金色に至る赤 6
「残念ですが……」
言外に拒絶したアンリに、バロンは一時顔を凍らせ、そして何もなかったかの様にまた柔らかい笑みを浮かべ、両手で顔を揉む。
「……そうか、それは残念だ、嗚呼残念だ悲しい事だ。……それでは最後の鍵だ、おいで。此方の部屋こそ、君の気持ちを変える最後の鍵だ」
最後に案内されたのは、場末も場末、蒸気機関の音もまばらな果ての研究室で。その前に立ってすら中に人の気配はなく、機械式のけたたましい蒸気機関も遠くへあるのみだ。
真鍮か銅か、くすんだ鉄の扉は見るからに重々しいが、それも錆の浮いた汚らしいなりでは、なんともいえない不気味さばかりがある。
「そう、ここだとも。……入って見給え、そして見給え、君ならば理解できる筈だ」
薄暗い部屋の中へ、鉄板の足場を踏み越えで進みいるアンリ。そして彼は見る、理解する。理解してしまう。
その部屋に並んでいたのは沢山の球体であって、しかしそれぞれがちょっとした車輪ほどの大きさになっている。ぶよぶよとしたそれは、まるで呼吸をしているかのように、僅かに膨らんでは縮むのを繰り返している。
「ここにあるものは特殊でね。人体の消失しない限界点を探った実験の結果、ここまで削いでも問題がないと分かったのだよ。そうしてその施術を実際に試した例がここに並ぶ肉塊群だ。彼らは実際に生きているのだよ。このような形になっていてもまだ」
ぶよぶよと肉の感触を返してくる肌色の球体。それは余りにも似ているのだ。ほら、その黒子の部分はどうだ、あんまりにも似ているではないか。物でしかないそれが、どうして人に似ているなどと思うのだろうか。
「その形はテトラマ体と呼ばれているよ。ある種、人体の究極系だねぇ。……ところで27と1だったかな、君の所にいた子供たちは」
はっはっはと喜色を顔に浮かべながら、先ほどと変わらぬトーンでバロンは言った。そうだ、これは、ボール状のこれは、内にある何かの息遣いは、命は、それは……。
アンリは眼を剥いて二人の方を睨みつける。プリムローズは後ろめたいとでも言うように顔を逸らし、バロンは一切声色を変えずに、けれどもそのままで眼を見開いてわっはっはと笑っている。
「ここにある球体も丁度27と1だ。偶然だなあ偶然だねえ……君には見えるかい? この球体はまだ生きて居るんだ。見えるだろう、か細いゲージを残した命の残りが」
彼の言うとおり、この場所に並んでいる球体総てにHPゲージがポップしている。部位欠損による固定ダメージでゲージを減らしながらも、まだ死んではいないという風に生きてる。そして当然そのプレイヤーの名前も。他の小さなものに並んでいる、少しだけ大きな肉球、その名前は“polette”。
「私は上等な研究者のつもりだったが、なにせ君が来てから確保に向かったからね。研究対象の回収は1時間以上前に終了、加工の方も少々手間取ったがどうにかやり遂げた、といった所かな」
バロンは優しげな手つきで肌色の球体を撫で付ける。眼耳鼻口髪すら失せて、変化に乏しい球体。それは人の形を留めておらず、最早唯の肉の固まりに過ぎない。
「人体を人体たらしめる器官は何だと思う。顔か? 腕か? 脚か? それらの集合した記号か? いいやそのどれでもないね。人間を人間にするのは唯其処にあるという事実飲みだよ。我等は形を以て人をしているいるのではなく、人間を以て形を為すのだ。外的な記号など嘘偽りに過ぎない」
肉塊となったそれは、最早人の形をしていないそれは、彼に触れられた部分をふるりと震わせると、涙を流すようにしっとりと汗をかいて体温を上昇させた。汗腺から湧き出た水分に、肉がぴたぴたと湿り気を帯びる。
「その誰かと君は会話出来るかい? それならそれで新しい研究が出来る、だが、今回望んでいるのは別の事だ」
「……私に、何を望む?」
今にも飛びかからん風に眼を剥いて、剥き出しの憤怒は場の空気を乾燥させる。じわり、と世界に闇が広がり、人々の心を薄暗がりに引き摺り、掻き毟る。深い、暗い、妖しい、卑しい、心をざわつかせる漆黒の精神が空間を占める。
「なに、大した事ではないよ。これはちょっとした余興だ。確かに君の所に居た子供らとその保護者には、少し静かな球体になって貰ったが、それでも、決して死んではいない。私は博愛主義者なんでね、なに、世界が攻略された暁には彼らも現実に戻れるさ。肉体的苦痛? 精神的苦痛? そんなもの現実に持ち越されるなんて誰が保証するんだい? だれも試した事なんてないっていうのに……ああ、いけないなあ、話がそれてしまったよ。はっはっは」
人懐こい口元から空笑いをして、ぎょろりと飛び出た両の目はケージに納めたモルモットをみる眼光で以てアンリを観察する。
「私は観察者にすぎない。研究者でもあるがね。実際の戦闘となると中々後手に回っていてねぇ……ほら、黒のクランが代替わりしただろう? 彼ら、少々図に乗っちゃってるんだよねぇ……自分の畑に篭っていればよいものを」
笑顔のままで、口調だけで感情を荒げるバロン。沈み込むように低い声で囁く彼の音がアンリの耳にねっとりと張り付く。嫌悪感に吐き気すら感じる。
「君に頼みたいのは、まあ用心棒のようなものだね。君の子供たちを元に戻せるのは僕だけだし、この状態では自衛能力もない。赤のクランが襲われてしまってはひとたまりもないだろうねぇ……。まあ、一蓮托生というやつだよ」
「邪悪は……断つ……必ずだ」
アンリは身体を震わせながらそう呟いて、それでもバロンに刀を向ける事は叶わない。




