それは、いつもと変わらない日常が続くと思っていた自分の愚かさだった
「そうか。ゴン、数はどれくらいいるか分かるか?」
「いや、さすがにそこまでは見てねぇが、洞窟の外にいた奴らだけでも六匹はいたぜ」
「六匹……それならオレたちでも何とかなる」
「待てよクーン。洞窟の外にいた奴らだけなんだ。中にどんだけいるか分かんねーだろ」
「ゴン! そうは言ってもここであいつ等を倒さなくて村が守れるかよ!」
「そんな事は分かってる! でも死んだら元も子もないだろ」
「くっ……!」
「とりあえず、俺が見たのは六匹だ。クロ、どれくらいいると思う?」
「……そうだな。俺の知ってる事が確かなら、ゴブリンは群れで行動する。規模までは分からないけど……ゴン、そのゴブリンたちは監視みたいに立ってたのか?」
「ああ、そうだ。ありゃ見張りだったよ。最初は四匹だけだったんだがな。隠れて見てたら洞窟の奥から二匹出てきて見張りを交代してたみたいだったぜ」
「巣の見張りに四匹か……。厄介だな。違ってくれるとありがたいんだが、もしかすると中には十匹以上いてもおかしくない」
「十匹以上って、滅茶苦茶いるじゃねぇかよ!」
「クーン落ち付けって!」
「これが落ち付いていられっか! ヒューゴ、お前だって親父が殺されただろ!?」
ゴブリンの巣の発見の報があった翌日。
俺は同行する青年団の若き青年たち──と言っても自分と年の差は殆どない──と情報の共有を行っていた。
当然自分は俺の記憶にある《CCO》の情報に基づいての推測のため、ただ恐怖を煽るようなことしか言えないが、けれども覚悟してもらう必要はある。誤りであってほしいが十六匹以上はいると思われるゴブリンの巣に、自分とたった七人の青年団の合計八人で戦うのだ。数的に圧倒的不利があり、単純計算でも一人頭ゴブリン二体を相手にすることになるかもしれないからだ。
運良く自分が数体倒せたとしても、危険は多いし、自分の力を過大評価されても困る。村を守るために戦うと言う意志は強くとも、生きて帰って来なければ意味がないのだ。
やっと馴染み始めたアスクートの村を脅かすゴブリンたちを、死者なく討伐せしめるなんて無理難題だ。
それでも、やらなきゃいけない。放置してはただ危険が増すだけだ。
一応襲撃後にゴブリン討伐の依頼はグラファナの街の冒険者ギルドに出していたが、その受注報告は巣の場所が発覚した昨日に届くことはなかった。だから、自分たちでやるしかない。
「皆、聞いてくれ! まず四人ずつのパーティーを作る。できるだけ力が偏らない二つに分かれて、代わり代わりに前衛を務めて後ろに回った者は前で戦う仲間の援護をするように慣れてくれ」
そう青年団の七人に告げると、それぞれ話し合って二つのパーティーを作り始める。
「クロはどうするんだ?」
「俺も含めて八人だからな。俺自身どこまで戦えるかは分からないけど、三人になった方に入れさせてもらう」
「分かった。じゃあミッツ、ケビン、ローエンの方に入ってもらっていいか?」
「ああ、構わない。あのゴブリンたちは油断さえしなければ一匹ずつならここにいる皆一人一人でも何とかなるはずだ。昔から仲がいいなら、二人一組で一匹を倒しにかかれば充分にやれるはずだ。けど、リーダー格の図体のでかいゴブリンには気をつけてくれ。あいつも絶対にその巣にいるはずだ」
「おう」
「でも、正直に言って八人じゃ少なすぎる……他に頼めないのか?」
あまりに人数が足りないと俺はそう訊くが、皆の顔はあまり良い表情ではない。
「それができたらいいんだけどな……。前の襲撃の時は三十匹ぐらいの群れだったんだ。ゴブリンナイトは一匹だったが、他にも巣があるかもしれねぇ」
「……つまり、村の守備は外せないのか」
「ああ……」
酷い状況だ。前々からそうした話はしていたが、やはり無理なのか。
その後、どうしようもなく討伐のための作戦会議は進み、午後には二対一で優位に立ち回れる行動と四人一組での動き方を教え続け、一日が終わる。
翌日には再度連携を確認し、巣の位置の確認と共に偵察し、監視のゴブリンが二匹になるタイミングを見た後、村に戻って更に作戦を煮詰めた。
◇
三日、四日と時間が過ぎていく。
