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第参拾伍章 終焉の前奏曲



 声が聴こえた。

 それは夢の始まりの合図。

 あの始まりの日から幾たびと見る優しく哀しい夢。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 月を写し取ったような白銀の瞳から零す涙は六花となり黒土へ降り注ぐ。

 それは触れるたびに傷を癒してくれた。凍りついた心を溶かしてくれた。それが哀しいのに嬉しくて、泣かないで、その一言がいつも言えない。

「誰よりも私に近い貴女に背負わせてしまう。もう貴女にしか託せない」

 たおやかな手が頬を包む。感じるはずの無い温もりに顔が緩んだ。大丈夫だよ、声なき音でそっと告げる。

「椿、私の愛し子。貴女の為にも全てを終わらせて」

 か細い囁きと共に消えゆく姿。どれだけ時が過ぎようと変わる事のない美しい姿。魂となって尚、解放されぬ優しい人。

 それを瞳に焼き付けて私は黒土に身を委ねた。

 舞う六花の中、私は穏やかな時を過ごす。そうして暫くまどろみながら現実の扉を叩く。

『―約束だ! ――は俺が』

 太陽のように笑う少年。その心は光輝いていた。

『花姫、我らが――姫』

『汝に――。愛しい―』

 柔らかな微笑みと共に抱き上げられた。慈愛に満ちた暖かな声と温もり。

 ほんのかすかな邂逅に気づくことなく、夢が終わりを告げる。



『姫君? 起きておいででしょうか。朝餉の支度が出来たそうです』

 雪怜の呼びかけに椿は静かに目を開けた。霞む目を瞬き、ゆっくりと体を起こす。

「分かりましたわ。支度を終えたら行きます」

『御衣』

 雪怜が席を経つと同時に椿は支度を始めた。普段と変わらない日常の始まり。そう、昨夜の出来事など無かったかのように代わり映えしない日常。

「今宵、全てが終わりますわ。貴女の願い通りに」

 薄紅に真紅の蝶が舞う着物を身に纏うと椿は部屋を出た。

その髪にはしまい込まれたはずの髪飾りが飾られていた



 創太にとって椿は唯一無二に等しい存在だった。初めて合間見えた後、改めて創太は椿に呼ばれた。

「あなた、なまえはなんといいますの?」

「ない……。ぼく…できそこない…」

 脆弱な力を理由に名前すら与えられなかった創太。その理由すら理解出来ず、ただ生きていた幼子。

 それは幼い椿の心の底を微かに震わせた。ほんの微かな心の震え、それだけで充分だった。

「ならばわたくしがなづけましょう。ぜいじゃくならばあがきなさい。いきてさえいれば、かならずひかりがおとずれますわ」

 小さな温もりが創太を包む。その先にあるのは柔らかな微笑み。作られていない本当の微笑み。

『―姫。我らの――名を―』

『創――太――そう――た』

 不意に椿の脳裏をよぎる声。その微かな声はあまりにも暖かく慈愛に満ちていて、最後に聴こえた声を椿は口に出した。

「そうた。あなたはきょうから創太(そうた)ですわ」

 同時に椿の記憶から聴こえた声は掻き消えた。だが、名として付けた記憶は消えることは無い。

「そうた…。創太。ありがとう、(ねぇ)

 創太の顔からふにゃりと笑みがこぼれた。己の名前として呼ぶ音を口にする度、椿は飾りない微笑みを浮かばせる。その事実に創太の心は喜びで満ち溢れた。賜った名前とその事実は、創太にとって椿を唯一無二の存在と決めるに値するものだった。



「…姉。…()、姉の為なら何だってするよ…いつまでも…幼いフリを…するよ」

 与えられた私室で創太は人知れず呟いた。その顔にはいつも通りの柔らかな笑みが浮かんでいたが、幼いというより年相応かそれより上に見えるような雰囲気があった。

「おい、ガキ。朝食の支度手伝え――っ。素出すな! 殺すぞ!!」

 朔真は顔を覗かせるや否や怒鳴った。その瞳には憎悪の色が浮かんでいる。

「…うぜぇ……いつまで……引きずってる」

 それを嫌そうにしながらもいつも通りの幼い色を浮かばせる創太。そうしてダルそうに立ち上がると言葉を続けた。

「……僕、ギリギリ安全圏だって思われてんだから……殺気しまえシスコン」

 その言葉に朔真は顔を歪めた。イラついた様子ながらにも殺気を収め、大きく息を吐く。

「てめぇなんて安全圏に入るわけないだろ。南雲じゃなきゃとっくに殺ってんだよ」

そうボヤきながら朔真は天を見上げた。視界に広がる天井が一瞬冷たい灰色に見えた気がして、眼を細めた。

「……朔真……いい加減認めたら……」

「……その話か。何度も言わせんな、姉上はここにいる。例の事件以来中々、姿を出せないだけでな」

 哀れむような瞳で創太は朔真を見た。『例の事件』以前に朔真に会ったことがないからこそ言える一言。六年前、朔羅が死んだあの日、朔真は朔羅を蘇らせた。二重人格という形で。



