不自由な世界 10
あのボス攻略から数日。彼らを取り巻く模様は様変わりした。攻略ギルドはアンリの助力を得ようと続けている。特に自分のギルドに。他のギルドに渡す位なら、攻略に参加して欲しくない様子だった。ここでも人間同士の足の引き合いが行われているらしい。
オブシディアン・ナイツの追討令は取り下げられ、ドロテアやクロムウェル以下、旧団員達にも平穏が戻った。追討令を出していた者達としても同じプレイヤーを追い立てる事に罪悪感があったのかもしれない。
「私は、お前になんと報いればよいのだろうな……」
以前の鎧姿で、ドロテアが立っている。傍ら控えるのはクロムウェルと、かつてのオブシディアン・ナイツ達だ。
「私は為すべき事を為しただけです。礼は不要です」
むっつりと顔を変えずに、アンリはドロテアに応える。
「そうか……そうだな。きっとお前はそう言うような気がしたよ。何もかも救ってしまうのだな……ならば私も、為すべき事をしなければな」
にやりと笑って、褐色の武人がくるりと集団に向き直る。二十人居るかどうかのちょっとした集まりでしかないそれが、今に残る彼らの総てだ。
失った拠点は帰ってこない。黒の領地は追われたままだ。そして、命を落とした者は永遠に帰って来ない。
けれどこうして、生きている。
「諸君、我等の帰還は成った。ギルドは最早無いに等しい。クランへの影響力は失せ、権威は失墜し、以前の様にボス攻略への参加は難しいだろう」
だが、と彼女は言葉を続ける。そうだ、それでも彼女達は生きているのだ。何の悪いことがあるだろう。何を躊躇う必要があるだろう。
「我等は帰還する。黒曜石は欠片を落とし、打ち削られ、更に鋭敏にその身を尖らせる。我等の成すべき事はまだ、無くなってはいないからだ。我等の牙はまだ、輝いているからだ」
ざん、と剣を地に打ち付けるドロテア。その堂々たる様子は、始めて出会った時と同じ、人を導く気風を持った彼女のままだ。
「諸君、私に着いて来い。我等はこの不自由な世界の彼岸に、皆を導く責務がある。楔を打ち立て、爪牙を振るい、安寧をもたらさねばならない。さあ、声を上げろ。我等はまだ、砕かれてはいないのだから」
おう、おう、おう、と雄叫びが聞こえる。大して残ってはいない筈の彼らの、その雄叫びは一体何百人に匹敵するのであろうか。いや、彼らの声は、この世界に居る全てのプレイヤーの声だ。彼らがその声を代弁しているのだ。
生きているという事は、まだ、やれる事があるのだ。
***
「剣を学びたいと?」
レベル上げを終え、子供らの相手も一段落した後に、クズハはアンリにそう告げた。
子供らの相手をすること。アンリはパーティを組む際にそれをクズハとミルディンに依頼した。なにせ彼らに接する大人が少ないのだ。庇護の手は少しでも広いほうがよい。
そして、そんな依頼を快く引き受けたクズハが対価として持ちだしたのが、これだ。
「ええ、私が今まで見た中では貴方が一番強いから」
ちょっと独特な体捌きではあるけどね、と彼女は付け加える。
「私の剣は邪道です。迂闊に触れてしまえば、剣が歪んでしまいますよ」
「それでも、だよ。貴方の剣は邪道なりに一つの念が篭っているように思うのよ。情念というか……なんというか……。そういう何かが篭っている剣っていうのは、やっぱり強いと思うんだ。生兵法にはしないわ、約束する」
ふむ、とアンリは口元に手を触れさせる。彼女に己の剣を授けてよいものかどうか。彼の剣は我流である。先々の流派を考えてのものではあるが、それでも今は未完成、亜流邪道の域を出ない。
武は人を制する為にあるのではない。心がけとしてどれほど美しくとも、力による押し切りである。それはアンリの持論でもある。人は力を以て人を押し留める。自らの我を通す。その結果相手を殺してしまって、ああすまないが心掛けは精神修養などだと述べるのは実に愚かしい。
武器は人を殺す。力は人を殺す。暴力でなくとも、力であるというだけで、力があるというそれだけの事が人を殺すのだ。それは彼がどんなに気を使っていたとしても変わらない。彼女をそんな修羅の間合いに立ち入らせてよいものだろうか……。
「力は人を殺します。そこに正しさは一切存在しません」
「ならば、己の傲慢を少しでも人の頷くものにすれば良いだけよ。正邪の判断なんて誰に出来るものでもないのだから」
「……なれば」
すぅ、と腰を落として構えを取るアンリ。クズハは空気が変わったのを感じ取ったのか、一拍遅れて同じく構えを取る。
「私を殺す覚悟をして頂きましょう」
「必要とあらば、親兄弟でも」
にやりと汗を溢れさせる程に身体を緊張させながら、クズハが応える。
彼女としては精一杯の痩せ我慢だ。実際に親兄弟を、子供を、老人を斬れと言われて自分に斬れるかどうかは分からない。それでも、強くなければ生き残れないのだ。正邪の問題でなくして、とにかくも生き延びる為に、この世界から抜け出す為に生きねばならないのだ。そのためなら誰彼構わず殺そう、泥水を啜り、糞便を顔に塗り込めよう。
それくらいの覚悟は、ああ、覚悟だけはしておこう。
「……分かりました。一つの条件を守って頂けるのであれば、お教えしましょう」
渋顔ながらに受け入れた彼に、彼女は破顔して応えた。




