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亡国の剣姫  作者: きー子
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弐、旅の宿

 いつか必ず、役に立つ時が来る。

 実父──先代国王ルクス・ファーライトはシオンにそう言い残した。

 実の娘であるシオンに、幼い時分から彼の持ちうる剣術の粋を叩き込んだ狂った男。

 女を囲った屋敷に足繁く通う王を、巷間の人々は"色に溺れた狂王"と噂した。王の妾──すなわち少女の母親は"傾国の女"とも。

 実際のところは娘に無用の剣術を仕込んでいたと知られれば、果たして民衆はどう思うだろう。

 いずれにせよ狂っていることは間違いない。シオンはひとり、思わず笑った。これでおかしくならないわけがない。

 女に剣術など教えこんでなんになる? なんにもならない。

 しかもシオンは、不肖の娘とはいえ仮にも王族なのである。これで剣術をやっているとなれば、それこそ物狂いもいいところだ。

 だというのに────本当に役に立つ時が来てしまったのだから、世の中わからないものだ。

 こんな事態を、父王は予測していたのだろうか。まさかと思うが、その真意はもはや誰にもわからない。前王ルクス・ファーライトは断頭台の露と消えた。近いうちに、母もきっと後を追うことだろう。

 ただひとり、まだ幼い娘のシオンを残して。


 屋敷の隠し通路から地上にあがったシオン。包囲網の外側に出た彼女は、王都ファルクスを遠く離れてまっすぐ西へと向かった。

 特にこれといったあてはない。だが目指している場所はある。

 華陵帝国。ファーライト王国の西方に接した隣国である。

 とても安全とはいえないが、この国に留まるよりはよほどいい。新王トラス・ファーライトは先代国王の親類縁者を拘束することに躍起になっている。その大半は不当な裁判にかけられ、あえなく断頭台に処されている。今も粛清の雨は続いているはずだ。

 おそらく、いや確実にシオンも例外ではない。追手をかけられていることからも間違いはないだろう。

 あまりのんびりしてはいられなかった。そのうち指名手配が出回る可能性は高い。なにを置いても、この国からは出るべきだった。

 シオンは街道沿いをやや外れて歩を進める。当然、身を隠すための黒衣をしっかりと羽織りながら。

 時折り旅の商人や傭兵といった人種と行き交う。いかにも小柄なシオンは注目の的だが、見咎められることはなかった。

 なにせ内乱の直後である。実の息子が父王を追い落とす骨肉の争い。軍事力による王権の奪取。あまりに世は乱れきっており、人々はなんらかの目的をもって動いている。一人旅の怪しげな小娘に構っていられる暇などない。

 無理を押して半日も歩けば、農村と都市の中継点になる宿場にたどり着く。

 宿場は大いに賑わっていた。やはりというべきか、傭兵、あるいは商人といった連中がきわめて多い。傭兵たちは、一宿一飯のために足を止めているものがほとんどだった。

 それはシオンも同じこと。どこを目指すにしても、まずは食事と水がなければ話にならない。安全な寝床も必要だ。時が経つにつれてこの国では望めなくなるかもしれないので、今のうちに頂いておくべきだった。

 人の入りが少なそうなところを選んで宿を取る。厳しい顔をした店主は珍妙な客に物言いたげだったが、相場より高い宿泊料を出した途端に大人しくなった。そして晴れがましい笑み。話がわかるのはシオンとしてもありがたい。

 二階の馬小屋よりも貧相な部屋に通されたあと、手桶に一杯のお湯を出してくれる。「そいつはサービスだ」本当に話がわかる。持ち出せるだけ持ち出してきた甲斐があるというもの。

