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第参拾章 光焔の余花―前篇―

 月は天城にとって特別な存在だった。


 闇夜を照らす唯一の光でありながら人々によって魔性のものと畏怖された輝き――それは『鬼』として闇に生きることを宿命づけられた天城にとって唯一の希望の光であり、同時に一族の姿そのものだった。

 故に天城は月を己らが一族の守り神として愛で、尊び、祈りを奉げてきた。


 その月が、かくも強く気高く美しく光り輝いている。まるで、逃れることの許されぬ宿命という呪縛の中に生を受けたこの愛しき乳飲み子の誕生を祝福するかのように。

 嗚呼、この孤高の月は必ずやこの子を守護してくれるに違いない。この穢れなく澄み切った光は時に優しく、時に厳しく、この子の行く道を示し照らしてくれるに違いない。


 この子こそは、千年もの時を闇に生きた天城の待望の光。天城をこの呪縛から解き放つ救いの光。

 ……そう。闇夜に燦然と輝く、あの凍て月が如く。


 故に、この子の名は――凍月(いつき)――――――。





     *





「待てよ、斎、おい……斎! おいコラ、シカトこいてんじゃねえぞ、テメエッ!!」


 倖介は振り向くそぶりも見せず無言のままただ歩みを進める斎の背に怒声を飛ばした。

 容赦なく降り注ぐ雨が肌を打つ。舗装されていない山道のぬかるみに足を取られそうになりながらも、倖介は乱暴に泥を跳ねあげながら駆け寄ると強引に斎の肩を掴んだ。


「おい、斎!」


 倖介の力のままに斎の身体は大きく揺られて動きを止める。

 しかしそれきり斎は微動だにしなかった。倖介の手を振り払うこともせず、顔を伏せたまま何ら反応を返さない。


「……斎?」


 その様子を不審に思った倖介は斎の表情を覗き込んで、はっとした。

 伏せられた、黒い瞳。常に強い光を絶やさなかったそれは今や曇り、何も映していないかのように酷くくすんでいる。

 光を失った瞳――その瞳に倖介は確かに見覚えがあった。

 ……同じだった。十四年前、初めて斎と会ったあの日と――。


 あれは七つの誕生日を迎えて間もなくだった。酒々井本家の嗣子として父に連れられ陸上の豪邸に招かれた倖介はそこで陸上の世継だという少年と初めての対面を果たした。

 癖のない短い黒髪。隙なく整えられた身なり。容貌は幼くも端正に整っていた。自分より二つ下だというその少年は、自分よりもはるかに品も落ち着きもあって大人びて見えた。

 しかしその大人びた雰囲気が、育ちの良さに裏付けられたものではないことを、倖介は幼心に感じ取っていた。

 何故ならば、この少年の黒い瞳に光はなかったから。

 本来ならば希望や生命力に溢れているはずの五つの子どもが、人形や死者のそれと称しても差し支えないほどの死んだ瞳をしていた。

 その様はあたかも生ける屍のようで――。


 その瞳は褪せることなく倖介の記憶の中に刻まれている。決して忘れることを許さないといわんばかりに強く、強く……。

 何が彼を屍とさしめたのか、倖介は後に知ることになる。そして、生きることを放棄した屍に再び生命を吹き込んだのが何であったのかも。

 だから倖介は、斎にとって花音がどれほどに愛おしく掛け替えのない大切な存在であるのかを知っている。それがどんな感情に裏付けられているのかも。

 斎は花音を失うことを何よりも恐れている。

 そして今、彼はその恐怖の中にある。


「……なあ、斎」


