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亡国の剣姫  作者: きー子
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拾伍、ファリアス・ガルム(下)

 それからしばらく、シオンは療養を続けることになった。

 ディエトリィに負わされた傷が重いこともあったが、それだけではない。

 そもそもこれまでの単独行が、少女のちいさな身体には無茶以外のなにものでもなかったのだ。

 グラークやジムカに負わされた傷も完全に癒えたわけではなく、いまだに尾を引いている。

 こんな状態で無理に逃避行を続ければ、戦わずとも体を壊すのは明白であった。

 そのようなファリアスの見立てに、シオンもやむを得ず同意した。

 本当は翌日にでも出発したかったようだが、身体にがたが来ているのは本人が誰よりもよくわかっていた。

 シオンは周囲を警戒する以外は回復につとめ、ファリアスは彼女の身の回りの世話をする。

 まるで侍女のような仕事であったが、ファリアスは厭いもしなかった。

 水を汲み──シオンが自分でやろうとしたが大人しくしていろとファリアスがやった──全てきちんと煮沸消毒。

 さいわい、小屋に木炭の蓄えがあったので燃料には事欠かない。

 丹念に身体を洗い清め、惜しみなく新しい包帯に替える。一日もすれば血が滲むことはなくなったが、痛々しい傷痕に変わりはない。

 食事は獣肉のほかに山菜やきのこを採り、適当に調理する。甘みのある脂を加えて焼けばなんでも食べられるものである。

 シオンは当初ひどくきのこに怯えたが、ファリアスが平気で口にするのを見るとおずおず手を出すようになった。

 子どもらしくきのこが嫌いなのかと思ったが、どうやら毒を恐れていたらしい。

 人狼の感覚器官をもってすれば毒かどうかはすぐにわかるので、ファリアスは思いもよらなかった。

 これには彼女も反省しきりであった。

 昼間は狩りに出向き、うやうやしく身の回りの世話をし、夜は遅くまで火の番をする。

 まるで幼いころからの忠臣か、あるいは乳母かとでも思わせるような働きぶりであった。

 あながち間違いでもないだろう。時に彼女の毛並みはシオンの寝具と化していた。

 かといってシオンが何もしていないわけでもない。

 身体が鈍らないように鍛錬を欠かさず、隙を見て剣を振っているようだった。

 それを見たファリアスは安静にしているようたしなめたが、正直、惚れ惚れとしてしまったのは否めなかった。

 シオンの鍛錬は独特だった。少なくともファリアスは軍で見たことがない。

 激しく、力強く剣を振るのではない。

 刀を高く掲げ、ひどくゆっくりと振り下ろす。まるで見えない線をなぞっているかのように。

 そして振り切ることなく、宙のどこかで刃先をぴたりと止める。

 止めたところから、またゆっくりと新たな斬線に転じていく。

 身体を気遣っているのかと思ったが、元々そういうやり方らしい。

 いわく、ゆっくりでも丁寧に数をこなすのが大切だとか。

 鍛錬の時に早く振っていたら動きが雑になる。

 基本の型が身体の根底に染み付いていればこそ、実戦では自然に疾く動けるという。

 一理ある、とファリアスは思った。シオンほどの武芸者がいえば説得力がある。


 果たして数日は瞬く間に過ぎた。


 懸念されたのは国からの襲撃者だが、まだ現れる気配はない。

 報告のために帰還したグレイも手負いであった。"剣魔"とディエトリィの敗北を伝え、新たな刺客が差し向けられるまで、まだ少しの時間がかかるだろう。

 グレイの行動はシオンを支援するファリアスには不利益だったが、この場合は仕方がないと考えている。

 彼がしかるべき報告を行わなければ、人狼族全体への不信感に繋がる恐れがある。

 一族のためにも、それだけは避けなければならなかった。

 ファリアスはあくまで個人的に、独自路線を取って新生王国に反目しているのである。その影響を人狼族全体に波及させるべきではない。

 今は、まだ。

「……しっかし」

