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亡国の剣姫  作者: きー子
12/34

拾弐、撃剣・カノン(上)

 全てが遅く見えるようだった。

 ファリアスの手首から先がわずかに力み、指先がトリガーを引き絞る。

 これほどにわかりやすい発砲の前兆。シオンに読み切れないはずもなかった。

 射線上にある身体を一歩ずらすだけで、弾丸は身体の横を通り過ぎていく。

 前触れもなく発する"剣魔"の太刀筋を思わば、さして恐れる理由もない。

「……はっ……」

 問題は敵方にあるのではない。

 思い通りにならない少女の身体のほうだった。

 包帯で塞いだ傷痕から止めどなく血が流れていく。

 傷は完全に開いてしまっていた。昨日の今日でむちゃくちゃに動きまわったせいだろう。

 溢れた血を利用したまではいいが、全くもって血が足りなかった。

 ちいさな身体がひどく重い。

 だが、相手の動きも遅く見える。難なく対応することができる。

『ルオォォォォォ────』

 えも言われぬ吠え声とともに、残る人狼のひとりが銃を叩く。

 唯一の女性らしい人狼。確かなことはわからない。なにせシオンは人狼を見るのも初めてだ。

 それでもわかることがある。

 斬れば、死ぬ。

 それは変わらない。

 人間も人狼も、同じだ。

 銃弾が飛び出したその時すでに、シオンは火線から離れている。

 もうひとりの人狼──遊撃隊長であるところのディエトリィは、慎重に機をうかがっていた。

 銃口を絶えずシオンに向けたまま、その動きをじっと見極めようとしていた。

 一方の女人狼──ファリアスは果敢に攻め立ててくる。一丁しかない銃剣を手に、絶え間なく銃火を撃ちかける。

 剣こそ一匹を斬り捨てた一閃のほかに見せてはいないが、厄介には違いなかった。

 まずはあれをどうにかしなければならない。

 距離を取る最中、シオンはファリアスを一瞥する。

 またも銃声。

 今度は、ふたつ重なった。

 十字砲火ではない。向けられた銃口の角度と音の出処を見ればそれは明らかだった。

 一発目が避けられることを前提としたディエトリィの偏差射撃。

 それをシオンは接地後、にたび飛び退くことで躱す。

 地に接した足裏をその反動で跳ね上がらせる──"飛鳥"の型。

 時に攻勢の要ともなるこの業は、守るにも有為な歩法である。

「……?」

 その時、シオンは少し奇妙なことに気づく。

 ディエトリィが装弾を行っていないのだ。確かに発泡したにも関わらず。

 否──先ほど撃ってからただの一度も、彼が弾込めをする様子を見ていない。

 ファリアスの怒涛の攻勢のせいで見落としてしまったか、あるいは見逃してしまうほどに早いのか。

「クソッ」

 シオンの気付きを察したかどうか。ファリアスは吐き捨てるように舌打ちする。

 人と同じように喋れるんだ。シオンは今さらのようにそれを知った。

 だからどうということもないが。

「逃げ回ってんじゃないよ!」

 不満をあらわにしながら、再び重ねされる銃声。

 直後、瞬く間に正確かつ高速度の装弾。的確という言葉では済まされない。掛け値なしの練度の高さがうかがえる。

 人狼の表情はよくわからない。そこにあるのは怒りか、怨讐か、執念か。

 怒りもするか、とシオンは思う。仲間を殺されたら普通は怒る。そこに人と人狼の違いはないはずだ。

 ────だとすれば、視線とともに向けられるえも言われぬ情念はなんなのだろう。

 一瞬、小首をかしげながらも疾駆。

 解せないことがあるのなら聞けばいい。生きていたら。

 死ねばそれまでだ──果たしてどちらが死のうとも。

「戦え! あたしと! 戦えッ!!」

 激情を叩きつけながら、その手に震えはみじんもない。

