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第拾捌章 銹錆の真実

血に関する描写等、少々過激な表現があります。

苦手な方はご注意くださいませ。

 しんと静まり返った神殿。冷たい暗がりの中に、妖しく輝く二つの光があった。

 闇に浮かぶその光は祭壇に祀られた神鏡に向けられている。


 雲形台に乗せられた小さな神鏡には目立った装飾の類はない。見れば端々が欠けていた。それどころかその面は錆び付き、何を映すことも叶わないものとなっている。

 見るからになんとも粗末な代物だが、それ以上に目を引くのはその形――神鏡は真円ではなく、半月を模っていた。その弦はまるで鋭利な刃で断たれたかのような真一文字を描いている。


 無論、これはこの神鏡の本来の姿ではない。割られたのだ――千年前のあの時に。

 そして、この鏡が本来の姿を取り戻したとき、千年前の真実が示される。

 闇に包まれたまま千年もの間封じられてきた、戦慄と怨讐の真実が――。


 神鏡の前に設けられた案の上で、たった一つ供えられた玉串の紙垂が風もないのに突然ふわりと踊った。


《今更真実を白日の下に曝け出したところで何になるというのだ……》


 誰も救われない。何も変えられない。

 歴史は変わらない。事実は消し去れない。

 死者は甦らない。失ったものは取り戻せない。

 それなのに、今更真実を求める理由が、一体どこにあろうか――――。




     *




 奇声にも似た絶叫が天を突いた。

 人のものとは思えない常軌を逸したそれは既に声ですらない。


「……マジかよ、おい……」


 目の前で繰り広げられるその光景に、倖介は息を呑んだ。

 そこにいるのは確かに見知った顔のはずだ。だが今、狂ったように絶笑するその容貌には、自分の記憶にある面影は微塵もない。


 だがその変貌ぶりもさることながら、何よりも戦慄を覚えたのは、あたり一面に広がる――赤。それも鮮やかな赤ではなく、どす黒く濁った赤。

 異様なほどに生々しい鉄の匂いに思わずむせ返る。

 これを血の海と比喩するなら、そこに転がっている肉片や肉塊は島や大陸とでも表現すべきだろうか。

 その血の海の中に一人身を沈める人影に、もはや理性は欠片も残滓すら感じられない。ただ狂気と快楽に塗れ、自らを染め上げる生臭い色に陶酔している。


 そこにあるのは、目を背けたくなるような惨状。他でもない『殺戮』そのものだった。


「よぉ、ボウズ。南雲家(テメエんとこ)は随分なバケモン飼ってんじゃねえかよ」


 倖介は捕らえたての獲物の小さな頭に言葉を落とした。

 それに応えるようにして倖介の腕の中で自由を奪われた小さな身体が身じろぎ、短く何かを抗議する。だが大きな左手で完全に覆われた口元から発せられる声は言葉にはならない。


「創太だっけか? テメエもアレ(・・)と同じ目に合いたくなかったら、少し大人しくしてな」


 脅迫めいた言葉に一瞬身を強張らせたものの、創太ははるか頭上にある倖介を睨めつけると拘束を逃れようと必死に身を捩る。

 だが、あまりに体格差がありすぎた。

 創太の両腕を捻りあげているのは倖介の右腕一本。だが両腕といえど、細く華奢なそれでは鍛え上げられた片腕には到底及ばない。いくら抗ったところで、両腕を絡めとっている拘束はびくともしなかった。

 倖介はそのなんともかわいい抵抗に片目を眇める。


「オイオイ、俺から逃げられると思ってんのかよ?」


 呆れたように溜息交じりに言って、創太の両腕を捻り挙げる右腕に力を込めた。

 瞬間腕に走った激痛に創太は小さく声を上げる。


「暴れんなって。下手に動くと折れるぞ」


 そのとき、際甲高い哄笑が耳朶を打った。

 振り返った先で、肉の断片が不気味な音と共に飛び散った。


 その様に高揚したのか、或いはそれだけでは物足りないのか、血に塗れた狂者は辛うじて人体の原形をとどめていた肢体の一つを手探りで手繰り寄せると、奇声をあげならそれを引きちぎった。

