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亡国の剣姫  作者: きー子
19/34

拾玖、偽聖剣・エンジェルハイロゥ(下)

 今は昔。

 かつて、華陵帝国がまだ帝国ではなかったころ。

 有数の女武侠がひとり、江南の武林でその剣名を馳せていた。

 身の丈五尺二寸。黒く長やかなる艶髪を湛え、瞳は黒曜石のような生の輝きに満ちている。

 肉体は女性的な膨らみを帯び、小麦色の肌身は最低限度の筋肉に(よろ)われていた。

 そこに無駄といえるものは一切ない。

 まるで、研ぎ澄まされた一本の刀のような女であった。

 それでいて笑みは朗らか。

 気性には陽光のような快活さがあり、そこにいるだけで周囲に陽気を振りまいたものだった。

 名を李馬雷(リィ・マレィ)

 ありし日のメア・リィである。

 女だてらに若くして頭角をあらわした馬雷は、その身を一心に剣へと捧げた。

 魔術のことなどは頭に過ぎりもしない。

 邪教のたぐいともなれば、武力で粉砕して然るべきものにほかならない。

 実際、馬雷はそうした。

 人々の営みをはばむ邪教の魔術師。あるいは武侠の風上にもおけぬ邪剣士たち。

 彼らのような民衆を虐げる輩を斬り捨てるため、馬雷は義気を忘れることなく剣を振るった。

 それでこそ、彼女は江湖の武侠足り得た。

 武林の中でも馬雷の武名は大いに高まった。

 多くの同門、仲間、好敵手。彼女は数知れぬほどの人の縁に恵まれた。

 なればこそ、魔道に手を染めるような理由もない。

 李馬雷は魔術師などではなかった。

 彼女は義侠心を重んじる武侠であり。

 そしてそれ以前に、功夫の極みに向かって邁進する、一介の剣士に過ぎなかった。

 李馬雷は、断じて邪悪な魔術師などではなかったのだ。


 ────潮目が変わったのはいつのことか。

 