 彼女は冷静だった。冷静な部分を確かに残している。

 自らを戦場に駆り立てるための激情、とでもいうべきか。

 早いうちに斬って捨てたいが、片翼を担うディエトリィはきっとその隙を逃すまい。

 一発。ただの一発が今のシオンには致命傷になり得る。

 身に受ければ、死にはせずとも意識が持たない。それはすなわち死に直結する。

 一発でも受けるわけにはいかなかった。

 となれば、シオンは策を弄するほかにない。

 対するファリアスは歯噛みしながらも引き金を絞る。放たれる一発の銃弾が空を裂く。

 シオンはそれを飛び退けるように躱しながら木々の狭間を抜けた。

 銃口は止まることなくシオンを追い、人狼ふたりも止まることなく前進する。

 銃声──立て続けに二発。

 シオンは樹の影に飛びこみ、それをやり過ごす。樹の幹がまともに銃弾を受け、大きな穴を開けた。

 一見して太い木だが、中がだいぶすかすかになっている。経年によって空洞化しているのだろう。

 これでいい、とシオンは木陰に身を潜めたまま刃を振り抜く。

 ひうん。

 横薙ぎ一閃、風が哭き、白刃が樹の幹を通り抜ける。

 まことに、少女の手によく馴染む感触であった。ともすれば、得物にしていた短剣よりも軽く思えるほど。

 振りは軽く、少女のちいさな手にしっくりときて、強度もきわめて頑丈である。切れ味まで抜きん出ているのだからいうことはない。

 果たしてその鋭さを物語るように────"妖剣・月白"は一斬にて一本の木を断ち切った。

 ぐらり、と天高く伸びた木が傾ぐ。人狼たちのほうへと倒れこむ。

『オオオオッ!!』

 ディエトリィの低く短い咆哮が轟く。

 人狼ふたりは左右──互い違いに飛び退いて倒木を避けた。

 シオンもまさかこれで仕留められるとは思っていない。

 ここまでは読み通り。

「ちぃッ!」

 ファリアスは転がるように避けながら身をかがめ、咄嗟に膝射姿勢を取る。

 同時に倒れた樹の向こう側、たたずむシオンに銃口を向ける。

 ──瞬間、ファリアスの眼が驚愕に見開かれた。

「そこ」

 片手に魔剣をすらりと下げ。

 片手に短剣を振りかざす。

 ふたりの人狼を難なく射止めた飛刀術。それを否応なく思わせるシオンの立ち姿。

 だがファリアスは、的の大きさを最小限にする膝射姿勢を取っていた。クライフのときのように急所を狙うことは難しい。銃剣を構える手が邪魔になるからだ。

 ゆえにこそ、シオンは別のものに狙いを定めていた。

 短剣の投射が空を切る。風を引き裂き、一直線にファリアスに飛ぶ。

 遅れじとファリアスもまた指先に力をこめた。

 刹那、交錯する鉄と鋼。

 ────凜。

 弔鐘めいて甲高い金属音が鳴り響く。

「なッ────」

 シオンの短剣は狙い違わず目標を射抜く。

 それを眼前にして、ファリアスは思わず自らの目を疑った。

 筒先の(うろ)。ごくちいさな銃口に食い込むように、短剣の刃が突き刺さっていたのだ。

 ファリアスが狼狽するもすでに遅い。

 絞られた銃爪は戻りはしない。

 ぼっ。

 にわかに銃剣の内部から火花が散り、そして爆ぜた。

『ガッ、アアアア────ッ!!』

 銃剣の暴発。巻き起こった爆発がファリアスの上肢を容赦なく灼く。

 爆発の規模はさして大きくもない。だが、至近のファリアスを圧倒するには十分過ぎる衝撃力を誇っていた。

 炎の風が毛並みを焼く。爆ぜた鉄片が皮膚を貫く。肉をも穿つ衝撃に打ちのめされる。

 そして爆風は、ファリアスの眼窩さえも容赦なく灼熱した。

「ッ、フーッ!! グ、ゥッ……!!」

 ファリアスは片目を押さえながらもんどりうって倒れこむ。

 筒先から黒い煙を上げる銃剣が地に落ちる。もはや使いものにはならないだろう。

 彼女の右手もまた、まともに爆風を受けて無惨なまでに焼け爛れていた。