ゴブリンの巣の位置が特定できてから五日目。村の人々と何度も相談し、討伐隊が再編に再編が重ねられ、けれども見つかったゴブリンの巣のそのすぐ近くに別の巣が見つかると、村の守備と討伐隊の再編がまた繰り返される。
「いいか? 意識を集中して、一気に真横に剣を振り抜くんだ。……ハッ!!」
右手に構えた直剣を左から右に一閃すると、刀身が淡い白い光を帯びてその軌跡を残光として僅かに残す。
「模擬戦を繰り返した後、間を置いてもいいからこの《スラスト》を試してみてくれ。もしも白い軌跡が残れば成功だ。これがあれば普通に斬り付けるよりは威力がある」
村の一角で集まった討伐に参加する村人たちにそれぞれ《直剣》が扱えるようになるまで戦闘経験を積ませる。個々の差はともかく、村人たちは誰もが一度は剣を手に取ったことがあると聞いているため、《直剣》アーツスキル《スラスト》の習得は比較的早いはずだ。
「昨日も同じ事やってたけど、本当にこれでいいのか?」
「ああ。単に剣を振るのと《技》を使うのとでは全く違う威力になるが、やっている事だけは実際の所あまり変わらないんだ。使うか使わないかは意識の問題で、使えるようになるまで武器を持って戦いを経験する必要がある。特に剣を持って実戦を一度でも経験してるなら、使えるようになるまでそう時間はかからない」
しかも経験談だ。この一ヶ月で《直剣》のアーツスキルが何個か使えるようになったため、上手くすれば誰もが覚えられることが実証され、その上で戦力が大きく上がる。
賭けではある。それでも賭けるには充分な価値と自信がある。
もちろん、予想されるゴブリンの数相手にこれで絶対に村が救えるとは思わないが、それでも絶対と呼べる方向へ押していかなきゃいけない。
「昨日も言ったけど、当日に動ける人数は少ないんだ。それでも死者を出さないように二対一で戦える状況を作れる立ち回りと、《技》による可能な限り早い殲滅が求められる。だから、今できる一番の手に尽くすしかない」
そう言って、目を伏せる。
戦わなきゃ死ぬ。
──今までそう思って戦ったことはなかった。ゲームなら多少無理をしたってHPを回復させればよかったし、死んでもセーブポイントやらリスポーンポイントやらに戻るだけだった。
でも、そうじゃない。
戦わなきゃ本当に死んでしまう。誰も死なせないようにすることが最優先だ。
「それぞれ一対一の模擬戦をして経験を積む。一度戦闘を終えたら勝ったものが別の試合で勝った者と戦って、それを五回続けるごとに休憩を挟む。昼には一度が発生させられるかテストするから、そのつもりで居てくれ」
そうしてまた、一日の訓練が終わっていく。
最終的には連携は良いと言えるほどにはならなかったが、動けるようにはなった。青年団から参加する十数名が直剣アーツスキル《スラント》を使えるようになり、これで随分と楽になるはずだ。もちろんそれはただ殲滅力と生存率が幾分か上がっただけに過ぎないため、安堵するには程遠いものだ。
明日に行われる討伐に不安感はいくらでもある。
念のために街の冒険者ギルドで出しておいた討伐依頼は受注される様子もないのでは、戦力不足は分かりきっていた事だ。村人と共に戦う時点で、冒険者たちには村に高い報酬が支払えないと言う事を知られているようなものだし、確かにそうそう依頼は受けてもらえないのだろう。だからと言ってこのままゴブリンの巣を放置しておくのでは今後更に危険が増すばかりで、これ以上ゴブリンが集まる前に手を打たなければいけない。
そう悩む中で違うゴブリンの巣が発見され、村の守備と討伐隊の数の調整をしなければいけなかった所為もあり、後も先もない状況でできることが殆どなかった。そのこともあって実際に訓練をした青年団の七人の他は実際の戦力としてあまり期待はできない。
はっきり言えば、当初組まれた自分を含めた八人にしか実戦は難しい。
更に言ってしまうならば、その八人さえも、戦えるかどうか分からない。
怖いのだ。
本当に戦う事が。
いくら最初から付き合いのある青年団の七人が実際に戦った事があると言っても、それは数度、近くに出没した《タイドボア》と言うイノシシの魔物を倒しただけ。