 どうやらこれは、足湯、というやつらしい。歩き通しの素足をお湯で浸し、丹念に揉みほぐす。

 さすがにこれは初めての経験だった。いくら鍛錬を積んでいても疲労は隠しがたい──大人しく好意に甘えることにする。

 日が沈んできた頃合いを見て、一階に降りる。カウンターしかない手狭な酒場のような有り様だが、一端に夕食を供してくれるという。

 席にはすでに先客がいた。ひとりはいかにも荒事に慣れているのがわかる風貌の男で、もうひとりは神経質そうな目を光らせる細身の男。

 彼らが遠慮なく言葉を交わす様子をちらっと見る。旅商人と、その護衛の傭兵。おそらくはそんなところだろう。

 ふたりはシオンのほうを一瞥したが、特に気にすることもなく話に戻った。

 お互いに詮索しない。それがどうやらこの宿場の暗黙の了解らしい。シオンにはありがたく隣の席につく。

「で、どうするんだ。このまま塩漬けにしておくわけにもいかんだろ──実際、塩漬けになってんだから腐る心配はねえけどよ」

「こんなことになるなんて思ってなかったんだよ。これだけ派手に軍が動いたのも久しぶりだから。いやしかし、トラス新王様、ね……」

 商人の男が苦笑する。時に井戸水で冷やされたエールを傾けている。

「軍がどうなるかだな」

「まず、退くと思うけどね。ひょっとしたらだけど、新王様は初めから帝国と内通していたんじゃないかな。手際が良すぎる」

「んなことして、帝国に何の得があるんだよ」

「向こうは向こうで、領土拡張の度が過ぎたんだろうね。ずいぶん内乱に困らされてたみたいだから」

「攻め込まれる心配がなくなるなら、ってことか」

「そういうこと」

 起こってしまったことと、これからの情勢について話し合っているふたり。情報はすでに宿場まで届いているようだった。

 特に新王の即位については華々しく喧伝しているらしい。昨日の今日という話にも関わらず、先代国王の非から新王の正当性に至るまで、詳らかな"真実"が知れ渡っている。

 しかし、シオンの右隣に座る彼らは新王にいささか懐疑的なようだった。

 第一王子──新生ファーライト王国国王トラス・ファーライト。シオンとは腹違いの兄にあたる。継承権の最上位にあったが癇癪持ちかつ陰湿なたちで、王の器ではないと風評が立っていた。威勢はいいが臆病。頭はそこそこ働くが決断力に欠ける。その愚鈍さたるや、ルクスが幼い第二王子への継承権移譲を匂わせていたほど。

 結局、それが仇となったのかもしれない。邪険に扱われた恨みを抱いていたトラスは、彼の同胞とともにクーデターを計画。華陵帝国と通じ、帝国の挑発に誘われたルクスの隙をついて王都で蜂起。電撃的に王を拘束し、王城を征圧──おそらくはそんなところだろう。

 力で王権を奪い取ったその手腕は評価に値するかもしれない。実際、先代国王に失政が絶えなかったのも確かだ。ルクスが問題のない人格者であったなら、そもそもシオンは生まれてすらいない。

 いつか役に立つ時が来る。そういって、父王に剣術の粋を叩き込まれることもなかったろう。

 せめて、あなただけでも。そういって、ひとり屋敷に残った母親に庇われることもなかったろう。

 だからシオンは、生きることにした。まるで呪いのように託された生きろという意志が、シオンをこの世に縛り付けていた。

 生きるためにはまず、食べること。シオンは程よく冷えた水で喉を潤し、供された平焼きの堅パンにかじりつく。

 固い。固いが噛むほどに味が出る。どことなく酸い味も感じられる。十分に食べられる味だった。

 食べられるが、普通はそのまま食べるものではない。一緒に出されるスープにひたし、柔らかくなったパンを噛みちぎる。塩と辛子の風味と溶けこんだ野菜の甘みが強く感じられるスープの味がよく染みている。

 そしてなにより、温かい。おいしい。屋敷で食べていたものよりかは、よほど粗末なものだろう。でもおいしい。

 面白みもなにもない食事にがっつくちいさな客が珍しいのだろう。店主は面白いものを見るようにシオンを見ている。

 スープの一滴たりとも残すことなくパンのかけらですくい取る。パンの平たさはこのためにあるのだと思う。すっかり食べきると、シオンはようやく人心地ついたように息を吐いた。

 量はさして多くもない。けれども今はこれで十分。何人も人を殺したその日にお腹いっぱい食べたいとは、シオンも思わない。

 それでも新王麾下の兵には容赦しないだろう。いざとなれば、きっと殺す。殺生への忌避感は驚くほどになかった──『これも必要なことだ』と父に狩猟まで教えこまれたせいかもしれない。なので、今日のような食事が望めなくなったときには森に入って狩りをすることになる。そうならないうちに国を出たいところだった。