 今日もまた、ファリアスは食糧の調達に励んでいた。

 獲物を食い切るためにしばらく肉が続いていたが、今日は魚である。春告魚が大漁だった。

 季節は晩春。この時季の春告魚は産卵期であるため、脂がのっていて、旨い。

 脂で揚げるように焼いてやるといいだろう。残ったぶんは燻製にする。食糧の備蓄を増やして悪いことはない。

 近いうち、本格的に指名手配される可能性は高いだろうとファリアスは考えている。

 そうなれば村や都市部で食糧を調達するのは難しくなる。足跡を残せば山狩り、落ち武者狩りが行われる危険すらあった。

「わからんねえ」

 ファリアスは釣り竿と釣果の入った桶を手に。

 銃剣を背中に負っている。

 武器は許されないことを覚悟していたが、シオンはそれを許した。

 いっそ呆気無いくらいだった。

 ファリアスはそれを不思議に思った。

 シオンの境遇は端的にいってよくない。

 惨状である。

 あまりにも恵まれていない。

 王族であることがすでに恵まれているとも言えようが──

 王族にしては、あまりにも恵まれていない。

 父母を殺され、ひとり追われる身の上の、妾腹の末姫。

 人間不信に陥っても全く不思議ではないだろう。

 にも関わらず、シオンはあっさりとファリアスを信用した。

 それがファリアスにはわからない。

 彼女にとって都合がいいのは確かだが──奇妙だった。

 ともすれば、シオンの剣の腕前以上に──奇怪だった。

 溺れかけているとき、近くに灌木があれば、人は誰でも縋りつく。

 確かにそうだろう。

 しかしファリアスには、到底、シオンが"溺れかけている"ようには見えなかった。

 そばにファリアスがいなくとも、シオンは自力で生き延びただろう。

 そう思わせるものがシオンにはあった。

 ファリアスの助けは決して必要不可欠なものではない。

 つまり、突っぱねることもできたはずなのだ。

 そう考えれば、どうしてシオンはファリアスを信用しているものやら──

 ますます、

「……わからんもんだね」

 と、なるのであった。

 ともあれ、川沿いを下っていると小屋はすぐに見えてくる。

 小屋の前には黒馬──ファルが離され、周囲に警戒網を張っていた。

 荒い気性と恵まれた巨体を誇るシオンの乗馬。どこかに繋がれているわけでもないのに、不思議と逃げようとはしない。

 ファリアスが近づくやいなやファルは低くいななくも、渋々といった感じで警戒を解いた。

 どうもファリアスは嫌われているようだった。人狼がだめなのかもしれない。

 肩をすくめつつファリアスは小屋に入る。

 シオンは変わらずそこにいた。床に座ったまま目を閉じて、じっと息を潜めている。

 一見して眠っているようにも見えるが、実は型稽古の真っ最中であるという。

 頭の中で仮想敵を想定しての模擬戦。自分と相手の行動を並行して投影する高速思考法の鍛錬。

 どうしてそんなことができるのやら、ファリアスには見当もつかなかった。

 盤上遊戯でも似たようなことをやるというが、二次元的な駒の動きと三次元的な人の動きでは話が全く変わってくる。

 邪魔をしないほうがいいだろう。

 ファリアスは装備を外して、早速昼餉の支度を始める。

 春告魚の腑分けをしていると、おもむろに声がした。

「おかえり」

「あぁ。すまないね、邪魔をした」

「いえ」

 シオンは首を横に振り、ファリアスの横に寄ってくる。

 手伝う、ということだ。

 短剣で魚をさばく手付きは手慣れたもの。あっという間に作業は済み、いくらかは燻製用に置いておく。

 昼食には考えていたように、たっぷりと脂を使って焼くつもりだった。

 獣脂を広げた鉄板を火にかける。程よく暖まり、脂が溶け出したところでそこに浸すようにひらきを乗せる。

 じゅうじゅうと小気味良い音が立ち、ぱちぱちと皮の弾ける音が食欲をそそる。

 すっかり焼き上がったものに香草をそえて頂く──美味であった。できれば衣をつけたかったが、贅沢はいえない。

 シオンもおおむね満足そうにしていた。年頃の娘にしては明らかに食が細いのが気がかりといえば気がかりだ。

