5月
【5月4日】
進級テストが終わった。明日から採点作業が始まる。しかし、今日のところはひとまずゆっくり休もう。そう思って早めに帰宅したら厄介者が我が家に入り込んでいた。
ペラニア・ゴヌォルブル。大学時代の悪友。王都に用事があって来たが宿代がないから泊めてくれと私の留守中に妻の話も返事も聞かず、困惑する妻を押しのけて勝手に私の書斎に荷物をほっぽり出し、ろくすっぽ説明もしないまま、またどこかに出かけて行ったらしい。
やつが服やら荷物やらにくっつけて運び込んだ砂や煤らしき黒い何かのせいで家の中は汚れ、妻の機嫌はすこぶる悪い。それでも、やつの分の夕食を用意しておいてくれたというのにいまだ帰って来なければ連絡もなく、妻の機嫌は悪化の一途。昔からそういうやつだ。よくわかっている。しかし、こちらはすでに結婚し、家族と暮らす身。配慮してもらわねば困る。私の立場的に。
【5月5日】
ペラニアが帰ってきたのは明け方近く。遅くまで起きて待っていたのに寝入った頃を見計らって叩き起こすのだ。私が説明を求めてもまずは寝かせてくれと言い、体を拭う物と着替えを持ってきますと言う妻にはお気遣いなくと言って勝手にソファに横になる。もちろんソファは砂や煤らしき黒い何かで汚れ、妻がまとう空気は順調に温度を下げている。昔からそういうやつだ。だがしかし、本気で勘弁してもらいたい。
【5月6日】
ようやくペラニアから話が聞けた。目的は魔王城のお偉いさんから入坑許可をもらうこと。ペラニアの研究対象であるケルソチェト廃坑〔ユフフムの北西に位置するケルソチェト山脈にあった炭鉱跡地〕に数か月ぶりに調査に入ったところ勇者一行と遭遇。やつらは廃坑内を破壊してまわり、生息するアンデッド〔すでに生命が失われているにも関わらず活動する死体。アンデッド化する原因はいまだ解明されていない〕を浄化してまわっていた。入坑するには魔王城のお偉いさんの許可がいるため、ユフフムに駐在する兵士は入坑拒否。勇者一行を追い払ってくれない。しかし、このままにしていては大切な調査対象が破壊し尽くされてしまう。そこで兵士たちの入坑許可をもらうべく遠路はるばる王都までやって来たというわけだ。
ここしばらく勇者一行の目撃情報が途絶えていたことにも納得。あそこの連中はとっくに死んで骨だけになり、それでもなお働き続けるワーカーホリックたち。同僚が叩き切られようが火炎魔法で火あぶりにされようがお構いなしだ。自身の仕事を邪魔されたときには怒り、反撃するようだが。
何はともあれ、さっさと許可が下り、ケルソチェト廃坑に戻れることを祈っている。妻が実家に帰ると言い出す前に。出来るかぎり早く。
【5月9日】
テストの採点が終わり、進級・留年が決まった。私の学年は全員、進級。少々、おまけした子もいるが。
アイエネが結果を気にしている。彼女自身も、彼女の友達も補習の対象にすらなっていなかったというのに。父親としては教えてあげたいが教師としては教えるわけにはいかない。担任の先生からの発表を待ちなさいと言ったら渋々、部屋に戻っていった。いたずらズウォッティ。彼はおまけの進級だったはずだ。留年を進言しておくべきだったか。いや、私情をはさんでは。
【5月12日】
今は忙しい、時間が出来次第、連絡をすると追い返され続けているペラニア。やつが家に勝手に上がり込んで1週間が経とうとしている。魔王城からは音沙汰なし。ペラニアのやつも毎日のように片道2時間近くかけて通っているがいまだに門前払い。担当者は何をやっているのか。これ以上、長引けば危険だ。我が家が。
【5月14日】
アトゥウトリドの森〔国境近くの森。魔族と人族の領地を分けるように広がっていた〕が燃えている。勇者一行の広範囲火炎魔法のせい。国境近くに暮らす者たちの生活を支える恵み豊かな森。鎮火の目処は立っていない。
被害は想像以上に深刻。森がなくなったことで人族の領地から瘴気が流れ込んできている。いち早く気が付いて避難した者もいたが多くの者たちが逃げ遅れ、窒息。シナー〔魔族と人族のハーフ。一部、瘴気に耐性のある者、人族の言葉を理解する者がいた〕が救助に向かったが発見された生存者はほんのわずか。
瘴気は広がり続けている。隣の街、さらにはその隣の街に暮らす者たちも避難を始めている。
【5月15日】
今は忙しいと言っていた魔王城の方々。彼らは魔王陛下の末のご息女様のお誕生日会の準備で忙しかったもよう。それでは仕方がない、いち研究者ごときの些末な報告なんぞ後回しにされて当然とペラニア。すっかり頭に来ている様子。致し方ない。せめて、アトゥウトリドの森が攻撃を受ける前に報告できていたら。いや、できていたとしても状況は変わらなかったか。