 明日も早いということで、まだ暗くなったばかりだが寝てしまうことにする。シオンが席を立つと、厳しい顔付きの店主が声をかけてきた。

「ご客人、朝食はどうする」

「いいです。朝、早いうちに発とうと思っています」

 そういって首を振ったあと、「持たせてもらえるならありがたいですが」と遠慮無く言い添えた。

 路銀にはしばらく困らないが、食糧を継続して入手できるかわからない情勢なのだからなおさらのこと。もらえるものならばもらっておきたい。

「そうかい。気をつけな。この宿場一帯は人が集まってるからわからねえが、ちょっと離れるとひでえ有り様だって噂だ。賊があちこちに潜んでやがるとよ」

 小柄なシオンの姿に気がとがめたのか。顔に似合わず面倒見がいいらしい。軽く片膝を曲げ、ちいさく頭を垂れて礼をいうシオン。堂に入った礼儀作法である。

「嬢ちゃん」

「────……」

 その時、男が声を挟んだ。いかにも荒々しそうな傭兵の男。

 シオンは答えなかった。返事をすると、女であることを認めてしまうことになる。体格や声からとっくにばれていそうだが、公言するのも気が引けた。

 男は構わずにいった。

「気をつけな。血のにおいが残ってるぜ」

「……これは、失礼しました」

 ちいさく頭を下げ、食事の席での非礼を詫びる。シオンはさして驚きもしなかった。

 ────自分でも、気になってしかたがなかったから。

 宿の主人と旅商人の男はわかっていなかったようだ。シオンのほうを見て目を丸くしている。

 血塗れになった黒衣は川でしっかり洗ったつもりだった──足りなかったということだろう。

 あるいは荒事に慣れている傭兵の男だからこそ、気づくことができたというべきか。

「詮索するつもりはねえが、わけありなんだろ。巻き込まれでもしたらたまったもんじゃねえ」

 男が言い出したのは当然の懸念。実際、今この瞬間に追手が迫ってきていてもおかしくはない。

 シオンは目深に黒頭巾をかぶり、少し考えていった。

「……お酒は呑むほうですか」

「ぁ? 当たり前だろ──って、何をいきなり」

 傭兵の男が困惑するのをよそに、シオンはカウンターに硬貨をすべらせる。

「ご主人、こちらの方に、よい酒を」

「あいよ」

 宿の主人もまた、少女に詮索も関係もしないことに決めたらしい。金さえ払ってくれるならそれは客である。子どもであろうと、年端もいかない娘であろうと──例え人殺しであろうとも。

 酒を手早く木の椀に注ぎ始める宿の店主。傭兵の男はどこか不服げだった。どことはなしに釈然としないといった感じ。

「申し上げたように、夜明けには発ちたく思います。それまでどうか、ご容赦を」

「……わかった」

 これ以上食い下がってもなにも出てこない──あるいは藪蛇だと考えたのだろう。やはり納得はいってないようだったが。

 シオンは再び騒がせたことを詫び、席を立った。男たちに背を向け、二階の部屋に向かう。馬小屋どころか鶏小屋くらい貧相な部屋だが、それでも野宿よりはよほどいい。

 野宿は危険すぎる。特に、今のシオンにとっては。

「珍しいな、お前が」

 旅商の男が不思議そうに茶々を入れる。

「……だってな。お前、あれ、ガキじゃねえか。世も末だぜ、全く」

 傭兵の男は苦々しげにつぶやく。声を潜めてはいたが全部聞こえていた。

 全くの事実なのでシオンは苦笑するほかはない。その後も喧々諤々とやりあっていたようだが、シオンはそれ以上聞くこともなく部屋に戻った。

 眠りやすいように着衣を緩める。そのまま横になると、紙のように薄い常備品の毛布を引っ被った。

 眠れるだろうか。シオンは思わしげに目を瞑る。食べ物はまだしも、これほど粗末な寝床で寝たことはさすがにほとんどない。

 結果からいえば、心配は全くいらなかった。四半刻も経たないうちに眠りに沈み、そのまま泥のようにぐっすりと眠った。

 眠ろうとしていたとき、それとなく外から見張るような視線を感じた。押し入ってくるつもりも無いようだったので、シオンは気にしないことにした。

 間抜けなのか、それともとんでもなく肝が据わっているのか。傍から見ればまるでわからない。

 どちらでもない。シオンはただ、疲れていた。

 国を亡くした。父が逝った。母もきっと、すぐに後を追う。

 はじめて、人を殺した。

 これまでにないくらい、シオンはひどく疲れていた。ただそれだけのことだった。

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