それは自分も例外ではなく、最初こそ痛くともただの仮想世界だと思い込んで我武者羅に戦ったものの、後になって震えたものなのだ。あれ以来青年団と同じく近くに出没した《タイドボア》を何頭か倒しただけで、実際に戦ってみた経験からゴブリンとは比較にならないほど弱い魔物だった。
そんな自分たちで、この辺りでは滅多に現れないゴブリンを相手にするのは──難しい。
表にこそ出さないようにしているが、痛みや苦しみが本物と言えるものであるこの世界で戦うには、痛みや苦しみに対しての恐怖があまりにも足らない。
「馬鹿だな、俺は……」
村人たちに期待をさせて、今更怖いなどと。
腰に吊られた剣が、異様に重く感じる。
命を奪う武器の重さ。それは、CCOでは感じられないものだった。
日がとっぷりと暮れて、夜が訪れる。リリーナが用意してくれた夕食を胃袋に収めて、無料で貸してくれている宿の自室へ戻ると、木窓を開けて外を眺めた。季節は秋だと言うのに、夜の闇の中で森の鬱蒼とした緑は何とも言い難いものがある。一年中緑が見られると聞いているので、この森一帯に生えるラフコフと言う樹木はきっと常緑樹の森なのだろう。
コンコン──。
部屋に戻って間もなくノックの音が聞こえる。この時間帯に訪れる客人は居らず、今は休業している宿の主となったリリーナしか居ない。
「入っていいよ」
そう促すと、控えめにドアが開かれて、リリーナが部屋に入ってきた。おずおずと部屋に入って来る様子に苦笑しながらベッドに座るように促し、自分は椅子の方に移動する。
「それで、どうしたんだ?」
「うん……。明日、戦いに行くんだよね?」
「あ、ああ……そうだな。このまま放置しておくわけにもいかないしさ」
「そっか……」
リリーナは言って、顔を俯かせてしまう。きっと、心配してくれているのだろう。
「まあ大丈夫さ。相手は人の武器を持っただけの魔物。倒すだけなら、難しい事じゃない」
少しは気分が軽くなる様に俺はそう言ってやるが、しかし、それは半分以上が嘘だった。
確かにゴブリンを倒すこと自体は難しいことではない。顔や首、胸などの急所を狙えば、一撃で仕留めることだってできる。けれど、それはある程度の戦い方を身に付けて、一撃で当てられるほどの正確さと威力が必要だし、もっと言うならそれはあくまで一対一での場合に限られる。
要するに、予想の数より少なく、実戦経験の浅い討伐隊ではそれは難しい。数も実力も劣る自分たちでは、そう簡単にはいかない。
「本当に?」
そう訊かれて、自分は咄嗟に答えることはできなかった。
無駄に考えだけが進み、対応ができなかった。
「……あ、ああ。大丈夫さ」
だから。
「嘘だよ……」
すぐにリリーナが言った。
「お父さんもそう言って、死んじゃったんだよ……?」
「…………」
次に言われたことには、言葉を失った。
あの日、自分の目の前で殺された、リリーナの父親の姿が脳裏を過ぎる。
──そうか。
「……この剣は、リリーナの親父さんが使った剣なんだな」
そこでやっと気付いて、机の上に置いたままの剣を手に取った。自分がこの部屋で初めて目覚めたあの襲撃の時、リリーナの父親の剣を持って戦ったんだ。
それはどこにでもあるような、質素な剣だ。《直剣》の中のショートソード。ゲームで言えば一番最初の武器のような位置づけで、実際にステータスを見てみれば性能も低く、特別な効果もない。
けれど、特別な物……なのだろうか。
「村長の所に行けって言って、お父さんもお母さんも、戦いに行って……」
確か、リリーナの母親も村では腕っ節が強かったと聞いている。どれだけ強かったのかはもう分からないが、それでも村の為に戦ったのだろう。
そう思うと、自分が情けなくなる。
戦うのが怖いなどとは絶対に言えない。
「心配になって家に戻ろうと思ったら、魔物に見つかって……そこでクロに助けられて……」
──お父さんの剣を持ってたんだ。
リリーナはそう言って、溜まっていた涙を吐き出す様に泣き始めてしまう。
そう、ただの結果論なのだ。
俺がこの村を救ってどれだけもてはやそうと、それは結果論に過ぎない。村を助けただけで、人を助けてはいないのだ。確かにリリーナや五人の村人を途中で助けることにはなったが、厳密には救えていないのだ。それに、助けようと言う考えがあった訳ではなかい。ただ感じた恐怖から逃れる様に、ゲームだと思い込んで戦っただけ。
