。修正射、効力射とあわせて六発の銃弾が鉄巨人の頭部に放たれ、半透明の結晶体に直撃する。

 ファリアスの援護射撃だ。

 しかし有効打は認められなかった。芯を直撃した銃弾にも例外はない。

 向こう側のアイザックを撃ち抜くことはない。

 それでも、ありがたい。多少なり気が逸らされたのか、シオンは一時だけ鉄巨人の追撃を免れた。

 遅れて左手を向けられるが、シオンはすでに走り出している。

「────薙ぎ払えッ!!」

 シオンの背に感じられるほどの火力の投射。

 それは爆撃ではない。熱線と火焔の照射だった。

 葦の原が焼き払われ、字句通りに薙ぎ払われる。アズーリ高原の大地がむき出しになって焼け付きを帯びる。

 炎の海と化した惨状を置き去りにシオンは"結束剣・グランガオン"の股下を抜けた。

 即座に切り返し、魔剣の切っ先を浅く突き立てて後方に取り付く。"妖剣・月白"の鋭利な刃をもってすれば可能であることは実証済みだ。

 足裏から即座に腕部へ飛び渡る。背部に取り付くのは適切ではない──誰しも推進器の炎を顔にぶちまけられたくはない。

 接地とともに"結束剣・グランガオン"の躯体から抜き放たれた"妖剣・月白"が真円を描く。

 そして、刃が胸の前を横切るような構えを取った。

 "閂"の型。

 瞬間、シオンは滑るように鉄人形の躯体上を駆けた。

 しかし彼もされるがままではない。全身を旋回させ、凄まじい勢いで右腕を振り回し、少女を振り落とさんとする。

 ならばとシオンは鉄腕を蹴りつける。

 疾駆。

 腰溜めに引かれた切っ先が伸びるように飛び、立てられた刃が鉄人形に叩きつけられる。

 狙いは変わらず関節部。

 がつん、と衝撃が駆け抜けた。

「なッ……」

 鉄人形の右関節部に刀身が食いこむ。

 大した傷ではない。刻まれた傷から浅く刃が食いこんだだけのこと。

 かすり傷を無理やりに広げられただけに過ぎない。

 ────しかしそれは、確かな目に見えるほどの傷だった。

「……はッ」

 刃の峰に手の甲をそえ、刃を押しこむ。

 同時に剣撃の反動をまともに受け、シオンの矮躯が空中に放り出される。

 瞬間。

「……しかし、ここまでだ」

 ごうと唸りを上げ、"結束剣・グランガオン"の豪腕が真っ向からシオンに向かい来る。

 宙に投げ出されたシオンの身体に逃げ場はない。

 迫る土と金属の大質量をまともに受けるほかはなかった。

「は────ぁぐッ……!!」

 衝撃。

 そして激痛が駆け抜ける。

 鉄人形の側腕部がシオンの正面から直撃した。

 その威力たるや、腕とはいえ鋼鉄のメイスを叩きこまれたようなもの。

 "妖剣・月白"を盾のように構えるも遮れはしない。

 軋みをあげた身体が勢いのままに地に落ちる。シオンはその流れに逆らいもしない。

 ────計算づくのことだった。

 全力で打ちつけた反動で飛び退って距離を離し、刀身の峰に手の甲を添えて耐衝撃態勢を取る。

 当然無傷で済むはずもない──だがそれが最善の選択だった。

 鉄腕の威力はいくらか殺され、受け流された。

 後は、着地だけだ。

「……ッ、はッ……!!」

 高高度からの急着陸。シオンは腹のほうから落ち、衝撃をそれぞれの四肢に分散させた。

 全身が哀れっぽく悲鳴をあげる。

 骨が軋む。だが折れてはいない。葦の原が幸いしたのだろう。

 魔剣はそのちいさな手に収められたままだ。

 その隙を逃すまいと掲げられた剣が振るわれる。シオンの身体を一太刀に薙ぎ払わんとする。

 シオンは半ば飛び跳ねるように立ち、安全地帯を見極めた。

