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亡国の剣姫  作者: きー子
17/34

拾漆、鬼哭啾啾

 シオンは無事に宿を取ることに成功した。

 上手くいく見込みはあったが、可能性は五分五分だった。

 出会い頭に襲われないとも限らない。

 多少なりとも相手は理性的だったらしい。

「ファリアス。どう」

「今、ちょうど外に出ていったみたいだねえ……」

 そのまま何事もないように、手狭な部屋で腰を落ち着けながら。

 ふたりして、宿の主の動向をうかがっていたという次第である。

 十中八九、シオンたちがこの宿に泊まっていることを報告に向かうのだろう。

 いうなれば今の彼女らは袋のネズミ。狙われていることも知らず、自ら窮地に入りこんだ間抜けである。こうなれば捕らえることもわけはない────

 と、相手方は思っていることだろう。

 シオンは念の為に脱出口を確認する。室内にはそれなりの大きさの窓がある。

 部屋は二階だが、飛び降りられない高さでもない。特に問題はないだろう。

 ちょうど窓から見下ろしたところに巨体の黒馬──ファルがいる。

 当然のことながら部屋にファルを入れるのは不可能である。

 彼に細工をされたら面倒だと思っていたのだが、心配は無用だった。

 いざとなれば、頭を噛み千切ってやってもいいと言いつけてある。

 余計な手出しをするほうが悪いのだ。

「すぐに仲間を連れてくる気かもしれないよ」

 外に耳をそばだてていたファリアスが振り返る。

 シオンはベッドに寝転がっていた。

 豪胆ですらあるくつろぎようだった。

「そのときは、そのとき」

「……まぁ、囲まれる心配はないさね」

 ファリアスもベッドの端に腰掛ける。その手には依然として銃剣がある。

 襲撃を受けたとしても敵は入り口からに限られる。

 部屋の入り口はせいぜい一度にふたりが通れる程度の広さである。

 無理をすれば三人か。体格によっては入り口で詰まるだろう。

 つまり、一度に相手にするのは多くとも三人まで。

 まとめて数十人を相手にするよりは、ずっと楽だ。

「たぶん、そうはならないと思うけど」

 シオンもさすがに刀を外してはいない。

 鯉口を切られている。いつでも抜き放てる状態だ。

「考えあってのこと──なんだろうね」

「うん」

 考えなしであればシオンはとうに死んでいる。

 何度も死にかけているので、そこそこの向こう見ずではあるが。

 それでも全くの考えなしというわけではない。

「地の利がないのは向こうも気づくはず。数が活かせないのは、よくない」

 爆発物でもあるのならば話は別だが。

 それなら、ファリアスがすぐにでも火薬のにおいを嗅ぎ当てられる。

 その時こそ、相手が戦果を確認しているうちに逃げ出せばいい。

「相手方にしてみれば、こっちの油断を突きたいってとこかい」

「そう」

 宿泊しているのだから、隙などそれこそいくらでもある。

 例えば、寝入り端。用便。あるいは食事時。

 そうやってつつがなく捕らえたいというのが相手の望むところだろう。

 当然のことながら、誰でも死にたくはないものだ。

 より安全な方法があるのならば、人はそちらに流れていく。

 水は低きに流れる。人の心もまた同じ。

 何気なく窓際に寄り、帳を上げて外を見る。

 時はすっかり夜だった。地には暗闇が満ち、空に浮かぶは星ばかり。

 その時、ぎしりと階段の軋む音がシオンの耳に届く。

