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亡国の剣姫  作者: きー子
10/34

拾、妖剣・月白(下)

 始まりは七〇年も前のことになる。

 騎士の家系に産まれた、ごくごく普通の幼い男児。

 身体が頑丈であったことを別にすれば、他の子どもとさしたる変わりはない。

 齢五つにして、その子は夜空に魅入られた。

 天上が戴く星、月。

 きれいなものに惹かれるように、少年は手を伸ばした。

 しかし子どものちいさな手が、はるか遠い空に届くはずもない。

 ならばと、彼は長い棒に手を出した。

 全長にして4フィートもあろうか。少年の身長よりも丈のある棒である。

 月まで届けと、少年は夜な夜な棒手振りに精を出した。

 結局、少年は一年という時間をかけて、この棒が空に届くことはないことを学んだ。

 だが、月星に届かずとも、すでに少年の棒振りはあらゆる人々を打ちのめすほどの域に届いていた。


 後の"剣魔"ジムカである。


 ジムカ・ベルスクス。

 早熟の天才と皮肉交じりに謳われた少年は、歳を重ねるほどにますますその剣才をあらわにした。

 十代半ばにしてすでに、国内に名を知らぬものはなし。

 その武名は天下に轟き、初陣では三つの首を挙げた。

 首が全て敵軍の指揮官級であったことに、人々は恐怖した。

 雑兵の首など不要。

 そういってはばからぬ若き騎士は、騎士である以上にいかんともしがたく武芸者だった。

 剣の精進に明け暮れる剣狂い。

 若いうちに"剣鬼"と呼ばれるに至った少年が、"剣魔"のあだ名を頂くまでに、そう長い時間はいらなかった。

 勇猛にして戦功は数多、そのくせ理知には曇りなし。青年期にして勇名と栄光を得たジムカは、ここで大きく道を踏み外した。

 縁談がまとまったのである。

 思えばそれが一番の過ちだったのかもしれない。

 結婚にはなんの問題もなかった。相手方とも納得づくだった。親類縁者の付き合いは面倒だったが、それでも悪い気はしなかった。祝福されている、と感じた。ジムカは一層、騎士として忠実に励むことを余儀なくされた。