 朔真と朔羅、二人は産まれる前から常に共に在り、離れることは無かった。

 瓜二つの容姿に仕種、男女の差も感じることは無く珍しい一卵性の双子であると同時に本来御舟の女性のみに受け継がれる能力も等しく持っていた。

 夢見、それも一番近い未来と過去を夢を通じて正確に覗くという御舟の中でも随一を誇る力を等しく持っていたのだ。

 それが悲劇を産むとも知らずに。

 二人が十四歳になった頃、朔羅と朔真は出先で誘拐された。誘拐された先で待っていたのは地獄のような日々。

 薬で昼夜問わずに眠りを促され、夢の内容を聞かれる。夢を見なければ殴られ、抵抗すれば見せしめと言わんばかりに片割れが傷つけられた。

 互いを人質にされ助けを求める術も無く、出先である御舟の縁者が異変に気づくことを祈ったがそれも直ぐに打ち砕かれた。

 誘拐犯と御舟の縁者はグルだったのだ。夢で事実を知った二人は絶望の淵に立たされた。更に体がそう強くない朔羅は瀕死の状態で朔真は姉の治療を条件に従った。

 だが、味を占めた誘拐犯は朔羅に朔真の解放を条件により深い夢見を促した。

 結果、体が耐えきれず朔羅は死んだ。だが、その事実を隠しまるで生きて治療を受けているかのように朔真を騙したのだ。

 そして皮肉にも夢を通して朔真は真実を知った。それと同時期に誘拐された彰人の暴走により誘拐犯は殲滅したのだ。

 その後、朔羅の遺体を抱え自力で御舟家に戻った朔真だったが、遺体が炎の浄化を受け、永遠の眠りへついた頃から様子が変わった。



「え? 私の名前ですか? 朔羅ですよ。双子の弟、朔真の片割れです」

 不思議そうに喋る人物。柔らかな薄茶の髪を流し、薄水色のワンピースを纏う少女。

「朔真? 今呼んで来ますね」

 そうして暫くすると柔らかな薄茶の髪を緩く結び、薄緑色のシャツにジーパン姿の少年が現れた。

「何? 俺に用って」

 一見するとそれは普通の光景、だが双子の姉である朔羅が亡き今となっては異様な光景であった。

「朔羅姉上? 何言ってんの? ここ(…)にいるじゃん」

 誰もいない隣を示す朔真。その瞳には異様な暗闇が輝いていた。

「姉上は死んだ? 何縁起悪いこと言ってんだよ。姉上は体が病状だから中々出て来れないだけだ。生きてるんだよ」

 誰が何を言っても信じずに朔真は朔羅の一人二役として動いた。夢に囚われたように、朔羅の人格を生み出したのだ。

 周囲はそれを否定するのを止めた。それは今となっては一人となってしまった当代一の夢見という能力を持つ人材を保つ為、死へと誘わせない為。

 ただ朔真は事件以来、事件時の年齢つまり十四歳より上の同性が傍にいることを憎悪するようになった。南雲の縁者で無くばすぐにでも殺しそうになるほどに。



「ともかく、椿様がもうすぐ来るそうだから朝食の支度手伝え」

 朔真はそれだけ伝えるとすぐに創太の部屋を後にした。自身では理解できない何かから逃げるように。

「……雪怜。……何?」

 創太はしばらく周囲を見渡すと入り口に向かって話しかけた。そこには隠れるようにして雪怜がいた。

『朔真を挑発するでない小童(こわっぱ)。姫君は朔真が思い出すことをお望みでは無い』

「……うい」

 鋭く咎める雪怜に創太は不服そうに返事をした。それに雪怜は更に顔を険しくさせ、言葉を続けた。

『今宵で全て終わる。それまで八つ当たりなどせずに大人しくしていろ』

 空を見上げる雪怜。その瞳に映るのは眠りから覚め始めた淡い空。

『――。貴方、(わたくし)と共に行きましょう。一人は寂しいでしょう? あぁ、一匹? かしら』

 遠い遠い昔に初めてかけられた優しい言葉。今となっては思い出すことの出来ない暖かな温もり。

(貴女様が遠い昔、願った想いようやく叶えられます。どうか、今しばらくお待ちを)



 終焉へ向かう鐘の音が始まりの音を奏で始めた。

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