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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

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怖い話

ちーちゃん

作者: 夢野かなめ

 ちーちゃん。


 彼女の存在を思い出したのは、ふとしたことが切っ掛けだった。


 五歳になる我が子を連れて訪れた公園で、見知らぬ子供の後ろ姿を見た時、ふと様々な思い出が脳裏に蘇ったのだ。


 ──ちーちゃん、か。


 思い出とは言っても、それはあまり良い思い出ではなかった。


 吉田(よしだ)成美(なるみ)は、思わずふぅと溜め息を吐いた。


 手を繋いでいた娘の菜々子(ななこ)が、怪訝そうな顔を向ける。


「おかあさん、だいじょうぶ? おうちかえる?」


 その言葉に、笑みを浮かべ首を振る。


「大丈夫だよ。ほら、遊んでおいで」


「うん!」


 五歳ともなれば、遊ぶのに補助は必要ない。目の届く範囲で、遊具で遊んだり、公園で出来たお友達と遊ぶのを見守っているだけでいい。菜々子はその辺りが器用だから、特に心配をすることなく見守ることが出来る。


 今公園に居るのは、菜々子より年上の子達が多いようだ。何度か見掛けた子も多いので、安心してベンチに腰掛ける。


「ちーちゃん!」


 その言葉に、ビクリと肩を震わせた。


 声のした方に目を向ければ、菜々子を迎え入れた女の子達の集団に新たに混じった女の子が〝ちーちゃん〟だった。


 ──何、反応してるんだか。


 内心で苦笑しながら、成美は幼い頃のちーちゃんとの思い出を思い返していた。


 ちーちゃんと出会ったのは、五歳くらいだっただろうか。


 あの頃は、今のように子供が遊びに行くのに親が付き添うという文化もあまりなかったように思う。


 その日も、成美は昼を過ぎた辺りに家の近くの公園に遊びに出た。


 大型連休のせいか、公園には人の姿もまばらで、散歩をしている年配の人々が幾人か居るだけだった。


 それでも、子供にとって数々の遊具があれば十分だった。


 成美は、滑り台をしたり、吊り橋を渡ったりして一人で楽しんでいた。


「ねぇ、なにしてるの」


 登り棒を登っていた成美は、突然掛けられたその声に、視線を下に向けた。


 丁度成美が登っている棒の下に、一人の女の子が立って見上げている。


「のぼりぼう」


 そう言いながら、成美は棒に絡みつかせた手と脚から僅かに力を抜き、するすると下へ降りた。


 女の子は、それを目で追い、下に降りてきた成美をじぃっと見つめた。


「たのしい?」


「たのしいよ。やってみたら?」


 そう言うと、女の子は棒を掴み、ぐっと力を込めた。そうして昇れないまま困ったように成美を見つめる。その様子に思わず笑うと、女の子は戸惑ったように目を瞬いて、再び成美をじぃっと見つめた。


「ほら、こうのぼるんだよ」


 成美は隣の棒に掴まり、手本を見せた。女の子は、それを真似て少しだけ登る。そうすると、成美の方も嬉しくなって、「じゃあ、つぎ」と言って、また登る。そうして一番上まで登ると、不思議と達成感が沸き起こってきて、声を上げて笑った。


 それを不思議そうに見ていた女の子は、暫く考えるようにしてから同じように声を上げて笑った。


 それが、ちーちゃんとの出会いだった。


 名前を知ったのは、少し後のことだった。


 そういえば、名前は何ていうの? という問いに「ちーちゃん」とだけ答えたのだった。


 まさか「ちー」という名前ではないだろうし、「ち」から始まる名前なのだろうとは思ったが、何度聞いても「ちーちゃん」としか答えなかったし、遊ぶのにそれだけ判れば十分だったから、それ以来深く聞くことはなかった。


 公園に行けばちーちゃんは居た。


 それは、いつでも何時でもそうだった。


 しかし、他に遊ぶ相手が居る場合だけは違った。


 最初にちーちゃんと遊んでいて、後から顔見知りの子達がやって来た時、その子達に目を向けている間にちーちゃんは消えてしまう。


 他の子にちーちゃんの話をしても、そんな子知らないという。


 ──恥ずかしがり屋なのかな。


 そう思った成美は、そんな子が自分だけには懐いてくれているということに、少しの優越感を抱いていた。


 それと同時に、少し変だな、という何処か違和感のようなものも覚えていた。


「どこのしょうがっこうに、いくの?」


 そう訊いた時、ちーちゃんはきょとんとした目で成美を見つめ「しょうがっこうってなに?」と首を傾げた。全ての子供は小学校に行くものだと聞かされていた成美は、驚いて暫く答えられずに、目の前の砂の山に集中した。