「もうそろそろ、発ってもいいと思う」

 シオンがそう言い出したのは食後のことだった。

「まだ、猶予はあるはずだよ。伝令が王都にたどり着いたかどうか、ってところさね」

「だからこそ、今のうちに動きたい」

 理のある話だった。

 だが、シオン自身の容態のことがまるで考慮に入っていない。

 確かに動くのに支障はないだろう。先日の重態を思えば大した回復速度である。

 しかし完治には程遠い。

 完治とまではいわずとも、シオンが全力で戦える程度には回復を待ったほうが望ましい。

 それがファリアスの考えだった。

「せめて、最低でも、肩の痛みが引いてからにしな」

「痛くない」

「本当かい」

「あんまり」

 実際のところ、激痛であろうともシオンの剣に影響を及ぼすことはできないだろう。

 ディエトリィを仕留めた魔剣の一太刀。あの時にも、激痛がシオンの身体を襲っていたはずだ。

 にも関わらず、その剣には微塵の曇りもなかった。

 それがファリアスにはかえって恐ろしい。

 彼女は痛みなどとは全く無縁に、戦うことができる。

 戦い続けることができる。

 その類稀なる剣士の素質は、遠からず──シオン自身を壊すことだろう。

 それを避けるためには、やはり、もう少しでも安静にしてもらうべきなのだ。

「戦わなきゃならないのはあんたなんだよ。怪我が祟って、なんて笑えやしない」

 だからファリアスは、無理筋だとわかっていてもそう言うしかない。

 しかしシオンは、平然とファリアスの予想をこえていった。

「一緒に戦ってくれたら、大丈夫」

 シオンは床に置かれた銃剣を一瞥する。

 バカな、とファリアスは狼頭を押さえた。

 確かにファリアスはそうするつもりだった。

 しかしそれはシオンにとって、自分が撃たれるリスクを抱えるのと同義ではないか。

 敵味方のあやふやな関係──言うなれば、利用し、利用される間柄なのである。

「……やれるだけはやる。でもさ、あまりあてにするんじゃないよ。だいたい、どうして────あたしを信用できるんだい」

 結局。

 ファリアスの疑問はそこに帰着する。

 どれだけ考えてもわからない疑問は、本人を問いただすほかないのだ。

 当のシオンは、ちょっと小首をかしげたあと、じっとファリアスを見る。

 透き通るような──澄明な、蒼い瞳。

 見透かされるかのような、鋭い視線。

 一瞬ファリアスがたじろぐ。

「私は」

 構わずシオンは口を開く。

「ファリアスが私を助けてくれるほうが、不思議」

「……それは」

 考えるまでもない。

 それはすでに言ったことだ。

 利害の一致。新生王国への打撃。

 全ては一族のために。

 そこに誤魔化しや嘘は一切ない。シオンには生きていてもらわなければならない。

「言ったろう。あたしの……あたしたちのためだ」

「私は、あなたを傷つけた」

 淡々と。

 悪びれない。罪悪感を匂わせるわけでもない。

「あなたの隊長を斬った」

 ただの事実としてシオンは語る。

 いつの間にか、少女の指先がファリアスの隻眼に触れていた。

 閉じたままの眼はもう死んでいる。二度と開くことはない。

「恨みは、ないの」

 恨んでいない、わけでは、ない。

 全ては、一族のために。

 その言葉と使命感に塞がれていた感情が押し寄せそうになる。

 激しそうになる──つとめて抑えこむ。

 自らを不具にし、仲間を殺めた張本人。

 しかしシオンは、凄まじき剣鬼である一方、無愛想な年相応の子どもだった。

 その子どもを、ファリアスたちは殺そうとした。

 全てはその結果だった。

「……あ、あたしは」

 声が枯れていた。

 シオンはおもむろに立ち上がり、床の上にある銃剣を手に取った。

 小屋に備えてある予備弾薬──紙製薬莢を手に取り、慣れない手付きで装填する。

 そしてそれを、ファリアスの手に握らせた。

 黒髪を掻き上げ、額に銃口を押し付ける。

「引きたいのなら、引けばいい」

 やはり淡々として、シオンはいう。

 絶死の間合い。

 今、銃弾が飛び出たとしたら──間違いなくシオンは死ぬ。

 無惨に脳漿を撒き散らして死ぬだろう。