 今彼は何を思っているのか、何を欲しているのか、倖介には解らない。感情を宿していない彼の表情がそれをさせてくれない。

 何を思い、何を感じ、何を考えているのか。彼は何も言ってはくれない。


「お前いい加減にしろよ!」


 それが、焦れったくて歯痒くて、どうしようもなく腹立たしかった。

 誰も頼らず、全てを自分の中にしまいこんで。そうやって自分で自分を傷つけて、独り陰で声を殺して泣いている。それを是としていることが、どうしても許せなかった。


「そんなに俺は信用できねえかよ!?」


 もどかしさをぶつけるように倖介は力任せに斎の両肩を揺さぶった。


「そりゃあ俺はバカだしろくに霊力も扱えねえ! お前からしたら戦力にならねえかもしれねえ! けど!」


 倖介の脳裏に蘇る、幼き日の斎の姿。

 陸上を護るのが酒々井の使命、故に酒々井本家の嫡男たる自分が陸上の後継者たるお前を護ってやると、そう言った自分に、彼は年不相応な冷たい口調で言った。


 ――まもってなんてくれなくていい。どうせぼくは(・・・)ひつようじゃない(・・・・・・・・)んだから――


 この時、倖介は確かに心に決めた。


「あん時言ったろ!? 力になってやるって! 天城がどうとか、陸上だの酒々井だの、そんな家柄じゃなくて、『(おまえ)』と『倖介(オレ)』、ひとりの人間として向き合うって!」


 この声は、絶望の闇に彷徨う彼の耳に届いているだろうか。それを知る術すら、ない。


「もっと頼れよ! 重荷が苦ならそんなもん押し付けりゃあいい。疲れたなら寄り掛かればいい。そのために仲間(おれら)がいるんだろうが!」


 それでも、どこにいるとも知れない斎に向かって力の限り叫んだ。


「違うかよ……なあ、斎!!」

「…………さい」


 それは本当に小さな声だった。


「うるさい……!」


 絞り出すように発せられた声音は消えてしないそうなほどに弱々しく、掠れてよく聞き取れない。

 しかし、震えを堪えるそのか細い声に耳を傾けるでもなく、倖介はあえてそれを蹴散らすかのように一層声を張り上げた。


「辛いなら、苦しいなら、そう言えよ! 泣きたいなら泣けよ! 弱音吐くことがいけないなんて誰が言った!? 誰かを頼っちゃいけないなんて誰が言った!?」

「うるさい……! お前に……僕の、何が――」

「ああ、分かんねえよ! 分かるわけねえだろ! テメエから何も言ってこねえんだからよ!」


 途切れ途切れに紡がれる独創性のない常套句。そこに宿るは無意識の抵抗と拒絶。

 倖介はそれを否定しなかった。微塵の逡巡も覗かせず、正面から肯定した。そして、肯定した上で、それをぶち壊すように抗弁をぶつけた。


「けどな、お前が思ってるよりははるかに、俺はお前のことを知ってる! 俺だけじゃねえ、花音も他の奴らも、みんな! みんな、(おまえ)を知ってる!」


 今までずっと伝えられぬまま抱いてきた思い(わだかまり)が、溢れんばかりに口を衝いて出てくる。


「確かに『凍月(おまえ)』は天城によって消された。『凍月(おまえ)』は全てを否定された。『凍月(おまえ)』には何一つ残されちゃいねえ。けど、『(おまえ)』は違えだろ!?」


 掴んだ両肩から、彼の鼓動が、震えが、ひしひしと伝わってくる。


「そりゃあ『凍月』にあって『斎』にないものもあるだろうさ! 本当に失ったものもあるだろうさ! けど、『凍月』になくて『斎』にあるものだってあるだろ!? それを、お前は全部否定すんのかよ!? そんなものないって言うのかよ!?」