 対外的にはなんの問題もなかった。万事がうまくいっていた。

 ジムカの内心を除けば。

 ジムカの不幸は、彼が"剣魔"である以前に、騎士の生まれであったことにほかならない。

 かつては前線指揮官として辣腕と凶剣を振るったジムカ。しかし英雄としての名を挙げるほど、彼には自重が求められるようになった。

 彼の戦死は軍全体の士気、ひいては国威に関わる。万が一のことがあってはならない。なんとなれば、"剣魔"もひとりの人間に過ぎないのだから。

 それほどまでの存在に、ジムカはなった。なってしまった──なるべくして、なってしまった。

 中年にさしかかった"剣魔"にとっての幸いは、よき弟子を得られたことだろう。

 ルクス・ファーライト。王家に連なる男子であったが、継承権は二位。

 政治的な野心はなく、むしろ戦場で武功を立てることをルクスは望んでいた。

 英雄願望、といえばそれまでなのだろう。

 しかしそれで終わらなかったのが、ルクスだった。

 勇猛さと、勤勉さ。そして類稀なる王者の剣才。

 めきめきと頭角を現したルクスは、"剣魔"の再来と謳われるほどの活躍を見せるようになった。

 剣筋こそ似なかったが、その戦功はまさに再来といって差し支えはなかったろう。

 それがかえってルクスを政治の道に近づけてしまったのだから、全く皮肉と言わざるをえまい。

 肝心なところで、ジムカは剣の極みというものにそっぽを向かれるらしい。

 もちろん、やろうと思えば我が身を剣にやつすことはできた。

 家を捨て、妻を捨て、身分を捨て、責務を捨て。

 全てをなげうち、人生を棒振りに費やすことはできたはずだ。

 だが、そうはしなかった。

 家を継ぎ、妻とともに生き、子を育み、騎士としての責務を十分に果たした。

 これでは"剣魔"の名が泣くというものだが、ジムカの剣術が衰えを見せることはなかった。

 ならばと、ジムカは自らの剣を全て余すところなくルクスに叩き込んだ。

 とうとう剣に身をやつすことができなかった自分の代わりに、愛弟子が剣の極みに届くのならば、ジムカの剣も報われるのではあるまいか。

 そんな儚い希望は、呆気なく散った。ルクス・ファーライトは長子を押しのけ新たな王となった。

 よもや王が剣の道に身を投じられるはずもない。

 やがて、"魔剣守護"に任じられたジムカが戦場に出向く機会はめっきり減った。

 時の流れは残酷というべきか。

 戦場の主役は銃火が剣と槍に取って代わり、城攻めには魔術砲兵が運用されるようになった。

 しかしそんな中でさえ、いざ戦場に出ればジムカは容赦なく首を挙げた。

 銃砲火器を巧みに駆使し、人間以上の身体能力で王国軍を翻弄した人狼族。

 彼らを魔剣──"妖剣・月白"とともに掻き乱した戦功は凄まじく、「老いてなおも"剣魔"に衰えなし」と将兵たちに囁かれるようになった。

 それが今、ジムカが最後に出た戦場ということになっている。

 ジムカの失意とは裏腹に、その栄誉はつのる一方だった。


 剣の頂きというジムカの大望が実を結ぶことはもはやない。


 そんな覚悟を固めた折、彼はルクスに聞かされた。

 来たるべき時のために、娘に剣を叩き込んでいる、と。

 狂気の沙汰であった。不肖の生まれの姫、それも一〇にも満たない女子にである。

 この時ルクスはすでに、第一王子トラスの抱く危険な野心を薄々感じ取っていた。

 確信はない。証拠もない。ただ、もしかしてそうではないか、という直感だった。

 剣士の直感はよくあたる。特に敵意に関してはそうだ。

 手を打つべきだったが、うかつには手を出せなかった。

 ルクスは第一王子トラスの王位継承に消極的であるため、先方も警戒を強めているのだ。

 下手をすれば、国をふたつに割った内戦が起きる。

 そしてその時、間違いなく周辺諸国の介入を許すことになる。それだけは看過できない。

 ともあれ、ジムカはその点には口出しをしなかった。

 ルクスが弟子を取ったことにしてもそうだ。

 ただ、彼は心中密かに考えた。

 ──もし、その娘が剣の高みに至らしめたならば。

 万が一の時のために自らの家族が生き延びられるよう、繋がりがある他領地や他国との関係を強化しながら。

 時おり、そんな儚い希望をジムカは夢想するようになった。


