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第弐拾肆章 仮初の暁

 七宝がすべて一所に集まった――そう、天城家当主の手の中に。

 天城・南雲両家の七宝をめぐる戦いは、天城が件の七神器を手中に収めたことで遂に収束を見た。

 これで天城の勝利が確定した。七宝の存在が天城に勝利をもたらしたのだ。


 千年の常夜は遂に暁を迎えた。

 長きにわたる因縁の終焉は、運命に絆された者たちを解き放った。

 そう、これですべてが終わった―――――はずだった。




      *




「……なに、これ」


 目の前に出されたプラスチックの容器を見て、冴は顔中いっぱいに不満の色を乗せて唸った。


「見て分かんねえか、カップ麺だ」

「これがお昼ご飯!?」


 昼飯を御馳走してくれるという倖介に、何を出してくれるものかと期待に胸を膨らませながら意気揚々と彼の家に上がりこんだ冴は、そこで自分の愚かさを痛感させられた。

 あの倖介がまともな食事など出すはずがないことくらい、少し考えれば分かることだ。


「文句があるなら食うな」


 すっかり意気消沈してため息を漏らす冴を前に、倖介は心外そうに吐き捨てると彼女の前の容器に手を伸ばす。


「うー、そりゃあ食べるけどさあ……」


 危うく取り上げられそうになったカップ麺を死守し、冴は渋々箸を突っ込んだ。


「倖介君これからどうするの?」


 一口麺を口に運んだところで、冴は神妙な面持ちでそう問いかけた。


「さあな」


 その問いに対し、倖介は箸を止めることも冴に一瞥をくれることもしない。逆に「お前こそこれからどうすんだよ?」と間髪開けずに返してきた。


「んー……どうしようかな……。天城とつながってることばれちゃったから、もう学校へは行けないし――」


 言いさして冴は俯いた。

 脳裏に蘇る罵声と悲鳴。思い出したくない記憶に胸が潰されそうになる。

 苦い記憶に思わず黙り込んだ冴だったが、項垂れたその頭にかけられた声は腹立たしいまでにあっけらかんとしたものだった。


「丁度良かったじゃねえか。やめちまえやめちまえ、学校なんざ」

「無責任なこと言わないでよ! 他人事だと思って!!」


 真剣に悩んでいることを軽く受け流され、冴はむっとして食って掛かるが、倖介はあくまでも大した問題ではないという体を崩さない。


「いいじゃねえか。学校なんざ行ってたってろくなことねえし。俺なんかあんなもん中二でやめてやったぞ」

「倖介君と一緒にしないで!」


 偉そうに豪語する倖介に冴は大きくため息をついた。そしてこれ以上は埒が明かないと判断すると「そういえば」と話題を変えた。


「斎君はイギリス帰るんだよね?」


 冴としては何か他意があってその話題を選んだわけではなかった。

 だが彼女の口から出てきたその名前に、今度は倖介がむっとさせられる番だった。


「知るか、あんなやつ。さっさと帰れ帰れ!」

「……また喧嘩したの?」


 分かりやすく急に不機嫌になった倖介に冴は呆れたような視線を向けた。


「ほんと倖介君ってすぐ頭に血が上るんだから」


 ぼそっと呟かれた聞き捨てならない言葉に、倖介は心底心外そうに目くじらを立てた。


「そう言うけどな、あいつだって大概だぞ。つーか、癇癪起こした回数ガキの頃から数えたらゼッテーあいつの方が――」

「それは倖介君が怒らせるからでしょー」

「逆だ、バカ。喧嘩吹っかけてくんのはあいつの方だ」


 腹立たしげに反論しながら倖介は僅かに残っていた麺をかき込んだ。


 考えてみれば昔からやつには散々な目に合わされてきた。嫌味や罵倒は日常茶飯事だしパシリなんて当たり前。苛められたことなど枚挙に暇がない。

 そもそも、外面がいいから周囲からは好意的に見られているが――それがまた癪に障るのだが――、その実やつの性格の悪さは天下一品だと倖介は評価している。偏屈で天邪鬼で傲岸不遜。腹は真っ黒だわ、根性はねじ曲がってるわ、無駄に自尊心は高いわ。天上天下唯我独尊とは正にやつにこそ相応しい言葉だ。


「しかもキレっと何すっか分かんねえし」


 倖介の口から途切れることなく流れ出てくる斎に対する不満の現れであろう悪口を半眼で聞き流していた冴だったが、しかし、最後にぶっきらぼうに言い放たれた一言にはっとした。


