迷宮と冒険者
迷宮に出現する魔物は無数に湧いて出てくるが、必ずしも無限に出現し続ける訳ではない。魔物を生むためには迷宮そのものが地脈から魔力を吸い上げる必要がある為、再度魔物を構築するには時間がかかるのだ。ともあれ迷宮を徘徊する魔物たちは生まれ続け、討伐が行われないと魔物はそれこそ無数に湧出し続ける。そうしてごく稀に迷宮の中から漏れだした魔物が外を徘徊する事があるのだそうだ。
しかし、迷宮の魔物が外に現れるなどと言うことは、滅多に起こらないことである。確かに迷宮の魔物が冒険者によって討伐されなければいつかは外に出現するようになるだろうが、本当に滅多にそんなこと起こらない。それは言うまでもなく、迷宮に潜るのが冒険者としてのひとつの仕事だからだ。迷宮に入り魔物を倒し、その魔物から取れる品を持ち帰る。これが主な収入源なのだから、冒険者が迷宮に潜らないと言うことは、冒険者がお金を稼ごうとしないと言う事と同義なのだ。それに一応冒険者ギルドにはその地に住む人々からの依頼があるし、迷宮の外にだって魔物は多く存在していて、それを討伐することだってある。
依頼と言えば、モノによってはかなりの高額な報酬が支払われたりもするが、しかし主な収入源はあくまで迷宮の魔物からだ。ギルドに寄せられる依頼は魔物絡みなのだから、当然の話である。
話は変わるが、冒険者ギルドにはそのギルドのある村や街、都市の人々から様々な依頼が寄せられ、冒険者はその依頼を大抵の場合はギルドから受注し、その依頼を完遂する為に行動をする。一人前の冒険者となるにはこの《依頼》をこなし、冒険者としての知名度を上げることが第一に挙げられるが、実際の依頼と言うのは中々にしけたものが多い。依頼内容は基本的に、どこのなにをこれだけ集めてきてほしい──と言うものばかりなのである。しかも軒並み報酬は低い。命を賭けて魔物と戦う職業柄、哀しい現実である。
だが、世の中には意外と知られていない事もある。
例えばそれは、依頼の報酬より、依頼で求められた素材をそれを扱う職人の所へ持っていけばそれ以上の金額になる──なんて事も多々あるのである。相場の上がり下がりが激しいものが多いので、仕方がない現実だ。だから堅実に稼ぐには無理して依頼を受けるよりも、自らの手足で集めた物をそれを欲する適切な場所へと持っていく事が一番なのである。ただし注意しなければいけないのは、一部のアイテムに限ってはギルドでしか販売禁止なものもあるので、その辺りはちゃんと知っておくのが吉だ。
「おーい、一匹そっちに行ったぞ~」
考え事はさておき、薄暗い迷宮の通路。レザーアーマーを着込み、片手に小さな斧を持つ、妙に愛くるしい顔をした小型の魔物が逃げ出し、リリーナの方向へと走り去っていく。
「そぉ~れッ!!」
その愛くるしい顔を、リリーナが振り被ったソードメイスが……いや、これ以上は何も言わないでおこう。
「い、一撃で仕留めたな。本当に治癒術士か疑わしくなってきたぞ……」
最後の一匹をリリーナが仕留め終えて一息つく。
モルステンの六迷宮のひとつ《モルステン地下遺跡》の第二十八層で戦闘を続けてもう四時間。昼前にも一度潜ったが、その時間も合わせると今日だけで七時間ほどは潜り続けているだろうか。
今の自分たちのレベルからして魔物の強さが随分とゆるい階層だが、長時間の狩りを続けるなら人の少ないこの二十八層は便利だ。二十八層には他の階層と比べて通路が広く、その割に魔物が少ないのだ。魔物の少ない階層には人はあまり滞在したがらず、魔物が多く出現する階層へ行く。それも上の二十七層と二十六層で出てくる魔物と変わらないせいもあるだろう。