 斎の身体が僅かに、だが確かに反応した。


「そうやって気づかないフリして、未練がましく凍月(かこ)にしがみついて! いつまでも悲劇の主人公気取ってんじゃねえぞ!!」


 迷いのない真っ直ぐな言葉。偽りも誤魔化しもない真実の言葉。

 それは輝く光が如く、斎を取り巻く闇を掃い、そして――。


「……んな、こと……」


 光を失った死んだ瞳に、再び命の灯を燈した。


「お前に、言われなくても……」


 闇に慣れた黒い眸には痛みさえ感じさせる烈しい光――目を背けることさえ許してくれないその曇りなき輝きに、斎は遂に抗いを捨てた。


 ――そんなこと、言われなくても分かってる……。


 十四年前、『凍月』でなくなった自分は、それまで手にしていた全てを失った。その中には『斎』には手に入れられないものがあった。二度と、取り戻せないものがあった。

 だが、『斎』が『凍月』にはなかったものを手に入れたことも、事実だ。『凍月』ではおよそ手にすることのなかったであろうものを。

 失ったものと得たもの――その数だけを見れば、比べるまでもなく前者の方がはるかに多い。……しかし。


 ――分かってる……分かってるよ。


 その得たものの、なんと大きく愛おしくかけがえのないことか――。


 気付けば、あれほど激しく降っていた雨は今や嘘のようにすっかりあがっていた。闇を纏う風が、雨に濡れた体を切り裂いてゆく。


 ――こんなの、ガラじゃない……。


 他人との繋がりなんて、求めてない。誰かに想われたいなんて、望んでない。

 ……そう、思ってたのに。


「……だから、お前は嫌いなんだよ……」

「ハッ! 嫌いで結構! お前に好かれたって気持ちワリイだけだ」


 今まで必死に創り上げてきた『斎』という存在。必死に演じてきた『斎』というキャラクター。決して素顔を見せまいと被り続けてきた『斎』という仮面。

 そうやって築いてきた努力の結晶を、倖介(こいつ)は呆気なく簡単にぶち壊してくれた。

 ……まったく、『斎』を創るのに、一体どれだけの苦労を要したと思ってるのか。


「放せよ」


 ぶっきらぼうに言って斎は両肩の倖介の手を払い除ける。


 倖介(こいつ)には絶対に見せるものかと思っていた。

 馬鹿で鈍感で直情型の単細胞で、そのくせ変にお人好しで。二つしか違わないくせに偉そうに保護者ぶって、頼んでもいないのにうざいほどに絡んできて。そういう一つ一つが気に入らなかった。

 絶対意に頼ってなんてやるものか。絶対に弱音なんて吐いてやるものか。

 ……そう、心に誓ってたのに。


「まさかお前に諭される日が来るなんてな。……僕もいよいよ末期か」


 自嘲気味な薄い笑みを見せながら呟くと、斎は再び面を伏せた。

 動きに合わせて漆黒の髪から零れ落ちる。

 そして。


 ――ああ、本当に……らしくない……。


 頬に残る冷たい雨の跡を、温かい一筋の雫が伝った。





      *





 ――違う……違う違う違う違う、違う……!!


 目の前の光景に――否、母が愛おしそうに口にするその名に、飛鳥は必死にその事実を否定した。


 ――これが真実であるはずがない。こんなことがあってたまるものか。こんなもの認めない……!


 自分に言い聞かせるように何度も何度も繰り返す。

 目の前にいるこの女性は――波月は、自分の母だ。

 そして自分は、その母のたった一人の息子だ。


 なのに何故波月(はは)はその腕に抱く赤子を『イツキ』と呼ぶ……? 何故、『アスカ』ではかく『イツキ』と……?


 だがその疑問すらも自分自身を納得させるための一手段に過ぎないことを、飛鳥は波立つ心の奥底で理解していた。

 何故か――そんな答え(もの)、本当は解っている。

 だが、認めたくなかった。気づかない振りをしたかった。


 澄んだ凍て月がその輝きを増した。降り注ぐ月の光が鋭利な刃のごとく飛鳥の身に突き刺さる。


 これが真実だというのなら、斎が自分に向けた憤怒と殺意の理由(わけ)も納得がいく。そして、彼の持つ霊力が一般的な守護者のそれとは異なることも、彼が七宝について通常では知り得ない知識を有し、何より七宝に触れることを許されていることも、すべて説明がつく。


 ……そう。天城の正統な後継者は、真の当主は、(イツキ)――。


 月影は言った。天城に世継が生まれたのは、今から十九年前(・・・・)だと。それは自分が生を受ける五年も前のこと。この赤子が飛鳥(じぶん)であるはずがない。


 容赦なく牙を剥く真実を前に、飛鳥は抵抗する術もなく翻弄されていた。

 天城宗家の嗣子として育てられてきた。自分は、先代当主・波月のたった一人の息子だと、故に天城の因縁を絶つのが自分の使命だと、そう教えられてきた。それらが全て偽りだという。


「じゃあ……それなら、俺は……」


 ――俺は、誰なんだ…………!?


