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第一話「文学少年とダウナーギャル」

 午前の授業が終わって迎えた昼休みの、昼食を食べた後の約四十分。

 僕にはいつも向かう場所がある。


 人気の無い静かな第二図書室の、一番窓際の列の、一番奥の席。

 春と秋は窓から暖かな陽が注がれ、夏は天井の冷房が、冬は後ろの壁にある暖房が効き心地よく過ごせる特等席。


 入学してすぐの四月頃にこの席を見つけてからもう九ヶ月。

 僕はこの時間にここで本を読むのが日課になっていた。


 誰もいないそこで聞こえるのは、僕がページをめくる音と冷暖房の音だけ。

 大好きな読書に没頭できる、至福の時間。


 ……だったのだが……


 僕は本から目を離し、前の席へちらりと視線を向ける。

 そこには、爪に派手な装飾をして、プラチナブロンドの髪を先だけ青く染め制服を着崩したいわゆる「一軍女子」と呼ばれる少女——同じクラスのククリ・カナリーが座っていた。

 ククリは机に乗せた右腕に自らの頭を乗っけながら、気だるそうに左手の爪の装飾を眺めている。


 空いているのにわざわざ僕の対面に座るのはなんでなんだ? しかも本も読まずに……


 僕の視線に気づいたククリが顔を上げ、目が合った後微笑みを浮かべる。

 その笑みは営業用のそれでもからかい半分のそれでもなく、どこか眠たげで感情の起伏が薄いものだった。


「……や、ジュダ」


 気の抜けた声で彼女は僕の名前を呼ぶ。

 ……正直驚いた。話しかけられることはないと思っていたから。

 それに、クラスの会話にほとんど参加しない僕の名前を、ククリが知っていることにも。


「え、あ……どうも」


 反射的にそう返してから、何を言えばいいのかわからず口を噤む。

 図書室は静かであるべき場所だ。会話は最小限に、というのが僕の信条でもある。

 ククリはそんな僕の内心など気にした様子もなく、椅子の背もたれに体を預けて「ふう」っと小さく息を吐いた。


「ここ、落ち着くんだよね。人いないし、あったかいし」

「……第二図書室はあまり使う人がいませんから」

「ん。だから来た」


 それだけ言って、彼女はまた机に顔を伏せる。まるでそこが自分の特等席であるかのような自然さだった。


 ……いや、困るんだけど……


 とはいえ、「どいてください」などと言えるほどの勇気は僕にはない。

 僕は本に視線を戻し続きを読もうとする。

 だが、


「ねえ」

「……はい」

「それ、何の本?」


 視線は爪に落ちているのに、声だけがこちらに飛んでくる。……逃げ道はないらしい。


「えっと……リーバ・ル・ワーフィールの詩集です。第三版の」

「ふーん」


 ククリは興味なさそうに相槌を打つ……かと思いきや、体を起こして身を乗り出してきた。


「難しい?」

「……人によると思います。比喩が多いので」

「そっかー」


 短い会話で、今度こそ完全に黙る。沈黙が戻ってくる。

 ……戻ってきた、はずだった。


 数ページ読み進めたところで、視界の端で何かがふわりと揺れた。

 見ると、ククリの前に置かれた紙コップから白い湯気が立ち上がっている。

 どうやら購買のスープらしい。さっきまでは冷めていたはずなのに。


 ……生活魔法か。


 この学院では珍しくもない光景だ。

 水を温める。種火をつける。微風を起こす。

 それらは魔法というよりちょっとした癖や道具に近い。


 ククリは指先を軽く鳴らすようにしてもう一度湯気を立たせる。

 僕の視線に気づいたククリが口を開いた。


「ぬるくなるの早いんだよね」

「……保温魔法、苦手なんですか?」

「ん。私のは一瞬だけ。すぐ冷める」


 そう言って肩をすくめる。

 魔法の得手不得手は人それぞれだ。生活魔法は万能じゃない。


 ——そしてまた、沈黙。


 だが、さっきまでとは違ってその沈黙は不思議と居心地が悪くなかった。

 暖房の音と、遠くの廊下から微かに聞こえる足音と話し声。

 その中に、ククリの存在が自然に溶け込んでいる。

 ……そう感じるのは、僕が彼女に慣れたということなのだろうか。


「ジュダってさ」

「……はい」

「いつもここにいるよね」

「……ええ」

「サボり?」

「ち、違います。昼休みだけです」

「わかってる」


 彼女はクスッと笑う。その笑い声は小さく、鈴を鳴らしたように軽い。


「真面目だね」


 その一言に、胸の奥が少しだけざわめいた。

 「真面目」、それは褒め言葉であり同時に僕をクラスの外側に追いやる言葉でもある。


 ククリ・カナリーはその真逆の位置にいる。

 成績は上位、容姿は言うまでもなく、誰とでもつるむわけではないのに、気づけばクラスの中心にいる存在。

 「ヒエラルキーの頂点」。そう評される存在。

 なのに——


「……ククリさんは、どうしてここに?」


 気づけばそんな質問をしていた。

 彼女は少しだけ考える素振りをしてから、あっさりと答える。


「昼、うるさいから」


 その答えに、僕は目を見開く。


「別に嫌いじゃないけどさ。ずっといると、ちょっとだけ疲れる」


 ダウナー気味な声に、嘘は感じられなかった。

 意外だった、というのが正直なところだ。


「ここ、静かでしょ。それにジュダもいるし」

「僕は……関係ないと思いますが」

「関係あるよ」


 即答だった。

 微笑を湛えたその答えの真意を尋ねようとした、その瞬間。

 「キーン」と微かな音がして、僕の持つ本の端がふわりと揺れた。


 ククリの方を見ると、彼女は指先で空気をなぞるような仕草をしている。

 微風魔法だ。

 ほんの気まぐれのような、弱い風。


「しおり、飛びそうだった」

「……ありがとうございます」

「どういたしまして」


 それだけで会話は終わる。

 第二図書室に再び訪れる静寂。だが今度は、僕一人ではない。

 午後の授業開始を告げる鐘が鳴るまで、あと少し。

 僕は本を読みながらふと考える。


 この昼休みが、これからもずっとこうして二人で過ぎていくのだとしたら。

 それは……悪くない。いや——


 思わずページをめくる指に力が入った。


 僕とククリ・カナリーの奇妙で静かな昼休みは、こうして始まったのだった。

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