しかし、ただ状態を保ちながら戦闘を続ける場合だと、人が少なく、通路が広く、そして魔物も少ないことが重要だ。当然それは不意打ちを防ぐためでもあるし、狭い通路じゃ立ち回りがうまくいかないせいもあり、人が多ければ必然的に戦う魔物の数も減ってしまう。だからこの《モルステン地下遺跡》第二十八層のように連続して同じモンスターが出現する階層の中で最も深い階層では、訪れた冒険者たちはさっさと先へ行ってしまう。
そんな状態にあることを利用して、独占的な状態を作り出し、優先的に出現した魔物を倒し続けられる。もちろん一度倒した魔物は新しく出現するまで多少のタイムラグがあるので、ちまちまと休憩が取れる。それに次の階層に行くためのフロアボスの部屋の前には魔物が一切近寄ってこないため、いざ休憩しようと思ったらそこへ行けば良いだけの話なのだ。
ボスの部屋の前には上層へ向かう階段の入り口前に帰還する魔法陣もあるし、一度ここまで来てしまえば戦闘を続けられる限り続けた方が利益になるのである。
要するに、無駄だと思われている場所こそが穴場なのだ。
──まあ、ここで手に入るものは《コボルト》や《ウルフマン》のドロップアイテムばかりだが。
しかし、如何なものだろう。狼獣人である狼人族がいるにもかかわらず、魔物として《コボルト》や《ウルフマン》と言うものが存在してしまっているのは、一体どういうことなんだ。気にしても仕方の無いことかもしれないが、どうしても気になる事って誰でもあると思う。
「今の群れで百匹超えたね」
「そうだな。リリィはレベルいくつになった?」
「え? えっと……68かな」
おお、随分と高くなったものだな。
俺とリリーナは同い年で十六歳で、俺たちのような年齢の冒険者のレベルは大体30前後らしいが、そう考えるとリリーナのレベルは凶悪だ。──まあ、レベル81の自分が言っても単なる嫌味にしかならないが。
ちなみにこのレベルは冒険者のライセンスカードで自動的に更新されていくので、ライセンスさえあれば自身の《レベル》と言う大体の強さが把握できるようになっている。このライセンス自体が所有者の体内の魔力を計る測定機のような役割を果たしているのだ。便利なものである。
「もうそこまで高くなると、コボルト相手に一撃で撲殺できるようになるんだな……」
うんうん、と愛くるしい顔ではなくなってしまったコボルトを見つめる。こうして死んだ魔物や力尽きた冒険者は迷宮に魔力として吸収されてしまう。魔力のリサイクルみたいなものだ。魔力も無限に存在するわけではないので、そういう循環も必要なのだろう。
「何よ、私が馬鹿力だって言いたいの?」
「そうじゃないけどな。リリィがライセンス買った半年前って、レベル14だったからさ。早いものだなぁと」
「クロだってレベル高かったじゃない。確かあの時は30……いくつだったっけ?」
「34な」
「ほら、おじさんレベル」
「年齢として見るな。なんか哀しくなるだろ」
こうして談笑できるくらいには、レベルと階層の違いがあり、戦闘も余裕を持って行える。
ちなみに三十四歳でおじさんよりもおっさんと言われたい。……いや、どっちも嫌だけど、感覚的にな。
「もう少し奥に行ってみるか? 三十四層だったらデビルリングとソードパンサー以外には居ないはずだし」
「クロがそう言うなら、私はいいよ?」
「ん……」
何と言うか、自分から提案しておいてあれだが、リリーナと冒険家稼業をしているといつも思う事がある。
リリーナは自分の我侭こそ言うが、妥協点を示すとすぐにそれを了承してしまう節があるのだ。妥協点の提案だけでなく、そして何かを勧めるとすぐに頷いてしまう。疑う事を知らないと言えばいいのか、あるいは信じ過ぎていると言うのか。騙す気も無ければ陥れる気も無いのだが、いつも彼女は了承してしまうのだ。
だから時々、不安になる。
「リリィはどう思う?」
