不自由な世界 6
彼女が眼を覚ましたのは、差し込む陽の光のせいだろうか。それとも遠くの部屋で騒ぐ、子供の声によるものだろうか。
果たして私は何処に居るのだろうかと、見知らぬ部屋を見渡しながらドロテアは思案する。今更この身に何が起ころうと驚きはしない。
ふと、いつのまにか楽な服装に着替えさせられているのに気付く。誰か知らないが有難い事だ。少し荒い麻布を指先でつつ、となぞる。すこしざらりとした頑丈な布の感触に、ああ、私はまだ生きているんだなあと他人事のように考えた。
「目が覚めましたか」
いつの間にそこにいたのか。それとも寝入ったいた彼女の傍に控えていたのか。意識を失う前に会ったアンリが、部屋の片隅にうずくまっていた。
「食事を持って来ましょう……丁度昼時ですので」
「……」
聞いたい事は色々あったのに、彼を呼び止める事すら億劫で何の言葉のドロテアの喉からは出て来なかった。どうして私を助けたの? ここは何処? 何日寝ていたの? 私に何をさせたいの?
そのどれもが力を失い、応答に為に手を持ち上げる事すら出来ず、私はベッドに横たわったままだ。
直ぐに彼が戻って来た。手にしているのは粥か何かだろうか。
「口に出来る分だけで構いません」
促す彼に従って半身を起こし、匙を取る。水に柔らかく煮られているそれは、熱がとれていて調度良い温かさだ。一つ息を吹きかけて口にすると、素朴な素材の味と、ほんのりと効いている塩気がじんわりと身体に染みてくるのが分かる。
「ああ……温かいな……」
一匙一匙、時間をかけて口に運ぶドロテアに何を言うでもなく、アンリは静かに傍らの椅子に座っていた。
「なぜ……」
口が水気を取ったからだろうか。先程よりは少し、口の滑りが良くなっていた。今度の言葉は、どうにか口に出来そうだ。
「なぜ、助けた……」
「弱者救済、それが、私が自らに課した贖罪です」
何を考えているのか分からない仏頂面で返すアンリ。ドロテアは納得いかない様子だったが、それ以上は追求しなかった。
「私も弱者というわけか……はは、堕ちたものだな……」
「……」
「どうした、笑ってくれ……その方がよっぽど楽になる。ああ、私は失敗したんだ。攻略ギルド、団長なんぞと呼ばれていても、所詮はこのザマだ……。挙句、負けた相手がこの世界でなく人の方だと来ている……自嘲したくもなるよ……。私がしてきた事は、何だったんだ……」
「価値の無い行いなどでは、ありません。そうでなければあれほどの人々が付いてくる事はなかったでしょう」
アンリが慰めのような言葉をかける。彼にしては珍しい気遣いの言葉だったが、相手は眼を剥き出しにして表情を変えた。
「だが、皆死んだぞ。私が殺したも同然だ。なのに私は、奴らの泥すら被ってやれなかった。……救ってやれなかった」
「総てを救える者など、おりません」
「貴様に何が分かると言うんだっ」
かちゃん、と匙を落として激高するドロテア。自分でも感情を制御できていないのが分かっているが、止められない。
団長の面が剥がれ、本来の彼女が出てきているのだろう。鋼鉄で身を覆っても、人はその内奥の柔な部分まで固める事はできないのだから。
「それでも、私は、何も残せないままっ、こんな世界の片隅で彼らをっ……、もう死ぬしかないじゃないかッ。こんな無様を晒してしまったのだぞッ」
頭を抱えてぶるぶると身を震わせるドロテア。アンリはそれを気遣うように手を伸ばす。
「何でこんなに苦しまなくちゃいけないんだっ、こんな、こんなに思い悩んで、苦痛を受けて、私達が何をしたっていうんだ一体っ。ああ、どうして、どうしてなんだっ」
アンリへと掴みかかるドロテア。その顔からは、ほろほろと透明な涙が滲み出てしまっている。
誰が彼女にそんな重責を課したのか。誰か彼女を救ってやる事は出来なかったのか。救世主は何処にもいないのか。
「ああ、誰か――」
否、否、否。弱きを救い、地に落ちた者達を掬い上げんとする男が、ここに居る、
「打ち破ってくれッ、この世界をッ」
引き絞る様に吐き出されたドロテアの苦しみ。アンリはそれを受け取ると、ゆっくりとした動作で一つ、大きく頷いた。
「その願い、聞き届けましょう……この泥付きたる我が身を賭して」
遠くで子供らの遊ぶ声が聞こえる。ミルディンの上に馬乗りになった子供らが、クズハと共に笑っている。
ポレットが子供達を叱るが、彼らは聞く耳を持たずに散り散りに逃げて往く。怒ったポレットが声を張り上げると、子供達はまたきゃっきゃと笑い声を上げて逃げ回る。
アンリはその声を聞きながら、はらはらと涙を流し続けるドロテアの頭を優しく撫でる。泣きじゃくる子供のあやすように、そっと。