 もはや戦えまい。

 願わくば確実にとどめを刺したかったが、鳴り響く銃声がそれを制した。

 やはり装弾もなく撃ち出されたディエトリィの凶弾。正確無比な一発がシオンの矮躯を狙って飛ぶ。

 シオンはそれを咄嗟に躱しながら、彼のほうに向き直ることを余儀なくされる。

「……やってくれたものだ」

 倒木に分断された瞬間のわずかな隙。

 その刹那を利用し、シオンは攻撃を受けることなくひとりを仕留めた。

 残るはひとり。

 最後の人狼。彼らの中でもひときわ上背があり、一回りは大きく見える銃剣を携えた屈強な雄。

 白煙を立ち上らせる銃口を、ディエトリィは改めてシオンに向ける。

「退く気は」

 シオンは端的に問う。

 斬るといった手前だが、相手から退いてくれるならばそのほうがずっといい。

 なにせ今も流血は全く止まっていない。意識が遠のくほどではないが、それも時間の問題か。

「無い」

「そう」

 シオンは手折れた女人狼──ファリアスを一瞥する。

 致命傷とまではいかないが、戦闘続行が不可能なのは間違いない。

 息を喘がせながら身を起こそうと足掻いていたが、しばらくはどうにもならないだろう。

 彼女をつれて退いてくれればいい。そんなシオンの思惑はあえなく霧散した。

「俺は、すでに犠牲を出しすぎた」

 韜晦、というにはあまりに淡々とした声だった。

 血の犠牲を強いた当の少女は、いとも素っ気なく言い捨てる。

「感傷ですか」

「誇りと、誓約だ。仇の首を捕らずして生きて帰れはしない。森の精霊に誓って」

 そこに狂信や陶酔の色はない。

 彼はただ、透徹とした覚悟を滲ませてそこに立っている。

 シオンを討つか、あるいは死ぬか。そのどちらかのほかはないと言わんばかり。

 付き合わされるほうは、堪ったものではないだろうに。

 そう思ったが、女人狼からは不満の声のひとつもなかった。

 ただ起き上がれないことが無念であるかのように、ファリアスは低く唸り声をあげている。

 同類。

 いや、同族というべきなのだろう。

「つまりは、ケチのついた指揮官の下になど誰もつきたくはないということだ」

 身も蓋もなく言い捨てながら、ディエトリィは銃口をぴたりとシオンに定めて問う。

「率直に聞かせてもらう。"剣魔"を殺害したのは、きさまか。シオン・ファーライト」

「いかにも」

「いかようにして」

「ただ、斬り結ぶのみにて」

 答える義理はない。

 けれども、答えない理由はなかった。

 そのことを誇るべきだとシオンは思う。

 でなければ今、シオンはここにはいないのだから。

「ハハッ────」

 その言葉を聞いた瞬間、ディエトリィの狼頭が大口を開けた。

 凶暴なまでに牙を剥く。

「"撃剣・カノン"」

 そして笑い、詠ずる。

 同時に──銃剣を一回り大きく見せていた外殻のようなものが、剥がれていく。

 外殻としか言いようがない。鉄筒を取り囲むように張り付いて、銃剣を鎧っていた外装が急速に展開する。

 あるいは、折り畳まれる。

 あるいは、折り重なる。

 やがて内側に織り成されるは長大な銀の刃。銃把(じゅうは)から2フィートほどの剣身が伸びており、それは銃身と完全に一体化していた。

 まさに異形というほかはない。

 本来、銃剣とは銃の先端部に短剣を着剣したもの。あくまで本体は銃であり、剣身は単なる部品に過ぎないものだ。

 なればそれは、もはや銃剣と呼ぶには相応しくない。

 それは、剣。

 "魔剣"だ。

 ────"撃剣・カノン"。

 それは剣でもあり、銃でもある。剣身の根本には六連式の弾倉が備わり、回転して次の銃弾を送り出すようになっている。

 銃身は剣の峰を這うように伸びていた。先端に備わる銃口は決して飾りではないだろう。ディエトリィが指先をかける引き金が、そのことを如実に物語っていた。