「……ひとり?」

「あぁ。間違いないよ」

 少女の直感を人狼の感覚器官が保証する。

 ほどなくしてこんこんと扉を叩く音がした。

 相手はなかなか紳士的であるらしい──少なくとも、装いと振る舞いは。

 シオンは扉のほうに向けて問う。

「なに?」

「湯をお持ちしましたので、よろしければ。それとお食事が用意できるのですが、いかがでしょう」

 男の声だった。若くはないが、それだけ慣れた気風を漂わせている。

 少なくとも違和感は覚えなかった。

「お願い」

 男は戸を開け、部屋の隅にそっと木桶を置いていく。

 三〇半ばほどの男だった。表情こそ柔和だが、顔には客商売に似つかわしくない傷痕があった。

 彼の目が一瞬ファリアスに釘付けになる。

 人狼。

 軍が駐留する地域ならばまだしも、この辺境ではめったに見る機会もないだろう。

 彼がなにか言いかけるのに先んじてシオンはいう。

「詮索はなしにして。お願い」

 これは失礼を、と男は頭を下げて退出した。

 階段を降りていく音を聞きながら、シオンは改めて入り口のほうに目を向ける。

 お湯はありがたくいただくことにする。貰って損のないものは貰っておくべきだ。

 湯浴みこそできないが、凝り固まった足をほぐすにはちょうどいい。

「……食べるつもりじゃないだろうね」

「なにが出てくるかによる」

 あまりまともなものが出てくるとはシオンも思っていない。

 万が一なにごともなければそれはそれで構わない。頼むだけなら損はない。

 しばらくして、ふたりぶんの食事が運ばれてきた。

 肉と野菜の炒めもの、細長い棒焼きパン。真ん中の裂け目に挟んでいただくのだろう。見てくれで変なところは特にない。

 ごゆっくり、宿の主人がそういって去った後のこと。

 ファリアスはそれに鼻先を近づけ、臭いをかぎ、眉をしかめる。

 ちょっと犬みたいと思う──絶対に言わないようにしようとシオンは心に誓う。

 ふん、と鼻を鳴らしたあとファリアスは口を開いた。

「食べないほうが賢明だね。まず、間違いなく」

「毒?」

「いいや。夜忘れ草(ヨワスレグサ)っつってね──こいつがまぁ、よく効く睡眠薬になるんだけどさ」

 ファリアスが呆れたように顎をさする。

「山ほど入ってるんだよ、磨り潰されたのがね。鼻につくったらありゃしない。もうちょっと隠す気がないもんかねぇ」

「ファリアスに効くかはわからないもの」

「あぁ……それでかい」

 ともあれ、相手方の考えていることはわかった。寝込みを襲うつもりだったのだろう。

 これで、彼らが黒であることは間違いがない。

「しかし、ちょいと奇妙だねえ」

「なにが?」

 ファリアスはちいさく鼻を鳴らしながら唸りをあげる。

「この夜忘れ草ってのが自生するのは夏でね。今の時季にはまだ早い。ここらは高地だから早く芽が出たってこともないだろうさ」

「保存は、できないの」

 多めに取っておけば問題ないように思えた──シオンは首を傾げ、端的に問う。

 相手を強制的に眠らせてしまうような危なっかしい生薬。さぞかし便利に使われることだろう。

 なにしろここは山賊上がりの営む宿場。その薬を常備していると聞かされても、特に驚くには値しない。

 しかしファリアスは首を横に振った。

「こいつは寒さに弱くってね。上手く扱ってやらなきゃ、まず冬は越せない。まともな魔術師か錬金術士の管理が必要さね──さて、この宿場にそういう手合がいると思うかい?」