 全てを変革したのは、華陵を帝国たらしめた兵器であった。

 "火槍"。

 あるいは鉄筒尖とも呼ばれたそれ。

 後のファーライト王国でいうところの銃火器である。

 諸国に先んじて量産・配備が開始された銃火器は、戦争の形態を一変させた。

 すでに広大な領土と人民を有していた華陵は、大動員された市民兵と"火槍"の組み合わせで、周辺領地を電撃的に制圧した。

 この時点で、江湖の武侠たちは戦と関わりを持っていない。

 彼らは武術社会である武林──社会の裏側とでもいうべき闇に潜む住民である。

 武侠は、表立って一方に与して戦場で剣を振るうような真似をよしとしない。

 大義ある戦いならばまだしも、先の戦は大陸に覇を唱えるための侵略戦争である。

 華陵に義はなかった。

 勝てば官軍とはいえど、それで義が生まれるわけでもない。

 武侠の多くは先の戦に対し、反発した。

 あるいは無関心を貫き通した。

 弓のように技巧が問われるわけでもなく、引き金を絞るだけで相手を撃ち殺す"火槍"という器械を忌み嫌った。

 それが仇となった。

 火槍の流通は国の軍内部に留まらなかった。

 徴兵軍の解体によって生じる数多の退役軍人。狩猟用といった名目で往来する、誰でもすぐに扱えるようになる強力な兵器──火槍。

 それらが治安の悪化を引き起こした。国土が荒れ、火槍は瞬く間にして全国規模に蔓延した。

 江湖の武林もまた、その影響から逃れることはできなかった。

 邪教徒や悪漢たちの多くは火槍で武装した。義気と技巧なき彼らに、旧来的な器械を持ち続ける理由があろうはずもない。

 反面、少なくない武侠は銃火器などというものを一顧だにしなかった。

 彼らには鍛え上げられた肉体があり、功夫があり、そして義気があった。

 負けるはずもない。武侠たちがそう考えたのも無理からぬことだろう。

 彼らは火槍に挑んだ。小細工を弄することなく、真っ向から。

 そして少なくない武侠が骸を野に晒した。

 それほどに火槍は強大な兵器であったのだ。

 弾丸をたやすく見切るような武辺者も確かにいたが、それはごく一部の強者にすぎない。

 時が経つほどに火槍の犠牲者は増加の一途をたどった。このまま手をこまねいていれば、武林は間もなく崩壊するだろう。

 これこそは、火槍が引き起こした時代の潮流であった。

 当時、江南の武侠たちが選ぶことのできる道はいくつかあった。

 大人しく座して死を待つか。

 自らもまた火槍を手に取るか。

 多くのものは、このどちらかを選んだ。

 ふたつにひとつ。

 いずれにせよ、おびただしい数の武侠が死に絶えた。かつて武林と呼ばれた裏社会は事実上崩壊の憂き目にあった。

 李馬雷が選んだのは、そのどちらでもなかった。


 彼女は魔道に手を染めた。


 剣に血道をあげるためならば、忌み嫌う魔術を振るうことも厭わなかった。

 魔術はあくまで手段に過ぎない。馬雷はそう割り切り、魔術というものに踏みこんだ。

 "矢除けの加護"などはその典型的な例である。

 この術さえあれば、銃火器をなんら恐れることなく剣を振るうことができる。

 時間と範囲こそ限られているが、それはきわめて有用な火槍対策といえた。

 馬雷はさらに魔道を突き進んだ。

 "矢除けの加護"は確かに強力だ。が、大局的に見れば馬雷ひとりを生き残らせるだけのこと。

 これでは到底十分な備えとはいえない。

 馬雷のみならず、武侠全員が火槍に脅かされることがないようにすること。