 飛鳥はそこで初めて気づいた。

 目の前の母を見ても、自分は何ら懐古の情を抱いていないことに。

 この人は本当に自分の母なのか――そんな疑問すら抱いてしまうほどに、何の感情も湧き上がってこないことに。

 ただ、『波月』という名前でこの女人を母だと識別(・・)しただけで、記憶の中に母の姿はないことに。


 ……そう。

 自分はこんな母親を(・・・・・・)知らない(・・・・)

 こんな、こんなにも、穏やかに優しげに心から微笑む母の顔を、慈しむような温かい光が宿る黒曜の瞳を、自分は知らない。


 ……そうだ。

 このひとは(・・・・・)母ではない(・・・・・)

 自分はこのひとを(・・・・・)知らない(・・・・)

 自分は母など知らない(・・・・)のだ。

 ……だから。

 いつだって自分の中の母には、顔がなかったじゃないか――――。





      *





 薄暗い神殿に、儀式の後放置されたままの魔法陣が不気味に浮かび上がっている。

 灯台の明かりに、陣の上に供えられた六つの宝が輝きを帯び、不自然なまでにその存在感を示している。

 それらからやや距離を置いた円座の上に、大小二つの黒い影があった。

 力なく倒れる大きい方の影を目に留め、その身に起きた事態を推知した風牙は低い声を発した。


《告げたのか、真実を》

《ああ》


 応じたのは小さい方の影だった。風牙の質すような視線を受け流すと、事もなげにあっさりと肯定する。


《いつかは知ることになる事実だからな》

《ずべて余さずにか?》

《勿論そのつもりさ。だが、思った以上に苦戦しててな。この事実はどうにもまだこいつには重すぎたらしい。受け入れることを心が拒否してるから先へ進めずにいる。まだ見せなきゃいけない真実(もの)は沢山残ってるんだが……》