「おともだちにあったり、おべんきょうするところだよ」


 そう言うと、ちーちゃんはゆっくりと成美を指差した。


 少し前に、幼稚園で流行っていた〝友達の誓い〟をちーちゃんとしたのだった。


「わたしたちは、おともだちだけど、もっとたくさんいるの。それでね、おべんきょうもする」


 ちーちゃんは屈んだままジリジリと成美の横まで歩み寄ってくると、じぃっと成美の顔を見つめたまま静かに言った。


「なるみちゃんだけでいい」


 その瞳の奥が、得体の知れない光を灯していて、成美は咄嗟に視線を逸らし、砂山に集中している振りをした。


「それは、だめなんだよ。おともだちは、たくさんいないといけないの」


「なんで?」


 その問いに、成美は答えられなかった。母から教えられたことだから、理由など考えたことなどない。


「なんでも!」


 成美は、理由の判らぬ苛立ちと、這い寄るような恐怖を振り払うように立ち上がると、ちーちゃんに背を向けて走り去ろうとした。


 しかし、その手をぐいと強く引かれ、脚を止める。


 手を掴んでいるのは、ちーちゃんだと判った。


 それでも、何故かすぐに振り向くことが出来なかった。


 怖かった。


「いっしょだよね」


 ちーちゃんの声が言った。


「……なにが?」


 声は僅かに震えていた。


「ずっと、いっしょだよね。ともだちのちかい」


 その問いに、成美は答えられなかった。


「もう、かえらないと」


 そう言って、ちーちゃんの手を無理やり引きはがし、成美は一目散に家へと走った。


 ちーちゃんは、何も言わなかった。


 それから、ちーちゃんの姿を見ることはなかった。小学校が始まり、新しい友達が増え、遊び場も少しずつ変わっていったからだ。


 ──ちーちゃん。


 成美の胸の中に何か苦い気持ちが広がっていった。


 ──今思えば、家庭に事情のある子だったのかもしれない。


 いつも公園に居たちーちゃん。人を避けていたように思えるちーちゃん。


 もう少し、優しくしていればよかった。そう悔やんでも、全ては過ぎたことだ。


 ふと顔を上げた成美は、女の子の集団の中に菜々子の姿がないことに気が付いた。慌ててベンチから立ち上がり、公園の中を見回すと、遠くの茂みにしゃがみ込む菜々子の後ろ姿を見つけた。


 安堵の息を吐いてから、ゆっくりと菜々子の許へと歩み寄る。


 近付いてみると、菜々子は一心に地面に穴を掘っていた。


「どうしたの? お姉ちゃん達とは遊ばないの?」


「うん」


 菜々子は、穴から顔を上げないまま、小さく頷いた。


 成美は、その横に屈みこみ、穴を掘る菜々子の様子を見守った。


「お砂場で掘ったら?」


 菜々子が穴を掘っているのは、植え込みがある箇所だ。根や石や何か不法投棄されたものが潜んでいるかもしれない。後ろの砂場を振り返っていた成美は、菜々子の答えに耳を疑った。


「ちーちゃんが、ここだよって」


 成美の心臓はドキリと跳ねた。


「……ちーちゃん?」


「うん、ちーちゃん」


 再び後ろを振り返り、女の子の集団を指差す。


「あの子が、確かちーちゃんだよね。何か隠しっこでもしたの?」


 慎重にそう訊くと、菜々子は小さく首を振った。


「ううん、あのちーちゃんじゃないよ。そういえばおなまえいっしょだね」


 そう言いながら、先程からずっと穴を掘る手は止まらない。


 ザッ──ザッ──ザッ──。


 成美は、その様子に息を呑み、穴の底に目を向けた。


 ──此処だよ。此処だよって……どういうこと?