「どうやら、新生王(この)国も、永くはないらしい」

 つぶやく言葉とは裏腹に、憂う色などみじんもなかった。

 むしろ喜ばしくすらあるように、人狼はひとり頷く。

「あなたは、なにを、見ているのですか」

「ただ、一族の再興と繁栄を」

 端的に過ぎる問いに、ディエトリィは率直に応じる。

 ただその一言に、シオンは彼の万感を垣間見た。

 自らの理想に殉じるならば、生きるも死ぬも構いはしない。

 現実の中で戦ってきた男の夢の残影。

 そんな、とてもではないが尋常では理解し難い覚悟を。

「……そう」

 シオンには全くわからなかった。

 生きたい。

 浅ましいほどに、シオンはただ生きたい。

 そのためだけに、立ち塞がる相手を容赦なく斬り捨ててきた。

 それは誰であろうとも変わらない。

 ましてや生死にも頓着しない愛郷心の前に倒れるなど、シオンはまっぴらごめんだった。

 凜。

 少女の思いに応えるように"妖剣・月白"がまばゆい光を照り返す。

 ガキン。

 人狼が銃把を握り締めると同時、弾倉が鈍い音を立てて回転した。

 弾丸の自動生成──そして自動再装填(オートリロード)が行われる。

 瞬間、ディエトリィは声高らかに名乗りをあげる。

「ディエトリィ。ヴォルフ族のディエトリィ──行くぞッ!!」

「シオン・ファーライト。いざ」

 よもや死兵に引きずりこまれるつもりもなし。

『ルォォォォオオ──────ッ!!』

 ディエトリィが吠える。

 大気を揺るがし響き渡る咆哮に、しかしシオンは動じもせず。

 一歩、踏み込んだ。



 銃声が轟く。

 迫る銃弾が彼我の距離を侵食し、シオンとディエトリィの間合いを埋め尽くす。

 銃撃とは、つまるところそのようなものだ。

 根本的に剣の理とはものが違う。

 "撃剣・カノン"の銃撃は常に一定だ。

 いついかなるときも。

 それが誰の手によるものだとしても。

「────はっ……」

 息を吐き、身体を一歩ずらす。放たれた凶弾は先ほどまでシオンがいた場所を通り抜けていく。

 ディエトリィは立て続けに銃撃する。絶え間ない連射を、彼は間合いを保ちながら続けていた。

 シオンが一歩踏み込めば、ディエトリィが一歩退く。

 シオンが一歩退けば、ディエトリィが一歩踏み込む。

 銃撃には適した距離というものがある。

 近すぎれば敵の攻撃に無防備になる。

 かといって遠ざかれば銃弾は当たりにくくなる。

 その点でいえば、ディエトリィはまさに達人的な巧者だった。

 近ければ近いほどいい、といわんばかりの大胆な踏み込み。

 しかしそれは、シオンの間合いに入り込むことを意味しない。

 ガキン。

 空薬莢が排出され、鈍い音とともに弾倉が回転する。

 装弾無くして瞬く間に装填される次弾。

 引き金を絞ればあらまほしく、次なる鉛弾がシオンを射る。

 ────しかし遅い。

 銃というやつは厄介だ。

 厄介であることは間違いがない。

 だが、決してそれ以上のものではなかった。

 銃弾を撃ち出させるためには、必ず引き金を絞らなければならないからだ。

 常に変わらないその挙動。シオンに読めぬ道理はない。

 引き金を、ことりと落とす。

 その極々軽い動作にも、前兆は人狼の身体にあらわれるのだから。

 わずかな、肉体の力み。それを事前に読み切り、シオンは未来を見通したように射線から逃れる。

 先読みの極地────"枝読み"の型。

 そのひとつひとつが離れ業というべき所業を、少女は立て続けにやってのけてみせる。

「怪物め」

 ディエトリィがうそぶく。

 狼頭の半人にいわれては世話がなかった。シオンよりはよほど化け物らしかろうに。