「いや」

 全くそうは思わない。

 いないとも限らないが、いそうにない。

 ふたりして頷き合う。

 だとすれば、外部から夜忘れ草が持ちこまれたか。

 あるいは、外様の協力者がいるのかもしれない。

 そうとわかれば警戒を一層強化する──料理は捨てることにした。もったいないが、捨てることにした。

 巨体のファルなら食べても問題ないような気がしたが、こんなものを食べさせるのも気が引けた。

 代わりに持っている保存食で食事を済ませる。よく塩が効いた鮎の燻製。噛めば噛むほどに滋味を感じさせる味わいだった。

 満腹とはいかないが、気持ちとしてはこれで十分。

 人を斬る前は、あまりものを食べないほうがいいから。

「さて、こっからどうするかだねえ。あいつらはこっちが寝入るのを待ってるってワケだ」

「三〇分寝るから、それまでになにかあったら起こして」

「……了解さね」

 もはやファリアスはなにも言わなかった。シオンの奇行ともいうべき思い切りの良さに慣れたのかもしれない。

 相手を焚きつけるにはこれが一番いい、とシオンは判断した。

 ファリアスは起きていて構わない。人狼はひとりだけでも十分に脅威だ。ひとりで立ち向かおうとはせず、人を集めようと考えるはず。

 まさにその瞬間──人々が一箇所に集まった隙を突き、脱出を試みる。

 傷を負う危険は正面突破するよりも遥かに減る。戦闘も最小限度に抑えられるだろう。

 無事に済めばいい。

 シオンは考えながら、ベッドの上で目を閉じた。

 十分すぎるほどに疲れていた。夜忘れ草がなくとも、入眠には三分とかからない。



 ぴったり三〇分後、シオンは目を覚ました。

 まだなにも起きてはいなかった。

 宿の主が食器を取りに来た際、彼女らの様子を確かめに来たくらいもの。

 すっかり眠りこけているシオンを見て、男は喜色を隠せていなかったようだ。

「あたしも眠たそうな顔でもしてやるべきだったかねえ」

「たぶん、わからないと思う」

 数日間を共にしているシオンでも、ファリアスの表情を見て取るのは難しい。

 逆に言えば、ちょっと目を閉じているだけで眠そうに見えたりもする。

 おそらく、ファリアスの存在ゆえに踏み止まったりはしないだろう──シオンの首にどれだけの賞金がかかっているのかはわからないが。

 それから四半刻もしないうちに、事は起きた。

 宿場の通りに、それとわかるほど人のにおいが集まりだしている。彼らは一様にシオンたちが泊まっている宿のほうへと近づいていた。

「まっすぐ、来るよ。二〇人はいる」

「そう」

 シオンはベッドから立ち上がり、宿の部屋をぐるりと見渡す。

 軽く動いて身体をほぐす。体調は良好。肩の痛みはわずかにあるが、差し障りがあるほどのものではない。

 そして最後にファリアスを見た。

「忘れ物はない?」

「馬鹿いいなさんな」

 人狼が牙を剥いて笑う。

 ファリアスはすでに戦闘態勢にあった。いつでも出られると言わんばかり。

 銃剣の安全装置はとうに外されていた。

「行く」

「あぁ」

 集団との距離は直線にして10フィートほど。到着まであと数分とかかるまい。

 シオンは窓の帳を掻き上げ、地面を見下ろす。

 そこにはファルと、中年の男がひとりいた。

 宿場を囲む柵に立てかけられたたいまつが男の顔を照らしだす。

 男は、この宿の主人だった。片手に斧を持ち、ファルの巨体と向き合っている。