 そこで、成美はハッと顔を上げた。


 ──そうだ、此処は、ちーちゃんと出会った公園。


 帰省中の成美は、菜々子を連れて実家を訪れていた。そうして、何気なく家の近くの公園に通っていたのだ。ちーちゃんのことを思い出したのは、見知らぬ子を見掛けたからだけではない。そもそもこの公園は、ちーちゃんと遊んだ公園だったのだ。


 全身を耐え難い程の寒気が走った。


 成美は、菜々子の肩に優しく触れた。


「お母さん、少し疲れちゃった。お家に帰ってケーキ食べない?」


 今朝、ケーキがあると知った菜々子は、それはもう楽しみにしていた。「夜ご飯食べた後に食べようね」と言って我慢させていたのだが、この際家に帰ることが出来るのなら、おやつに出しても良い。


 しかし、菜々子は穴を掘り続けたまま、小さく首を振った。


 ザッ──ザッ──ザッ──。


 その様子は、異様に映った。


 落ちていた石で一心不乱に穴を掘る姿。


 成美は少し強引に菜々子の肩を引いた。


「帰るよ」


「ちーちゃんが! ここっていったの!」


 菜々子が金切り声を上げた。


 成美は息を呑み、信じられない気持ちで自分の娘を見つめた。


 菜々子は、決して金切り声を上げるような子ではない。大人しい子だった。少し話せば聞き分けてくれるような、良い子だった。


 それが、金切り声を上げ──


「ちーちゃん!」


 菜々子の明るい声が言った。


 ハッとして目を向けると、菜々子は自分が掘った穴の中を嬉しそうに覗き込んでいた。


「菜々──」


「なるみちゃん」


 その時、穴の中から聞こえた声に、成美は言葉を呑みこんだ。


「ちがうよ、ななこだよ」


「なるみちゃん」


 その声は、穴の底のもっと深くから聞こえている。


 なるみちゃん。なるみちゃん。なるみちゃん。


 その声は、その声は──。


「ちーちゃん」


 思わず呟いた声に、穴の底から小さくて細い薄汚れた何かが突き出してきて、菜々子の腕を掴んだ。


「やっぱり、なるみちゃん!」


 それは、腕だった。


 肉が腐り落ち骨だけとなった小さな骨。


 それが、菜々子の腕を掴み「なるみちゃん」と繰り返す。


 菜々子が、悲鳴を上げた。


 ギャアという悲鳴を上げる菜々子の体を持ち上げ、腕に引き込まれまいと必死に引っ張るが、それ以上に腕の力は強く菜々子の腕を引く。


「いたい! いたい! いたい!」


 菜々子が、あまりの痛さに泣き叫ぶ。


 異常な様子に駆け寄って来た人々が、穴から突き出すものを目にして、驚きの声を上げる。


 ふいにバキッという音がして、それは真横から叩きつけられた枝によって折られると、地面に落ちて、それきり動くことはなかった。


 周囲に集まった人々は、静かに横たわる、平和な公園には似つかわしくない白骨化した小さくて細い腕を、暫く信じられない思いで見下ろしていた。


 その後警察が呼ばれて周囲を掘り起こすと、一人分の白骨化した女児が発見された。


 すっかり古ぼけたそれは、大雑把に見ても数十年は経っていると判定された。


 恐らくは、公園が出来た当時からその場に埋められていたのだという。


 ──ちーちゃん。


 成美は、別のどんな公園に行く時でも、一瞬だけ「もしかして、此処にも」と植え込みや、あまり人通りのない箇所に疑いの目を向けてしまうようになった。


「おかあさん、だいじょうぶ?」


 菜々子が首を傾げる。


 あの後、菜々子は暫く寝込んでしまったが、回復した頃にはあの時の一切を忘れてしまったようで、腕に残った手形のあざを不思議そうに眺めていた。


「大丈夫だよ。さ、遊んでおいで」


 菜々子を送り出し、成美はそっと息を吐いた。


 ちーちゃんは一度、どうしても穴が掘りたいのだと言ったことがあった。


 砂場で掘ればいいじゃん、と言うと、どうしてもあっちがいいと駄々を捏ねていた。その様子に苛ついた成美は、ちーちゃんを無視して砂場で山を作り始めたのだった。


 ──あの時、もしかして、見つけて欲しかったのかな。


 苦い気持ちがじわりと広がっていく。


 ──でも。


 菜々子を引き込もうとした腕の力を考えると、それだけとは思えなかった。


 もし、菜々子の体を引かなかったら、どうなっていたのだろう。


 ──菜々子を……〝なるみちゃん〟をどうするつもりだったの、ちーちゃん。


 成美は、自身の掌をじっと見つめ、ゆっくりと指を組み合わせた。


 ──友達の誓い……。


 組み合わせた指を合わせる相手はもう居ない。


 いや、最初から既にこの世には居なかった。


 友達の、誓い……。


 成美は指を解くと、緩く頭を振って、少し離れた菜々子の姿を見つめた。


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