ただただ、恐怖から目を逸らしただけなんだ。
「上手い言い方はできないし、慰めるなんて多分、初めてのことだから慰めにもならないかもしれないけど……」
そう言葉を区切って、リリーナの頭を優しくそっと撫でる。
「俺には、助けられなくてごめんと謝れないし、助けたかったって後悔も出来ない。何も知らないし、何もわからない。だから、その……どう慰めていいか分からないけど、もう一度だけ、ちゃんと泣こう? 辛いことを言ってるかもしれないけど、悲しいことを溜めていたら、そのうち潰れてしまう」
自分の事を殆ど覚えていない俺には、家族の記憶のひとつもない。だから親を失うことを経験しているかしていないかすら分からないけど、悲しいことは全部吐き出してしまった方がいい。そうしないと、心が潰れてしまう。
忘れろとも、忘れなるなとも言えないから、ただ辛いことや悲しいことは泣いて全部吐き出してしまえばいい──そうとしか言えない。
他に言える事とすれば、きっとそれは──
「俺は絶対、死なないから──」
何の根拠もない、気休めでしかないそれだけだろう。
「俺は絶対、帰って来るから──」
そうして、夜を越えていく。
リリーナに二度も救われたこの命は、きっと仮想のもので、きっと一度死んだところで変わりないかもしれない。
何もかもが嘘でしかないかもしれない。
それでも、俺は──クロと言う名前を与えられた俺の居場所は、此処なんだ。
いつか俺は此処から居なくならなきゃいけないかもしれない。それはきっと必ずそうなってしまうだろうけど、それまでは──
「絶対に、君を守るから……」
◇
「……いいか? 絶対に一人で戦おうとするな。二人一組で叩き潰せ。危険のようだったらパーティーの他の二人の援護も忘れるなよ?」
翌日の正午。
自分を含めた二十四名の討伐隊は二手に分かれて、近場にあるゴブリンの巣を二つ同時に襲撃する事となり、それぞれ行動を開始した。
「やってやるぜ……!」
抑えた声で意気込んだのは、村一番の力持ちを自負するクーンだった。
二部隊はそれぞれ戦力を分散し、自分のいるこちら側は《スラスト》持ちが自分を含めて四人。他に使える者は全員もう一つの方へ行ってもらっている。必ず勝てるという保証はどこにもないが、安全性と迅速性を考慮しての構成だ。
全員がそれぞれ直剣を持つことは構成上できなかったが、可能な限り上質な槍や盾を鍛冶士のマグナさんに頼み、急造ながらも戦えるだけの装備は調達した。
あとは、ゴブリンの警戒が薄くなるまでま待つだけだった。
「ゴブリンが二匹になったタイミングで最初は四人で一匹ずつ倒す」
「そしたら倒したゴブリンを木の陰に隠す、だろ?」
先読みするように言ったゴンに対して頷き、隠れて見張りが二匹に減る機会を待つ。それぞれが剣を持ち、その手に汗を握るのが分かる。緊張の色だ。冷静に機会を待ち続ける自分もまた、手に汗を握っている。殺すか殺されるか、その瀬戸際なのだ。
そんな緊張の中、ガサッと草木が無造作に擦れる音が自分たちの後ろから聞こえ、全員が各々の剣を構えて一斉に振り返った。ここで、誰一人声を上げなかったのは幸いだっただろう。
「あ、あのっ……!」
物音の正体は、リリーナだったからだ。
「リリーナ!? どうして此処に!」
ゴブリンに気付かるのを気にして声のボリュームを下げながらクーンが訊く。クーンが逸早く訊いていなかったら、俺も同じことを訊いていただろう。
「わ、私もっ……私も戦います! これでも治癒術で傷を治せますから、絶対に足手まといにはなりません!」
切羽詰まったかのようにそう言うリリーナの目は言葉を終えても尚自分に向けられていた。真剣だった。真摯だった。
「……村に戻れ、リリーナ」
だが、その思いには応えられない。きっとこの場にいる誰もがそう言うはずだ。
確かに治癒術が使えるリリーナがいるのは心強い。けれど、リリーナが怪我をしてしまったら意味がないのだ。
「私だって村を守りたいんです!」
「けどな、リリーナっ。戦ったら死ぬかもしれないんだぞ!」
再度請うリリーナに村の大人が言う。それに引きずられる様に他の皆もまた村に戻れと催促した。
それでも、リリーナは言う。
