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第参拾壱章 絶望の真実―後編―

 山奥にひっそりと佇む屋敷があった。朝は日の光が柔らかく満ち、夜は月の光が静かに照らす屋敷。

 それが北里の一族が暮らす屋敷だった。

「かあさまきいてくださいな! しっぽうのうたおぼえましたの!」

 美夜乃は得意げに母を呼んだ。

「美夜乃、本当ですか? 是非聞かせておくれ」

 柔らかな声が美夜乃に応えた。漆黒の髪が靡き、月のような白銀の瞳が緩やかに笑む。

「そらとだいちにはばたくもの あいとくれない かさなりしとき ちかいのしるし あらわれん」

 小さくけれどしっかりと紡がれる唄に静かな笑みを零す母の静夜。

「良くできたわ。三年後の当主会でお披露目できそうね」

「じゃあ南雲のお姫様に会えますの!」

 美夜乃は嬉しさで頬を赤らめる。だが、幸せそうに笑う美夜乃を見つめ、静夜は顔を曇らせた。

(きっと、姫様は会ってくださらない。だってこの子は―)

「ただいま。静夜、美夜乃」

 そこへ穏やかな声が二人を呼んだ。

 陽の光を浴び、金色に輝く癖のある髪、深い濃紺の瞳。美夜乃はその姿を見るや否や勢いよく飛びついた。

「おかえりなさいませなの!! おとうさま!!」

「こらこら、お転婆だな。僕のお姫様」

 その勢いを殺さずに受け止めると父親の悠は朗らかに笑う。

「お帰りなさい、悠。任務は大丈夫でしたか?」

「ただいま、静夜。お義母様も文句の言えないくらい完璧にこなして来たよ」

 悠は美夜乃を下ろし、静夜に伝えた。

「……お母様、まだ許してくださらないのかしら」

「きっと美夜乃が継承の儀を受けるころには許してくれているさ。僕の事も認めてくれる」

 静夜の母である北里家当主は静夜と悠の結婚を許していなかった。高貴な「鬼」の血に穢れた「一般人」の血が混じる事を嫌悪し、悠に数多の危険な仕事を与え、その死をも望んでいるようであった。

「みやの、おばあさまきらいですわ。みやののこと『けがれたこ』ていうんですもの」

 二人の子供である美夜乃の事を特に嫌い、姿を見ることも嫌がった。だが、継承の儀が近づくにつれその態度は微かではあるが軟化しつつあった。

「美夜乃、君のたった一人のお婆様なんだ。嫌わないでおくれ。近い将来きっと認めてくれるから。僕の可愛いお姫様」

 再び美夜乃を抱きしめた悠を尻目に、静夜は小さく瞳を伏せ部屋を見渡した。

 小さくこじんまりとした離れ、調度品から何まで最高級の物が用意されているが、北里の屋敷から隔離されたような位置にあるそこは北里当主の心を移しているようだった。

 少しでも自分から遠ざけたい、そんな心が。

 


