第玖章 生命の盾
『姫君、盾の封印予想地で不自然な落雷があったとの報告が』
雪怜は椿の目の前に降り立ち告げた。
「そうですか。…何時ごろですの?」
『二時間ほど前です』
それを聞くと椿は、一息吐き立ち上がった。
「雪怜、朔羅と彰人を呼んできてくださいませ。私は、『永遠の命』を取りに行ってきます。…『盾』は渡しません」
その瞳に迷いは無かった。
―『盾』の出現には数時間を要する―
その事実を知るものは幾人か存在する。だが、唄に出てくる「祈り」が何であるか知る者は南雲の中でも極わずかで、現在では椿の他に朔羅しか知る者はいなかった。
椿に呼び出された朔羅と彰人は簡略に報告を受けると、すぐに仕度を始めた。朔羅は椿の仕度を手伝いながら念を押すかのように彼女に告げた。
「分かっていると思いますが、『命の大樹』が芽吹いたら絶対に『永遠の命』を翳すのですよ」
「分かっていますわ。朔羅、そろそろ朔真が戻ってくる頃です。戻り次第、全て彼に任せてお休みくださいませ。…体調、本当は悪いのでしょう? 無理させてごめんなさい姉様」
椿は朔羅の手を頬に当て言う。その手はひどく熱を帯びていた。
「…気付かれてしまっていましたか。そうですね、朔真が戻ってくるのなら、あの子に任せます。椿、すみません」
朔羅はゆるりと微笑むと、そっと椿の頬から手を外す。
「いいえ、体が弱いのに無理を言った私が悪いのです。朔真お兄様に怒られてしまいますわ」
その言葉に朔羅は困ったように笑う。
「椿、怒られるのは貴方ではなく私の方ですよ。弟は貴方が大好きですもの。ケホッ」
「堰が!! 姉様もう横になってくださいませ。私はもう行きますから」
朔羅から発せられた堰を聞き、椿は慌てて仕度を終え、外へ出た。
「いってらっしゃい。椿」
夕刻が近づく頃、椿と彰人は『命の大樹』の元へ駆けつけた。
「天城の一味と鉢合わせた場合、最悪戦うこととなります。…それでも行きますか?」
彰人の問いかけに椿は淡く微笑んだ。
「えぇ、そうなった時こそ私がいなくて如何しますの? 覚悟は出来ております」
神経を尖らせ、慎重に『大樹』の元へ向かう二人。汗が静かに頬を伝う。しばらくすると、『大樹』の姿がはっきりと見えるところまで近づいた。そこには、誰の姿も見当たらない。
「…結界なども張られていないようですね」
周囲を見渡し、彰人は椿に伝えた。
「どうやら彼らは『盾』の出現条件を知らなかったようですわ」
真っ二つに左右に裂けた御神木。その中心からはわずかな光が零れ始めている。
「そろそろのようですね。椿様―」
彰人は椿に呼びかけたが、その声は届いていなかった。
「…」
悲しみを帯びた眼差しで椿は御神木を見つめていた。迷うような瞳で何度も、何度も、まるでその姿を焼きつかせるように見つめていた。
「椿様、お時間がありません」
「…分かっています」
再度、彰人が呼びかけると椿は静かに答えた。そして目を閉じる。
「願わくは 我が命を贄とし 守りの証 目覚めんことを」
言葉と共に椿は、髪を結い上げていた髪飾り『永遠の命』をゆっくりと外し、御神木の前に翳した。
『永遠の命』は匂いたつ様に強く輝き、御神木からわずかに零れていた光が輝きを強めるごとに髪飾りから輝きが消えていく。そうして暫く経つと、髪飾りから輝きが完全に消える。それと同時に光の中から生まれる様に『盾』が姿を現した。
「…これが『生命の盾』。落雷から村を守った七宝の一つですか」
光が形を取るかのように現れたのは、琥珀色の盾であった。盾にはまるで草木が蔓延るかのように翡翠で装飾が施されており観賞用にも見受けられたが、力強く深い気を発しておりそうでなかった事が分かった。
「今まで『生命の盾』をお守りくださったこと、感謝いたしますわ。…どうぞ、ゆっくりとお眠りくださいませ」
椿は御神木へ向かって丁寧に一礼した。そして、そっと盾を手に取る。
それを合図に御神木が見る間に朽ちていく。そう、御神木は『生命の盾』を守護する為だけに存在した祠だったのだ。長い長い時を経て、ようやくその役目を終わらせる。
「…」
椿は盾を抱え、朽ちていく老木の最期を見届ける。だが、その瞳に涙を浮かべる事はなかった。