 ファルは低く唸り、男を鋭く威嚇していた。その迫力のために、彼は腰が引けてしまっている。

 シオンは迷わず部屋から飛び降りた。

 身をひねり、男の背後に流れるように着地。

 彼が振り返る間もなく口元を押さえ、腰の後ろから短剣を抜く。

 素早く刃を走らせ、首筋を掻き切る。

「ぁ、が……ッ!!」

 手の隙間からくぐもった悲鳴を上げ、血潮を吹き上げながら男は絶命した。

 すぐには見つからないよう建物の影に蹴飛ばす──ちょうど飛び降りたファリアスのクッションの役目を果たす。

 その時、表のほうがにわかに騒がしくなる。

「こっちだ!」

「急げ」

「おい、あいつがいないぞ。宿の前で待っていると言ってたはずだが」

「構いやしねえよ、これだけいれば失敗はねえ!」

 シオンは構わず短剣を鞘に納め、そっとファルの首筋を撫でてやる。

 この程度の相手、どこにも繋がれていないファルならば簡単に始末できただろう。

 蹴るなり、噛むなり、全体重を載せた体当たりをぶちかますなり。どれでもたやすく人は死ぬ。

 しかし、ファルはそうしなかった。

 ファルが殺したら、男は聞くに堪えない叫び声をあげただろう。それでは耳目を集めてしまう。

 事によっては、頼れる乗馬を見殺しにするはめになっていたかもしれない。

「いい子」

 そういって黒い毛並みを撫でる。

 ファルは嬉しげにひそめた鳴き声を漏らす。そして静かにシオンの指示を待った。

「乗っていくかい」

「まだ。静かに、行こう」

「了解」

 勢い良く走らせれば、当然馬蹄の音が響く。それはできれば避けたい。

 全力での逃走は、八槍岳(はっそうだけ)の入り口──そこにいる見張りを排除した後だ。

 やるべきことはシオンもファリアスもわかりきっている。

 彼女らふたりと一頭は、まるで並走するように駆け出した。

「くそっ! もぬけの殻だ!!」

「逃げやがった!!」

「おい、ザックの馬鹿はどこだ!! 本当にちゃんと寝てたんだろうな!?」

 後ろのほうが騒々しい──構わず進む。

 目指すは八槍岳。脇目もふらず、前へと進む。

 途上、ファルの巨体が柵のたいまつに照らしだされる。

 しかし周囲はすでに真っ暗闇だ。人間の目では、駆ける黒馬を視認することは難しい。

 シオンはといえばファルの影にすっかり入りこんでいる。視界に捉えることも不可能だろう。

 ファリアスに至っては灯火の光が届かない通りを自由気ままに駆けていた。

 人狼の金眼は夜の暗闇をあまねく見通す。人狼は夜を味方につける。人間に対して、一方的に攻勢をかけることを可能にする。

 果たして予想通り、八槍岳の入り口を守る見張りは変わらずそこにいた。

「ファリアス。右を」

「了解。左、任せたよ」

 ふたりは互いを見るともなく見て頷き合い、散開した。

 シオンが狙うは左側の男。

 見張りとはいえ、装備は粗末なものだった。革製の部位鎧と槍一本。

 顔はいかにも弛緩していた。士気が高いとは言いがたい。

 シオンは影から影へと駆け走り、たいまつの火から逃れるようにして闇を渡った。

 気づけば見張りの男からすでに数歩の距離。

 門に立てかけられたたいまつが、シオンの白い顔貌(かおかたち)をさらけだす。

 見張りの男の顔がにわかにぎょっとする。ここにあるはずのないものを見たように目を見開く。

「て、敵──────」

 (びょう)