 それこそが彼女の最終目標だった。

 結論からいえば、李馬雷の目論見は失敗した。

 彼女は江南の武侠の理解を得ることができなかったのだ。

 "矢避けの加護"のように穏当で地味な術を研究しているうちは、まだよかった。

 馬雷は屍を操る術に手を出したのだ。

 死体を盾として使用する。それは実際、効率的な術であった。

 当時の華陵では、死体には事欠かなかったのだ。

 華陵を流れる大河──"太江(たいこう)"にさえ、死骸が流れていたような有り様。

 これを使わない手はない。弔おうとも思わず、馬雷はそう考えた。

 剣士としてあるまじき考えだった。ましてや義気に富む武侠の考えでも決してない。

 それは魔術師としての思考だった。知らず知らずのうちに魔道に染まったものの考えであった。

 その失態が致命的だった。李馬雷は武門を追放され、江南からも離れることを余儀なくされた。

 それでも馬雷は諦めなかった。各地の武林を渡り歩き、彼女はしぶとく生き延びた。

 魔道によって武門を追放された女は、それでも魔道の探求を止めなかった。

 彼女の魔剣はその過程で得たものだ。

 反魂の魔剣"エンジェルハイロゥ"。

 この魔剣のおかげもあって、馬雷は死兵の運用に着目した。

 疲労することも、死ぬこともない屍の群れ。戦場で適切に運用すれば、火槍を無力化することも決して不可能ではないだろう。

 かくして、馬雷は屍術の研究に全力を投じた。

 まるで取り憑かれたかのようだった。

 李馬雷は、完全に、魔道に堕ちた。

 魔術集団"僵葬会(きょうそうかい)"が結成されたのはこの頃である。

 馬雷の思想や研究に同調した同志が集まり、自然発生的に組織された邪教。

 かつて、李馬雷の魔術は、剣に生きるための手段に過ぎなかった。

 武林の仲間たちを、なんとしてでも生かす手段に過ぎなかった。


 今や目的は逆転した。


 練武が全てであった過日はあまりに遠く。

 剣は依代──魔術の手段に成り下がる。

 生死を弄ぶことに、もはやさしたる感慨もない。

 馬雷が極めた魔術の粋。その結実のために、彼女の全てが費やされた。

 髪の色艶はごっそりと抜け、肌は青白く痩けている。

 肉体の線こそ健在なれど、筋肉の質は決して以前通りとはいえないだろう。

 技の冴えに衰えはない。だが衰えがないだけだ。

 歩みを止めた馬雷の武技は、まるで数年前から時が止まったようだった。

 その姿を見て、かつての李馬雷(リィ・マレィ)を思い出すことはもはや誰にもできまい。

 彼女自身、当初の目的などとうに忘れ果てた。

 彼女はどうしようもなく、狂っていた。

 義気に満ちた女武侠、李馬雷。

 きっと彼女は、とうの昔に死んでいた。

 今を生きるはひとりの狂した女魔術師。

 メア・リィ・シェルリィ。

 彼女はすでに剣士ではない。

 シオン・ファーライトの剣筋を目にしようと、なにを思うこともない。

 ただ、幼くも極めて優秀な素体がそこにあるだけ。

「ク、フフ────」

 微笑する。

 刹那。

 "剣魔"と謳われた英雄の剣であろうと。

 数多の武侠が屈した銃火器であろうと。

 一挙に迫りくる無数の死兵であろうと。

 なんであろうと、一振りの剣を手に立ち向かう少女を見た。

 女の胸に、かすかな郷愁と憧憬がさす。

 メア・リィの脳はその感情を処理できなかった。

 認識すらできず、過ぎり────そして消えた。

 


