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しあわせな人殺し 6


「分かっていたけど、露払いにしたって結構な難行ね、これはっ」


 振るわれる片刃斧が相対する怪物を正確に刻み、押し切って微塵にする。両脇には大盾を構えたオブシディアン・ナイツの残党が並び、彼への加撃を肩代わりする。


「それでも、不可能でないというのがなんとも絶妙だなッ」


 盾の曲線で怪物の爪を受け流し、対手ではらわたを斬り落とすドロテア。ダメージ限界に達したそれは、光り輝くエフェクトを残して輝きつつ消えてゆく。


 アタッカーはミルディンとドロテアのツートップの形を取る。


 幸い499層の敵は大方が赤のクランに掃討されている。その上彼等の役割は、雑魚をあしらいつつ最前線に到着するだけでよいのだ、余力を残す必要はない。突破力を一点集中し、少数で地を滑るように進めば良い。


 ちらりと、消滅エフェクトを掻き分けるように走りぬけながら、ミルディンは後列に佇む彼女を見やる。


 真っ白な和装に白鉢巻、履物さえ白いとなれば、成る程それはあまりに異様な風体なのだ。ただひとつ色を加えるとすれば、彼女の佩いた“夕雲”を包む鞘の黒さと、薄く化粧のされたかんばせの仄かな赤。まるで皮膚の下に巡る、生臭く赤い命の脈動を詳らかにするような露骨さすら感じさせる、生けるものの匂い。

 

 鎧どころか篭手の一つもない、防御性能すらあるか怪しい軽装で、人々に伴われて死合へと望む姿はなるほど覚悟を持つものの心意気なのだろう。


「どうかした、ミルディン?」


 くすりと微笑すら浮かべつつ、彼を気遣うその様子たるや。少なくとも出会った当初の彼女とは似ても似つかない。


 ミルディンとクズハはリアルワールドでの知古ではない。彼等はこのヴァーチャルが閉鎖されて間もなく、動揺と混乱の犇く第一階層で出会った。広場の片隅で騒音から耳をそむけるようにして顔を伏せていた彼女を見つけ、手を差し伸べたのが当時のミルディンだった。姿が男だからと警戒していた彼女だったが、こういう時にこそ彼の特殊な人間性が役立った。次第に頬を緩ませた彼女の手を引き上げて後、共にこの世界で生き残るために労を払ってきた。


 彼女が速剣重視のスタイルを組むのなら、彼は一撃の威力を重視した斧に。軽装で回避重視の防具を好むのならば、重装で受け止める配置を取る。そして、不埒な者共が彼女を惑わしにくるのであれば、彼が先鋒となり打ち払う。そうすることが年長者の役割だと、彼は思っている……だが。


――今、あの子を惑わしているのは誰、いえ、何なのか、それが見えない……


 暗い顔をしたあの男、アンリという泥付きの輩がそうだと断じてしまうのは簡単だが、それだけでこうも、人が変わってしまったかのように何もかも変容するとは思えない。なにか決定的な物事を見落としている、そんな気がしてならない。


 人間は精神と肉体の双方向的な連絡によって構成されている。精神は肉体を押さえ込み、肉体は精神に実感を与える。どちらかが唯一の機能を果たしているのではなく、さながらパレットに並べられた絵の具のグラデーションといった風に、どこからが精神で、どこからが肉体なのかと明確に切り分けることは不毛だ。ヴァーチャルで我々が有している仮初めの肉体は確かに現実のそれと違うとはいえ、それほどまでに精神に影響を与えるものなのだろうか。例えば現実世界であれば身体的に強い衝撃を受けたものが、それを“神の啓示”と受け取って精神性の変革に至るなどという事柄は枚挙に暇がない。意識を刈り取るような強い発作に伴うホワイトアウトを、神秘に触れるヌミノース体験として受け取る類のそれは、しかしこの世界では幾分か容易に起こりうる事なのだろう。なにせ、この世界では大抵の負傷は死に至らないからだ。


 両腕をもぎ取られる体験、臓腑を一つづつ潰される体験。脳漿をごっそりとぶちまける体験。それらを実感として経験した上でも、回復系の秘薬やら魔法によって五体満足に復帰することができる。けれども精神は、有ったことを無かったことにはできない。経験は残る。何らかの経験が、クズハをここまでに大きく変質させてしまったのだとしたら。


――この世界は、危うい……


 人は迂闊にこの世界に脚を踏み入れるべきではなかったのかもしれない。未開の森に徒手で踏み込むようなものだ。あまりにも無警戒過ぎたその結果がこのような事態を招くのならば、それは無聊を慰めるための術としては、あまりにも……。

 

 団員を先導して前へと進むドロテアを見やる。彼女は気付いているのだろうか、この世界が攻略されたとして、我々が現実世界に変える事ができる、などという保証がない事を。なにより、尋常な現実では経験し得ない体験を多く抱えたまま、本当にかつてと変わらぬ人間として戻る事が出来るのだろうか。


 ベトナム戦争の例もある。遠くベトナムの地で兵たちが望郷の念を抱かぬようにと、兵站は多くの物資によって現地にアメリカを再現していた。だが、それが原因となり本土帰国後の兵士達が戦場の後遺症を引き摺ることとなった。そうしてそれは、アーサー・ショウクロスという連続殺人犯さえ生み出してしまった。この世界には日本の面影がほぼ皆無であるとはいえ、同様の現象が起きないとも限らない。


 我々は本当に前へと進んでいるのか? なにかとんでもない、取り返しの付かない失態を犯してしまっているのではないのか。


 苦悩を抱えるミルディンへ、答えもないままに開けた視界が広がる。ドロテアは剣を掲げて団員に促して道を開き、自身もまた控える。ざざあと人垣が割れた先には、あの男がいる。


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