 さりとて、銃撃を避けてはいるが、付け入る隙も見当たらなかった。

 通常の銃なら、踏み込んでしまえばそれまで。

 銃剣であろうとも変わりはない。先端に取り付けられる短剣はどちらかといえば槍の穂先に近いもの。

 至近での攻防に向いたものでは全くない。

 だがディエトリィの"魔剣"は話が別だった。

「────()ィッ!」

 銃撃後の間隙を縫って仕掛ける。

 元よりシオンは手負いの身。できれば長期戦にもつれこむのは避けたい。

 そんな思惑を、ディエトリィの刃があえなく阻む。

 半円の弧を描いて振り放たれる"妖剣・月白"──首筋目掛けて鮮やかに伸びる太刀筋一閃。

 瞬間、ディエトリィは銃身を跳ね上げて強引に"魔剣"の刃を叩きつけた。

 激突。刃と刃が火花を散らし、すぐに物別れに終わる。

 "撃剣・カノン"。銃身と一体化した頑強な刃を備える魔剣は、シオンの剣閃に対応せしめるほどのもの。

 するりと滑るように刃が走るのにあわせ、ディエトリィは叩きつけるような剣戟でこれを受ける。

 そこに技というべきものはない。

 あるのはただ、力。

 人間を遥かに凌駕する膂力から振るわれる剛剣が、シオンの剣を見事にいなす。

 尋常であれば、シオンより先に剣のほうがだめになっていただろう。

 しかし少女の得物もまた"魔剣"。折れず曲がらずをその身に体現する"妖剣・月白"はなおも美しく光を返す。

「ふっ……」

 重なった瞬間に刃を引き、返す刀で切り返す。

 斬り落としからの斬り上げ一閃。瞬く間に転じた剣先が跳ね上がるようにディエトリィに迫る。

 だがそれをディエトリィはすんでのところで受けた。

 火花が爆ぜる。刃鳴りを散らし、やはりシオンは即座に一歩退いた。

「やらせてはくれん、か」

 ディエトリィは喉を鳴らして笑う。特に残念そうでもない。

 むしろ当然と言わんばかり。

「……面倒な」

 "撃剣・カノン"。その最大の特徴は、銃でありながら剣でもあることに他ならない。

 剣身で刃を受け止めながら銃撃を叩き込む。そんな真似ができるのはこの魔剣くらいのものである。

 鍔迫り合いにでも持ち込めれば理想だろう。

 お互いに身動きが取れずとも、あとは指先一本で事が済む。

 逃げれば背中を撃つ。向かい来るならば腹を撃つ。あるいは一撃を受け止め、足を止めさせたところを撃つ。

 まさに悪辣の一言だった。

 人間を狩るためにあるような武器。

 シオンはそれに対し、"妖剣・月白"をだらりと垂らして構える。

 無形の位。 

 そのまま前のめりになるように踏み出す。

 瞬間、轟く銃声。

 予期していた銃弾が頭の上を通り過ぎていく。

「ハハッ」

 ガキン。

 弾倉が回転し切るより早く、ディエトリィはそのままシオンに斬りかかった。

 人狼の膂力によって振るわれる剛剣。剣風が吹き荒び、大気が唸りをあげ、シオンの前髪を掻き撫でていく。

 シオンが受け止めれば至近距離の銃撃に繋げられる。退けば追い打ちの銃撃が放たれる。

 損のない一手だった。例え完璧に読み切ろうとも、避けきれなければ意味はない。

 ならば。

 シオンは刀身の中心でそれを受け、滑らせるように刃を流した。

「────グッ」

 呻くとともに姿勢を崩すディエトリィ。

 剣先から地面に受け流され、地に突き立つ。

 まるで"剣魔"が取り憑いたかのような剣技の妙。

 流れる水のように鮮やかに、少女は人狼の力技を制圧する。

 そしてこの隙を逃すシオンではない。

「ひゅっ────」

 細く息を吐き、絶息。

 シオンは下方に流した切っ先を返し、ディエトリィに向けて斬り上げた。

 刃が空を滑る。

 至近距離。懐に潜りこむように斬りこむ刃。もはや避けようもない一閃が肉迫する。

 ────バッ。

 肉を抉る感触。

 血飛沫が爆ぜ、刃が沈み、そして止まった。