「私は特にないかな? クロに付いてくだけだよ」
平然とそう言うリリーナに俺は溜め息を吐く。
本当に不安だな、こりゃあ……。
◇
《モルステン地下遺跡》の第三十四層まで来ると、つい一時間ほど前まで居た二十八層と比べて魔物の強さが一段階も二段階も上がる。冒険者たちが集めた情報では二十八層に出現するコボルトたちのレベルは30前後だが、三十四層の魔物はレベル50前後と一気に跳ね上がるのだ。六つ迷宮が隣り合わせに存在しているせいなのかは分からないが、自身のレベルに合う迷宮の階層へ何度も入り直すのがモルステンの常識なのだとか。
それを考えると、リリーナが嫌がった《地下墓地》にはモルステンに訪れた冒険者の殆どが一度は行った事があるはずだ。あの腐臭の中苦労しただろうなぁと、自分も苦労したからそう思う。鼻が曲がると言うか捥げると言うか、腐るんじゃないだろうかと思ったくらいだ。それほどに臭い。くさやなんて目じゃないだろう。
それはさておき、第三十四層に出現する魔物は二種類だ。
デフォルメされた悪魔の羽を持ち、そして半透明な丸い身体に妙に可愛い点の目と波線の口を書いた様な《デビルリング》。
四肢の爪から獰猛な牙が異様に発達し、鋭い剣のようになっている豹が《ソードパンサー》。
《デビルリング》と言う魔物は闇属性の魔法をいくつか使う他、魔物を召還するスキルを持っていて、羽のない色違いの《サーカスリング》を数体召還する厄介な魔物だが、魔法にさえ気を付ければデビルリングやサーカスリング自体は強くない。
《ソードパンサー》の敏捷性はかなり高いので奇襲に気を付ける必要がある。いきなりザックリ、なんて事もあるので気を付けるべきだが、一撃自体は重くないので爪や牙を強く弾けばその隙で首や頭を狙えば容易く倒せる魔物だ。
「二十八層よりも魔物の数自体は少ないけど、ソードパンサーだけには気をつけろよ?」
「クロこそ気を付けてね。前みたいに怪我されると困るよ?」
「分かってるよ」
この第三十四層に初めて来た時は、ソードパンサーに奇襲を受けてざっくりと一撃を貰ったのは良い思い出だ。骨こそ切断はされなかったが、足をやられて動けなくなってしまい、リリーナの援護と治癒がなきゃ死んでたかもしれない。結構本気で。
「ソードパンサーと取り巻きのサーカスリングは受け持つから、デビルリングの方は任せるぞ。《デュプレライト》の詠唱、噛まずにいけるよな?」
「うん、大丈夫。だからソード……」
「分かってるよっ」
まだ言うかこいつめ。
そんなこんなで三十四層を進み、五メートルほどの幅のある通路から大きな通路に出て、良さそうなポイントを探す。遺跡らしく崩れた柱がいくつもあるのだが、これでよく潰れないなと感心してしまう。しかし、迷宮が魔力を吸い上げてその形を作る以上、そう言うことは滅多にないらしい。滅多にないと言うことは過去には実例がある訳だが、迷宮は地脈から魔力を吸い上げることで大きな損壊を受けても自動的に修復してしまうらしい。
そんな思考をしながら数分進み続けるが、一向に魔物と遭遇する気配はない。もしかすると何処かに溜まってしまっているのだろうか。そんな場所をもし見つけてしまったら災難だ。《探索》スキルで周囲の構造が頭の中で理解できるが、《索敵》スキルで周囲に魔物が感じ取れない以上、確実に居ない。《索敵》は壁の向こう側は効果範囲外になるから扉のある部屋の中を感知できないので、最終手段としては扉を開けて確認直後、魔物が溜まっていたら全力疾走で逃げることになるだろう。
「お?」
無駄に思考に時間を費やしていると、やっと三十四層に来て初めての魔物が《索敵》の範囲内に入った。
「リリィ、三体来るぞ」
そう告げて鞘に納めていた刀剣《暗密刃》を抜き放つ。リリーナもソードメイスを持って身構える。