 ────果たして、時は来た。


 "魔剣遣い"を斬り捨てて、幾度ともなく死線を潜り抜けたその眼は、幼き娘子であろうともやはり剣士。

 その姿に、ジムカは今一度、"剣魔"となることを決意した。

 今ある全てをなげうって、未来もなく、過去もなく。

 ただ剣のために、幼き末姫を、斬ろうと思った。



 一歩を踏み出し、シオンは老爺の剣を誘う。

 ぎりぎりの間合い。ジムカの剣の結界に、シオンは半歩だけ入り込んでいた。

 それ以上踏み込めば死ぬ。なすすべもなく死ぬ。そもそも得物の間合いに差がありすぎるのだ。無闇に踏み込めば斬り捨てられるほかはない。

 シオンはそのことを半ば直感で、半ば本能的に理解していた。

 考える暇などあろうはずもない。

 ジムカは刀身を地に擦るような疾走から、不意に刃を跳ね上げさせた。

 渺。

 風がうなりをあげ、剣光が走る。

 剣閃が歪んで見えるほどに凄まじく疾い。

 それをシオンは半歩ばかり下がって避ける。剣風と閃光が少女の眼前を通り過ぎていく。

 無論それでは終わらない。

 ジムカの剣術は変幻自在の剣である。一閃が振り切られたかと思えば、次の瞬間にはまた新たな一閃に転じている。

 咲き誇り、種子を散らしてはまた実を結ぶ。

 花開く。

 月明かり返す一刀が振り落とされた瞬間、シオンはやにわ一歩飛び退いた。

 接地の瞬間足裏が跳ねる────"飛鳥"の型。

 そこに少女の意識はもはやない。

 無意識のうちに、きゃしゃな身体がそれを選びとったのだ。

 それこそが、彼に対するシオン・ファーライトの全力に相応しいと。

「ほお」

 ジムカの振り切った刃はすぐさま中空でぴたりと静止。

 すぐにも新たな斬撃を花開かせる格好である。

 ────待ち構えられている。

 否、確実に読み切られているだろう。

 秘剣・再臨剣。

 そもそも、それの剣理を積み重ねたのがジムカなのだ。

 先ほど披露された業を思えば明らかなこと。

 シオンがそれをやろうとすれば、よもや気づかれないわけがない。

 しかしシオンは止まらなかった。

 打ち止めようとも思わなかった。

 思考がまっさらな空白と化す。

 無我の境地、などというものではない。

 ただ、斬るために。

 そのためだけに身体の全機構が組み換えられる────足裏が浮き、唯一残された爪先が地を蹴り抜く。

 "縮地"の型。

 そのまま肉迫とともに斬りつける。

 それこそは"秘剣・再臨剣"。最小限の動きで最大限の報いを与える、人を斬るために最適化された人の域にあらざる剣の(ことわり)

 魔剣の技。

 だが、シオンはそうはしなかった。

 足りない。最小限の歩では足りない。

 別段そう考えたわけではない。ただ、シオンの身体が自然とそのように動いていた。

 刹那。

 渺。

 風が哭き、"妖剣・月白"の剣影が走る。

 振り下ろしから、真円を描くようにして掲げ、振り落とす斬撃。

 絶えることなく変じ続ける、流れる水のような太刀捌き。

 シオンは、止まらなかった。

 それはさながら"放たれた矢"。

 逆手に握られた短剣にて、腰から肩に斬り上げる。

 愚直にして真っ直ぐな一閃の太刀筋。

「ハ」

「────()ィッ!!」

 ふたつの影が交錯する。

 二重の剣光が斬り結び、そして消えた。

 シオンはジムカの眼前を跳ぶように過ぎり、後方に抜ける。

 ジムカは"妖剣・月白"の剣先を宙で止め、踏みとどまった。

 残心。

 ふたりはそのままぴたりと静止し、凍ったように動かない。

 互いに背を向け合ったまま、穏やかな時間だけが過ぎていく。

 渺。

 静寂に包まれた世界に風が吹き、湖面をにわかに波立たせる。

「……ぁ、ぐッ……」

 不意に、シオンがかすかなつぶやきを漏らした。

 がくりと、糸が切れたように膝をつく。

 ────バッ。

 胸の刺し傷が花開くように、皮一枚を裂き、一閃の刃傷が走り抜けた。

 断たれた肉身が血潮を零し、泣き出してしまいそうな激痛を送り込む。

 血塗られた傷口が異様なまでに熱い。

 一気にぶり返してくる怖気と寒気。

 それでもシオンは震える手で、短剣をしっかと握りしめた。

 決して離してしまわないように。

嗚呼(ああ)