 無尽の足音が大地を踏み鳴らしていた。

 山にこだまする亡者の嘆き。

 怒涛の勢いで押し寄せる死兵を前に、シオンは毛ほども揺るがない。

 静謐をたたえ、"妖剣・月白"を手に、全方位を目で見るともなく感覚する。

 人間大の質量がひしめくことによって生じる、大気の震え。ゆらぎ。風の流れ。

 それらを読み解けば、敵の位置と彼我の距離を把握する程度は造作も無い。

 十六方位から迫るは数十にも及ぼうかという動く死体(リビングデッド)

 そこに先鞭をつけるようにシオンは剣を振るう。

 寄せる波の間をするりと抜け、陣頭の死兵を斬り捨てた。

 そこで止まるはずもなく一閃。

 剣光が瞬き、続けざまに斬った骸が地に伏せる。

「シオンッ」

 ファリアスの声に応える暇はない。

 正面から噛み付いてくる亡者を避け、脇を抜けながら柄頭で後頭部を殴りつけにする。

 突撃の勢いも相まって前のめりに倒れる──そのままぴくりとも動かなくなる。

 瞬間、側面に感じる生ぬるい風。

 目を向けるまでもなく斜めに刃を振るう。短剣を握る手が吹き飛び、返す刀で上半身がまるごと飛ぶ。

 反対の側面からまたも敵。

 背後から振り下ろされる棍棒。一歩踏み出して躱し、振り返りながら斬りつける。

 亡者はものも言わずに倒れこむ。

 所詮は意思なき動く死体。シオンの業前をもってすれば、制圧はさして難しくもないだろう。

 唯一の問題は、メア・リィがどう出るか。

 ただそれだけ。

「先に上までいってて。すぐに追いつく」

 周囲の亡者を切り払った一瞬の空白。

 シオンはファリアスにそういって、背後のメア・リィ──そしてふたりの偽グラークを一瞥する。

 現在、女人狼はシオンを援護しかねているようだった。

 無理からぬことである。

 "撃剣・カノン"は亡者を撃ち抜くのに十分な破壊力を有している。

 しかしそれは、図らずも銃弾が貫通してしまう可能性があることを意味していた。

 下手をすれば誤射しかねない。動く死体が密集している状況ではなおさらだ。

 おまけにメア・リィは"矢避けの加護"の恩恵を受けている。狙撃を試みても全く用をなさなかった。

「……本気かい」

 それでもファリアスは、針の穴を通すような集中力を見せようとした。決して支援を諦めようとはしなかった。

 だが、シオンの指示があれば話は別だ。

「うん。できるだけ、高いところがいい。見つけやすいから」

 あっけらかんと言い放ち、こくりとちいさく頷いてみせる。

 ファリアスもまた、メア・リィの後方を一瞥し、頷き返した。

「了解。やられちまうんじゃないよ」

 そういって女人狼はファルを駆り、山道を上へ上へと進んでいった。

 これでいい。

 心中ひとりごち、迫る亡者に剣閃を振り放つ。

 斬り上げる刃が股下を裂き、死兵をまっぷたつに両断した。

 切断面から赤黒いものをこぼし、崩れ落ちる。

 立て続けに上段から鮮やかな円弧を描き、斬撃。

 前面を切り分け、シオンは亡者の群れに食いこんでいく。

 血風を引き連れ、鈴蘭の黒羽織をなびかせて、先鋒の亡者を斬り捨てる。

 斬り込めば左右を切り開き、死兵の列を切り崩す。

 如才無い刃の運びに迷いはない。

 剣風が吹き荒ぶたびに亡者が倒れ、腐れた肉が地に落ちる。

 無双。

 そういってなんら憚らない勢いで、骸の山が築かれていく。

「ソコですよゥ」

 屍山血河を踏みにじったあと、シオンは後方を振り返る。

 背後を囲っていた亡者が退かされ、開かれた道を、メア・リィが一直線に駆けていた。

 こじ開けた穴を貫くかのよう。

 狭められた包囲ゆえ左右には避けがたく。

 シオンの後ろにはすでに死兵が詰まっている。

 単純な物量攻撃ではなかった、ということだ。

 人の壁を使って道を作る。あるいは道を開ける。

 あるいは、道を塞ぐ。

 局地的な戦場の操作とでも言うべき戦術を、メア・リィの死兵は可能なものとした。

「フフ────」

 青白い唇が笑みを描く。

 メア・リィが突き出す細剣。

 シオンはその切っ先を紙一重で避けた。そこに足運びは一切ない。

 首をちょっと傾げるだけで刃を避ける。

 吹き抜ける剣風がシオンの頬を裂く。肌身に一寸の傷が走り抜け、後から遅れて血色の雫が滴り落ちる。

「────フッ」

 メア・リィは攻めの手を緩めなかった。

 すぐに切っ先を引くと同時、空手が滑らかに(しょう)を撃つ。

 組討術。

 シオンは咄嗟に背後の亡者を引っ張りだし、メア・リィに向けて投げ出した。

 まともに打ち据えられた亡者が腹からひしゃげ、崩れ落ちるように地に伏せる。

「……はッ」

 その隙を逃さず、シオンは周囲の亡者を斬って捨てる。

 弁別している暇などない。そこにはただのひとりの例外もない。

 刃が屍の血肉にまみれようとも、"妖剣・月白"はますます斬れ味を鋭くするほどであった。

 さりとて、所詮は動く死体に過ぎないためか。

 魔剣はどこか不満気な金属音をあげながら、細剣──魔剣"エンジェルハイロゥ"と刃を交えた。

 鍔迫り合い。

 "月白"の白刃と"エンジェルハイロゥ"の剣身が火花を散らす。二振りの魔剣が咬み合い、互いにしのぎを削りあう。

 しかしそれも一瞬のこと。

 シオンは周囲の亡者を捨て置けず、かといって身動きすることもままならない。

 メア・リィにしてみれば────

 これほど、追撃をしかけるに最適な瞬間はほかになかった。

「狙エ」

 命令一下に飛来する刃はふたつ。

 一方は空の高みから。

 一方は地を這いながら。

 ────じゃららららッ!!