先頭の魔物が視界に入った瞬間、《移動》スキル《ブースト》で五メートル以上はあった間合いを一気に詰めて、《刀剣》アーツスキル《垂月》でソードパンサーの頭部を縦一直線に両断した。直後にその後ろに居たもう一体のソードパンサーが跳びかかって来て、その爪を振り下ろしてくるのと同時に刀を戻して爪を弾く。
「来たれ、凍てつく氷の槍よ。《フリーズランス》!」
後方で短い詠唱を終えて放たれた氷の槍が頭の上を通り過ぎ、弾かれて空中で無防備になったソードパンサーの身体を大きく穿つ。リリーナの魔法だ。
自分も氷魔法の《フリーズランス》は使えるが、この精度が出せないのでリリーナ任せだ。治癒術士でありながら他の系統の魔法を満遍なく習得しているリリーナは魔法職の後衛として充分な技量がある。
氷の槍の一撃で倒すまでに至らなかったソードパンサーに追い打ちをかけて倒し、僅かに遅れてやってきた三体目の魔物との間合いを詰める。
デビルリングだ。紫色の光がデビルリングの足元(足がないから身体の下だが)から現れ、詰めた間合いからすぐに離れた。遅れてデビルリングの頭上(身体自体がもう顔だが)に別の光が集まり、鳥の形を形成する。
闇魔法の《イービルショット》──魔法の発動。
すぐに放たれた闇色の鳥の三羽の内最初の一羽を避けて、自分に向かって曲がってきた二羽目を刀で斬り裂く。斬り裂いた鳥が爆発し、爆風によって三羽目の誘爆を誘って同時に後退する。後ろから戻ってきた最初の一羽も難なく斬り裂き、爆発させる。
《イービルショット》は闇色の鳥を形成して撃ち出す魔法で、さっきのように追尾してくる特徴がある。しかし、闇魔法の中でも早い段階で習得できる上にそれなりの追尾性能を持つために威力も効果範囲も狭い。武器などで軽く触れれば自ずと爆発してしまうのだ。もちろん、イービルショットの直線軌道はかなり早く、一度ミスでもしたならば直撃してかなり残念なことになるので、俺自身やれると感じた時にしか魔法の迎撃なんてしない。
「クロ!」
「ああ!」
逸早く気付いたリリーナが叫ぶ。やや遅れて自分も気付き、更に後退してデビルリングとの距離を取る。デビルリングの周囲に青の光芒が集まり、それぞれ形を形成していく。
《魔物召喚》。召喚されたのは知っている通りサーカスリングで、紫色の半透明な身体を持つデビルリングとは違う黄色の身体で、パーティーハットのようなとんがり帽を被った魔物だ。それが三体。一匹一匹はデビルリングよりも更に弱いレベル30ほどの雑魚だが、こいつらも魔法を使ってくるので注意が必要だ。《バレーノ》と言う雷の低級魔法で、意外に危険な魔法だ。何せ地面から雷撃が生えるんだから、咄嗟の反応で避けられるかどうか。ただ威力が殆どなくて多少の火傷と感電状態になる程度なので、魔法に対する抵抗力が高くなっている俺やリリーナだと殆どダメージがない。
だがあの強い静電気に触れてバチッとなる感覚はどうにも好かない。
威力が殆どないって言っても、感電とか嫌だろ、誰でも。
そんな思考の中で身体を別に動かし、腰のベルトから鏃のような形状をした投擲短剣を四本抜き取る。左手が閃き、四本同時に投擲すると同時に投擲したそれは青い光を纏って一直線に一匹のサーカスリングを貫いて四散させた。
《投擲》アーツスキル《スクエアシュート》。
四本の投擲短剣を同時に投げるだけのアーツスキルだが、普通に投げるより格段に威力が増す。俺自身のSTRも中々のもので、物理防御全般に劣るサーカスリングのようなレベルの低い魔法生物ならそれで事足りる。ただ使った後に消えてなくなるので拾って再利用が出来ないのが哀しい所。
「集え聖光。破邪の剣となし、邪悪なる彼の者を討ち祓え。《デュプレライト》!!」
