VR犯罪対策班 1 知恵者との邂逅
一見してまず、彼は驚きを呑むのに苦心した。
無造作に機械の並べられた部屋は、人の住む部屋としては余りにも異質だ。それに何よりも、現在進行中のゲーム犯罪の対策要員として彼女が紹介されたことに驚きを感じてしまったのだ。
こんな小さな女の子が、教わった諏訪原翔子というエキスパートだというのか。私が部屋に入ると、彼女は此方の事も聞かずに、身体をこちらに向けるでもなく話し始めた。
「さて、赤穂哲也さん、貴方はこの『エンシェント・トリニティ』というVRMMORPGについて、どの程度理解しているんだい?」
「ええと……2046年にシルヴァーシステム社が開発したフルダイブ型のゲームで、事件発生当時に巻き込まれた人数は一万二千人程度。事件発生は8月11日17時。発覚はそれから二時間後で……」
「ああ、もういい、結構だ。成る程、事件自体の経緯は当然知っているだろうが、私が聞きたかったのは、このゲームが何を下敷きに作られているのか、という問い掛けのつもりだったのだがね……、まあいいさ、説明しようじゃないか」
身体を横に流したままで、彼女はこちらを見ることもなく、壁に話し掛けるように喋り出した。
「黒、白、赤の三つのクランに分かれて彼らはダンジョンの攻略を進めていのですよ。あなた、錬金術については知っています?」
「生憎とオカルトは専門外だよ、実務家なものでね」
「ふむ、いいでしょう。この手のゲームなどには、モチーフとなるものに神話やら実在の歴史、オカルトなどが良く使用されます。このゲームについては、錬金術における黄金錬成ですね」
「黄金錬成?」
「アルス=マグナとも言うね。まあ、卑金属を黄金に変える実験だと考えて頂ければ良い。それでね、その理論の一つに、三つの手順を経れば、黄金が精製されるというものがある」
「その手順とは、黒化、白化、赤化の三つだ。ほら、彼らのゲームについて、実にこれが見立ててありそうではないかね」
「ちなみに黒は死や腐敗を、白は月や銀、復活を、赤は太陽や完成を意味する。もっとも、クラン名に使っている以上は赤の完成という意味付けは採用されなかったのかもしれないね。なんにせよそれぞれの状態から、最上階にある錬成の釜を起動させて、黄金魔術を起動させるというのが彼らの開放条件だ。このデスゲーム自体が黄金を作り出すための、一つの大きな錬金の釜とでも言えばいいだろうかね」
とつとつと喋る少女に、私は認識を改めていた。確かに現実的に役立つような知識ではないが、彼女は彼女なりの知識体系を築いているようだ。知恵者というのも伊達ではないらしい。
「講釈ありがとう。それで、どうすれば人々を解放出来るのかな?」
「分かっていれば既に公開しているよ、なんせ命が掛かっているのだから。私は底意地が悪い方だが、それでも多少の分別はあると思っているよ」
晒された素足をひらひらと振りながら、鷹揚に対応している彼女の様子は年不相応ではあるが、知恵者とはこのようなものなのだろうか。
「犯人の声明では、自らを“3に足るもの”と言っていた。これもこの三つを統べるもといということなのかもしれないね。なんにせよ、気取り屋らしき言葉遊びだ」
「ふむ……何か有名な人物でもいるのかな、その口ぶりだと」
「うん、察しがいいね」
くるりとデスクチェアを回して、彼女は初めてこちらを向いた。改めて少女を見やると、その華奢な容姿に震えが走る。
さらりと投げ捨てられた艶やかな黒髪に、折れそうな細い指先。精緻に作られた顔の造形には、不敵な笑みが浮かんでいる。
「今のところ、ヘルメスのロールをしていると考えるのが妥当だろう。彼は三倍偉大な者と呼ばれることもある錬金術師だからね。ゲーム内でのプレイヤー開放条件は500階層を踏破して、最後の間で大魔術を起動すること。そして、それを行ったクランのみが現実に帰還できる。彼らがどれほど苦心しても、最大で4000名程度した助からないわけだ。条件が満たされてしまえば、残り二つのクランにいる人間は全て脳を焼かれて殺される。白、黒、赤の三クランがどう努力しても、彼らは大半が死んでしまう。そんな事は早々許せやしないね」
ふむ、と口元に手を当てて思案する。これは……確かに今までなかった見解ではある。ひょっとすると、彼女は……。
「それで、どうするんだい、制服さん。私を取り込んで、対策班を作ると考えて間違いはないかい?」
「……事前に話が通してあったのか」
「まあね、大体の事は予想ができるからね。それに私としても、この事件は不愉快だ。知人が何名か囚われてしまっていてね、積極的に関わるのに不足はないよ」
うん、これはもう、決定だろう。
「分かりました……それでは『エンシェント・トリニティ閉じ込め事件対策班』として、貴方、諏訪原翔子さんに協力を要請します」
「うむ、受諾するよ。これから宜しく頼む」
差し出された手は、やはり脆く崩れてしまいそうに繊細な子供の手だ。赤穂は少しためらって、それから彼女の手を強く握った。