 冴にとって斎はいざという時に最も頼りになる存在だった。その上気は効くし、いつだって優しくしてくれる。だが、そんな彼に心の底で恐怖を抱いていたのもまた事実である。

 任務にあたっているときの彼は正直恐ろしかった。彼の纏う威圧感に満ちた空気も、冷徹に染まった眼光も、荒ぶる修羅の如き霊気も。

 それだけではない。彼が普段向けてくるあの優しさでさえいつもどこか冷たかった――。


 意図せず思わしくない方向へと走り出した己の思考に、冴は気分を切り替えようと、わざとらしいまでに明るい調子で切り出した。


「ねえ、デザートは?」

「はあ!?」


 突然の思いもかけない言葉に、倖介は素で反応した。


「あるわけねえだろ、んなもん」

「えー、なんか甘いものが食べたーい」


 駄々をこねる冴に、倖介は心底鬱陶しそうに声を張り上げた。


「だからねえっつってんだろうが、しつけーな! つか、冷蔵庫ねえのに生モンなんか買い置きしてるわけねえだろ」


 あまりにも普通に発せられたために一瞬思わず聞き流しかけた。しかしよくよく考えればあまりにも衝撃的な一言に、冴は部屋中を見渡した。万遍なく三度ほど見回したのち、おずおずと聞き返す。


「……冷蔵庫、ないの?」

「ねえ」


 冷蔵庫がなくても暮らせるものなのか、と変な感心をした冴だったが、だがやはり真っ当な生活をする上での冷蔵庫の必要性を倖介に説きつつ、文句を並べる彼を引き連れてデザートの調達のために雨の街へと繰り出した。




       *




 落ち着きのある色調で整えられた広々としたダイニングルームにシャンデリアの光が降り注ぐ。大勢での会食を想定して設計されたのであろう長いテーブルには真っ白なテーブルクロスがかけられていた。


「お待たせ致しました。バンブーでございます」


 畏まった声音とともに一脚のカクテルグラスが恭しく差し出された。


「本日の御夕食は如何なさいますか?」

「フルコースを二人分。ああ、デザートは花音の分だけでいい」

「かしこまりました」


 夕食のオーダーを受けると、制服を無駄なく着こなした執事と思しき初老の男性は手帳を開いた。


「明日のご出立でございますが、午前九時半に成田国際空港第一ターミナル北ウィングまでお車をご用意いたします。お時間に間違いはございませんか?」

「ああ」


 必要な確認を終えてしまえば、二人しかいない空間はたちまち静寂に包まれる。

 その沈黙を意に介する素振りもなく食後酒を嗜む後ろ姿に、柔和な容貌の執事は心なしかその面を曇らせた。


「せめて今月末まででもこちらにご滞在頂ければ、旦那様と奥様もお戻りになりましたのに……。坊ちゃんの御立派に成長なされたお姿をご覧になれば、旦那様と奥様もさぞお喜びに――」

「喜ぶ……? まさか」


 心底残念そうに発せられた言葉の中に看過できない単語を聞きとがめ、斎はふっと口角を上げた。


洋貴(ひろたか)は車と仕事が世界の全てだろ。実登里(みどり)だって興味の対象は専らブランド品とエステ。二人とも、斎なんていう存在すらきっと忘れてるよ」

「斎坊ちゃん……」

「気なんか遣わなくていい。陸上(ここ)に居場所がないことくらい、初めから知ってる」


 ただ淡々と言って斎は何事もなかったかのように再びカクテルを口に運んだ。

 言葉のとおり、彼の表情からは悲壮感の類は微塵も窺えない。


「これ、もう一杯貰えるか?」


 しかし一瞬、空になったグラスに注がれた淡白な瞳がほんの僅かに揺れたのを、聡明な執事は見逃さなかった。

 気丈にも努めて平静に振舞おうとするその姿に、眦を下げると、やや困ったように、しかし穏やかに微笑んだ。


「かしこまりました。ただし、もう一杯だけにございますよ。坊ちゃんのお年ではまだ本来この国ではお酒はお召し上がりになれないのですから」




     *




 明け方から降り始めた雨は徐々に激しさを増していた。

 降り始めは遠方に聞いていた雷鳴も、今や頭上で轟いている。

 煩いほどに降りしきる雨音の響く中、飛鳥はとある場所へ向かうために邸の廊下を一人速足に進んでいた。

 また一つ、澱んだ空に雷光が迸り、迅雷が湿った空気を震わせた。

 稲妻に照らされた天城家当主の表情は、未だ嘗てないほどの峻烈に満ち、しかしその双眸は剣呑に揺れていた。





「何故だ……何故……!?」


 それは今から数刻前。

 何の変化も見られない七宝を前に、飛鳥は当惑していた。


 夜光の言った通りにすべてを整え、言われた通りにすべてを執り行った。なのに。


 ――何故、七宝は何の変化も起さない……?


 予想だにしなかった目の前の事態に、飛鳥の面には困惑と焦燥とがはっきりと窺えた。

 このままでは七宝は目覚めない。七宝の力を引き出すことができなければ、一族を救うことも叶わない。

 このままでは『約束』を果たせない――。


 もう暁の頃だというに、空は依然暗雲に覆われたまま、光の片鱗を垣間見ることすらできない。

 物言わぬ鈍色の空から、小さな雫が一片零れ落ちた。



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