リリーナが事前に頼んでいた悪魔や不死型に強い《祓魔術》スキルの《デュプレライト》を発動させ、出現した六本の光の剣がデビルリングを貫く。……が、殺し切ることはできなかったようで、見る限り瀕死ではあるがまだ動いている。
再度詠唱に入るリリーナを余所に残るサーカスリングの一体を刀剣スキルの水平斬り《別津》で斬り捨て、最後の一体を魔法の発動の寸前に同じく《別津》で二枚に下ろす。絶命したサーカスリングはそのゼリー状とも言える身体を爆発させるかのように弾け飛んで死体も残さないが、ドロップアイテムをきっちり残すのは何なのか。三体目のサーカスリングが弾けて消えた後に二発目の《デュプレライト》がデビルリングをまた貫いてその身体を四散させた。
「ん、余裕だな」
「うん。問題無いよ」
そう余裕の声を上げて、いそいそとドロップアイテムを回収する作業。どうして魔物を倒せばアイテムが手に入るのかは不明だが、あくまでそれは迷宮にのみ限られる。迷宮で死んだ魔物や人は迷宮に吸収されて何も残らないが、それは全てが吸収されるわけではない。吸収されなかったものはドロップアイテムとして残るのである。
ただ、迷宮の外で遭遇する魔物は迷宮に吸収されることがないため、そのまま死体がそっくりそのまま残る。倒した魔物から何かを得ようと思ったなら、わざわざ解体したりしないといけないので、大抵の冒険者は迷宮の攻略に勤しむのだ。
「そう言えば、前にドラクネ山脈の麓に行った時に戦った亜竜種の《ワイバーン》の解体は中々のグロさがあったな」
「うぇえ……やめてよ、その話ぃ」
リリーナがげんなりとして聞きたくないと耳を塞ぐ。それも仕方ない。あの時は依頼のためにワイバーンの頭骨を取りに行った訳だが、当然目標を狩ったら依頼の品を持って帰らなきゃいけないわけで。うん、苦労したな。
亜竜種は良くも悪くも竜種の一種なので鱗に目や牙、爪に骨から肉、内蔵までが中々の値段でギルドが買い取ってくれる事もあり、冬の氷点下の中で一日掛けて解体したものだ。
……その間リリーナは気を失ってたけどな。
「そう思うと、迷宮はそういうのがなくて楽だなと思ってな。残るか残らないかは運なんだけどさ」
言いながら俺はデビルリングがドロップしたらしい《悪魔の円環》を拾い上げる。
「なかなか珍しいのが出たね」
「いきなり運が良いとあとで悪運が回ってくるんだぞ」
リリーナの言葉にそう返し、《悪魔の円環》を腰のベルトにぶら下げられた無蔵の麻袋の中に放り込む。
《無蔵の麻袋》は魔法によって内部の空間に物を収めることのできるマジックアイテムだが、実際には俺が呼び出せるアイテムストレージと同様に、袋に入れた先からデータ化され、無蔵の麻袋の許容量分だけ格納できることが分かっている。重量値の制限もあるので意外と面倒臭い代物でもあるのだが、俺はアイテムステータスをタップする事で視認可能にできるので、埋まったアイテムスロットや空きスロット数、重量値の限界まで一目で分かってしまう。
微妙なものだが、便利なそれについてはちょっと優越感。
もちろん、他の冒険者たちに不審に思われないために今では後悔の半分くらいを返上できているわけだが、これの使い勝手はなかなか悪い。中から目的のものを手探りだけでば正確に取り出す事はできないので、部分的にオブジェクト化されたアイテムが何であるかを覚えておかなければいけない。
これを販売している冒険者ギルドに問い合わせてみると、これを製造しているのは何でも《教会》らしい。しかもその教会は世界各国に点在している大陸の南方にあるプロトプラン聖教国を総本山にしていて、様々なものを各国に均等に与えているのだとか。