魔族にとって重要なのは力。対極にいるペラニアのような研究者や私のような教師は軽視されるし、勇者一行に殺される程度の力しか持たない者たちもまた軽視される。70数年前にあった勇者一行の襲来について老年者たちが語ろうとしない理由。それもまた負けた事実、弱さの証明を下の世代に知られることを恐れたからなのかもしれない。私たち魔族の歴史に敗北と失敗は存在しない。
【5月17日】
ペラニアが発った。勇者一行がケルソチェト廃坑から出て行ったので調査に戻るとのこと。こんな状況で? 瘴気が迫っているのに? とも思うが昔からそういうやつだ。私や同僚が叩き切られようが火炎魔法で火あぶりにされようがきっとお構いなしで自分の仕事を続けることだろう。瘴気のせいで死んでもなおアンデッド化し、仕事を続けそうな気すらする。死してなお働き続ける廃坑のアンデッドたち。彼らとペラニアは実に気が合いそうだ。
【5月18日】
ユフフムやその隣のグマレン、さらにラマグラス〔ユフフムの隣、王都寄りにあった街〕から避難してきた者たちが列を成して私たちの街を通り過ぎ、王都へと向かう。とんでもない数。数千とも数万とも。しかし、すぐに引き返してきた。王都に住まうのは高貴なご身分の方々や富裕層の方々。王都に薄汚い市民級を入れることは断固拒否。貴族や豪商は王都に入ることを許された。
街の有志によって開設された避難所は過密状態。あっという間に溢れ返り、公園や広場、通りにまで座り込み、横たわる者も。私たちの学校も避難所として使われているため、授業どころではない。食料は足りるだろうか。早速、パンの値段が上がり始めている。
【5月20日】
ユフフムから避難してきた者の話。彼女はシナーで、人族である父親から幼い頃にいくらか人族の言葉を習った。アトゥウトリドの森を焼き尽くしたやつらはこう言ったそうだ。瘴気が浄化されていく、と。実に嬉しそうに。驚いた。私たちにとってなくてはならない清浄な空気は人族にとっては息苦しく、場合によっては命を奪う瘴気だったらしい。当たり前と言えば当たり前か。人族にとってなくてはならないだろう空気は私たちにとって瘴気なのだから。それをアトゥウトリドの森が隔て、棲み分けることができていたというのに。
シナーの彼女は瘴気――人族の領地の空気には耐性がない。瘴気にあてられた後遺症だろうか。手に痺れが残ってスプーンを上手く握れず食事に苦慮している。避難者の中にはそういう者たちが数多くいる。病院はいっぱい。彼ら彼女らは財産のほとんどを持ち出すことができなかった。治療を受けられる状況ではない。生活の見通しが立てられる状況では、もっとない。
【5月26日】
やつらは次々と街を破壊している。グマレン、ラマグラス、イヌノア〔ラマグラスの隣、王都寄りにあった街〕……。避難者たちは増える一方。私たちの街も隣の街も完全にお手上げ状態。幾度となく助けを求めているが王都の門は開かれない。市民級魔族には。
国境近くの森で小型、中型の魔物を追い回していた頃とはあまりにも聞こえてくる話の印象が違う。王都から離れた田舎街の兵士程度では歯が立たない。別者? しかし、外見的特徴は一致する。
中央軍〔四大貴族出身の幹部と少数の部下で構成される当時の精鋭部隊。四部隊それぞれが異なる専門分野、高い戦闘力を有していたと言われている〕が動き始めたという情報も。しかし、あまりにも遅い。
【5月29日】
避難者から聞いたやつら勇者一行の怖ろしい話。やつらに生け捕りにされた者は逃げられないよう、反撃できないよう、手足を切り落とされる。しかし、すぐには殺されない。恐らく回復役だろう。やつらの中で一番、体が小さなやつに殴り殺される。何度も何度も鈍器で殴られて、時間をかけて殺される。力があれば一撃で殺せるだろう。しかし、体の小さなそいつは腕力がない。何度も何度も、何度も何度も殴られる。助けようとすると他のやつらに剣や斧で斬られ、火炎魔法で焼かれ、殺される。
とある母親は生まれたばかりの我が子が生きたまま血を抜かれ、捌かれ、焼かれ、食べられるのを見せられながら殴り殺された。もう殺してくれ、一思いに死なせてくれと訴えてもやつらには通じない。何十名と殴り殺した後、陽気な音楽を流し、〝レーヴィルアップーオメデトオー〟と歌い出す。返り血に染まった姿で歌い、踊り、笑う姿はまさに悪魔だったと。そう話す避難者であり目撃者である彼に表情はない。吐き気がするような話。女性や子供の耳には入れたくないと告げるともちろん〔話すつもりはない〕と彼。