 ジムカはゆっくりと背を振り返り、くずおれた少女を見下ろした。

 額から流れ落ちる滂沱の汗。

 血を払い、音もなく"妖剣・月白"を鞘に収めながらジムカは笑った。

「おれの」

 凜、と鈴の鳴るような音がした。

「おれの、負けか」

 ごぼっ。

 口端からこみ上げた血泡を噴く。喉奥から溢れるように喀血するジムカ。

 ────シオンの突き入れた短剣は、ジムカの臓腑に達していた。

 心臓から肺腑にかけて抉り抜かれた体内が、ジムカの血流を逆流させる。

 黒ずんだ血が肺から吹きこぼれ、挙句咳き込み、口から血反吐をぶちまけた。

 噴水のように命が零れていく。

 もはや助からない。

 そう確信させる膨大な血流が、ジムカの老躯から流れ落ちていった。

「……っ、は……」

 息も絶え絶えに、胸を押さえながらシオンは立つ。

 どうして生きているのかわからない。

 どうして立っていられるのかわからない。

 わかるのは、自分が彼を斬った、ということ。

 斬れる、と思った。

 その結果が、今まさに少女の目の前にある。

 痛みと、わけのわからない感情に苦悶の表情を浮かべるシオン。

「……カカッ」

 それとは裏腹、地べたに倒れ伏したジムカは、おかしそうに笑った。

 妖魔(あやかし)のような笑みだった。

 どうしてそんなふうに笑えるのか、シオンにはまるでわからなかった。

「一歩」

 口元を真っ赤な血に濡らしながら、ジムカはぽつりとつぶやく。

「一歩、読みを(たが)えたのう」

 そう、ただの一歩だった。

 秘剣・再臨剣(リバースエッジ)

 シオンのそれは、ジムカの振るったものとなんら変わりなかった。技量やキレは劣ってすらいた。

 ジムカの身に、シオンの未熟な剣が届くはずはなかったのだ。

 違いは、ただひとつ。

 ともすれば無駄な一歩を、大きく前に踏み出したこと。

 それは本来、秘剣・再臨剣の剣理とは全く相反する所業である。

 避けて、飛びこみ、斬る。

 この三つの行程からなる"秘剣・再臨剣"は、いうなれば徹底的に無駄を切り詰めることによって生まれた最小単位の魔剣なのだ。

 余分なものが割りこむ余地はない。ぎりぎりの間合いで斬りつけるのが最短にして最速なれば、踏み込みは最小限で構わない。

 そのはずだった。

「いいもん、見せてもらった」

 脇を駆け、すれ違いざまに斬り、後方に抜ける。

 それにより、シオンはジムカの剣から生き延びた。

 ジムカを斬ることが、できた。

 ────いうなれば釦の掛け違えのようなもの。

「老兵は、大人しく、逝くとしよう────地獄にいい土産ができた」

 だが、ジムカは笑っていた。

 やけに安らいだ表情を浮かべ、どこか気楽そうに寝っ転がりながら、空の満月を仰いでいた。

 逆流した血塊が喉につまったのだろう、げほごほと咳き込みながらジムカは笑う。

「……勝手な、ひと」

「応さ」

「あなたほどの人も、地獄に、いくものですか」

「そりゃあそうよ。何百人殺したことやら。剣客は地獄の最下層行きと相場が決まっとる」

 なぜ、この剣は彼の身に届いたのだろう。

 シオンにはわからなかった。

 ジムカには、それがわかっているようだった。

 でなければ、あんな安らかな顔を浮かべられるはずがない。

 無想無念の境地──などといえばそれらしく聞こえるけれど、そんな大層なものではない。

 無我夢中だっただけ。

 シオンの手の中には、彼の命を奪ったという実感だけが確かに残っていた。

「他人事じゃあない。おまえさんも行く道よ」

「……私は」

「いいや行くさ。その齢で、おまえさんは"魔剣"のきざはしに手をかけた。おれの届かなんだところに、手をかけた」

 ジムカはどこか遠いところを見るように瞳を細める。

 そういわれてもシオンは、"魔剣"のことなどなにもわかっていない。

 けれどもジムカは、最期になにかを掴んだようだった。

「結局、おれは技に頼りすぎていた。執念が足らなんだ。遅きに失するが、そいつを知れただけでも僥倖よ───」

 呵呵とジムカは笑い飛ばし……ぱち、と目を見開いた。

 血塗れの老躯を引きずるように上半身を起こし、腰に帯びた剣に手を伸ばす。

 黒漆塗りの鞘に納められた魔剣────"妖剣・月白"。

 次いで自らの陣羽織を脱ぎ去ると、それで刀の鞘を包むようにする。

 そしてシオンに突き出した。

「持ってけ」

「……え」

 思いがけない提案に目を丸くするシオン。

 構わずジムカは押し付けるように魔剣を差し出す。

「黄泉路の剣士に剣は不要。形見分けとでも思うておけ────魔剣の分際で大した力もありゃせんが、おまえさんの力でも扱えるほどには軽く、頑丈で、"誰の手にもよく馴染む"」