様々な物資を世界各国と取引している点では、あまり良さそうな雰囲気が感じられなかった。何故か? そんなもの、いくら世界に影響を与えている聖教国だろうと無限に物資が湧いて出てくる訳がないのだ。聖教国のある場所は殆どが砂漠で、砂の下からこれと言って資源が得られる訳でもなければ、植物さえ碌に育たない場所だと聞く。実際に行ったことがないから知りはしないが、それでも聞く話からして明らかにおかしいことは分かる。
いつかそんな聖教国に行って直に見てみるのも有りだろう。
──当分、行く気は起きないだろうが。
「んー、悪魔の円環が出たなら防具を作ってもいいんだけどなぁ」
思考を余所にそんなことを言って、再び周囲を警戒する。
「何か作れるの?」
「ああ、頭に付けるカチューシャがね。まあ、《悪魔の羽根》と《ビクリマの樹脂》が必要だから、結構面倒臭いんだけどな」
「ふぅん? 聞いただけじゃ防具としてはあまり良さそうじゃないみたいだけど」
と、リリーナは少し考える様な顔をしながらそんな事を言う。リリーナの言動も流石に冒険者らしくなってきた、と言うところだろうか。半年も迷宮に入り浸ったら誰でもそうなるかもしれないが。しかし、リリーナが言った事は的を射ていた。作れる装備は確かに防具としてはあまり意味がない。
実際に作れて装備としての効果が発揮されるかどうかは不明だが、これらの材料で作れる《黒い羽根のカチューシャ》は、CCOではアバターアイテムのひとつだった。装備自体も特別な効果がある訳ではなく、防具として使用するよりは単なるオシャレに近いものがあったのだ。
「まぁな。どちらかと言えば見せびらかすための物だろうし」
覚えている限りではCCOでの相場はけっこうな高額だったからなぁ。自分は金持ちですとアピールするようなものだ。
「っと、それよりまた来たぞ」
《索敵》に新しい魔物が引っかかり、俺とリリーナは戦闘態勢に入った。
◇
地下遺跡の迷宮を一日中篭り続け、適当な所で切り上げる。そんな味気の無い生活をして毎日を生活していると、自然と日常生活も味気の無いものになっていく。
モルステンに来たばかりの頃は情報収集をして色々と学びながら、二人で市場を散策したり、武器屋や防具屋を見て回ってはこれがいいだのこれはだめだのと言い合っていた。まるで故郷を失った事を忘れようと二人で旅と言う思い出を作ろうとしていたかのように、少しは焦っていたところがあるのかもしれない。今となってはそうしたことで互いに村の話が出てしまった時も自然と話せる様にはなったから、決して急く事が悪い訳ではなかった。
それに味気ない生活と言っても、これと言ってリリーナとの仲が悪くなっている訳でもなく、逆に日々成長していく自分たちに喜んでいたくらいだ。モルステンで冒険者ライセンスを購入する時は、わざわざライセンス無しで受注出来る迷宮に関わらない依頼をこなしていたし、モルステンに訪れる以前に居たタリバの街で無名の冒険者としてそこそこ名は売れていた上に、タリバの冒険者ギルドで推薦状も書いてもらうくらいには有名だった。
推薦状を書いてもらうことになったのは、地下遺跡で思い出した《ワイバーン》の素材集めが功績としては一番大きかっただろう。何せタリバの常駐冒険者が誰も受けなかった依頼をわざわざ受けて完遂して見せたのが切っ掛けだ。お陰でモルステンでは期待の新人として冒険者になった。
いつしか《黒ずくめの屠殺者》と呼ばれる様になったのは、モルステンの六つの地下迷宮の浅い階層で延々と魔物を倒して回っているために付けられた二つ名ではあったが、厳密には違う。噂を知る者の殆どが蔑称としてそう言うが、実際にそう呼ばれ始めたのは、モルステンの迷宮の未踏破地区だった場所まで赴き、生還したためだ。