「もう、誰にも死んでほしくないの!」
それは、叫びだった。悲痛な叫び。そして──
「ッ──!」
その叫びは、殺気を呼んだ。
襲撃の時にも聞いたゴブリンの声が聞こえた直後、すぐ背後で感じていた僅かな風に異変を感じ、身の毛のよだつ殺気が寒気を与えた。
「チィッ!」
振り返ると同時にすぐ背後に迫っていたゴブリンが振り下ろした剣を受け流す。無理な防御に右手が僅かに痺れ、顔が歪んだ。
「くそっ、ばれちまった!!」
「う、うわあっ!!」
想定外の混乱が訪れ、いきなり戦闘に突入する。すぐに体勢を立て直して再度振り下ろされた剣を受け流した。
「全員作戦通りに行くぞ! クーン、洞窟前の奴を逃がすな!」
「お、おうっ!」
混乱の中で他と比べ呆気に取られただけのクーンとレイドさんに洞窟前のもう一匹を任せ、目の前のゴブリンを殺す事に専念する。急なことに他の五人が追い付けない中で、ヒューゴが二人一組で戦う場合の相方を勤めるダルフを連れて、すぐにクーンとレイドさんの援護に向かい、交戦状態に入る。これでまずはばれずに済むかも知れない。
「ッ──!!」
この一ヶ月近くで振り慣れたショートソードで相対するゴブリンの剣を強く弾き、僅かに後ろの四人に目をやる。討伐隊の半数以上は顔に恐怖を浮かべていて、とても戦える状況じゃない。くそっ、この土壇場でこれか!
「シッ!」
三度のパリィングの後、大きな隙が出来たゴブリンの顔面に剣を力の限り突き出し、頭蓋を砕く感触を感じながら深く深く貫いた。
「リリーナは狙われないように下がってろ! ミッツ、ジョン、ローガンさん! 怖がってたら殺されるぞ! 生きる為に戦え!!」
後ろの四人に怒鳴り付け、気付けを行い、すぐにクーンたちの援護に走る。そこでクーンたち四人がゴブリンを仕留めるが、騒ぎを聞きつけたのか洞窟の奥から四体のゴブリンが外へ出てきた。
「くそっ、出てきやがった!」
クーンが毒づき作戦通りに二人一組でまた戦い始める。だが、相手は四体だ。
「ジョン、ローガンさん、一匹任せる! ミッツ、援護しろ!」
そこでようやくこちらの三人も動き始め、それぞれ様々な色を含んだ叫びをあげながら接敵する。三つ目の四人パーティーも後に続き、これならまだ何とかなる。他のゴブリンが出てくる前に仕留めさえすれば、今よりは戦況は悪くならないはずだ。
改めて覚悟を決めて、ゴブリンに接近すると同時にタイミングを合わせてひとつのモーションに入る。
左から右へ水平に、ただ一直線に。それは認証されて、剣の刀身が僅かに白い光を灯した。
直剣アーツスキル《スラスト》。
その一閃はゴブリンの剣よりも早く線をなぞる様に滑り、ゴブリンの剣を弾くと同時にその頭を切り裂いた。
──浅いっ!
剣を弾いたことで決定打に欠け、掠り傷ほどとは言わないが確かなダメージを与えた。それでも、倒せなければ意味がない。
「くたばれ!!」
振り抜いた直剣を強引に引き戻し、右から左の軌道で再度で真一文字に力の限り振り抜く。けれどもそれはまたゴブリンの剣に被って威力が軽減して致命傷には至らない。
「うぁああっ!!」
ドスッ──と、そこでようやく追いついたミッツが怯んでいたゴブリンに剣を突き立てた。ゴブリンの胸部を深く貫いたそれは、確かな致命傷だ。
「ナイスだ!」
そう称賛すると同時にすぐにロイドさん率いる第三パーティーが交戦を始めたゴブリンを狙って間合いを詰める。
けれど、そう上手くいく話はないらしい。
「がっ──」
みっともない話だ。新しく洞窟から出てきた鈍器持ちのゴブリンの一撃が、脇腹にめり込んだ。また脇腹かよ、と衝撃直後に思ったが、そんなことはどうでもいい。棘突きじゃなかったことを幸いに斬り返しで直剣を鈍器持ちのゴブリンの首へくれてやる。切断まではいかなかったが、一撃で仕留めることができたようですぐに崩れ落ちた。
「クロ!」
「下がってろ!!」
リリーナの呼ぶ声に怒鳴る様に言い返し、ぞろぞろと洞窟から出てきたゴブリンたちに突撃する。
数は七。──これは、まずい。
「ミッツっ──」
援護を頼む。振り返ってそう言おうとした瞬間、目の前を何かが通り過ぎた。
「あっ……」
タンッ、と音を立てて、ミッツの鎖骨付近に何かが突き刺さる。
何か?