 そこまで言って、風牙の霊気が僅かに厳しさを増したのを感じ取ると、月影はやや声音を落とした。


《怒ってるか?》


 そこに一切のからかいの色はなかった。

 どこか気遣いさえ感じさせる月影に、風牙は淡白な即答を返す。


《私に限って言えば否だ。が、少なくとも知ったら夜光は憤慨するだろうな》

《あー、それは目に浮かぶよ》


 違いない、と月影は思わず苦笑する。


《あいつ昔からキレやすかったからなぁ。まあ、だからこそからかい甲斐があったっていえばそうなんだが。しかし千年経っても変わんねえんだな》


 往時を懐かしむように、そしてどこか楽しそうに、それでいてそこはかとなく哀しそうに、それでもあくまでも字面の上では笑顔を見せる月影の言葉。

 そんな月影をただ黙って見つめていた風牙は、数拍の後、感情の読めない冷めた短句を投げた。


《お前は変わったな》


 それは完全な不意打ちだった。

 欠片も予想していなかった言葉に、月影は素直に驚きを見せる。


《そうか?》

《ああ》

《自分じゃ自覚ないけどな。どの辺がどう変わった?》


 言って興味津々といった体で返答を待つ月影に、風牙は躊躇いも惜しげもなく短く言い放った。


《意気地がなくなった》

《…………は?》


 全く以て想定外の返答に完全に面食らった月影の反応は少々間の抜けたものとなる。

 だがそんな月影の様子など気にも留めず、風牙は淡々と続けた。


《昔のお前は、決して逃げなかった。何時如何なる時でも》


 その言葉を聞くやいなや、それまで常に悠然と構えていた月影の霊気が明らかな険を孕んだ。


《……心外だな。俺が今、何から逃げてるって?》


 問い返す声音は幾分か低く、口調にも棘が感じられる。

 しかし風牙はその変化に僅かにも動じることなく、あくまでも冷淡な空気を崩さずに淡々と応じた。


《それは本心から言ってるのか? それとも分かっていながら気づかない振りをしているのか?》

《前者だと言ったら?》

《これ以上言葉を交わすことに異議がない。話はここまでだ》

《なら、後者だと言ったら?》

《言うまでもなかろう。逃げずに向き合え。飛鳥がそうしているように、お前も向き合うべきだ》


 今宵の銀狼はいやに饒舌だった。


《それとも、偉そうなことを言って飛鳥には艱難を強いておきながら、お前自身は無様にも目を背け逃げ回り続けるのか?》


 すべてを見透かすかのような澄んだ萌葱色の双眸が月影に向けられる。


《ったく、お前には敵わねえな……》


 やがて、月影は観念したように溜息を零した。


《お前のそういう裏表のないところは美徳だと思うし、その優れた洞察力や権力に媚びない屈強な精神も俺は高く評価してるんだが……あれだ、お前はもう少し優しさってのを覚えるべきだと思うぞ?》

《それこそ心外だな。これは私なりの最大限の優しさの現れだ》


 しかしこのまま言われ放題でいるのはさすがに面白くないのか、月影は意趣返しだと云わんばかりに軽口をたたいてみせた。


《それはまた随分と男前なことで。そんなだから男が寄り付かないんだよ、お前》

《……余計な世話だ》


 どうやら月影の目論見は当たったらしい。

 少々間を要した風牙の声音にはどことなく不快そうな色があった。


 おそらく内心で快哉を叫んでいるであろう――否、大人げなく表情いっぱいに歓喜を顕しているかもしれない――月影から視線を外した風牙は、ふとある一点で目を止めた。


《お前、これ(・・)はこのままにしておくつもりか》

《ん? ……ああ》


 突然の声に、一瞬風牙が何を指しているのか理解に瀕した月影だったが、やがて曖昧に返すと、どことなく苦々しさのある呟きを落とした。


《いいんだよ、これで》


 そんなどうにも煮え切らない月影の態度に、風牙の眼光が鋭さを増す。


最悪の場合(・・・・・)の覚悟は、できているのだろうな?》

《あんまり見くびるなよ。斬る覚悟がないのに刃なんて手に取らないさ。尤も、そんな最悪の事態になんてさせるつもりもないけどな。それに……》


 威厳を帯びた確かな声音で言い切ると、月影はそこでわざとらしくおどけて見せた。


《どっかの女房役に、逃げずに向き合えって喝入れられたからな。いい加減腹くくらないわけにもいかねえだろ》

《分かっているならいい。その言葉、違えるなよ》


 声音の裏に隠された真意(おもい)に気付きつつも、風牙はあえてそれには触れず、短く念押しをすると月影に背を向けた。


《お前に一つだけ助言しておく》


 そして数歩足を進めたところで再び立ち止まり、振り返ることなく背後の月影に向かって心持ち早口に告げた。


《この世には知らない方が良い真実もある。何もかもを洗いざらい告げることが得策だとは私は思わない》

《真実は何時だって残酷なものだ、か?》

《よく吟味することだな》

《……ああ、そうだな……》


 言って月影は、傍らで深い眠りについている小さき主の運命に今一度思いを馳せた。


《この因果の中で、皆それぞれに背負った宿命に翻弄されてきた。その中にあって尚、こいつを縛っているものは格別だ》


 飛鳥が今見ている真実――それはそのままでも十分に飛鳥にとって酷なものだ。十四年で築いてきた全てを否定するこの真実は、彼を絶望の底に叩き落とすに十分であろう。

 だが、この真実には、まだ顕わになっていない隠された牙がある。その牙にかかれば、彼の心は、間違いなく……死ぬ(・・)


残酷(むごい)というよりも、不憫(あわれ)だな……》


 天城の当主は人に非ず――事実を知らぬ一般世間のみならず、一族の中でさえそう噂されるのには、歴としたわけがある。

 人に非ずと、鬼だと、人々にそう言わしめるだけの、理由がある。


 しかし厳密には、『人に非ず』という表現は適切ではない。

 何故ならば。

 人でないから鬼であるのではなく、人であるが故に(・・・・・・・・)鬼となった(・・・・・)のだから――。


 ――だから俺は、お前の呼びかけには応じたくなかったんだ。できることならお前を主として受け入れて(・・・・・)やりたくは(・・・・・)なかった(・・・・)んだよ、飛鳥――――。



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