永きに渡り冒険者たちが集まる迷宮都市と言われるモルステンの地下迷宮はその間ずっと冒険者たちが迷宮に挑んでいるが、実の所完全踏破された迷宮はひとつもない。もちろんこのモルステンに集まった冒険者たちが皆不出来だったと言う訳ではなく、地下迷宮の底が見えない為に行き帰りを考慮した上で、結果として踏破されるに至っていなかったのだ。
地下遺跡、地下庭園、地下回廊、地下墓地、地底湖、大洞窟の六つがそれぞれ迷宮らしく人工的な造りな上に入り組んだ構造を成していて、どれもが地下七十層まで踏破されている訳だが、それ以上は日帰りできなくなる。何故日帰りする必要があるのかと言うと、モルステンの地下迷宮の性質の所為で、日付が変わると同時に魔物が大量発生することが稀にあり、それに度々被害者を出してしまうらしい。そのためモルステンの迷宮は日帰りすることが常識とされているのだ。
しかし、その壁を一日でぶち破ってしまったのが、俺とリリーナのペアパーティーだったのである。
本当の所はそんな危険な性質があることを俺たちは知らずに、行けるとこまで行ってみようとしてどんどん深くへ潜り続けた挙句、地下庭園の第七十五層まで到達し、強力な魔物が蔓延ることで有名な《ゲオルグの塔》と同じ大型の植物型魔物 《カニバルポットプラン》 を倒し、帰還してしまった。
ちなみに《地下庭園》の七十五層は魔物の強さが推定レベル80ほどで、そこに辿り着いた当時のレベルは俺が60ほどだったので、正直カニバルポットプランとの戦いで何度も死にかけている。あそこには二度と行きたくない。その際に手に入れたカニバルポットプランの体内から得られる琥珀に似た宝石《吸血石》と言う血を吸って魔力へ変換してしまう非常に稀少な石を手に入れて、一躍有名人にまで上り詰めてしまったのである。
後にモルステンの地下迷宮の性質を知った俺たちは安全を考慮して浅い階層で日帰りでき、かつ効率良く魔物を倒す方向で潜り続けていたのだ。そうして付けられたのが《黒ずくめの屠殺者》である。他にもいろいろと囁かれていたが、定着したのはそれだけだった。
だが有名になった所で別に特別な事がある訳ではない。確かに前人未到と言われた階層へ知らずに突撃してしまったし、カニバルポットプランなどと言う化物を相手にして戦い、倒して戻ってきてしまったかもしれないが、しかしたった一度の功績で特別な事はない。それ以来冒険者ギルドに寄せられる依頼の中で指名してもらうこともあったが、別に依頼主が冒険者を指名して依頼を出すことは意外と普通にあることで、言ってしまえばやっと認められたというようなものなのだ。冒険者の目から見れば功績を挙げた冒険者の事は羨ましくも妬ましくもあるかもしれないが、しかし、特別な利益に繋がる訳ではない。
要するに、当事者である俺やリリーナから言ってしまえば、名声や指名依頼が欲しい訳ではないので、変な注目を浴びて失敗したと言う気持ちでいっぱいなのである。
──いや、リリーナがそう思っているかどうかは分からない。前に迷宮で役立つ装飾品を装飾品を売っている店に漁りに行った時、わざと黒いアクセサリーを買おうとしていたから、あながち良くないと思っている訳ではなさそうだった。
まあ、ともあれ《黒ずくめの屠殺者》と言う二つ名で呼ばれる俺やリリーナは、モルステンの冒険者の中でもそれなりの高レベルを維持しているのだ。
レベルが高ければ当然報酬と難易度の高い依頼を受けられるようになるし、利益は当然増える。リスクも増えるが、自分たちのレベルを考慮して少し難易度の低い依頼を受注すれば増えるリスクも減らせて、安全に金を稼ぐ事もできるのだ。
「と、依頼の事を色々と考えていた訳だけど」
延々と無駄な思考をしたところでリリーナに向き合う。
「どうかしたの?」
「いや、最近は迷宮に潜って拾って来た素材とかギルドに売って換金してるだろ? 今思うとここ一ヶ月はまともに依頼を受けてないな、と」
