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第弐拾章 常闇の迷宮

 夢を見た。

 温かく、狂おしいほどに愛おしい夢を。


 柔らかな陽射し。その中に仲間の姿がある。

 眩いばかりの光に包まれ、仲間たちは皆、笑っていた。

 屈託なく、心の底から幸せそうに。

 一瞬違和感に似た何かが頭の片隅を掠めたが、そんなことは次の瞬間には忘れてしまうほど、この幻想の世界は安らぎに満ちていた。

 久しく忘れていた感覚(ぬくもり)に自然と心が凪ぐ。


 いつまでもこのまま留まっていたい――そう願わずにはいられなかった。

 しかしその平安は呆気なくぶち壊された。


 暗闇に鳴り響く一本の着信。

 定まらない意識の中、喧しく鳴り続ける着信音に手を伸ばす。

 指先に触れた冷たい感触に、虚ろだった意識は完全に現実に引き戻された。それと同時に、せっかくの心地の良い夢見を邪魔してくれた傍迷惑な真夜中の着信に、沸々と怒りが湧いてくる。

 腹立たしさに渋面を作りながら耳に当てた冷たい感触からはしかし、夢にも思わぬ僥倖が告げられた。




 ――七宝が手に入る。誰でもいいから守護獣を二、三人遣してくれ。場所は――




 通話を切るなり、冴は着替えもそこそこに部屋を飛び出した。

 迷路のように入り組んだ天城邸の廊下を小走りに進みながら、守護獣の姿を探す。


「雷毘、どこ? 雷毘! みんな!!」


 静寂の中に高い声が響き渡る。

 しかしいくら呼びかけても守護獣からの応答はなく、何処にも彼らの姿を見出すことは出来なかった。


「どうして……みんな何処行っちゃったんだろう……」

 

 急に不安がこみ上げてくる。何故かは分からないが、妙な胸騒ぎがした。

 守護獣たちが誰一人として呼びかけに応じない――こんなことは未だ嘗てなかった。

 自分の知らないところで何かとんでもない事が起こっているような、そんな言いようのない不安がこみ上げる。

 思いがけない知らせと不測の事態に、混乱と焦燥で冴は半ばパニックに陥っていた。


 倖介は確かに、電話口の向こうで「七宝が手に入る」と言った。

 だが、彼は七宝に触れることは出来ない。七宝を回収するためには、一刻も早く彼の下に守護獣を向かわせなければならないのだ。

 それなのに、その肝心の守護獣が誰一人として見当たらない。


 どうすればいい――何度も自問を繰り返す。

 落ち着くように自身に言い聞かせ、気付けば冴は無意識の内に、ある場所へと向かっていた。


「斎君……!」


 彼ならば守護獣の行方を知っているかもしれない。知らずとも、何か手立てを講じてくれるに違いない。

 いや、それ以前に。彼ならば(・・・・)、守護獣を向かわせる必要もない。


 斎の自室に繋がる廊下に差し掛かると、自然と冴は走り出していた。そして彼の部屋を視界に捉えると、縋るようにして襖に手をかける。

 申し訳程度にノックをし、しかし入室の許可を待たずに襖を開けた冴は、目を見張った。


「斎君まで、どうして……?」


 そこに斎の姿はなかった。

 何度も何度も目を凝らして部屋の中を見渡すも、暗い部屋の中に認められるのは無造作に置かれた机だけ。


 こんな真夜中(じかん)に一体何処へ……?

 胸中で一層存在感を増す不安。心臓が早鐘を打つ。

 頼みの綱が切れ、崩れそうになる膝と心を叱咤する。

 とにかく、もう一度守護獣たちを探そう――。


 震える足取りで踵を返したその時、背後に気配を感じた。

 反射的に振り返った冴の目に飛び込んできたのは、月光を受けて煌めく――白銀。


「風牙……!」


 冴は安堵のあまり、ついにその場にへたり込んだ。


「良かった、誰もいないからどうしようかと思って……」

《要件は諒解している。私が酒々井の元に向かう》


 風雅は淡々とした口調で短く告げると、「お前はここに残れ」と加える。

 冴は小さく頷いて深く息を吐き、おずおずと風牙を見上げた。


「雷毘やほかのみんなは?」

《変事の対応に追われている》


 変事――その言葉に心臓が一際強く脈打った。


 ――何があったの……?