 隊長を殺した仇をやったと、ファリアスは大手を振って凱旋できる。

「そうするのなら、一緒には戦えないけれど、しかたない」

 ファリアスの指先が引き金に触れる。

 "気が変わる"なら、これほどの機会はないだろう。

 まさに絶好の好機。

 気が触れたとしか思えない。まさに自殺行為もいいところだ。

 少女の命を捕らえたという感覚がファリアスの手の中にある。

 ──だというのに。

「……ぁ、あ」

 指先がぶるぶると震える。

 少しでも引き金から遠ざかるように震える。

 震えてしかるべきシオンは、微動だにせずじっとファリアスを見つめている。

 抑え込んでいた感情を全て見極められるのかのようだった。

 衝動のままに引き金を絞りそうになる──つとめて抑えこむ。

 ファリアスは、恐れていた。

 銃口を眼前にして平然としたままのシオンを、心底恐れた。

 子どもの愛らしさと、剣鬼の凄絶さ、そして────王たる資質。

 その威風堂々たるさまに、ファリアスは、呑まれた。

 息を呑む。呼吸が早まる。かぶりを振り、指先の震えをなんとか止める。

 指先が一瞬、引き金に触れ────

 滑るように離れ、落ちていった。

 銃弾が放たれることはなかった。

 ファリアスは手から銃剣を取り落とす。

 からんからん、と小屋の中に響き渡る渇いた音。

「……馬鹿なことするんじゃないよ! 恨んでないわけないさね、けれど、それとこれとは話が別だよ」

 ファリアスは思わず牙を剥く。

 仲間を殺されたことに怒っているのではない。

 自分を傷つけられたことに怒っているのでもない。

 衝動を抑えきれなかった自分自身に。

 そして、わざわざ自らの命を危険に晒すような真似をしたシオンに。

 ファリアスは激していた。

「もう、しない」

「……なら、いいさね」

 しかし、大人しく頷くシオンの(かんばせ)を見れば激情も醒める。

 同時にファリアスは、シオンが自分を信用する理由を理解した。

 否、それはある意味では理解とは程遠い。

 彼女はやはり、本質的に、王なのだ。

 悲劇的な運命すら問題にしない。自らの直感への確信。人心に取り入るその才覚。

 実際にファリアスは、撃てなかった。

 恨みに思っていても撃てない程度には、彼女を好いてしまっていた。

 それはひょっとすると──冴え冴えとした鮮やかな剣閃を間近で眼にしたあの日から。

「……姫様」

「シオンでいい」

 お墨付きを頂いてしまった。そう言われるのが奇妙に喜ばしい。

「シオン。あたしがもし本当に撃ったら、どうするつもりだったんだい」

 どうもこうもなく、死ぬだろうが。

 彼女ならもしかすると、と──ファリアスは考えずにはいられなかった。

 妖精と鬼のハーフと言われてもファリアスは全く驚かない。

 むしろ人の子であるほうがよほど不思議だ。

「そうは、しないと思った」

 あっけらかんと。

 そう言い放つのは、やはり理屈ではないのだろう。

 理屈をこえたところを彼女は見ている。

 でなければ──正気では、武芸者などやっていられない。

「一応、対策はしてる」

 だから、ファリアスが驚いたのはその一言。

 シオンは何気なく、再びファリアスに銃剣を渡す。

「撃ってみて」

 窓を示される。

 言われた通りに窓の縁にかけ、引き金を絞る。

 ──銃弾は放たれなかった。

 間抜けな音がして、内部で弾が詰まっただけだ。

「ごめん」

 シオンが殊勝に頭を下げる。

「一発。濡らしちゃった」

 その表情は依然として真顔。

 弾薬を抜き出して見てみると、確かに火薬が湿っていた。これでは撃てるわけがない。

 しかしファリアスは、構わなかった。

 少なくともシオンが、自分の命を粗末にしていないことだけはわかったから。

 ふ、とちいさく息を漏らして微笑する。

「……いいさ。それでいい」

 シオンには生きていて欲しかった。

 一族のためにも。

 ファリアス自身のためにも。

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