第弐拾伍章 鬼遊び 蛇と隼と少女
宮野あやは走っていた。はたから見ればなにかに遅れそうなのかとも思ったがそれは違う。
恐怖に顔を歪め、逃げていたのだ。
闇から 影から あの人から。
最初は楽しかった、だが喋っていく内に気づいてしまった。自分の話す内容を聞くあの人の口元は微笑んでいても目の奥では微笑みはおろか何の感情も浮かべていない事に。
時折見えるのは蔑みと憎悪の色。そっと延ばされた手を思わず振り払い鞄も靴も持たずに逃げ出した。
あぁ、あの人は、いや、あれは。
そっと肩をたたかれる。私は叫んだ。
「化け―」
彼女が言葉を言い終わる事は無かった。
それ以降、彼女の姿を見た者はいない。
*
<姫様、ご報告です。天城当主が七宝の儀式を行ったとの事ですが、儀式は失敗したようです>
雨露に濡れた草木を眺めながら、椿はぼんやりとした様子で雪怜からの報告を聞いていた。
<失敗の理由は不明ですが、これで我々にも―姫様? 如何いたしましたか?>
椿の様子がおかしい事に気づく雪怜。空虚な瞳で草木を眺める様に思わず報告を止める。
「何でもありませんわ。ただ、探していたものが見つかっただけですの。ずっと、ずっと探していたものが」
そっと膝の上に乗せていた古びた巻物を撫で悲しそうに微笑む椿、だがそれも一瞬のこと、静かに床へ巻物を置いた。
<それも違っておりましたか>
「えぇ、いつもと同じで偽物。でも、内容は一番近かったわ」
<やはりもうこの世には現存しないのでは?>
雪怜の言葉に椿は柔らかく微笑んだ。その笑みは不思議な色を宿している。
「それでも私は―」
風に消され声は雪怜以外に届くことは無い。その想いも全て。
視界の端に置かれた巻物はいつの間にか姿を消していた。呑み込まれるように。
*
嫌な空気を感じて倖介は空を見上げた。生ぬるい奇妙な風が吹き全身が警戒するかのように震える。
「何なんだよ。この前から」
苛立ちが募り、思わず口に出す。何かが動き出そうとしている、本能が警鐘を鳴らすがそれが何なのか倖介には分からなかった。そんな時思い出すのはあの少女の顔。
(どっか嘘くさいんだよな、南雲家当主っていうガキ)
人質と七宝を交換した際合間見えた時は感じなかったが、ふと思い出すと何か嘘臭く、イラつく。その微笑みも慈愛に満ちた表情も、何もかもが偽りに見えて仕方なくなっていた。
(まぁ、アイツの件でイラついているせいもあるか)
倖介は考えるのが面倒になり思考を閉じた。その時視界に奇妙な白が見えた。雲とは異なる小さな白。集中すれば見えないほど空に溶け込んでいる物。
それは小鳥の姿をしていた。だが、本能が告げた。あれは違う、と。
その時だった。突然の突風が吹き、それが何かを落としたのは。
「何だ? これ」
近くまで行き落とした物を拾い上げる。それは丸めた和紙の紙。結ばれている紐を解くと中には柔らかくも達筆な文字で何かが記されていた。
(読めねぇし。ん? これは!!)
慌てて懐を探る。懐から取り出したのは拾った和紙に似た紙の束。それを紐で結ぶと少し離れた場所へ放り投げ、気配を殺して姿を隠した。
少しすると先ほど見えた小鳥が降り立った。周囲を見回し、倖介の投げた紙を見つけると、偽物だとも気づかず拾い、再び空へ飛び立った。
「うっわぁー! まじ良かった。斎の野郎からもらっといて」
飛び立ったのを確認すると倖介は安堵の息を吐いた。あの紙は以前斎から渡された物だったのだ。彼曰く、「これをノート変わりにして馬鹿なりに勉強しろ」との事だったのだが、意外な所で役に立った。
「にしてもまさか南雲に関係するものだったとはなぁ」
拾い上げた紙の中にはハッキリと「南雲椿」の名があったのだ。後は達筆すぎて読めないものの拾っておいて損することはないだろう。
「とりあえず冴あたりに聞いてみっか」
*
「倖介君、これ読めなかったの? あたしでも読めたのに」
呆れながら冴は倖介を見た。だが、ここで喧嘩になるのも面倒だと思い、倖介が口を開く前に読み上げることにした。
南雲一同に告ぐ
天城の一味七宝覚醒ならず
古の書解読により原因判明
七宝は一度各自の封印場所へ納める事で覚醒することが判明
取り急ぎ報告 本日中に命を下す故 それぞれ万全の状態にすべし
南雲椿