 そんな当たり前の疑問が喉元まで出かかるが、口から発せられたのは別の問だった。


「斎君も?」

《ああ》


 風牙の返答は実に的確だ。だが同時に非常に淡白でもあった。

 風牙は決して訊かれた内容に対する必要最低限のこと以上を口にしない。

 だが、今まさに起こっているという『変事』について何も語らないのは、風牙の朴訥な性だけが原因でないことくらい、冴は承知していた。


 風牙だけでなく、他の守護獣も、またその他の誰もが、変事の発生について報告をしてこなかった。

 それはつまり、自分はその変事について知る必要がないということ。少なくとも、周囲はそう判断しているということだ。

 知る必要はないと判断された以上、自分から首を突っ込むことは許されない。

 だがら、どんなに知りたくとも、訊ねてはならないのだ。


 ――また、あたしだけ……。


 仲間と共にあるとき、いつもどこかで感じていた疎外感。

 いつも自分だけが蚊帳の外に置かれる。

 同じ守護者のはずなのに、自分だけがいつも――。


 ふと、脳裏に先ほど見た夢が甦った。

 陽だまりの中で穏やかに笑っていた仲間たち。

 その至福とも呼べる温もりに感じた違和感、それは――。

 あの幸せそうな笑顔が、幸せなはずの笑顔が、何故かとても切なく感じた――――。




      *




 不気味に静まり返った廃寺に、一人の少女が現れた。

 寅の刻に差し掛かったばかりの空は依然闇に覆われている。

 その暗闇の中随伴もつけずにたった一人で現れたのは、一見したところ何処にでもいそうな、世間の女の子となんら変わりのない少女だった。纏っているのも、同世代の女の子が好みそうな至って普通のワンピースである。

 唯一特異なのは、少女が肩から振袖を羽織っていること。

 月の光しか頼れぬこの夜陰の中にあって、少女の羽織る薄紅色のそれは遠目にも桜の模様までがはっきり識別できるほどにいやに鮮明に闇夜に映えた。


「あんたが南雲の姫さんか?」


 倖介は怪訝そうな視線を少女に向けた。

 気品こそあれ、その顔立ちはまだ稚く、繊細で華奢な印象を強く与える。

 それは倖介が想像していた彼の(なぐも)の当主像とはおよそかけ離れていた。

 だが、少女の瞳を見た瞬間、倖介はこの少女が紛れもなく南雲の当主であると確信した。


「如何にも。わたくしは南雲家当主、椿と申します」


 その瞳には強い光が宿っていた。それは敵意とは違う、静かだが確かな威圧。

 椿はその威厳に満ちた双眸で真っ直ぐに倖介を見据え、慎ましくも凛とした声とともに恭しく一礼した。

 決意の強さの現われだろうか。その声音は外見以上に大人びて感じられた。


「お約束の通り、南雲家(わたくしども)が有する七宝を持って参りましたわ」


 椿は自ら名乗りこそすれ、倖介の素性を問うことはしなかった。代わりに単刀直入に本題を切り出す。

 見れば彼女の両腕は大切そうに、風呂敷に包まれた何かを抱えていた。


「……創太はどこですの?」


 よほど創太の身を案じているのだろう。周囲を見渡しても彼の姿を認められないことに焦心に駆られているのが見て取れる。

 そんな椿の姿に倖介は己の主導権を再確信し、余裕の体で尊大に構えた。


「安心しな、まだ指一本落としちゃいねえよ」

「あの子の無事を確かめさせて――」

「まずは七宝を確認するのが先だ。一つずつ全部地面に並べな」


 皆まで言わせず、倖介はぞんざいに言い放った。

 椿は一瞬、その端整な面持ちを歪ませたが、それ以上の反論も抵抗もせずにただ倖介の指示に服した。

 倖介の視線の先で、次々と七宝が地面に並べられていく。


(ほー、あれが『盾』か……思ってたより小せえんだな。んで、その隣が『杖』と『髪飾り』、と。それから『指輪』に……片割れの『鏡』か……)