 風が鳴き、刃が走る。

 鯉口はとうに切られていた。

 走る無拍子の抜刀。

 鞘から抜き放たれるとともに飛ぶ剣影が男の首を斬り捨てる。

 言い止した言葉を斬り伏せる。

 声は誰にも届くことはない。

 征圧は瞬く間に完了した。

 同時にシオンは反対側の見張りがいるほうに目を向ける。

 そこでは、今まさにファリアスが見張りの男を組み敷いているところだった。

 男の口元はがっちりと片手で抑えこまれている。その手は銃の暴発で焼けた右手だった。

 左手に握られた銃剣が男の首筋に潜りこむ。

 男は声もあげられずに死んだ。

「完了したよ」

「うん」

 頷き合い、死体を適当な影に放りこむ。

 こちらは宿のほうと違って重要拠点だ──おそらく、破られたことはすぐに露呈するだろう。

 一向に構わない。まだ発見されてはいないのだから。

 出口にびっしりと並んでいる馬防柵の隙間を抜け、シオンは黒馬に跨った。

 続いてファリアスが騎乗。そのまま彼女が手綱を握りかけるのを、シオンが咄嗟に制する。

 ファリアスが一瞬怪訝そうにシオンを見る。

 海のように深い蒼色の瞳が、ファリアスをじっと見つめ返す。

「あなたの銃が、いると思う」

 馬上では銃火器の支援がなによりもの頼りだ。剣でも戦えなくはないが、二人乗りでやることではない。

 夜目が利く人狼であるからこそ、なおさらに。彼女ほど頼れる銃手は他にない。

「……了解したよ。シオン」

 ふ、とちいさくファリアスは笑む。

 この状況下で追いつかれることがあるだろうか。

 あるのかもしれない。少女の直感がそういうのならば。

 シオンは静かに頷き、改めて、手綱を取った。

 ファルが意気揚々と駆け出す。荒れ果てた山道を、生い茂る草野を、堅固な岩山を物ともせずに踏みつけていく。

「見張りがやられてるぞッ!!」

「やりやがった、あのガキッ」

「絶対に逃がすんじゃねえぞ! なるべく殺すなよ、手足はいくら射っても構いやしねえ!!」

 後方から聞こえる喧騒。

 やはり、というべきか。思っていたより発見されるのがずっと早い。

 ファルが坂道に蹄をかける。進行が目に見えて遅れ始める。このまま速度で突き放すのは不可能だ。

 それなりの距離を稼いではいるが、背を見失うほどではないだろう。

 相手の矢は、届くかどうか。有効射程ではあるが狙って当てるのは難しいはず。

 だが。

「馬鹿野郎、まともに当たるかッ!! 馬だ、馬を狙えッ! 馬の上から振り落としてやれッ!!」

 適確な指示が飛ばされ、矢羽根が風を切る音が聞こえてくる。

 まさにその通りだった。シオンの的は小さいが、ファルのほうは別である。狙わずとも弾幕を張れば当たる可能性は十分にある。

 シオンは背後を一瞥するが、あいにく、たいまつの光がぽつぽつと見えるだけだった。

 とてもではないが、敵を認識するのは不可能だ。

「ファリアス。お願い」

「言われるまでもないさね────」

 瞬間、ファリアスは揺れの激しい馬上から、背に向けて銃剣を一発鳴らした。

 空をつんざくような音がして、銃弾が大気を突き抜ける。後方が一気に騒がしさを増す。

「クソ、なんだってんだッ!!」

「銃、銃だッ」

「あ、あんな距離から────」

「まぐれに決まってんだろうが! 脅しにビビってんじゃねえ!!」

 シオンが後ろを気にしても仕方がない。

 しっかりと前を向いて、ファルを操るのに専心しながらぽつりという。

「だって」

「まぐれかどうか、存分に教えこんでやろうじゃないかい。足りない頭でもきっちりとわかるように、身体でね」

 ファリアスは次弾を装填しながら牙を剥いて笑う。

 ファルが馬蹄を鳴らし、少しずつ距離を離していく。劣悪な足場のせいで定まらない銃口をものともせず、彼女は狙いをつけ始める。

 そして再び銃爪に指先をかけたその時、

「────まったく、だらしないなア」

 ひどく不吉な声が聞こえた、気がした。



 八槍岳は、宿場──もとい山賊の男たちにとっては庭のようなものである。

 道や地形については誰よりも知り尽くしており、隠された経路や裏道にも精通する。

 例え相手が馬であろうとも問題ない。足場の悪さと、地の利がある。後から追いつくのはわけないことだ。

 ────そのはずだというのに。

「ガァッ!!」