 いつかに聞いた不愉快な刃鳴りが二重に響く。

 "奇剣・毒操手"──その似姿。

 二本の魔剣は一対の顎のごとく、シオンに向かって牙を剥いた。

「は」

 迫りくる死を直前にして、呼息。

 まずシオンは刀身をすべらせ、細剣の切っ先を巻き取った。

 絡めて、捌く。

 目にも映らぬ早業のあと、甲高い刃の音が鳴り響く。

 刹那、振り返りざまに差し迫っていた亡者を斬った。

 所詮は技量も意思もない動く死体。足音を頼りにすれば、死兵の接近は容易に知れた。

 この間コンマ一秒とかからない。

 シオンはすかさずメア・リィに向き直り、刃を肩の上にかつぐ。

 "屋根"の型である。

 瞬間、シオンは風切り音を耳に聞く。

 そちらを見もせず頭上を払い、飛びこんできたものを撃ち落す。

 確認する必要もなかった。"奇剣・毒操手"に相違ない。

 同時にシオンは足を浮かせ、地を削る蛇を目に止める。

 多節剣の中でも脆弱な部位。関節部。

 シオンは思い切り体重を乗せ、その弱点を勢い良く踏みつけにする。

 金属の塊がにわかに軋む。

 地を滑る魔剣が足を止めた。

 武器破壊──とまではいかないが、刃は無残に曲がっていた。

 戦力半減といったところだろう。

 刹那、びゅんと風を切って放たれるメア・リィの刺突。

 シオンは咄嗟に飛び退いた。

 後方の亡者を斬ったおかげで、戦場にわずかな空間が生まれていたのだ。

 結果、背後は詰まらざるをえない──だが、細剣の切っ先は難なく躱した。

「……いつまで、その動きが続くかナ」

 空振った刃を引きながら、メア・リィはフンと鼻を鳴らして言う。

 だが、声に滲む驚嘆の色は隠せなかった。

 シオンが垣間見せたほんの刹那の剣捌き。

 細剣をいなし、死兵を斬り、上下からの牽制を受け止め、再度の刺突を躱す。

 それ全てをシオンは、一秒にも満たない時間の中であっさりとやってのけたのである。

 とても人間技とは思われない。

 神がかり的ですらある。

 あるいは────悪魔じみている。

「あなたを斬るまで」

「"剣魔"を斬ったのは伊達じゃない、ってワケですネー」

 メア・リィは刃を引いたまま、掌を前に突き出した。

 あまり見ることのない構えだった。

 十中八九、帝国由来の型。

 その狙いはおおよそ見て取れる。

 無防備に見える掌はいわば囮。シオンの攻勢を誘うためのものだろう。

 下手な攻めでは手痛い反撃を食らうのが落ちである。

「……ふッ」

 シオンはまるで草を刈るように亡者を斬る。

 切り払う。

 それに応じ、メア・リィは倒れた亡者に刃を落とした。

 一度は斬られ、地に伏した亡者。

 それが魔剣──"エンジェルハイロゥ"の洗礼を受けた途端、当然のように立ち上がる。

 脚を断たれていようと無関係。切断面から骨格が伸び、肉腫が盛り上がり、新たな筋肉を形成していく。

 再生。あるいは新生とでもいうべきか。

 蘇生した肉体によって立つ亡者の瞳に、やはり意志の光はない。

 再生はする。だが、仮初の命であることに変わりはない。

 そういうことだろう。

「無駄なことサ」

 シオンがひとり斬るうちに、メア・リィはひとりの亡者を再生する。

 何人殺そうが、彼らは何人でも死兵として生き返る。

 確かに数の上では無意味だろう。

 だが、全くの無意味ではない。

 現在シオンは亡者の壁に囲まれている。

 言うなればこの状況は、メア・リィの剣の結界に囚われているようなもの。

 この包囲を突破し、死兵で構築された陣地を打破する。

 その点ではシオンの行為には十分すぎるほどの意味があった。

「無意味かどうかは私が決める」

 当然、メア・リィもそのことは承知しているのだろう。

 シオンを邪魔するように後方から投射される剣撃。

 うち一本の刃はねじれていたが、"奇剣・毒操手"はなおも健在だった。

 ────じゃららららッ!!

 うなりをあげて、螺旋を描きながら風を切る。

 躱せない一撃では全くない。一方を最小限度の足運びで避け、残るは剣身を横から打って捌く。

 それでも問題はあった。受け流すのにどうしても時間を取られるのだ。

 それはわずかな時間だが、メア・リィがもうひとり亡者を蘇らせるには十分な隙である。

 屠る速度と蘇る速度──その均衡が破れ、メア・リィの周囲が数多の亡者に固められていく。

 それでもシオンは止まらなかった。

 ────私が決める。

 まさにそういったように、シオンは亡者を屠り続けた。

「フフ、言ったじゃないカ。キミが護衛を退かせたのは失敗だったヨ」

 果たして、シオンは後方の囲いを突破した。

 しかしメア・リィを守る包囲は先ほどより強固なものとなっている。

 それはもはや"方陣"の構えというべきだろう。数十人規模で組まれた肉の壁にはほんの一分の隙もない。

 内側から飛来する"奇剣・毒操手"も厄介さを増した。死兵の守りがあるために攻撃に専念することができるのだ。

「……そう」

 気のない呟きをもらしながら、シオンは死兵たちの足元を見た。

 そこには倒れたままの亡者の骸が転がっている。

 どうやら、"エンジェルハイロゥ"の力には制限があるらしい。

 操れる数が限られているのか、蘇らせるには条件があるのか。

 損傷度の問題かもしれない。倒れたままの亡者の多くには首がなかった。

「無限には蘇らせられない、わけだ」

 それがわかれば十分。

 そしてもはや、後ろを気にかける必要はなかった。

「……クフフ。気づいたカイ。とはいえ、それに気づいたからといって今さらなにができるんだイ?」

 メア・リィは後方にあってなお構えを崩さなかった。

 そこに油断はない。次の瞬間シオンが眼前に現れようと、彼女は対応してみせるだろう。

 結構なことだった。

 ────じゃららららッ!!