 死にゆく老人の力は、とてもそうとは思えないほどに強かった。

 シオンはそれを、そ、と受け取る。

 "妖剣・月白"。その雪のような軽さがシオンの手によく馴染む。

 まさにジムカの言うとおり。賛嘆の息を零すシオンに、ジムカは好々爺めいた笑みを浮かべる。

 そして最後のつとめを果たしたというように、彼はそのまま後ろに倒れこんだ。

「……ありがとう」

「礼には及ばん。それを手に取ったからには修羅道よ。おまえさんの行く末は────カカッ」

 言葉の最中、ごぽ、と勢い良く血反吐をぶちまけるジムカ。

 色濃い死の気配が老躯を包み込む。否、先ほどのように平然と話せていたほうがどうかしているのだ。

 枯れ木のような肌から血の気が引いていく。瞼がゆっくりと降りていく。全身から力が抜けていく。

「よけりゃ骸はここに埋めてくれ。やつらに回収されるなぞ、ぞっとせん。馬も好きにすりゃあいい」

 掠れるような声でそう言う老爺に、シオンはただ頷くほかはない。

 もはやシオンの姿も見えてはいまい。

 ただ、ジムカは遠い夜空を瞼の裏に見ている。

「さらばだ。シオン」

「さよなら。ジムカ」

 最期の別れを交わす。

 直後、彼の呼吸が停止する。

 心臓の脈拍が終わりを告げる。

 ジムカ・ベルスクスは死んだ。

 彼が剣を振るうことは、もう、二度とない。



 最低限の手当てを済ませたあと、シオンは遺言通り、ジムカの遺体をその場に埋めた。

 魔剣を墓標に立てようかと思ったが、やめた。きっと誰かに取られてしまうだろうから。

 それなら、自分で持っていたほうがずっといい。

 代わりに、花をそなえた。

 睡蓮の花。

 どうせすぐに枯れてしまうだろうけれど、構わなかった。

 元よりただの自己満足に過ぎない。

 しばらく眠ったあと、夜明けとともにシオンは島を出た。

 血に濡れた服は着替え、肩からはジムカの羽織をかけている。黒地に鈴蘭の花びらが散りばめられた陣羽織。

 神秘の品でもなんでもないにも関わらず、それは不思議とシオンの肌身にしっくりきた。

「お……お連れさんはどうなさったんですかい」

 帰りのために待っていてくれた船頭は、心底聞きたくなさそうに問う。

 聞かなければいいのに。身体を丸めて、膝に額をつけながらシオンはいう。

「夜のうちに、遠いところにいったの。心配しないで」

「さ……さようで。昨晩は霧が濃かったもんですからね、気づきませんで」

「そう」

 素っ気なくつぶやくシオンは、"妖剣・月白"を膝の間に挟むように抱え込んでいた。

 全長4フィートにも及ぼうかという一刀。元々はジムカが帯びていた剣である。よもや船頭が気づかないわけはない。

 だが、"剣魔"を斬り捨てたと思しい少女にものをいう勇気はさすがに無かったらしい。

 それ以上、船頭がシオンに口を出すことはなかった。

「……嗚呼」

 湖面を進む小舟に揺られながら、シオンはぼんやりと空を見上げる。

 憎らしいくらい晴れ晴れと澄み渡った朝焼けの空。

 これを見たらあの男はなんていっただろう。

 痛む胸を押さえ、そんなことを考えた。



 翌年。

 六水湖の中央──島周辺の水面に、溢れんばかりの大輪の花が咲き誇った。

 白い睡蓮の花だった。

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