静かな風が止む場所で
「なあ。最近さ、ククリ昼休みにいなくならねえ?」
昼休み直前、後ろの席の男子たちがそんなことを話しているのを耳にした。
「確かに。んで終わる直前に帰ってくるよな」
「まさか彼氏とか?」
いつもの軽口。いつもの、根拠のない噂話。
それなのに、胸の奥がわずかに冷えた。
——その日、第二図書室にククリはいなかった。
窓際の一番奥の席に座り、本を開く。
だが文字を追っても、内容が頭に入ってこない。
ページをめくる音だけがやけに大きく響く。
……今日の四十分は、驚くほど長かった。
翌日も、その次の日も、ククリは来なかった。
図書室は元の静けさを取り戻している。そのはずなのに、僕の中だけが落ち着かない。
——迷惑だっただろうか。
かぶりを振って追い出そうとしても、そんな考えが浮かんでは消え、消えては浮かんだ。
◆ ◆ ◆
ククリが図書室に来なくなって五日目の昼休み。
なぜか少しだけ重い足取りで、今日も僕は図書室に向かう。
扉に手をかけた時に無意識に吐いたため息に自分で驚く。
思考を切り替えようと、今日読む本を思い浮かべながら扉を開く。
——そして、いた。
いつもの席に、ククリが座っていた。
だが、いつもと違う。
机に突っ伏しているが、肩が小さく上下している。
眠っている、わけではなさそうだった。
「……ククリさん?」
遠慮がちに声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げる。
その目が、少し赤かった。
「あ、ジュダ」
いつもの気だるげな声。でも、どこか掠れている。
「……最近、来てなかったですね」
「……うん」
それだけ言って、二人とも視線を落とす。
……沈黙。
耐えきれず、僕は尋ねた。
「……何か、あったんですか」
ククリはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと溢した。
「……噂、出ててさ」
「噂?」
「私が、誰かと付き合ってるって」
ドクンと、胸が嫌な音を立てた。
「否定するの、面倒で。でも、放っといたらさ、クラスで……色々言われるでしょ。だから、昼、避けてた」
そう言って、彼女はほんの小さく笑った。
まるで、「ごめんね」と、そう伝えるように。
「ジュダと一緒にいるの、見られたくなかった」
ズキリと、その言葉が胸に刺さる。
だが、次の一言がさらに深く僕の胸を刺した。
「巻き込みたくなかったから」
僕は、しばらく言葉を失った。
何を言えばいいのか、わからない。
そこでふと、気づいた。
彼女の周囲の空気が、わずかに揺れている。
微風。だが、今まで見たどの生活魔法よりも安定していて、柔らかい。
「それ……」
「あー、これ?」
ククリは指先を軽く動かす。
「私の固有魔法。近くにいる人に、自分の感情をちょっとだけ流しちゃう」
纏う微風はただの風じゃない。
そこに混じる気配、温度、重さ。
ククリの感情が、ほんの少しだけ感じられる。
「うまく使えば友達づくりには便利なんだけどさ……好きな人には使いたくないんだよね」
静かな声だった。
風が、僕の頬を撫でる。
その風にあったのは、不安と、戸惑いと——期待。
「……ククリさん」
言葉を切り、僕は深く息を吸った。
「僕は、巻き込まれてもいいです」
彼女は少しだけ目を見開いた。
「あなたと一緒にいる時間が、僕は好きです」
声が、少し震える。
「図書室で、何も話さなくても、同じ場所にいるだけで」
胸が苦しい。でも、止めない。
「それがなくなる方が、僕は嫌です」
ククリは目を見開いたまま僕の言葉を聞いていた。
やがて、ふっと息を吐く。
「……ずる」
「え?」
「そんな静かな言い方でさ……」
独り言のようにぽつりと呟き、彼女は立ち上がる。
そして、僕の前に立った。
「……ううん。ずるいのは私の方だ」
——風が止む。
さっきまで流れていた感情の気配が、完全に消える。
ククリが、真っ直ぐに僕を見た。
「私も、ジュダといるの、好き」
少し照れたように、けれど、はっきりと。
派手な演出も、劇的な魔法もない。
だけど、胸の奥がじんわりと暖かくなるような、そんな言葉。
午後の授業の鐘が鳴る。
「……明日も」
僕が言う。
「うん」
ククリが頷く。
もう、それだけで十分だった。
——第二図書室の、窓際の一番奥。
そこはもう、ただの特等席じゃない。
二人で静かに恋を育てる場所になった。
「フロートゼ魔法学院の恋愛簿」
最初の一冊は、こうして静かに書き終えられた。
だが、二人が紡ぐ物語はきっと、これからもずっと続いていく。