違う、あれは矢だ。
──弓持ちが居たのか!!
「ミッツ!!」
誰かが叫んだ。けれど、誰かを心配している暇はなかった。今退いては全滅する可能性がある。なら、どうするか。
「こ───」
殺せ。
目の前の敵を、いつものように──殺せ!!
「ッ────!!!」
瞬時に腰を落とし、倒れそうになるほどの前傾姿勢で一気に駆け出す。自分の直剣が届くその位置で跳ね上がる様にショートソードを振り上げる。
《直剣》アーツスキル《スラスト》。
しかし、これは通常の《スラスト》の派生系だ。本来は《スラスト》のそれ自体は利き手方向からの水平斬りでしかないが、アーツスキル自体の熟練度を上昇させることで上下左右いずれかの始動から発動させられるようになる、それだ。《スラスト・アップ》とも呼ばれていたが、そんなことは捨て置け。
今はただ、殺し尽くせ。でなければ、人が死ぬんだ。
「チッ──」
致命傷に至らなかった《スラスト・アップ》で振り上げられた直剣を引き戻すと同時に今度はすぐ近くの別のゴブリンへ上から下への《スラスト》を可能な限り速く、重く振り下ろす。勢いの反動で前転し、起き上がりに横一閃の《スラスト》で腹を裂く。絶命したのかさえ目もくれず、弓持ちのゴブリンへ斬りかかる。
一ヶ月の間で理解したが、アーツスキルの発動自体には結構体力を持っていかれる。どちらかと言うと、よくある気のようなものかもしれない。使い続ければ底を尽きて、発動できなくなってしまう。CCOになかったシステムだが、違いなどいくらでもある。
「おぉあぁアアッ!!」
袈裟斬り《スラッシュ》で弓ごと斬り裂き、その流れを止めること無く左足を振り上げて横から斬り込みに来た剣持ちのその剣を横から蹴り飛ばし、喰らい付くかのようにその顔面へと突きを放つ。
まだだ。まだ足りない──!!
剣を抜く間も惜しく、殺したゴブリンの剣を手にとって、別のゴブリンへと更に斬りかかる。剣がショートソードと同じ形状をしていたため、横一閃に薙いだ瞬間が発動して斬りかかったゴブリンの首が宙に刎ね上がった。
過剰な負荷がかかったのか、それとも最初から奪った剣が鈍らだったのか、首を刎ねるのと同時に剣が折れた。折れた剣を離さず、首を刎ねたゴブリンが倒れ始めるその前にまた剣を奪い、左手に構えて、また別のゴブリンへ。
周りの景色が次第に赤くなっていく中で、離れた場所に居るリリーナの姿が見えた。その表情に浮かぶのは恐怖。そう──恐怖だった。
──一体何を恐れている?
不思議とそんな疑問が浮かんだ。
けれども身体はもう次のゴブリンへと向かい、左腕は高く振り上げられていた。そしてそれを、振り下ろす。
グシャッ──
音は斬る時の音ではなく、まるで叩き潰したかのような音。
既に絶命したであろうゴブリンに向かって右の折れた剣を突き出し、喉元に突き立てた。
グシャッ──
今度こそ、はっきりとした音。無理もない。折れた剣を無理矢理突き出し貫いたのだ。
そして──
……そして、それから?
「はぁ、はあっ……ッ!」
まるで意識を失っていたかのような気分があった。
俺は。
「ああああッ!!」
倒れた大柄のゴブリンに、手に持っていた何本目かの剣を突き立てる。
「俺はっ……!」
──何をした。
俺は一体、何をしていた。
ケビンが、弓持ちに撃たれて、それから──何体倒した?
途中から記憶が途絶えている。
「っ……そうだ、皆は……!」
思い出して顔を上げると、十を超えるゴブリンの死体が転がる中に、倒れている七人の姿が映る。
「ヒューゴ、しっかりしてっ……!」
その中でリリーナがヒューゴに手を当て治癒術をかけている。
「……おれ、は……」
ゴブリンを斬って、殺して、それから──どうした?