 形容しがたい音が不気味に響く。その上におぞましい叫声が重なる。

 原形がなくなるまで引き裂き終えると、今度は無造作に血の海へと両腕を突っ込み両手に赤い水を並々と掬い上げ、天高くぶちまけた。

 夜空に舞った水しぶきは、月明かりの下、さながら深紅の雨の如く降り注ぐ。


 文字通り正真正銘の血の雨に打たれながら、赤く染まった両腕をうっとりと満足そうに眺めるその姿は、控えめに言っても正気の沙汰ではなかった。

 幸いなのは、血に見惚れるあまり周囲に気が回っていないということ。

 奴に気付かれないうちにこの場を去るのが最善策であることはどんな馬鹿でも分かる。万が一見つかりでもしたら、何処の誰とも知らないこの犠牲者のように、人としての影も形もとどめてはおけまい。

 

 ――冗談じゃねえ。


 そもそも自分は宝を取り戻しに来ただけなのだ。ここで謂れのない巻き添えを食らってたまるか。

 倖介は極限まで狂った哄笑に背を向け、そこで相変わらず腕の中でもがいている創太を鬱陶しそうに見下ろした。


「……っとに諦めの悪いガキだな。めんどくせーから暫く寝てろ」


 舌打ちと同時に躊躇いなく創太の後頭部に手刀を落とす。


「安心しな。まだ殺しゃしねーよ。テメエにはこれから餌になるっつー重大な役目をやって貰わなきゃいけねーからな」


 そして、呻く間もなく崩れ落ちた創太の体を担ぎ上げ、背後に一瞥をくれることなくその場を後にした。





「お、あったあった」


 意識を失ったままの創太を乱暴にバイクから降ろすと、倖介は彼の胸ポケットから携帯電話を取り出した。


 人気のない山奥の廃屋の影――それは先ほどいた場所からは大分離れた場所だった。

 得体の知れない化け物から逃げるようにしてバイクを駆り、人目のつかない場所を求めて暫く機体を転がしていたのだが気付けばこんな辺境まで来ていた。


「さーて、誰にすっかな……って、大将(ひめ)サマに決まってるよな」


 携帯の履歴の中から一つの番号を探し出す。表示された名前を何度も確認し、力んだ指で発信ボタンを押した。

 呼び出し音が鳴る。その度に高ぶる鼓動が大きくなり、眼光が期待と興奮で鋭さを増す。


〈創太、どうしましたの? 帰りが遅いから連絡を入れるところでしたのよ〉


 やがて電話口に出た少女の声に倖介は満足げに微笑した。


「どーも、こんばんは。南雲のお姫サマ?」


 聞こえてくるはずのない声に、少女が息を詰めたのが電話越しにも分かる。

 

 ――ビンゴ!


