第参拾壱章 絶望の真実―前編―
燃え盛る焔。全てを飲み込み尚も広がるそれは、一族の怨念を吸ったように赤く、紅く燃えた。
風花が手入れしてくれた髪も炎に焼かれた。
皐月が繕ってくれた着物も、早矢が褒めてくれた肌も傷つき見る影も無い。
幸せだった日常は燃えた。一瞬で全てが消えてしまった。
「美夜乃、僕と静夜の愛しい宝。愛してるよ」
光に煌めく髪を靡かせ、優しく紡がれた言葉。でも最期に紡がれたのは、呪いの言葉。
「消えろ。消えろ! 消えろ! 今すぐに!」
血に濡れた手で母を抱え私に刃を向けた父。
一族は惨殺された。父が屋敷の場所を教えたから。
神と偽る南雲と違い、北里は鬼の名家として名を馳せていた。それ故に一般人からは迫害され、ひっそりと隠れ住むしか無かった。
一般人の父と結婚した事で母は一族に蔑まれていたし、私自身何かと言われたが幸せだった。良くしてくれる人達も少ないけれどいたし、なにより両親が大好きだった。
でもあの日、全てが変わってしまった。
私を待っていたのは冷たい視線の数々。一族に向けられた視線よりも凍てついたような色。時折伸ばされる手には悪意しか感じなかった。泣きじゃくる私を護る者はいない。
そうして連れて来られた南雲本家。通されたのは広い部屋。左右に幾人かの大人が座していた。でも最奥にいたのは、少し前の私に似ているようで似ていない幼い少女。少女が口を開く。
「きたざとみやの、いいえ『けがれ』よくここまできました」
綺麗に結われた漆黒の髪、色とりどりの手鞠が着物を彩る。小さく差された薄紅、闇よりも深い瞳。そこに感情の欠片は無い。
愛らしいのに氷のように冷たいお姫様。南雲家当主の南雲椿。
「わたくしは、なぐもつばき。なぐもけとうしゅ」
「……」
言葉が出なかった。途方もない畏怖が全身を駆け回り、息が出来ないほどの圧迫感。これが南雲家当主、鬼の長。
「けがれ。あなたには、ぶんけとしてやくめがあります。もう、『あかし』のしたがきはすんでいるでしょう? あとは、せいしょだけですわ』
その言葉に私は右腕を見つめた。幾重にも巻かれた包帯の下に描かれた二対の鳥、淡墨で描かれたそれは十歳になると親族の血を混ぜた特殊な墨によって肌に刻み込まれる。それが北里家の次代当主の証となる。
「ほんらいならさくじつえがかれるよていでしたわね。……しってまして? しんぞくいがいのちをまぜたらどうなるのか?」
柔らかくも冷たい声で告げられた言葉に私は戦慄を覚えた。母が下書きをしてくれたとき教えてくれた事、それは……。
「美夜乃、覚えておいて。親族以外の血が混じった墨で証を清書すると血の提供者に逆らえなくなってしまう。そして刻んだ相手に縛られてしまう」
親族は一人も居らず、いるのは本家の人間だけ。それが意味する事は……。
「あなたはたいせつな『にえ』にげることはゆるされない」
その時、話を聞いていた男の一人が立ち上がった。
「椿様、私めの血をおいれくださいませ。北里の穢れ子を必ずや南雲の僕にいたしましょう」
「おだまりなさい、げろう。おまえのこんたんはわかっております。さがりなさい」
男の欲望に満ちた声は一刀両断にされた。そして再び私を見た。
「ていきょうしゃは『ざい』で、きざむのはなぐもぶんけの『さくら』ですわ」
それからすぐ証は刻まれた。でも、南雲分家の朔羅の意見により、提供者が朔羅となり刻むのが同じく分家の『罪』彰人となった。あの日の椿の言葉がいまだに耳に残っている。
「あきと。もしまちがえてこわしてしまっても、かならずみぎうではきず一つつけてはいけませんわよ」
そっと頬を撫でられてその暖かさに気が緩んだ瞬間、諭すように告げた椿。それと同時に鋭い痛みを感じた。頬から流れたのは一雫の血。
柔らかく微笑んでいるのに、その瞳の奥底は絶対零度の冷たさを帯びていた。後にこれが彼女の普段の表情だと知る。
それから二年後、私はほんの少し自由になった。
でも逃げ出せない。彰人がいる限り。
七宝の捜索が始まってから私は考えた。そして裏で『盾』の唄が天城に行くよう仕向けたり、わざと結界を緩めたりした。
でも、全ては彼女の手の内だった。椿は私で遊んでいたのだ。
天城の少女が牢を後にしてから告げられた真実。椿は創太が攫われてから計画を第二段階に進めていたのだ。
呆然とする私を解放し、椿は微笑んだ。いつもの顔で。
「彼は貴女との約束を護ってくれなかったわ。もし、壊していたら私の計画は失敗していたかもしれませんのに」
絶望が心を覆う。私は駆け出した。駆けて、駆けて、彼を見つけて思わず叫んでいた。
叫びながら思い出す。あの日の事を。そして記憶の中のあの人に問いかける。答えが無いと知りながら。
ねぇ、お父様。何で私を生かしたの。何で私を助けたの。