身体が痺れる様に動かない。突き立てた剣の柄を握る両手は、真っ赤に染まって。マグナさんに貰ったハードレザーアーマーも、その革の色さえ見えないほどに、赤い。
血の色。
「ヒューゴ! ヒューゴ!!」
リリーナがヒューゴに呼び掛けている。けれど、ヒューゴは──
「おれが、やったのか……?」
ゴブリンだけじゃなく、ヒューゴも? 皆も、俺が──?
ぐるぐると嫌な想像だけが頭に浮かぶ。
そんな訳がない──そう否定したくても、渦巻く嫌な想像だけが頭を満たす。
「俺がっ……」
「違う!」
「っ……」
「クロじゃない! 魔物にやられたの!……皆、魔物にやられて……」
果たして、それは事実なのか。リリーナを疑ってしまう。それほどまでに、嫌な感覚だけが身体に残っている。
まるで、嬉々としてゴブリンを殺したかのような、嫌な感覚。
その感覚が、クーンや、ゴンや、ヒューゴまでも殺してしまったんじゃないかと、思わせる。
「こんなの、俺じゃ、ないっ……」
俺じゃない。ただ俺は、いつもどおりに──
「いつもどおりに、殺し……たのか……?」
いつもどおりに。いつものように。
──それは、なんだ?
「うあああああああああああ!!!」
瞬間、痛みが全身を襲った。
◇
頬に冷たい何かが触れて、急に意識が呼びもどされる。目覚める──その感覚は、もう四度目だっただろうか。
情けないにも程がある。これでは、誰にも顔向けできないじゃないか。
英雄とか、勇者とか、一回の偶然でもてはやされて、遠慮しながら結局はそれに乗せられていた自分は、あまりにも滑稽な道化だ。
こんなに非力なのに、一体誰が、誰を救ったと言うんだ。
『この《●●●》!!』
ゾクッ──不意に誰かの声が聞こえて、背筋が凍りつく。
けれど、思い出せない。その声が何なのか。何を言っているのか。
──いや、だ……
ボロボロになった記憶が、戻りそうになる。
思い出したくない。
聞きたくない。
違うんだ。そいつは俺じゃない。
嫌だ。思い出すな。
忘れられたのなら、忘れたままでいるべきだ。
自分を傷つけるな。
『《●●●》!!』
『もう二度と来るな!』
──違う……違うんだ……。
見慣れた場所で、皆が言う。お前は、いちゃいけないんだと。
皆が口を揃えて言う。お前は、狂っていると。
でも、ゲームなんだ。好きに振舞えばいいはずだ。俺には、それが一番なんだ。
何も知らないから。何も与えられなかったから。何も教えてくれなかったから。
だから、俺は、その役を演じたんだ。
誰かに合わせることなんてできなかった。誰かと一緒にいるなんてできなかった。笑い合うことも、冗談を言い合うことも、手を繋ぐことも、何もかもできなかった。
『そんなことで許されると思ってるのか!!』
分かる訳ない。そんなこと、分かる訳ない。どうすればいいのか分からないんだ。
分からない。分からない。分からないから──!!
『だからお前はいつも独りなんだよ!』
『消えろ!』
『お前なんかがいるから皆楽しめないんだよ!』
『この──』
──違う。違う。違う。違う!!
俺は──《殺人狂》なんかじゃない!!
