第参章 穢れ無き花
大地にまどろむ草木をば はらいて残るは無なりて
大地にまどろむ草木をば まもって残るは宝なり
大地をむしばむ草木をば はらいて残るは毒なりて
大地をむしばむ草木をば まもって残るは何とやらん
七宝秘伝唄より
冬の六花を思わせる色をその身に纏い金色を宿したそれは、今にも転落してしまいそうなほど疲労していた。普段、主の傍を離れずに行動していた事が裏目に出てしまったのだ。
身近で感じている力とは正反対の性質を持つ者、主の『敵』の力に当てられた故に起こった疲労。だが、ここで倒れるわけには行かなかった。一刻も早く主に伝えなくてはいけない事があったのだ。
<一刻も早く姫君に…!>
だが、体は悲鳴を上げ、思いも空しく大地へと徐々に降下していった。
<姫君…!!>
風が吹いた。意思を持ったかのような動きを見せるそれは、降下するモノの体を包み何処かへと移動させるかのように吹く。
<これは…彰人殿の>
「椿が心配していましたよ。雪怜さん」
それの呟きに男の声が返した。雪怜と呼ばれた小鳥は、小さく頭を下げる。
<面目無い…天城の力にあてられてしまった…>
「仕方が無いですよ。最近ずっと椿の傍にいましたから。だけれども収穫はあったようですね」
彰人の問いに雪怜は慎重に頷いた。
<…天城が動き始めた>
「!! そうですか。では我々も」
<あぁ。姫君が…悲しむな>
争いを嫌う心優しい少女。あの微笑みが翳ってしまうと思うと悲しかった。
「いっその事、我々だけで事を納められれば―」
「それは、私が許しません」
彰人の言葉を遮るように、凛とした声が響いた。
<姫君>
「椿…」
驚く彰人達を脇目に椿は言葉を続ける。
「私は南雲家当主です。私が先代当主様方の護ってきた意思を受け継がなくてどうします。例え争いになってしまっても私はくじけませんわ」
背筋をピンと伸ばし、静かにけれど力強く言う姿は正に当主としての姿であった。
「出来る事ならば封印を解きたくは無かったのですが、仕方ありませんわね。兄様、いいえ彰人。唄の解析と場所の特定をお願いします。彼らよりも早く『宝』の保護をしなくては」
懐に持っていた古びた巻物を彰人へ差し出し椿は言った。
「…分かりました椿様。本日中に特定まで終わらせます」
*
次の日、椿は一人庭の大樹の傍にいた。
「…初代当主様。私たちを見守っていてくださいませ」
咲き誇る桜の大樹。南雲の初代当主が存命であった頃より存在するそれは、南雲一族のご神木である。優しく清浄な空気が周辺を覆い、悪しきものを決して寄り付かせはしない大樹。椿は当主になる以前から大樹の傍に行く事が多く、当主になってからは日に一度は必ず此処へ訪れ祈りを捧げていた。
「椿様。準備の方が整いました」
「分かりました。今行きますわ」
椿は髪を高く結い上げ、狩衣に酷似した桜色の衣装を纏うと、そっと立ち上がった。
*
人目から隠されて置かれた小さな祠。そこが、今回の封印場所の一つであった。椿が近寄り、懐に持っていた巻物を翳すと祠が歪み大きな鳥居へと変化した。
「本当に秘伝唄の書が封印場所の鍵となるなんて、考えても見ませんでした」
椿の持つ巻物。それは宝の在り処の唄が書かれた南雲家に伝わる巻物である。来る日がくれば使い方が分かると伝えられてきたそれは、封印場所の鍵となる役割を持っていたのだ。
今回、唄の解析により、比較的近く安全な場所に宝の一つが封印されているとのことで彰人と椿だけでの回収となった。
「此処が、封印場所の一つなのですね」
「椿様。あちらを」
彰人が示した先には一本の老樹。その周辺には無法地帯と言わんばかりの草達が茂っている。草は所々黒ずんでおり異様な毒気を放っていた。
「これがまどろむ草木と蝕む草木…」
「まどろむ草木を護ることで宝が、蝕む草木を護ることで何か、おそらく宝自体の鍵が手に入ると解析しました」
椿の言葉に被せるように彰人は言った。
「鍵無くば、宝の封印は解かれないということですね。では、宝の鍵も手に入れなくてはいけませんわね」
「椿様。ですが、害のある草木を護るなどどうすれば。いっその事、草ごと蝕む毒を滅してしまえば」
彰人の言葉に椿はやんわりと首を振る。
「いいえ。滅することは私が許しません。たとえ他に害がある物でも護って差し上げなければ。害があるのならば、害を救ってあげれば良いのです」
椿は凛として言い、そっと地面に手を伸ばす。
「椿! その力は!!」
「止めないで下さいませ彰人。今使わずとして何とするのです。…せめてこの子達だけでも」
彰人の制止を振りほどき、椿は淡く微笑むと躊躇なくその手を地面へ付けた。
瞬く間に光が溢れ、辺りを包み込む。光の中心で椿は、悲しそうに微笑んでいた。
「椿!!」
光が収まると同時に彰人は椿へ駆け寄った。応えるように笑みを浮かべた椿はゆっくりと瞳を閉じ、音もなく崩れ落ちた。それを彰人が支えると、か細い声で椿が言葉を発した。
「兄様…あと…は…頼みます」
それだけ言い、今度こそ意識を失った。
「力を使えばどうなるか分かっていただろうに。…起きたらお説教ですよ椿様」
衝撃が少ないよう慎重に抱きかかえると、彰人は椿の手元を見た。
紅を中心に緋色・赤と同系色の花々がたおやかに咲き誇り、翡翠色の草がそれを支えている髪飾り。花の中心部には濁りの無い透き通った丸い水晶が静かに佇んでいた。枯れる事も散ることもなく千年もの長い間あり続けたそれは『穢れ無き花』と言われる七宝のひとつである。
「これで一つ、天城の手から宝が守れましたね。今はごゆるりとお眠りを」
先ほどまで椿がいたところを中心に、花が咲き誇り、草木は鮮やかに生い茂っていた。