 響き渡る蛇腹剣の鳴き声。

 銀の剣光が二筋奔り、シオンはそれらを叩き落とした。

 同時にシオンは海のように蒼い瞳を鋭く細め、メア・リィを射る。

 何ができるかといえばこう答えるほかない。

「斬る」

 ────刹那、駆けた。

 跳ねた土埃が落ちぬ間に、シオンは死兵の方陣に食いこんだ。

 今度こそはメア・リィも目を剥く。

 自殺行為も同然の所業である。

 メア・リィはシオンを左右両翼から包囲し、同時に前面へと死兵を集中した。

 縦深を活かした多層的な防壁である。肉壁でも足止め程度の役目は果たすだろう。

 左翼と右翼にそれぞれ一〇。前面には六人一組の肉壁が四層配置されている。

 後方に偽グラークがふたり。

 中心に、メア・リィ・シェルリィが控えていた。

 ──そこを目掛けて一直線にシオンは突き進む。

「逃げる賢明さくらいはあると思ったのニ」

 包囲を開けさせたのは、シオンを逃げることを期待していたのもあったのだろう。

 もちろん、シオンにそんなつもりは微塵もなかった。

 おそらく死兵は疲れもしなければ休息も必要としない。長引けば長引くだけ人間のシオンが不利である。

 眠りに落ちたところを狙えば、生け捕りにするのも難しくはない。

 できるだけ生かして捕らえるためか。死兵の包囲がシオンの背後を閉じていた。

 ずれている、とシオンは思った。

 ────この期に及んでずれている。

()ィッッ!」

 一層目の肉壁を叩き切ってシオンは疾駆する。

 後方からの追撃を完全に置き去りにする。気にする必要は全くない。

 シオンはただ、前だけを見ている。

 そのために──前だけを見るために、シオンは後方の包囲を切り開いたのだ。

「挟撃だヨ。一列目、背後から────」

唖々唖(アァア)ッ!!」

 メア・リィの飛ばす声までもすでに遅い。

 土を踏みつけに、その反動で脚を浮かせ、加速。

 ほとんど飛びこむようにシオンは二列目の肉壁を斬り払った。

 一斬にて三人。五人からなる肉壁を一閃にて半壊させて突破するシオン。

 "妖剣・月白"が血風に巻かれ、妖しく煌めく。

「エ」

 驚愕の声が届かぬうちに、シオンは歯を食いしばった。

 呼吸さえ惜しむように静謐をまとい、疾走。

 亡者の嘆きを容赦なく魔剣の暴力でねじ伏せる。

 難なく三層目を貫通。

「────狙エッ!!」

 声とほぼ同時に聞こえる不快な金属音。

 ────じゃららららッ!!