 収縮する人狼の筋肉が"妖剣・月白"の刃を食い止めている。感触の硬さからして臓腑には達していないだろう。

 否。

 よもや届こうはずもない。

 シオンの剣先が貫いたのは、ディエトリィの掌であったのだから。

 強靭な皮膚。頑健な筋繊維。刃を真っ直ぐに突き入れさせないごわごわとした毛並み。

 かほどに人間離れして頑丈な人狼の手が、魔剣の刀身をしっかと握りこむ。

 咄嗟にシオンは刃を引く。

 切っ先はびくともしなかった。

 瞬間、少女の背筋がにわかに泡立つ。

「クッ、ハハッッ────」

 刀の柄を離していれば、おそらく結果は異なったろう。

 しかしシオンにそれはできなかった。

 短剣は三本とも投げ放ったあと。頼りの綱は"妖剣・月白"ただ一振り。

 その斬れ味は信頼に足るものであればこそ──忘れ形見の魔剣を手放すことは、できなかった。 

「頂く」

 ディエトリィは笑い、大口を開いた。

 上下に並ぶは凶悪な牙。剥き出しの犬歯は言わずもがな、その全てが鋭く硬く尖っている。

 食い付いた獲物を決して離さず、あるいは容赦なく噛み千切る。

 人の似姿でありながら獣性を想起させるなによりもの象徴。

 そしてシオンは、その笑みが意味するものに気づいた。

 ────狩猟者の眼。狩るものが、狩られるものを見るときの顔貌(かおかたち)であった。

 刹那。

 シオンのきゃしゃな右肩に、人狼の歯牙が、かぶりついた。

「────ぃぎッ……!!」

 想像を絶する痛みが走る。

 まるで神経をじかに削られるかのようだった。

 無数の牙が柔肉に喰い込み、強靭な顎が噛みしめる。

 食らいついたまま離さない。

 もはや柄から手を離そうと、逃れることはかなうまい。

 なればこそ、シオンは肉を刻まれながら身を引こうともしなかった。

 歯を食いしばって痛みを殺す。地面をしっかと踏みしめる。

 右手は宙ぶらりんだが、左手は動く。

「……ふふ」

 シオンは、笑ってやった。

 激痛で汗みずくの(かんばせ)に笑みをほころばせ、ぎゅっと拳を握りしめる。

 全力。足踏み、腰を捻り、痩身の体幹から絞り出せるだけの膂力を左の拳に集中する。

 狙いは付けるまでもない。目の前で獲物にありついているのだから外しようもない。

 ただ、思いっきり、ぶっつける。

「────唖々唖(アァア)ッ!!」

 ぐしゃ、と。

 思いっきりぶん殴った瞼の下、水晶体の弾ける音がした。

『ゥ、グ……ッ!!』

 ディエトリィはシオンに食い付いたまま、くぐもった声でちいさく呻く。

 しかし人狼は離さない。獲物を逃さないために牙はある。彼の牙は少女の肩口に食い込んだままだ。

 そう安々と逃がすつもりがないのは予想通り。シオンは構わなかった。ディエトリィの顎の力は、先ほどとは比べ物にならないほど緩んでいたのだから。

 右手は動く。

 骨は削れていない。筋も傷めていない。動かすに差し支えは一切ない。

 体内をめちゃくちゃに掻き鳴らされたような痛みを除けば、全てあらまほしく身体は動く。

 傷ついた腕とて飾りのようなもの。そこに力が入らずとも、全身の力を伝達させられるならば事は済む。

 相手に離すつもりがないのなら、無理矢理に離させてやればよい。

 得物がなければ、なんでもいい。

 極言、剣技など棒振りに過ぎぬのだから。

 ────腰に佩いた鉄鞘を抜き払い、シオンの右手が一閃する。

()ィッ!!」

 裂帛の声音。

 肉を裂かれながらも捕食者の牙を抜けてシオンは飛ぶ。

 刹那。

 シオンの突き入れる鞘の頭が、無防備な咽喉をまともに打ち据え一撃した。

『────グ、ゥッ』

 これには、さしもの人狼も堪らなかった。

 たたらを踏み、よろめきながら後ずさるディエトリィ。