 それから三年後、運命の日。

「お母様、お父様見ませんでした?」

 癖のある漆黒の長い髪を揺らし、美夜乃は母に尋ねた。

「……! あぁ、美夜乃。お父様なら少し出かけているようですよ」

 ぼんやりと空を見つめていた静夜は娘の声に慌てて応えた。

「もうっ! 今日は私の誕生日なのに。お母様、可笑しなところございません?」

 口元を尖らせて怒る美夜乃。だがすぐに不安そうに母を見つめる。

「大丈夫ですよ。風花達が整えてくれたのでしょう? とても素敵だわ」

「えぇ、風花も皐月も早矢も褒めてくださいましたわ」

 母の言葉に安堵したのか深い藍色に紅の蓮が咲き誇った美しい着物を纏った美夜乃は、嬉しそうに微笑んだ。その様子に静夜は目を細め、優しく美夜乃の頬を撫でる。

「もう今日で貴女も十歳なのね。大きくなりましたね」

「お母様、とうとうお婆様は私の事を認めてくれなかったわ。でもいいの。お母様とお父様、風花と皐月、早矢がいてくれれば私は幸せだから」

 ほんの少し悲しげに微笑む美夜乃。今日彼女は継承の儀を受け、正式に次期当主となるのだ。そして儀式が終われば南雲本家で行われる当主会でお披露目となるのだ。

「椿姫様にとうとう今日会えるんですもの。気を抜けないわ」

「……美夜乃、実は貴女にずっと隠していたことがあるの」

 唐突な母の言葉に美夜乃は眼を丸くした。

「貴女には残酷な話かもしれない。でも、これから話すことは全て真実よ。この北里は本当は―」

「静夜様! お逃げください!!」

 その時だった。断りもなく部屋へと女が飛び込んできたのだ。

小夜(さよ)! どうしたのです!!」

 それは静夜の乳姉妹である小夜だった。その身体は傷だらけで叫ぶことが出来たのが奇跡ではないかというほど息絶え絶えであった。

「賊が…我らを憎む一般人が侵入してきたのです…どうかお逃げを…」

 その言葉に静夜と美夜乃が息を呑む。

「どう…して。ここは閉ざされた場所! 誰かが手引きでもしなければ何人たりとも入り込めない!!」

「手引きをしたのです…あやつが……貴女様の旦那様が」

 息をするのも苦しいはずなのに小夜は残酷な言葉を紡ぐ。まるで呪いの言葉のように。

「私は度々報告いたしました……ですが貴女様は信じてくださらなかった……ですがこうして裏切られたのです……「穢れた子」、貴女が生まれなければ静夜様は、北里は平穏で入れたのかもしれたのに」

 その言葉を最後に小夜は息絶えた。

 今まで小夜は美夜乃に対して冷たくも決して「穢れた子」等と呼ばず、名前で呼んでくれていた。それが美夜乃は嬉しかった。だが、最後の最後で彼女は呪いの言葉と共にその名前で美夜乃を呼んだのだ。

「嘘よ! お父様がそんな事をするわけがない! ねぇお母様嘘でしょう!」

「悠、嘘でしょう。嘘だといって。これは悪い夢なんだと言って頂戴」

 娘の声が聞こえていないのか静夜は泣き崩れる。小さな嗚咽に被さる様に外から声が聞こえる。

『おいっ! 奥に隠れていたババア殺ったか?』

『あぁ、ちょっと手こずったけどな。悠が言ってた通り毒を使ってきたよ。防護マスク持ってきて正解だな』

『最後まで喚いてやがったぜ。「殺すなら『穢れた子』を殺せ!」とか言ってよ』

『ははは、安心しろよ。この中にいる「鬼」は全員皆殺しだって』

 聞こえてくる悲鳴、狂ったような笑い声。その全てが二人の心を抉る。

「蛮族の手にかかるくらいなら、いっそ」

 呟くように聞こえた声に美夜乃はいつの間にか伏せていた顔を上げた。

 見えたのは涙で濡れた頬、静かに笑む口元、懐剣を己が胸に突き刺す母の姿。

「いっ、いやああああああああぁぁぁ!!!!!!!!」



「何故だ! 僕は和解を望むというから教えたのに!!」

『ばっかじゃねぇの。「鬼」と和解を本当に望むやつなんかいねぇよ』

「彼女たちは「鬼」じゃない! 僕らと同じ「人間」だ!」

『悠、お前本当に毒されてんな。まぁお前も仲良く死ねよ。……悠っ!てめえ』

 鈍い音と共に何かが倒れる音がした。美夜乃は起き上がり、ぼんやりと前を見つめた。

「お、父様?」

 そこにいたのは血を浴びた父の姿と抱き上げられた母の姿。母の身体は血に濡れ、その細い腕は力尽きたように伸びている。

「お父様、お母様どうしたの? それに何で」

「美夜乃。お母様は、静夜は、僕が殺したんだ」

 その言葉に美夜乃は思い出した。ほんの少し前の光景と言葉を。母が自害したこと意外を。

「な…んで。何でお母様を殺したの! なんで私たちを一般人に売ったの!」

 その言葉に悠は答える事は無かった。そして懐剣を美夜乃に向けて叫ぶ。彼女が見たこともないぐらい厳しい顔で。

「消えろ。消えろ! 消えろ!今すぐにだ!」

 美夜乃は思わず逃げ出した。背後で父が微笑んでいるとも知らず。



 「これが真実ですわ。貴女の愚かな父親は騙されているとも知らずに北里の情報を一般人に漏らし、嘘の呼び出しで留守の間に襲撃された。そして妻は自害。貴女だけでも助けるために演技をし、罪を償う為に全てを燃やしたのです」

 二人っきりとなった牢の中で紡がれた真実。今まで持っていたはずの父親への憎しみが絶望へと変わる。

「さぁ、もう行きなさい。貴女で遊ぶの飽きてしまったわ」


「殺してよっ、もう私を解放して! お母様とお父様の下に行かせてよっ!」

 叫びながら泣き崩れる美夜乃。ほんの数瞬前の椿との会話まで蘇り、漏れた言葉だった。

「七宝なんてだいっ嫌い! 皆、皆だいっ嫌い! なんでこうなるの! なんでよぉ」



 怖い夢を見た、と両親の布団に潜り込んだ幼子がいた。

 紅い焔が全てを呑み込んでしまうのだと怯えていた。

 そんな幼子に両親は愛の言葉を紡ぐ。悪夢が来ないように、幸せな夢を見られるように。

 いつしか幼子はあどけない顔で眠りについた。

 それをみて両親は安堵の笑みを浮かべる。

 そうして祈る。幼子の幸せを。

 近い将来悪夢が現実になるのだとも知らずに。



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