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しあわせな人殺し 5

「さあ、殺し合いだッ!」


 吠えるデルフィを尻目に、青薔薇の心は冷え切っている。相対した相手を観察しつつ、自らの肉体を確認する。


 左肩に刺されたナイフは肩甲骨の動きを一部阻害する位置にあるが、抜き取る動作は隙になる故放棄。戦闘空間の関節可動範囲を修正。毒はゲーム特有の効果を発し、全身の筋肉を弛緩させている。瞬発力を要する業は相応に鈍るだろう。速度の高い暗殺者まがいの男に対抗するには厳しい効果だが、それでも、手がないわけではない。なお、若干の体力減少も見られるがこれは考慮する必要はないだろう。従って、薔薇は大地に根を張る。


「あァ?」


 ぎゅっと脚を開き、踏み固めるように大地へ靴跡を刻み、半ば沈むようにして剣を上段に構える。盾を足元に落とし、通例剣術で嫌われる居着きの体勢で敵を待ち構える。左の足先は横に、右は前に開くような奇妙な体勢だ。まるで泥に塗れながら、田に苗を植えるかのような……。


「なんだなんだなんだその格好はよォ、俺を莫迦にしてンのかテメェはよおぉおおぉ」


 デルフィは怒りに任せて短剣を投擲する。返しの部分に毒の塗りこまれた特別製だ。しかしアンリは剣で払うこともなく、そのままそれを身に受ける。そも、特異なものでなければ、個人レベルで携行できる投擲物など大した損害はない。塗り込められた毒は既にその身に受けている。


 飛び道具の役割は牽制、一対一で睨み合っているこの状況では効果は薄い。なにより、青薔薇の体力を奪い去るにはまるで足りないのだ。


 彼は待つ。じっとりと脚を据えて、狂った男がその身に躍りかかる一瞬を。


 彼の取った戦術は、後の先。相手の力を最大限に利用して逆撃する構えは、なるほど激高しがちで精神が乱れている相手に対しては有用であろう。


 果たして、デルフィは青薔薇の企てた意図の通りに一層感情を露わにして激烈な感情を露わにする。


「俺の攻撃は避けるまでもねェってことかよォ、莫迦にしやがって、莫迦にしやがったなてめェ。同じ人殺しの癖に俺を侮辱しやがったなァ!」


 叫びながら、ボロ布の中から小剣を取り出す。独特な刃筋を見せるそれもまた、毒などを塗布するためであろう凹凸が一部に見て取れる。


「オレ達とお前に何の違いがある! 方や人殺しの泥付きだ。街への立ち入ることもできず荒野の穴蔵に身を隠すしか無かったオレ達と、殺し続けて英雄と呼ばれたお前と。文化も社会も世間体も、なにもかもお前は良くてオレ達は駄目だと。ゴタク並べて煙に巻こうとしてるんじゃネェ。お前は人殺しだ、オレ達と同じ側だ。人から奪い、人から疎まれ、人から憎しみを持って迎えられる。人がお前を許すことなんざない。殺した、殺した、お前は殺したのだから!」


 短剣と共に、デルフィが青薔薇に躍りかかる。アンリは見た。視界いっぱいに広がる、ボロ布を纏った男を。汚れた布切れに煤だらけの腕。野放図に乱れた髪と髭、そして何もかもを憎む、濁った眼。最早人間よりも獣に近い、その男の姿を。


 青薔薇は襲いかかる小剣を意にも介さず、右肩上段へ構えていた曲刀で男を右肩から斬り下ろす。身体を開いて見せたことで、自然、相手は正面から斬りかかろうとする。従ってただ振り下ろすだけで刻み付けることができる。


 ずんばらりと切れた、ボロ布と男が、勢いのまま、どう、と青薔薇に身体ごとぶつかる。心の臓辺りまで切り開かれた男の身体は、確かに人間の生命活動を停止させる。


「……この、ひとごろ、し……」


 青薔薇の肩口に顎を乗せてそう呟いたデルフィは、静かにエフェクトの泡となって消える。アンリは顔を伏せ、肩を刺していた短剣を引き抜く。少しだけ顔を伏せた後、青薔薇は振り返って倒れ伏している赤のクランの面々を見る。


「い、い、ようし、ようし、突然の襲撃、だが、鎧袖、一触といった、所、だな、青薔薇、くん、よ」


 毒が抜けきっていないまま、それでも口数は変わらないらしいバロンが血に臥せっている。抵抗の高いアンリは解呪と体力回復の薬品を飲み下すと、右手に剣を抱えたままで男爵へと寄せる。


「さ、さあ、我々にも、解呪を、かけて、くれたまえ、青薔薇の、君……」


 言葉に答えず、意にも介さず、人の命をすった劔が、音もなく掲げられる。刀身から放たれるギラついた光が、バロンの眼をじりじりと焼く。


「あ、青薔薇、くん?」


 濁った眼でアンリは地に臥す男を見つめる。その目は先のデルフィのそれと、恐ろしくよく似ていた。


「“彼等は何事も知り得ないが故に”」


 はたと顔を上げてアンリが振り返ると、どこからか現れた女が微笑とともに佇んでいた。あの女はバロンの側近、たしか、プリムローズと言ったか。いや、そんな事は今の彼にはどうでもよい。今の、今の言葉は――


「……返答は如何に?」


「! “誰よりも愛される”……」


 狼狽を露わにしながら彼が応答すると、彼女は「はい、よくできました」となんでもないように微笑する。


「そう、この男は貴方の欲した方なのですもの、短慮を起こしてはいけませんわ」


 女の静かな忠告に、アンリは胸中をかき乱される。


――この男が、そうなのか。こんな、こんな男が、外道が……こんなものに、私は託さねばならないのか……


「さあ、登りなさいな、矮小で哀れな“あなた”。残るは一階層、人々の望んだ黄金錬成を成し得た時、その場所で貴方の願いは果たされる。あなたがまだ、諦観と倦怠の波に呑まれていないのならば」


 返事も無しに、アンリは彼等に背を向けて上層へと急ぐ。そう、そうだ。願いは、彼の願いが結実する時まで、あと僅か。

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