 手応えは確かだった。倖介は内心で快哉を叫んだ。


〈……どちら様ですの?〉

「常套句だな。訊かなくてもわかんだろうが。神サマを拉致ろうなんて考えんのは俺らくらいなもんだろ?」


 動揺を隠し、平静を保って毅然と応じてくる南雲家当主に、倖介はあくまでも挑発的に食って掛かる。


〈創太は無事なのですか?〉


 無論そんな挑発でペースを崩されるような相手ではない。あくまでも剛毅に一段低い声音で問いかけてくる。

 その様はまさしく家臣の身を案じる君主そのものだ。


「さぁてね」


 だがそれは倖介とて想定内。

 いくら相手が南雲の当主とはいえ、創太(ひとじち)がいる以上、分はこちらにある――それが倖介に余裕を与えていた。


〈……いえ、それこそ愚問ですわね。人質が無事でなければ交渉は成立いたしませんもの。要求はなんです?〉

「流石、よく分かってんじゃねーか」


 暫しの沈黙の後、椿は鋭く切り込んできた。実に的確な推察だ。

 倖介は茶化すようにヒューと口笛を一吹きし、そこで声音を改めて威圧的に言い放った。


「テメエらの持ってる宝全部寄こしな。このガキ返して欲しかったらな……」


 椿からの返事はない。

 宝と家臣とを天秤にかけているのか、それとも何か策を練っているのか。

 一つ確かなのは、ここで否と応じられれば、倖介には打つ手がないということ。


「今から一時間だけ待つ。その後は十分毎にこのガキの指を一本ずつ切り落とす」


 倖介は椿の決心を煽るように脅迫の文句を加えた。


「無事に返して欲しかったら急ぐんだな」


 最後に一押しし、椿の返答を待つ。

 椿からの返答があるまでに、今度はさほど時間は要さなかった。


〈……分かりました。創太(そのこ)の命には代えられません〉


 倖介は満悦の笑みを浮かべた。


「交渉成立だ」


 取引場所に現在地を指定し、これ以上話すことはないと通話を切ろうとして倖介はふとその手を止めた。


「それはそうとアンタ、とんでもねえモン(・・・・・・・・)飼ってんのな」

〈……何のことですの?〉


 それまでの語気とは打って変わった何の脈絡もない突飛な内容に、椿は明らかにその意味するところを掴みあぐねている様子だった。

 しかし倖介は不快そうに顔を顰めただけでその意図を説明することはしない。


「何飼おうがアンタの勝手だが、ケダモノ(・・・・)の首輪はしっかりつけとけよ。あんなイカレたバケモン放し飼いにされたんじゃたまんねえぞ」


 言うだけ言って一方的に電話を切った。

 脳裏を支配する一面の赤を追い出すように一度大きく頭を振ると、意識を失ったままの創太を一瞥し、倖介はバイクに腰を下ろした。


「たかが家臣一人のために本当に宝の取引に応じるなんてな。随分お優しいこった。……うちの大将(わか)とは偉い違いだ」


 創太を見かけたのはほんの偶然だった。


 もともと奪い返す宝は一つで十分だった。故に『盾』を手中にした段階で、所期の目的は達成していた。

 しかしどういう天の采配か、自主的に宝を譲り渡すという美夜に続き、またも恰好の獲物が自分の前に現れたのだ。せっかく転がり込んできた好機をみすみす潰すなんて愚かな真似ができようか。

 自慢ではないが、悪知恵は働く。

 すぐに思い立った。――創太(コイツ)は餌に使える、と。


 尤も、この餌が南雲の当主にとってどれだけ美味しいものなのかを図りかねてはいたが、その心配も杞憂に終わった。

 まさかこんなにも素直にあの南雲の当主が取引に応じるとは思わなかったが、ともあれこれで、七宝は全て天城の手にするところとなる。


 これで天城(われわれ)の勝利が決まったのだ、と漠然と考えていた倖介の脳裏に、先刻見えた美夜の言葉が甦った。

 

 ――あたしは七宝なんていらない――

 

 彼女のその言葉は、守護者としてはあるまじきものだ。

 天城でそんなことを口走れば問答無用で切り捨てられかねない。

 だが、彼女に共感する自分がいた。


 もし七宝が存在しなければ、こんなくだらない宿命を課される事もなかった。

 七宝さえなければ、天城の一族(・・・・・)なんてものは(・・・・・・)存在しなくて良かった(・・・・・・・・・・)のだ――。


「……マジで壊しちまおうか、七宝全部……」


 冗談とも正気とも取れる口調は、倖介の本心そのものの表れだった。


 打ち明けると、倖介には端から美夜との約束を守る気などさらさらなかった。

 行為を物の対価とする取引においては、その行為が完了するまで物は自己の手元に置いておかなければならない。物を先に渡してしまえば、行為がなされなかった場合にそれを強制する術を失うことになる。にもかかわらず、彼女は物を先に引き渡してくれた。

 倖介にとってこれ以上の誤算はなかった。

 故に倖介は美夜との約束を守るつもりはなかった。


 だが今、彼女の要求に応えてやるのも悪くはないかもしれないと思い始めていた。


 七宝を破壊することで何が起こるのかは分からない。

 だが七宝をすべて集めることで何が起こるのかも分からない。

 少なくとも倖介は何も知らない。


 守護者の一人でありながら、七宝回収を命じられていながら、知らされていないことがあまりにも多すぎる――。


 七宝とはそもそも何なのか。

 何故どのようにして生まれ、何のために存在しているのか。

 そして何故、天城と南雲の両家が決死の思いでそれを集めることを欲するのか。

 ただ七宝を回収しろとの命を受けたからそれに従っているだけで、七宝の存在意義はおろか、それを欲する理由さえ、倖介は知らなかった。


 それ以前に、天城が何故『鬼』と呼ばれ忌避されるようになったのか、その理由すら分からない。

 事の端が千年前にあることは、あの可愛げのない黒猫からしつこく言い聞かせられた。

 だが千年前に何があったのかについては何も聞かされていない。

 歴代の天城の当主も、守護獣たちも、誰も何も語らなかった。

 何も語らないのは、何も知らないからなのか、はたまた語ることを避けているからなのか――。


「あー、分っかんねえ! やめたやめた!」


 そこまで考えたところで、倖介は荒々しく頭を掻いた。

 慣れないことをしたせいで頭がパンクしかけている。考えて分からないことは考えても無駄だ。


 とにかく、これで七宝が揃う。そうなれば、自分はもうお役御免だ。

 その後で七宝がどのように使われようが、或いは壊されようが、自分にはもはや関係のないこと。


「……さぁ、さっさと終わらせようぜ……」


 零れ落ちた小さな呟きは、見果てぬ先まで続く夜の闇に溶けて消えた。


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