 右手には"撃剣・カノン"が握られたまま。

 左手には"妖剣・月白"が突き立っている。

 ゆえにこそ、シオンは痛みを押し殺して畳みかける。

「返して、もらう」

 踏み込み、接敵。

 間合いに入り込みながら伸ばす手が、魔剣の柄を絡め取った。

 人狼の手を鞘のごとくしてずるりと抜く。

 肉を裂き、骨を掻き、噴き上がる血に洗われて、

『────ガァァァァァッッ!!』

 ほとばしる悲鳴を浴びながら、"妖剣・月白"は日の下に姿を晒した。

「……獣の血に浸けこむには、ふさわしくないから」

 赤黒い血に濡れた魔剣の刃。それはなおも色褪せることなく艶めいている。

 否。

 人の似姿の血を浴びて、"妖剣・月白"はかえって艶を増したかのようだった。

『グ、ル、ォオオオッ……!!』

 ディエトリィは咄嗟に"撃剣・カノン"を振り回す。

 技もなにもありはしない。ただ、シオンをその場から遠ざけるための一手。

 ただ力任せにぶん回される剣身も、やはり脅威には違いない。

 受ければただの一撃でシオンはひき肉と化す。避けないわけにはいかなかった。

 地を後方に蹴る。飛び退き、接地。

 ────ひうん。

 白刃が鮮やかな円弧を描き、こびり付いた血を振り払う。

 血払い。

 そして静止した切っ先が、ぴたりとディエトリィのほうに向く。

 "妖剣・月白"の剣身が少女の胸を横切るように、構えた。

「────行く」

 もう長くは保たない。

 そのように自覚すればこそ、シオンは勝負を決めにかかる。

 眼前の人狼も重傷には違いない。だが、基盤となる肉体があまりに違っていた。

 勝負が長引けば、先にがたが来るのはシオンのほうだ。

 元よりシオンは手負いなのである。すでに出血は相当量に達している。少女のきゃしゃな身体を思えば、いつ倒れても全くおかしくはない。

 それこそ、ディエトリィを斬ったあとで生き延びられるかどうか。

「……驚いたな」

 不意に人狼が発した声に、むしろシオンが驚かされる。

 彼はすっかり獣性をあらわにしていたのだ。よもや冷静さを頭に残していたとは思いもしなかった。

 ディエトリィは、いっそ落ち着きすら感じさせる声でいう。

「勝負を急くか。人間らしいところもあるものだ」

 ひどく失礼なことを言われたような気がした。

 シオンは化生、妖魔(あやかし)の類ではない。もちろん人狼でもない。

 そしてふと気づく。

 ────化生、あるいは魔性とでも考えたほうが、よほど納得がいくのだな、と。

「……人間です。れっきとした」

 擦り切れたボロ布のような風采ではあるが。

 そういうシオンに、ディエトリィは笑う──潰れた目を伏せ、出来の悪い冗談でも聞いたように。

 彼はゆっくりと"撃剣・カノン"をかかげ、銃口をシオンに向けた。

「よろしい。シオン・ファーライト。人の王の娘よ」

 ────ガキン、ガキン、ガキン。

 直後、連鎖的に弾倉が回り始める。

 排気口から蒸気を吹き出して排熱。

 いやな予感がする。

 しかし不思議と、おそろしくはなかった。

 "妖剣・月白"をしかと手にする。

 心が静穏に満たされる。

 身体をむしばむ激痛さえ無きがごとく。

 生き死にも所詮は些末事。

 ただ今は、眼前の敵を、斬り捨てるのみ。

 全ては、そのあとで考えればいいのだから。

「俺のありったけだ────持っていけ」

 ガキン、ガキン、ガキン、ガキン────

 堂々たる宣言。そして絶え間なく響き続ける回転音。

 刹那。

ルォォォオオ────(ガガガガガガガガガガ)ッ!!』

 鳴り渡る獣性の咆哮──絞り込まれる銃爪。

 そして銃声が、森の静寂を引き裂くように連続した。

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