「くそ、またやられたッ!!」

 またひとり、山賊の男が銃弾に撃たれて倒れ伏す。

 残り人数はまだまだ多い。しかしとてもではないが安心はできなかった。

 八槍岳とそのふもとを根拠地とする山賊団"黒蜂党(くろばちとう)"。

 総勢およそ五〇人以上の大所帯だ。面子のほとんどは荒くれ者の男で構成されている。

 食い詰めた失職者。厭戦的な世論からなる軍縮計画によって解雇された元軍人。あるいは単なる犯罪者。

 様々な境遇にある彼らだったが、共通点はただひとつ。

 略奪行為を是とするということだ。

 金。物資。そしてひたすらに、金。

 そのためならば、年端もいかない少女を捕らえることなどなんでもない。殺すことも厭いはしない。一切合切構わない。

 ──しかし彼らは、その所業に対する代償を支払わされるはめになっていた。

 彼ら自身の命によって。

「怯むな、矢を射掛けろ、撃て、撃てッ!!」

 首領格の男が必死に気勢を上げ、自らも弓を放つ。

 彼らはならずものながら、弓の扱いに長けていた。数十本という矢が一斉に放たれ、矢の雨が敵に向かって降りそそぐ。

 しかし戦果はいまひとつだった。一時ばかり銃口を逸らすことはできるが、敵を仕留めるには至らない。

 なにせ周囲は真っ暗なのだ。狙いを付けるのはきわめて困難。おまけに、逃亡する彼女たちは灯りのひとつも持っていない。

 今日は月もない夜である。余所者の彼女たちが灯り無しなど無茶苦茶もいいところ。

 端的にいって自殺行為だ。

「グゲエェッ!!」

「くそ、また────」

 だというのに、敵の狙撃には一分の狂いもない。

 夜の暗闇など物ともせず、銃弾の一発一発が正確に山賊たちを射抜いていく。

 これが人狼の力というのなら、彼らは人狼の女を見くびっていた。

 首領格の男は思わず歯噛みする。

 まさにその瞬間だった。

「だらしないなア」

 と、男たちをあざ笑う声がした。

 ぬるり、と。

 まるで影から現れたように、若い女が姿を現す。

 肌の色は青白く、髪の色もまた真っ白。

 妖しげな紫色の外套をはおり、下には燃えるような赤色のワンピース・ドレスを身に着けている。

 ドレスは袖が異様に長かった。指先どころか手まですっぽりと包みこみ、それでもなお余った袖が垂れ下がる始末。

 裾も長かったが、スリットがほとんど腰まで開いている。動き回るに支障はない。

 彼女は背中に黒い棺桶を背負い、太ももに一本の剣を吊るしている。

 女──メア・リィ・シェルリィは、落ち窪んだ暗い瞳で首領を見た。

 岩山の高みに飄然と腰掛け、彼女はきんと甲高い声を響かせる。

「全く、だらしないなア────」

「ま、魔術師殿」

 首領格の男が低く呻く。

 そして、怒気もあらわに睨めつけた。

 無理もない。彼女こそ"黒蜂党"を賞金首狩りに焚きつけた張本人なのだから。

「よくもまあ、バタバタ死んでくれるコト。ボクはいいんだけどサ。実験台が増えるかラ」

 賞金首を仕留めるどころか、山賊側の犠牲は増える一方。

 にも関わらず、メア・リィは彼らを気にかける様子もない。

「ふ、ふざけるな!! 俺たちを煽ったのはあんただろう!」

 山賊の男のひとりが彼女を罵る。

 実際、彼女が訪れる前から賞金首の情報は知れていた。黒蜂党の面々が賞金首の姫に興味を抱いていたのも事実である。

 そして八槍岳はシオンが逃走経路に選ぶであろう有力地域。

 そこで彼女は──メア・リィ・シェルリィは、黒蜂党の欲望につけこんだ。

 正確な情報をもたらし、助言を与え、いくつかの方策を施した。

 睡眠薬──夜忘れ草(ヨワスレグサ)を提供したのも彼女の仕込みであった。黒蜂党に魔術師のたぐいはひとりとしていない。

 もっとも、その試みは破綻したが。人狼が仲間にいることは完全にメア・リィの想定外だった。

「煽られるほうが悪いんじゃないかナ。そのままドンドン死ぬとイイ。死体になってボクに貢献してほしいネ」

「こ、この……」

 弁解すらせず情け容赦のない言葉を向けるメア・リィ。

 思わず山賊たちも彼女のほうに弓を向けかけた──その瞬間だった。

 銃声。

 銃弾が音より早く迫り、メア・リィ・シェルリィ目掛けて飛ぶ。

 すわ、直撃か。

 そう思われた刹那──

 弾丸が、まるで風に流されたように、ひとりでにメアを逸れていく。

「なッ」