 倖介は椿の動作にあわせ、一つ一つを念入りに目視で確認する。


「創太はどこですの?」


 五つの七宝を全て並べ終えると、椿は再び同じ問を投げかけた。

 その声に倖介は地面の上の宝から椿へと視線を移した。

 この状況にあってもなお彼女からは殺意はおろか確たる敵意すら感じられない。


(そんなにあのガキが大事、ってか)


 全ての七宝を敵である天城に譲り渡すなど、南雲の当主としては耐えがたき屈辱だろう。

 それでも彼女は甘んじてそれを是とした。

 たった一人の臣下のために。


 倖介は己の中で湧き上がってきた感情に薄く自嘲すると、バイクから腰を上げる。


「お望みの人質(ブツ)だ。約束通り傷一つつけてねえぜ?」


 今にも崩れそうな古寺に歩み寄ると、傾いた木の襖を蹴破った。

 もとより相当傷んでいた襖は軽い一蹴りでいとも簡単に破砕する。


「創太……!」


 露わになった御堂の床に倒れている創太の姿を認めた椿は、表情を一変させて一目散に彼の下へ駆け寄った。

 意識を失っている創太の頬にそっと手を沿え、彼に目立った外傷がないことを確かめると、心底安堵したように息を吐く。


 その姿は、臣下の無事を喜ぶ君主というよりはむしろ、弟の無事を喜ぶ姉のようだった。

 そう、それほどに、今創太に向けられる椿の瞳は穏やかで慈愛に満ちていた――。




 ――これじゃまるっきり悪役じゃねえか……。


 創太に接する椿の姿を目の当たりにした倖介は、なんともばつが悪い思いを抱いていた。

 幼い創太を人質にしたことに始まり、当主とはいえ繊弱な少女を脅迫して七宝を引き渡させた。まったく、悪役サイドの三下の常套手段だ。

 まあ尤も、『鬼の一族』という時点で『悪役』のレッテルを既に貼られているのだから、今更といえばそうなのだが。

 それに、『正義のヒーロー』なんてものはガラではない。偽善を振りかざすくらいなら、いっそ悪役の方がスッキリするかもしれない。


 椿と創太が去り、五つの七宝と共に一人残された倖介はそんなつまらないことを漠然と考えていた。

 考えれば考えるほどどうにも自分が滑稽に見えてしかたがない。

 倖介は心底面白くなさそうに身体を伸ばすと腕時計に視線を落とした。


「おっせえな……まだ来ねえのかよ」


 椿が連絡から僅か十五分足らずで来たのに対し、椿との取引を終えて十分が経っても尚守護獣たちは現れない。

 倖介は不機嫌そうに舌打ちした。

 苦労に苦労を重ねてやっとの思いで七宝を手に入れてやったというのに、随分な対応ではないか。とりあえず、守護獣が到着したら一通り文句をいってやらないと気がすまない。やるべきことはやってきっちりと成果も出しているのだから、文句や愚痴を浴びせたとしても罰は当たるまい――そう悪態をついた時だった。