 相手は25フィートにも及ぼうかという鉄の巨人だが、所詮は人型。その剣筋を見て取ることは決して難しくない。

 そしてその巨躯ゆえに、足元には隙が生じがちだ。

 ちょうどそこに滑りこむように、シオンは疾駆する。

 凄まじい剣風にあおられて、黒髪が、鈴蘭の羽織が激しくなびく。

「……冗談だろ」

「なんで、まともに戦えてんだ……?」

 兵たちが畏怖の声を囁きはじめる。

 致し方あるまい。それはあまりに現実離れした光景だった。

 千の兵を一騎で相手取れる"結束剣・グランガオン"が、年端もいかない剣姫に手を焼いているのである。

「なんたる、執念か」

 ぽつり、と感嘆の声を耳にする。

 シオンは"結束剣・グランガオン"を仰ぎ見た。

 その格納部にいるアイザックは、顔を汗みずくにさせている。

 焦りや恐れゆえとは思えない。おそらく"魔剣"の代償か何かだろう。

 鉄人形の動力は無限ではない、ということか。

 とはいえ持久戦には期待できない。疲労の色はうかがえるが、余裕はまだまだありそうだ。

「だが、分かったろう。あなたの与えた傷は微々たるもの。これでも降伏の意志はないか、シオン・ファーライト。これはあなたが、否、人が敵うものではない」

 断じ、"結束剣・グランガオン"は振り切った剣を中空で止めた。

 左手は開かれたまま、その矛先をシオンに向ける。

 最中、銃声が鳴り響いた。後方からのファリアスの狙撃が"結束剣・グランガオン"を撃つ。

 狙いは違わず右腕関節部に。シオンが刻んだ傷をぴったりなぞるように、火線が素早く撃ちこまれる。

「……無駄だと言っただろうに!」

 鈍い銀色の皮膜への効果はほとんど無い。ごく浅い弾痕が染みのように残されただけのこと。

 続けざまに放物線を描く火砲が鉄人形の左手から放たれる──着弾地点に火が弾け、鉄片が容赦なく撒き散らされる。

 ファリアスの無事を確かめる暇などあろうはずもない。

『ルオォォォォ────ッッ!!』

 瞬間、後方からの遠吠えをしかと耳に聞く。

 なにを言っているのかは人狼ではないシオンにはわからない。

 でも、なにを言わんとしているのかは痛いほどによくわかった。

 それだけで十分だった。

 追撃がかけられるよりも疾く疾駆する。

 それを迎え撃つように、"結束剣・グランガオン"の刃が草原を薙ぐ。

「無駄じゃ、ない」

「わからないならば、わからせるまでだとも、姫君よ」

 浅く振り抜かれた剣先を紙一重で避けて肉迫。

 瞬間、さらに二発。右腕関節部の下方にファリアスの銃弾が弾着する。

 まさにそこを印とするように、シオンは駆けた。

 爪先をさきがけに膝を足場に、腰を飛び渡って身を翻す。

 地に向けられた"妖剣・月白"の切っ先が天に跳ねる。

 半円を描く斬り上げ。刀身が関節部を抉り、弾丸の断片を内側に食いこませていく。

 瞬間、シオンの着地点を中心にして同心円上に広がる真紅の爆炎──それより疾く躯体上から離脱したシオンは爆風に煽られ、飛ぶ。

 とん。

 軽やかな足音と同時、振り切られた"結束剣・グランガオン"の剣身に接地するシオン。

 ひゅ、と乱れた呼息をひとつ零す。

 その海のように蒼い双眸が、鉄人形の頭部にいるアイザックを一瞥した。

「無駄なんかじゃあ、ない。こうして刃は通るのだから」

「断ち切れぬ剣など、なんであろうと同じこと」

 アイザックはつとめて冷静にシオンを見据える。

 シオンは無形の位に構え、剣身から足裏を浮かせ──

 (かそけ)く笑った。

「試して、みようか」

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