 その光景を偶然目にしたのか。男のひとりが目を見開いて驚きをあらわにする。

「た、弾が……馬鹿な」

 呻く男を見て、彼女は機嫌が良さそうにクスクスと笑った。

「矢避けの加護ってやつサ。だいじょうぶ。これでキミたちにも、もう、弾は当たらないヨ」

「ほ、本当か!?」

「うん、ホント」

 もちろん嘘である。

 彼女の魔術は彼女にしか作用していない。

 そのことを知らない山賊はメア・リィの言葉を信じ、遮二無二に坂道を駆けていく。

 瞬間、二射目の銃弾が彼女を襲う。またも弾丸はメア・リィを逸れていった。

 もはや偶然ではありえない。

「おおおおお!!」

「す、すげえッ!」

「これなら……!!」

 途端に気勢を高める黒蜂党。

 加護を信じた男たちが、山道を一気に駆け上がっていく。

「バカだなア」

 クスクスと笑いながら、メア・リィも岩山から山道に降り立った。

 後方から悠然と山賊たちを見上げ、ゆっくりと道を辿っていく。

 そしてまたも銃声が轟いた。

 今度はメア・リィを狙ったものではない。

 これ以上、彼女を狙っても無駄だと見切りをつけたのだろう。賢明な判断だった。

 またひとりの男が悲鳴を上げながらもんどり打って倒れる。

「なッ!?」

「ま、魔術師ィッ!! 騙しやがったなッ!!」

 山賊たちが背後を振り返り、メア・リィを見下ろす。

 だが、気づくのが遅すぎた。

 またひとり、またひとりと容赦のかけらもない狙撃が叩きこまれる。

 慎重に進んでいた者まで物陰から出てきたせいで、犠牲者が加速度的に増加していた。

「てめえ!! ぶっ殺してやる!!」

 いよいよ怒り狂った男のひとりが、賞金首のことなど忘れたように短剣を抜いてメア・リィに斬りかかった。

 メア・リィもまた、やたらに長い袖を折りたたむようにしたあと、太もものベルトに差した剣を抜く。

 それは刃渡り2フィートほど。長くもないが、短くもない。

 刃は細く、峰も薄い。しかし剣身は不思議としなやかで、切っ先はきわめて鋭い。刺突に適した剣といえるだろう。

 丸みを帯びた鍔は円環をイメージしたもの。柄尻には永遠を象徴する"尾を喰む蛇"の紋章が刻印されている。

 メア・リィはひらりと舞うように男の突きを避け、素早く脚を払った。

 長いドレスの裾に隠された足さばき。男には見えもしない。

 前のめりに態勢を崩した刹那、背中から突き入れられる切っ先。

 刃が骨の隙間を縫い、心臓を抜く。

「が────はッ!!」

 一撃必殺。

 血を吐いたあと、男はそのままぴくりとも動かなくなる。

 メア・リィは死骸と化した男を貫いたまま、おもむろに詠じた。

「"偽聖剣(ぎしょうけん)・エンジェルハイロゥ"」

 バッ────

 にわかに光の輪が生じ、男を包み、弾けるように霧散する。

 そして刃を抜いた。

 男は身体を引きずるようにして立ち上がり、前を向いた。

 その眼は虚のような暗闇に満ち、瞳はなにも見ていない。

「……え?」

 目を疑うような光景に、黒蜂党の男たちが硬直するのもつかの間。

 それを見る前に死んだものはまだしも幸せだったろう。

「ボクの壁になるんだヨ。行け」

 メア・リィは切っ先を彼方に向け、命じる。

 立ち上がった男は短剣を拾ったあと、示されたほうにぐるりと機械的に向き直る。

「アアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 そして壊れたような叫び声をあげ、一目散に駆け出した。

 速度は異常なまでに早い。まるで制御が壊れてしまった暴れ馬のような速さ。

 その眼はなにも見ていない。

 明らかに異常なその男の頭部に、狙撃手の弾丸が叩きこまれる。

 男は止まらなかった。

 一発、二発、三発。

 男は止まらなかった。

 四発、五発。

 的確に脚を狙い撃たれ、肉体を物理的に破壊されたことで男はようやく崩折れた。

 メア・リィはクスクスと笑い、当然のものを見るようにその様子を見守っていた。

「さア」

 戦慄する"黒蜂党"をよそに一歩踏み出すメア・リィ。

「安心して、ドンドン死ぬとイイ。キミたちは────死んでも生き返れるんダカラ」

 彼女は狂っていた。

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