 うねる多節剣は瞬く間にしてシオンに迫る。

 うなりをあげ、無秩序に揺らぐ軌道を描き、少女に向けて牙を剥く。

 されど、此度はシオンは止まらなかった。

 馴染みになった人狼の吠え声が聞こえたから。

『ルォォォオオ────ッ!!』

 後から遅れて聞こえる銃声。

 シオンが剣を振るまでもなく、眼前で"奇剣・毒操手"の切っ先が撃ち抜かれ、地に落ちた。

 超長距離からの正確無比極まる援護射撃。

 ファリアスの手によるものだ。

 やってくれた、とシオンは思う。

 なんのことはない。シオンはファリアスに、退けとも逃げろとも言っていない。

 上に、高いところに行けといった。それだけだ。

 頭上を取ることほど援護射撃に適した場所はない。

 あとはあの責任感の強い女人狼のこと。

 遠方からこちらの様子の確認くらいはするだろうと思ったし、あわよくば援護も考えるだろうと思った。

 それだけのことだった。

 無いなら無いでなんとかするが、あればこれほどありがたいものはない。

 その間にシオンは四層目の肉壁を突破。

「ひ──退いたハズでハ」

 うろたえる間にもメア・リィの姿を眼前に見据える。

 刹那、響き渡る銃声が三つ。全てが偽グラークの顔面を正確に捉えていた。

 後顧の憂いはもはやない。

 メア・リィの剣の結界は崩壊した。

「────行く」

 真っ向から相対する。

 距離にして五歩の間合い。

 だが、シオンは彼我の距離を瞬く間に蹂躙する。

 突き抜けるはさながら"放たれた矢"。

 対するメア・リィは、掌をかざす構えを解かなかった。

 瞳が、(かっ)と見開かれる。

 虚無の暗闇が浮かぶ目に光が宿る。

 瞬間、シオンの返し(がたな)が駆ける。

「弑ィッ!!」

 渺。

 風の鳴く音。

 同時に、ばしゃ、と血潮がにわかに爆ぜた。

 ──メア・リィは手を退かなかった。

 手首の骨を叩きつけ、シオンの斬線をわずかに逸らす。

 当然のように掌が飛ぶ。

 彼女はそれに構いもしない。

「────(シャ)ァァァッ!!」

 びゅん、と刃先が空を裂く。

 絶死の間合いから放たれる刺突。

 死閃とでもいうべきそれが、シオンの目先から伸びてくる。

 迫る刃が瞬くよりも疾く飛び────

 そして、シオンの寸前で止まった。

「は」

 堪えきれずに息を吐く。

 刃は、少女の額を薄皮一枚裂いていた。

 後から後から血が流れ、シオンの唇を朱く濡らす。

 最小限にして最高速度で一歩飛び退く。咄嗟の反射行動のおかげで、それだけで済んだ。

 一寸でも遅れていたら死んでいただろう。

 そしてシオンは、流れるように身を沈める。

 一歩退き、踏みこみ、斬る。

 絶死の間合いからなる絶対の剣理。

 それを遂行するべく身を低くして、シオンは細剣を掻い潜るように踏みこんだ。

 いかんともしがたく突き出された魔剣の切っ先。

 どう足掻いても間に合うはずもない。

 そのことを認識するより疾く──必殺の剣閃が女の青白い肌を断つ。

「────"秘剣・再臨剣(リバースエッジ)"」

 渺。

 剣風とともに刃が抜けて、世界が静寂に包まれた。

 亡者たちは糸が切れたように動かなくなる。

 女はまるで時を忘れたかのように静止し────

「ァ────嗚呼ァァァアッッ!!」

 バシャッ。

 腹から胸にかけてを走り抜ける深刻な傷痕。

 決して助かることはない。そう確信させる深手から、夥しい血流が溢れていた。

 手から"偽聖剣・エンジェルハイロゥ"が零れ落ち、メア・リィはそれに遅れて倒れ伏す。

 同時にバタバタと亡者が倒れていく。

 ひとり残った偽グラークも例外ではない。

 数多のならずものを蘇らせた魔剣も、その担い手を蘇らせることはない。

「ァ────嗚呼、ァ……」

 だくだくと血を流しながら痙攣するメア・リィ。

 もはや身じろぎもままならないようだった。

 じきに死ぬだろう。

 シオンは血振るいしたあと、彼女を見下ろしていった。

「なにか、言い残すことは」

 狂った女だが、それくらいは聞いてもいいだろう。

 どこまでも回りくどい女だったが。

 剣士である以前に魔術師、というような陰険な女だったが。

 最後だけは、自らと同じ穴の狢の剣客だと思ったから。

「……いつか……ボクの、遺したモノが……キミを……ク、フフッ……グエ、ウグッ……」

 ごぼ、と血を吐いて笑い声が途切れる。

 聞かないほうがよかったかな、とシオンは思った。

 朱く濡れた青白い唇が薄く開いたまま痙攣する。

「……嗚呼」

 女の閉じかけた眼がどこか遠くを見る。

我不知道一个武侠(ボクは剣士だったのか)────」

 聞き逃してしまいそうなほどか細い声。

 シオンはそれをしかと耳にする。

 おそらくは帝国語。なにを言っているのかは、わからなかった。

 そのままがくりと崩れ、メア・リィは意識を閉ざした。

 永遠に。

 李馬雷────メア・リィ・シェルリィは死んだ。

 死顔の眼差しから、すでに女の狂気は去っていた。

「……は」

 シオンはため息を漏らし、彼女の瞼をそっと閉じる。

 "妖剣・月白"にこびりついた血肉を払っていると、後ろから声が聞こえた。

「片付いたみたいさね」

「うん」

 ファリアスだった。そろそろ行くつもりだったが、わざわざ下りてきてくれたらしい。

 せっかくなので、魔剣の始末は彼女に頼むことにする。

 "撃剣・カノン"が幾度ともなく火を吹き、魔剣に数知れぬほどの鉛弾を叩きこんだ。

 一〇〇を数えないうちに"エンジェルハイロゥ"はへし折れた。

「疲れてんじゃないかい。乗ってきな」

「……そうする。ぜひ」

 済ませるべき用を済ませたあと、シオンは促されるがままファルに跨った。

 ファリアスが手綱を取り、死骸と血臭に満ちた山道を後にする。

 最後に一度だけ、自らの踏み越えた血道を振り返る。

 はた迷惑な人だった、とシオンは思った。

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