そう言うと、リリーナが頷く。
「うん。この所はお金に困ってないし、貯金は金貨三枚あったよね?」
訊かれてメニューを呼び出し、アイテムストレージを開く。このアイテムストレージには貴重品を保存する為に使っていて、貨幣ももちろんこのアイテムストレージに格納している。金貨や銀貨、そして銅貨はアイテムと見做されてデータ化されていてそれぞれ枚数が確認しやすく、盗まれることもない。良い事尽くめだ。
で、件のその貯金はと言うと、フィッドガルツ金貨が四枚、同じく銀貨が二百十四枚、銅貨が六百二十八枚。そして行きつけの店での《借書》が数枚。
ちなみに《借書》と言うのは結構当たり前に存在しているもので、金貨、銀貨、銅貨の価値が大きく異なるため、それを和らげるために存在している要素が強い。例えば銅貨七百五十枚の買い物をした時、銀貨一枚で支払った場合に発生する銅貨二百五十枚分のお釣りを渡す際、数えたりわざわざ大量の銀貨を持たせる訳にもいかず、そうした場合に用いられるものだ。お釣りである銅貨二百五十枚は後に渡す、あるいは再度訪れた時にその二百五十枚分は無料となると言うことを書き留め、印を押したものが《借書》となるのである。そうして書かれた《借書》は他の店での取引に使用することもできるし(断られる事もある)、その借書を書いた店が所属する商会で貨幣に交換することもできるというものであり、広く使われている。
「借書抜きで金貨は四枚あるぞ。銀貨は二百十四枚、銅貨が六百二十八枚」
ちなみに金貨一枚で当分は遊んで暮らせる額だ。
ついでに言うと人ひとり宿で三食食べて一月生活すると大体銀貨二枚であり、貧しく生活した場合でも銀貨一枚かからない。ここまで言うと銀貨千枚分の価値である金貨がどれほどの金額か理解できると言うものだろう。
「じゃあ別に無理して依頼を受けることもないんじゃないかな? クロがやりたいって言うなら私は構わないけど」
「いや、別にやりたいって訳じゃないんだけどな。ほら、俺たちだってずっとモルステンに居るつもりはないからな。そろそろ拠点を移す時期かなと」
「う、うん?」
リリーナが良く分からないと言った表情で首を傾げてしまう。
「…………ああ、いや、な」
何故か見惚れて自分が恥ずかしくなった。
これが《チャーム》か!──いや、そんなスキルはないが。
と言うかここ最近は迷宮に入り浸ったりであれだったが、改めて見るとリリーナは美人だと思う。事実リリーナ目当てに近付いてくる冒険者たちが後を絶えないし、柄の悪いクソどもを何度血祭りにあげ──ではなく、半殺し……でもなくて、説教してやったか数えても数え足りない。それにリリーナは全体的に整った顔立ちや体型だ。こう言うとアレだが、抜きんでたものがある訳ではない。しかしそれが控えめさを醸し出していて、冒険者稼業をする身だとは到底思えない。もちろん女性の冒険者が総じて悪いとは言わないし、このモルステンにも美人だと有名な女性の冒険者は結構居る。比較した事がないので何とも言えないが、リリーナが特別美人だと言う訳ではない。
ついでに胸は大きいとも小さいとも言えないけれど、多分丁度良い大きさ──
「ぬぉらッ!!」
ゴンッ!!
「ちょっ、クロ!?」
鈍い音が鳴る位に思いっきり木卓に頭を打ち付ける。
何を馬鹿な事を考えているんだ、俺は。
「い、いや……何でもない。まあ、ともかくさ、そろそろ違う街に行こうって話さ」
「え、あ……う、うん。分かったけど……おでこ、大丈夫?」
「…………痛いです」
うん、痛い。
と言うか、木卓に若干罅が入ったけど、これ宿の主人に金取られるんだろうか。……取られるだろうな。
「ほら、見せて? 一応ヒールかけとくから」
「お、おう……悪い」
……馬鹿だな、俺は。