◇
「クロ!!」
「ッ──!?」
自分を呼ぶ声に意識が暗闇の底から一気に引き上げられて目を見開く。強い陽光に目が眩み、嫌がる様に陽の光に手をかざすと、ぺたりと何かに触れた。
「ぁ……あぁ……」
「クロっ、良かったっ……クロっ……」
陽の光を遮ったのは、自分の手ではなく、自分に名前をくれた少女の顔だった。涙でくしゃくしゃになっていて、どうして泣いているのかと不思議に思う。
「り、り……」
上手く喋れない。声が声になってくれない。
「ご……め、……」
ごめん。
頬に触れたせいで、血がついてしまった。
「生きてる……生きてるよ、クロ……」
「ぁ、あ、ち……が……」
違う。血が付いてしまったから、謝りたいんだ。
「うん……うんっ。お願いだから、今は休んで……もう、魔物は居ないから……」
「あ、あ……」
血……。
何故か、酷く哀しい。
思考が、上手く回らなくなってきた。
どうして。何故。どうして。
俺は……
「リリー……」
また意識が閉じていく。また、眠るのか。
また、夢を見るのか。
「もう、大丈夫だから……」
リリーナ。どうして、そんなに泣くんだ。
どうして。
◇
「……もうすぐ、村か」
「うん……」
陽が落ちるまで自分は眠り続けていた──そうリリーナに聞かされたのは、もうすぐ夜の帳が下りると言う時間になって目が覚めてからだった。リリーナが言うには、俺は何度も目が覚めてはまた眠りに入ってしまったらしい。その時の記憶は、ぼやけていて良く分からない。
けれど、夢は見ていたような気がする。でもそれは、長い夢と言う訳でもない。ただずっと、誰かに責められていたような気がする。
責められ続けて、気が付けば、白い部屋にいて。──そこは、どこだっただろう。曖昧な記憶はどこまでもぼやけていて、良く思い出せない。
思い出そうとすると、突然に怖くなる。どうしてなのだろう。
分からない。
でもその中で、ふと気が付くと泣いているリリーナが浮かび上がっては、消えていった。
なんだか、色々混ざってしまっているかのような感覚だ。
きっと泣いていたリリーナを見た時は、リリーナが言う様に目が覚めた時のことなのかもしれない。
ますます自分が分からなくなっていく。
「どう説明すれば、いいのかな……」
ぽつりと呟いて、自分が目覚めた時の状況を思い出して見る。
ゴブリンの死体がいっぱい転がっていて、その中に一緒に戦った青年団の七人も、転がっていて。
皆、死んでいた。
「私にも、分からないよ……」
きゅっと、繋いでいた手をリリーナが強く握り締めてくる。
どうすればいいのか、俺も、リリーナも分からない。
討伐だって、正確に覚えているのはケビンが矢に撃たれた所までで、それ以降の事を詳しく訊こうとしても、リリーナは喋りたがらない。
でもリリーナを見ていると、推測のようなものは自然とできてしまう。
──きっと、自分が何かしたんだ、と。
ずっと震えるリリーナの手から、自分に対しての恐怖が伝わってくる。それでも手を繋いでいるのは、何故だろう。
だから気になってしまう。
覚えていない所で、自分は何をしてしまったのかを。
「クロ、死なないでね……」
「なんだよ、いきなり……」
不意にリリーナが不吉な事を言ってくる。確かに、あの時は自分も死んでいたかもしれない。何が起きたのか覚えていないけれど、その時に何も起きていなければ、きっと死んでいただろう。
それは多分、リリーナも同じで。
「とにかく、早く村に戻ろう? 夜が来る」
「うん……」
早く村に戻ろうとリリーナに呼び掛け、頷くリリーナの手を引いて歩く。
暗くなった森の中で、来た道を戻る。
冬のこの時期に、夜は相当冷え込むのはもう体験しているから、早く村に戻らなくては。
──ほら、村の灯りが、あんなにも見える。
「…………」
村に、戻らなくては──
「あ、あぁ……」
森をもうすぐ抜けると言う所で、見てしまう。
「村がっ……皆っ……!!」
リリーナも気付き、その場で崩れ落ちる。
どうして。
どうして村が、燃えているんだ。
どうして!!
「ゴブリンは倒したはずだろ!?」
そう叫んで、思い出す。
ゴブリンの巣は、四つ見つかっていた。
だから、それぞれひとつの掃討が終われば一度村に戻る予定だった。
けれど、それが──もしも今日と言うこの日に、襲撃をしていたなら……。
「……俺は……」
結局、誰も守る事ができなかったのか?
「リリーナ。逃げよう……」
「そんなっ……皆が……!!」
「……もう、無理だ。もう、無理なんだよ……」
せめて、リリーナだけでも。
「約束しただろっ……俺はお前を守る。お前のために、俺は生きる……だから……」
剣を鞘に納めて、ぐっと握り拳を作る。
体術アーツスキル《コンスシャスネス》──攻撃部位によって気絶を発生させる確率を持つそれを、リリーナの腹に打つ。浅すぎず、深すぎず。意識を奪う──それだけに留めて。
「ごめん……結局俺は……」
──誰も守れない。
超急展開式プロローグエンド。複線ですか? いいえ、何でもない話です。
ともあれ、これにてプロローグは終了です。凄い駄文ですね、かっこいいです。
自虐し過ぎると本当に哀しくなるのでこれで締めます。
ここから本題。
本編はこの一年後、クロとリリーナが生きる術を得て、己が自由のままに生活していきます。
──とは言っても、予定では最初に登場する街からすぐ離れてしまいますけどね。
あ、あと読みやすい様に改行を挟むように全話改稿しました。