 目の前に銀色の閃光が舞い降りた。


「ようやく来たか。随分と遅かったじゃねえかよ」


 ひとまずそう一言は文句をつけてみたものの、言ってやろうと思っていた文句の数々はそれ以上続かなかった。


 突如旋風と共に現れたのは、狼に似た相貌の、しかし体躯は二メートルを超す大柄な守護獣――風牙だった。

 五体いる守護獣のうち風牙は最も来る可能性が低い、というかまず来ないだろうと考えていたのだが……。


 予想外の風牙の姿に倖介は驚きを見せた。


「お前が来るなんて珍しいな……つか」


 風牙が来たことも十分意外だったのだが、それ以上に予想外だったのは――。


「おい、風牙。何で花音を連れてきた」


 風牙の背に乗った花音の存在だった。

 彼女には一切何の連絡も入れていない。ここに来るはずがない。なのに、彼女は今ここにいる。一体何故。


「風牙一人じゃ全部の宝を持ち帰るのは大変だと思ったから」


 困惑している倖介に答えたのは風牙ではなく花音だった。

 確かに彼女の言うことは尤もだ。いくら風牙が大型とはいえども、ひとりでこれだけの数の七宝を持ち帰るというのは難儀な注文だ。それはそうなのだが。


「いや、そうじゃなくてだな……」


 倖介が問題にしたいのは、花音が何故ここに来たのかではなく、花音が何故この状況を知っているのかということ。

 そんな倖介の心境を正確に読み取った生来寡黙な守護獣は、厳かに口を開いた。


《秦野から連絡を受けたそうだ。私にこの状況を告げてきたのも城崎だ》


 風牙のその言葉で合点がいった。


(あんのバカヤロー……ッ!)


 何のために、「守護獣を(・・・・)遣せ」と言ったと思ってやがる――倖介は頭をかきむしった。

 こんな真夜中に花音を一人で――正確には風牙がいるため『一人』ではないにしろ――外に取れだしたなどと斎に知れれば、あとでどんな制裁を食らうか分からない。だからこそあえて花音には連絡をしなかったのに……。

 やり場のない怒りを吐き出すように大きく嘆息すると、倖介はそこでトーンを落とした。


「風牙、斎は今どうしてる?」


 いくら彼でも(・・・・・・)、しでかした事が事だけに今回ばかりは粛清を免れることは敵わないであろうことは倖介も承知している。

 しかし、謀反の一報を受けてすぐに邸を飛び出した倖介はその後の斎の処遇については何も知らないままだった。


《自主謹慎中だ》

「自主?」


 倖介の半鸚鵡返しの問に、風牙は返答までに数拍の間を置いた。


《たとえ我等に義があろうとも、我等に斎を咎めることは叶わんということだ》


 風牙の言わんとするところを察した倖介は、それ以上詮索することはしなかった。


 そんな二人の短いやり取りを、少し離れた場所で七宝を一つ一つ手にとって確認しながら聞いていた花音は胸が疼くのを感じていた。

 月明かりを受けた『誓いの指輪』が、掌の上で鈍い光を放っている。


「斎は……」


 細い指で『指輪』を握り締め、花音は誰にともなく問いかけた。


「斎はどうして、指輪(これ)を南雲に……」


 謀反だと、天城に対する背信行為だと分かっていながら一体何故――?


 冷たい風が吹き抜けた。

 いくら待てどもその問に対する答は返ってこない。ただ、無言の風が空しく吹き抜けるだけ――。


 慟哭(なげき)の風に抱かれ、凍て月は人知れず光輝(なみだ)を流す。

 虚構(まやかし)の夢に恋焦がれ、(ひかり)の訪れを待ち望みながら。

 運命に翻弄された迷子(まよいご)たちは出口(おわり)の見えぬ迷宮を彷徨う。

 因縁(さだめ)に抗い、失われた真実(こたえ)を求めて。

 迷宮(あくむ)は嘲笑うかのように幻想(いつわり)の出口を迷子に示す。

 哀れな迷子たちを更なる黒闇(ぜつぼう)深淵(そこ)へと誘うために。

 常夜(やみ)に囚われた月は希望(すくい)を願い、怨望(うれい)に身を預けて眠りにつく。


 黎明(よあけ)はまだ、遠い――――。


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